私はスピリチュアルな世界をとても大切にしている。現在60歳だが、精神世界の旅を続けて40年近くにはなる。スピリチュアルな世界の光も闇も経験してきた。だからこそ政治の話もする。
だが、今のスピリチュアルな世界に生きてる人たちはほとんど政治や経済や選挙の話題を持ち出さない。
スピリチュアルな世界から現実を変えていくという考え方も理解できるが、私たちは敢えて自分たちの自由を著しく制限してこの世界に降りてきているのはなんのためか?
この地上でのやり方でしかできないことをやらないのなら、降りてきた意味はない。精神世界に関わって愛や神や宇宙を説くのならばなおさらのこと、自分たちの現実世界を三次元のやり方で良くしていくことにノータッチなんて、所詮は自己保身にすぎない。
「わたしは中立です」などという人は自分の顧客や信者を失いたくないだけだろう。それでは普段言っていることは絵に描いた餅ではないか。
確かに野党が善で与党が悪ではもちろんないが、自分たちの社会の方向性を決める選挙というものに、はっきりした自分の意見を言えないスピリチュアリストなど意味はない。
スピリチュアルな世界で有名な人であればなおさらのこと、愛や宇宙の法、霊的真理を説くゆえに、実社会を良くしていくための責任がある。私が知っている方で明確に政治のことを訴えている人は山川さんご夫妻くらいだ。
ちなみに山川さんのブログはこちら。
実は山本太郎さんもスピリチュアルな世界には縁がある方だった。彼は『神との対話』第3巻の解説を書いていたのである。それについて書かれたブログがある。
ここには彼自身が幼い頃、「注意欠如・多動症/注意欠如・多動性障害」(ADHD)であったと思われることが述べられている。このことに関しては彼は演説の中でも明らかにしている。
元々親からの流れでクリスチャンだった彼は、幼い頃は悪事をはたらいては、いつも母親に見抜かれ「クソ神様!」と悪態をつく子だったそうだ。
そして大きくなってからは「神様がいるのなら、なんでこんなひどい世の中なのか? 本当は神様なんていないのでは?」とむかつくようになっていたそうである。
16歳で芸能界に入り、汚い大人たちをたくさん見て彼はより一層社会を斜めに見るようになり、何かに対していつも怒りがあり、「むかつくヤツは消せばいい。金がなければ奪えばいい。今さえよければいい。人生は一度きり。俺は俺の生きたいように生きる。」そう思っていたそうだ。
彼が変わるきっかけになったのは21歳の頃。自分と同じくやんちゃだった姉がヨガを習い始めてから精神世界に興味を持ち、どんどん内面の輝きが増していった。
その影響を受け、物質至上主義だった母が同じくヨガを習い始め、持病の症状も安定し、さらに内面の輝きが増していったことで、自分もヨガを習い始めた。それで集中力がつき、多動性障害は克服されたようだ。
彼はやがて世界ウルルン滞在記で世界の辺境を旅するようになり、世界中の様々な現状を目の当たりにした。そのカルチャーショックの中で、全く本を読まなかった彼が、母がロケの荷物に入れておいてくれた「神との対話」を読むようになった。
彼の母は「文字に慣れていないから最初は読みにくいかも。でも、飛ばし読みはしないで、わからないところは元に戻って繰り返し繰り返し読めば、きっと意味がつかめるよ」と伝え、彼はその熱意に負けたのだ。
そして彼は様々な体験と本のメッセージから変わっていった。「損得や目先のことを考えるより、自分が本当に心からやりたいことをやるべき」と思うようになり、「神が自分と同じようなものとして人間をつくったのなら、自分たちの力で世界は変えられるんじゃないかと思う」と考えるようになった。
そしてやがて「自分の存在意識に「地球人」、「みんなと家族」という考えがインプットされている」と感じるようになったのだ。これが政治家山本太郎の原点だろう。
メロリンQ、母子家庭、中卒「高校中退」、そういうレッテルを貼って彼を非難する人も未だにいる。だが、そういう人たちこそこの歩みの中でここまでに成長した彼を見て恥ずかしくないのだろうか。
そして今の彼の姿を見て欲しい。