今日も自転車です。乗馬倶楽部の前を通り、代々木公園に向います。
代々木公園は昔は練兵場だったそうですが、その前はどこかの大名の上屋敷とかだったんでしょうかね。東京で広い土地はたいていそうですから。「なんとか藩邸」だったかも知れません。
龍馬は「脱藩」の身だったので、ながく京都にいたのに、「土佐藩邸」に入ったことがなかったんだそうです(すいません、またドラマの話ですが)。「藩邸」というのは、今でいえば「○○県東京会館」みたいなもんでしょうか。県から公務で出てきた公務員が泊まってたりする。「藩邸」にいると、「おおお、オレは藩士だぞ、藩のために働いてるぞ」という気分が盛り上がるんでしょうね。。「攘夷」とか大書した旗がいつも飾ってある部屋で暮してりゃあねえ。龍馬はそういうのがないから、おのずと意識が違ったのだろうというのがよく分るシーンでした
「藩」というのも、もとは中国語です。もとの意味は「皇帝を守る家臣」というくらいの意味です(藩屏、などと言います)。皇帝から領地をもらった封建領主のことを「藩」と呼んだのです。
江戸初期には「藩」という言葉は使われてなかったんですって。大名のことを「藩」と呼ぶようになったのは、新井白石あたりからで、儒学者のインテリが使い始めたらしいです。要は外来語で言ったほうがカッコイイという風潮で、水戸中納言を「水戸黄門」というようなものです。実は徳川家の行政組織を「幕府」と言うのも同じで、もとは中国語です。現代でも公約といわずマニフェストと言ったほうが立派に聞こえます。日本人は今も昔も外来語が好きなのです。
というわけで、日本で「藩」といえばもともと「将軍から領地をもらい、将軍をお守りする大名家」のことです。だから将軍や江戸幕府は「江戸藩」ではありません。もちろん天皇も公家も「京都藩」などではありません、将軍の家来ではないからです。
「藩」という言葉が大流行したのは実は幕末からで、「尊王攘夷」という言葉(これももとは中国語の儒教用語です)を振り回した幕末の志士たちが、カッコつけて自分たちの所属集団を「藩」と呼んだのです。「〇〇守家来」というと殿様個人の使用人みたいですが、「〇〇藩」といえば公共の地方自治体のように聞こえ、「〇〇藩士」と名乗れば公のため、日本国のために働いてるみたいでカッコイイじゃん、ということです。
ちなみにこのころにはだんだん、「藩」という言葉が「将軍を守る」から「天皇を守る」にニュアンスが変わってきています。もともとの中国語の意味が「皇帝を守る軍団」だったからです。
そして大政奉還から版籍奉還までのごく短期間ですが、藩は「天皇から領地をもらった大名」ということになりました。会津藩が島流し同然に転封された「斗南藩」、将軍をやめた徳川慶喜が一部旗本と一緒に移された「静岡藩」など、この時期に「将軍ではなく天皇によって封じられた藩」がいくつかできています。