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THE WING OF EIEL

エイエルの翼は何処へ飛翔するのか

参議院選挙が近づいてきたが、一度も選挙に行ったことがない人というのも結構いるらしい。そこで投票の仕方をまとめておこうと思う。

 

まず投票日は

 

7月21日日曜日 

午前7時〜午後8時

 

そして期日前投票は7月5日から始まっており、20日土曜日の午後8時まで受け付けている。場所は各有権者の元に届いているハガキ(投票所入場券という)に書いてある。

 

ちなみにこのハガキをなくしたとしても投票はできるので、迷わず投票所に行っていただきたい。

 

昔の期日前投票しか知らない人はよほどの事情がなければ期日前投票はできないとまだ思っているかもしれないが、今は仕事でも遊びでも理由はなんでも期日前投票は普通にできる。

 

これはやっと届いた北海道の選挙広報である。

 

 

 

 

そして投票用紙は計2枚渡される。

 

まず「選挙区」の投票用紙。これは各地域ごとの選挙区に立候補している候補者名を書く。私の住んでいる北海道ならば各政党や団体から合計9人が立候補しているので、その中から一人の名前を書いて投票する。

 

「れいわ新選組」を応援している方は東京都の方であれば

「野原ヨシマサ」一択である。それ以外の地域の方は、れいわ新選組は野党統一候補を応援しているので、その地域の野党統一候補に投票していただきたい。

 

野党統一候補が立候補していない地域の方は野党候補の中から自分の好きな人物を選んで投票していただきたい。

 

 

そして次に「比例代表」の投票用紙。これは全国区で立候補している比例代表の「候補者名」もしくは「政党・団体名」を書いて投票する。

 

衆議院選挙の比例代表は各政党・団体で名簿順位が決まっていて、政党名を書くが、今回の参議院選挙では政党・団体名でも候補者の個人名でもどちらでもいい。

 

ちなみに「れいわ新選組」はまだ政党要件を満たしていないので政党ではないが、この「れいわ新選組」の名称で投票できる。しかし重要な注意点が一つある。

 

幕末に活躍した新選組は二種類の文字表記があり、昔は「新『撰』組」の文字表記を使われることが多かった。だが、「れいわ新選組」は「新『選』組」のほうであり、「れいわ新『撰』組」と書くと無効票になってしまう。

 

「れいわ」だけでも有効なので、政党団体名で書きたい人は平仮名だけで「れいわ」と書いて投票していただきたい。

 

そしてお勧めは個人名投票である。れいわ新選組からは比例代表で以下の9人の候補が立候補している。

 

「ふなご やすひこ」

「木村 英子」

「山本 太郎」

「やすとみ 歩」

「三井 よしふみ」

「はすいけ 透」

「辻村ちひろ」

「大西 つねき」

「渡辺 てる子」

 

各候補者名にリンクを貼ったので、それぞれの候補のことはリンク先で見ていただきたい。

 

候補者個人名は誰の名前を書いても「れいわ新選組」への一票となる。

 

ただし、当選順位に関しては今回の選挙は「特定枠」という制度が新採用されたので少し複雑になる。

 

この特定枠というのは元々は自民党のお家事情から組み込まれたものだ。どういうことかというとその原因はいわゆる「一票の格差」問題にある。

 

参議院選挙では今まで各都道府県を1選挙区とし、各県から最低1人は当選者が出るようにしていたが、格差解消のために人口の少ない鳥取県と島根県、徳島県と高知県をそれぞれ1選挙区にする「合区」ということが起きた。

 

その結果、今まで自民党の議員だった人どちらか一人が立候補できないという事態になったのだ。当然どちらも譲れるはずがない。しかし、自民党としては一人に決めなきゃなならない。

 

その揉めに揉めた結果、この特定枠という制度を作ってあぶれた議員を救済することになったという訳だ。まさに権力の座にあればなんでもできるのである。

 

 

だが、山本太郎はこの制度を逆手にとって利用した。

 

難病ALS・筋萎縮性側索硬化症患者であり人工呼吸器をつけて話すことさえできない「ふなご やすひこ」さんを特定枠の1位にし、全身麻痺の障害者である「木村 英子」さんを特定枠の2位にしたのである。

 

特定枠というのは個人の得票数に関わらず優先的に当選させることになるため、れいわ新選組にどれだけ票が入ってもまずこの二人が優先的に当選することになる。

 

ちなみに一人当選させるのにおよそ100万票必要と言われているが、前回東京選挙区から出馬し66万票を獲得して当選した山本太郎はこの二人の当選の後、さらに上積みされた得票数で100万票以上必要となる。

 

つまり最低300万票を獲得しなければ国会に戻れないのである。投票率によっては350万票くらい必要になるかもしれない。

 

まさに背水の陣の戦いだ。彼は国会に障害者の当事者を送り込むことで、何もかも変わらざるを得なくなることを知っていた。しかもこの二人ただの障害者ではない。

 

ふなごさんは最重度の障害者だが、常に介助する人がいなければ生きていくことすらできない。それなのに彼は現在看護・介護サービス事業の㈱アース(松戸市)取締役副社長であり、執筆・講演活動もしている。

 

木村さんは同じく常に介護を必要とし、首から下は全く動かないが、障害者の自立支援運動をしてきて、著書も出している。二人とも頭脳は明晰であり、精神活動はきわめて活発なのだ。

 

そして国会は施設的にも設備的にも障害者向けには全く対応できていない。さらに議事堂内には本人しか入れないことになっている。

 

国会は障害者問題に対して何もかも真剣に考え対応せざるを得なくなるのである。

 

山本太郎は自らの落選の危機をもってしてもこの二人を国会に送りたかったのだ。そしてそれを知った人たちはどう反応するか? 何が何でも山本太郎を落とす訳なんかにはいかないだろう。

 

だからこそ多くの人が全くやったことのない選挙運動を、ネットだけではなく現実の世界で自ら動いてやり始めたのだ。

 

特定枠以外の候補は名簿順位というものはないのでこの二人の候補が当選した後、さらに上積みされた票の中でより多くの得票した人から順番に当選していく。

 

山本太郎がいなくては話にならないので、比例は「山本太郎」と書いてくださればいい。山本太郎に何百万票集まろうとその票は彼の当選に必要な票以外は他の候補者に回るので心配はいらない。

 

もちろん他の候補者で応援したいと思う人がいれば、その候補者に投票しても構わない。それでも「れいわ新選組」への一票となるので、おそらくどうなろうと山本太郎の得票が一番多くなるはずだから、他の候補者に投票したからといって山本太郎落選の可能性が高まる訳ではない。

 

 

急激に社会システムが壊されていく中で、それをグレンとひっくり返すことのできる「最後の一厘」「最後の希望」、その一つがが山本太郎と「れいわ新選組」だと私は感じている。

 

是非ともあなたの力をお貸しいただきたい。

 

私はスピリチュアルな世界をとても大切にしている。現在60歳だが、精神世界の旅を続けて40年近くにはなる。スピリチュアルな世界の光も闇も経験してきた。だからこそ政治の話もする。

 

だが、今のスピリチュアルな世界に生きてる人たちはほとんど政治や経済や選挙の話題を持ち出さない。

 

スピリチュアルな世界から現実を変えていくという考え方も理解できるが、私たちは敢えて自分たちの自由を著しく制限してこの世界に降りてきているのはなんのためか?

 

この地上でのやり方でしかできないことをやらないのなら、降りてきた意味はない。精神世界に関わって愛や神や宇宙を説くのならばなおさらのこと、自分たちの現実世界を三次元のやり方で良くしていくことにノータッチなんて、所詮は自己保身にすぎない。

 

「わたしは中立です」などという人は自分の顧客や信者を失いたくないだけだろう。それでは普段言っていることは絵に描いた餅ではないか。

 

確かに野党が善で与党が悪ではもちろんないが、自分たちの社会の方向性を決める選挙というものに、はっきりした自分の意見を言えないスピリチュアリストなど意味はない。

 

スピリチュアルな世界で有名な人であればなおさらのこと、愛や宇宙の法、霊的真理を説くゆえに、実社会を良くしていくための責任がある。私が知っている方で明確に政治のことを訴えている人は山川さんご夫妻くらいだ。

 

ちなみに山川さんのブログはこちら。

 

山川紘矢のブログ

 

 

実は山本太郎さんもスピリチュアルな世界には縁がある方だった。彼は『神との対話』第3巻の解説を書いていたのである。それについて書かれたブログがある。

 

よしみん@ボノボリアン

 

ここには彼自身が幼い頃、「注意欠如・多動症/注意欠如・多動性障害」(ADHD)であったと思われることが述べられている。このことに関しては彼は演説の中でも明らかにしている。

 

元々親からの流れでクリスチャンだった彼は、幼い頃は悪事をはたらいては、いつも母親に見抜かれ「クソ神様!」と悪態をつく子だったそうだ。

 

そして大きくなってからは「神様がいるのなら、なんでこんなひどい世の中なのか? 本当は神様なんていないのでは?」とむかつくようになっていたそうである。

 

16歳で芸能界に入り、汚い大人たちをたくさん見て彼はより一層社会を斜めに見るようになり、何かに対していつも怒りがあり、「むかつくヤツは消せばいい。金がなければ奪えばいい。今さえよければいい。人生は一度きり。俺は俺の生きたいように生きる。」そう思っていたそうだ。

 

彼が変わるきっかけになったのは21歳の頃。自分と同じくやんちゃだった姉がヨガを習い始めてから精神世界に興味を持ち、どんどん内面の輝きが増していった。

 

その影響を受け、物質至上主義だった母が同じくヨガを習い始め、持病の症状も安定し、さらに内面の輝きが増していったことで、自分もヨガを習い始めた。それで集中力がつき、多動性障害は克服されたようだ。

 

彼はやがて世界ウルルン滞在記で世界の辺境を旅するようになり、世界中の様々な現状を目の当たりにした。そのカルチャーショックの中で、全く本を読まなかった彼が、母がロケの荷物に入れておいてくれた「神との対話」を読むようになった。

 

彼の母は「文字に慣れていないから最初は読みにくいかも。でも、飛ばし読みはしないで、わからないところは元に戻って繰り返し繰り返し読めば、きっと意味がつかめるよ」と伝え、彼はその熱意に負けたのだ。

 

そして彼は様々な体験と本のメッセージから変わっていった。「損得や目先のことを考えるより、自分が本当に心からやりたいことをやるべき」と思うようになり、「神が自分と同じようなものとして人間をつくったのなら、自分たちの力で世界は変えられるんじゃないかと思う」と考えるようになった。

 

そしてやがて「自分の存在意識に「地球人」、「みんなと家族」という考えがインプットされている」と感じるようになったのだ。これが政治家山本太郎の原点だろう。

 

メロリンQ、母子家庭、中卒「高校中退」、そういうレッテルを貼って彼を非難する人も未だにいる。だが、そういう人たちこそこの歩みの中でここまでに成長した彼を見て恥ずかしくないのだろうか。

 

そして今の彼の姿を見て欲しい。

 

 

山本太郎は戦略家であり、戦術家だと私は思っている。「れいわ新選組」を立ち上げてからこの短期間でここまで支持を広げ、人々の眠っていた魂に火をつけ、金を集め、山をも動かそうとしているのは並大抵の素養ではない。

 

古いがコンピュータ付きブルドーザーと言われた田中角栄を思い起こす。

 

何より凄いのは政治に興味がなかった人たちを目覚めさせ、それぞれが能動的に選挙運動を始めていることだ。

 

候補者の一人である「てるちゃん」こと渡辺照子さんのFacebookでこんな書き込みがあった。

 

『れいわ新選組を応援してくれる人たちの何がすごいって「頑張って下さいじゃなくて私たちが頑張ります!」と言ってくれること!涙が出ます。』

 

そう、動画や演説を聞いて感動して、なんとしててでもこの人たちを当選させたいという思いから、組織の一員でもない人たちがそれぞれに選挙活動を頑張っているのだ。

 

電話掛け、ポスター貼り、公選ハガキ書き、または直接人に会って投票をお願いする。それも今までそんなこと一度もやったことのない人が、誰かに言われてではなく自発的に行動を始めている。

 

かくいう私も公選ハガキをれいわ新選組事務所から取り寄せて書き始めている。また、恥ずかしいほどの少額ではあるが生まれて初めて政党に寄付もした。

 

 

選挙には出るだけで莫大なお金がかかる。全国遊説の選挙運動となればなおさらのこと。だが、れいわ新選組の支援者は苦しい生活の名から500円1000円と募金して自分たちの思いを託している人が多い。

 

これほどまでに人を動かすのは彼の思いの純粋さと、桁外れの熱き情熱のゆえだろう。

 

その山本太郎の原点を示すエピソードをFacebookで見つけた。以下に紹介しよう。

 

 

 

彼ならやれる。日本を変えるだけの力がある。そして立ち上げた「れいわ新選組」の第一声を聴いていただきたい。

 

 

各候補の顔ぶれ。

 

 

そしてこちらがフルバージョンである。

 

 

 

7月4日参議院選挙がスタートした。マスコミの論調は与党圧勝の見込みとなっている。だが、孤軍奮闘し、一般大衆を能動的に巻き込み、とてつもないエネルギーのムーヴメントを起こしている集団がある。

 

それが山本太郎率いる「れいわ新選組」である。

 

彼の国会での戦いはいつも注目してみてきた。昔はメロリンQという一発芸で人を笑わせていて、今でもその印象が強い人がいるせいか、キワモノ扱いされることも多かった。

 

だがそれは彼16歳の頃のことであり、そんな時代のことを持ち出して彼を貶めるのはおかしい。青春時代に人からみて汚点と思えるようなことがない人などいるだろうか?

 

山本太郎は誰よりも真剣に全力で国会議員をやっている。これほど勉強している議員はそう多くはない。これほど行動している議員もあまり数多くはない。

 

そして小沢一郎と合流した時、これは政治の世界に大変動が起こるかもしれないと期待した。しかし現実にはそうはならなかった。

 

小沢一郎は私の中で総理をやらせたい人物だったが、政治手法から敵も多く、嵌められて犯罪者扱いされてしまった。裁判で無罪になったにも関わらず、悪いイメージは付いて回り、もうかつてのような政治力はない。

 

しかしながら、小沢一郎と共に歩むことで山本太郎は政治家として大きく成長した。

 

そしてこの春、彼は小沢一郎の元を離れて、一人で政治団体を立ち上げた。それが「れいわ新選組」である。

 

自由党のままでは先がない。野党が大同団結して大きな塊とならなければ与党には対抗できない。しかし、野党第1党である立憲民主党は当初独自路線を選択し、野党共闘にも否定的だった。

 

このままでは今どんどん悪くなっている社会の諸問題がどうにもならないところまで行ってしまう、与党の暴走は急激に加速する、世の中はものすごい勢いで壊れていっている。今何かやらなければ誰も助けられないという思いから彼はたった一人の国会議員でこの団体を旗揚げしたのだ。

 

そして短期間に全国を回って国の現状を政策を街頭に立って訴え、急速に指示を集め、お金も2億円以上集め、そして参院選告示直前には全員で10人の候補者を立てることに成功した。

 

まずは彼の想いを動画から受け止めてみてほしい。わずか2分の動画だが、魂の叫びを聞いていただきたい。

 

 

 

もし、興味を持たれたらこのフルバージョンを見ていただきたい。

 

 

居間で焼酎を飲んで眠り込んでいて、夜中に起きるとニュースの特集で「レンタルなんもしない人」というのをやっていた。

 

「一体なんのことだろう?」と思いながらなんとなく見ていると、その興味深さにどんどん引き込まれていった。

 

なんでも今巷では(一部だとは思うが)、Twitter「レンタルなんもしない人」というのが話題になっているらしい。

 

題目のリンクをクリックするとその人のTwitterに飛べるが、そこに書かれている紹介にはこうある。

 

『なんもしない人(ぼく)を貸し出します。常時受付中です。国分寺駅からの交通費と、飲食代等の諸経費だけ(かかれば)ご負担いただきます。お問い合わせはDMでもなんでも。飲み食いと、ごくかんたんなうけこたえ以外、なんもできかねます。』

 

ただ、そこに一緒にいるだけで彼は特に何もしないという。そして報酬はなく、必要経費を受け取るだけだ。

 

そんなことして一体なんになるのか? 第一そんなものに需要なんてあるわけないと思うだろうが、これが大人気の引っ張りだこだという。

 

この日のテレビでは何人かの依頼人も出ていたが、なるほどと思うことがいくつもあった。

 

入ってみたい飲食店があるが、どうも一人では入りづらいから一緒に入って欲しい。家の片付けをしたいが一人ではどうもやる気が出ず、誰かが見ていてくれれば集中できる。一人で野いちごをとったり、虫を捕まえたり、木に登ったり野遊びをしたいが、一人でそんなことしていたら人の目がきになる。

 

などなど、特に積極的に会話してくれるわけでもなく、なにか手伝ってくれるわけでもなく、ただそこにいるだけという人の需要が確かにそこにあった。

 

そして興味深かったのは彼がなぜこのようなことを始めたのかということ。かれは普通に学校を出て普通に就職したが、仕事がうまくいかずに次々に転職を重ね、ついには自分には仕事をこなす能力が何もないという結論に達してしまったのだ。

 

そして何もできないから「なんもしないひと」ということを始めたのである。

 

さらに驚くのは30代半ばの彼には奥さんがいて幼い子供がいる。それで、必要経費だけもらって無収入でどうやって暮らしているのか? 

 

実は奥さんも最初は「この先一体どうするんだろう」思っていたらしい。でもなんとかなるだろうと思って「貯金食い潰すまでやってみれば」と言ったというのだ。なんとも肚が座っている。

 

そして本当になんとかなってしまった。実は彼のこの行為は人間は生まれてきたら必ずなにかしなければいけないのか? なにもしなくたって存在してていいのではないか? という根源的、哲学的問いかけを生み、彼のこの行為とそれを漫画で報告したTwitterの内容が本になったのだという。

 

それも彼が動いて出版したわけではない。かれはまさになんもしないで、それを見つけてくれた出版社の人が、面白そうだと飛びついただけなのである。

 

そしていくらかの印税が彼に入ってくることとなり、生活が回っていった。

 

まさに「好きなことを全力でやればお金は付いてくる」の究極例である。

 

それにしても現代は本当に多様性の社会が開花した。もうあらゆる分野で今までの常識は通用しない。

 

逆に言えば他人の「常識」で押さえつけられ、虐げられてきた人が自ら解放して幸せを生み出していく時代に入っているということなのだろう。