ショーエイのアタックまんがーワン -18ページ目

ショーエイのアタックまんがーワン

タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです

WHOの発生起源調査にアメリカ議会は反発してるけど…

アメリカ議会が求めるままの報告書だったら、

ワクチン製造は一気に止まります。

 

武漢ウィルス研究所から発生した場合、

コロナウィルスの研究施設の安全性に疑問が生じる事態に成るのは見え見えです。

ワクチンを開発・研究している場所の安全性にも疑心暗鬼が生じる事態に成りかねません。

いわば原子力発電所と同じ現象で、

どれだけ施設の安全性を訴えても、

ウィルス漏洩、特に研究で生じる変異株の危険性が現実的になり、それが漏洩しない保障を近隣住民に理解してもらえるか?

そういう事を引き起こしかねない話です。

 

故に、WHOの報告書があの状態で留めてあるのはワクチン開発への影響を配慮しての内容とも理解しなければ成りません。

 

欧米の製薬会社のセキュリティーを疑う話では有りませんが、

それでも武漢の研究施設から漏れたという話に成ると、

本当に大丈夫なのかという観点で人は見ます。

実際に変異株が発生しているのも事実で、

武漢の施設から漏洩した新型コロナと確定した場合、過去のコロナウィルスの変異株主であることが明確に成り、こんどは英国変異株の発生起源などへ疑心暗鬼が発生します。

こういう危険な施設と疑われる場所の提供に、近隣の住民が安心できるかという話に成ってきます。

いわば原発と同じ事態に成りかねない。

そういう中でワクチン製造にデモ発生などでストップがかかる危険性も生じます。

ワクチンというある種の希望に歯止めをかけるのか、

それとも歯止めをかけずに製造を促進するか、

そういう見識で天秤に掛けるのなら、

ワクチン製造の邪魔に成る情報は…寧ろ見つからなかった…

そういう所で留めおく方が良い問う事です。

 

米国の議会がこの状態を考慮もせずに、ただ単に中国批判の為にWHOの報告書書を疑っているのだったら、間抜け「Idiot」と言うしかない話です。

まあ、日本の政治家はそれに輪をかけた間抜けっぷりなので、彼らは無視するしかないのですが。

 

政治家は先の先を考えて議論せねばならないのです。

何でも正しい情報を公開すればいいという事でもない。

無論、それが不正に繋がるものだったら問題ですが、

難しい選択の中に立たされる内容は、

国民にとって最善は何であるかを重点に置き、

混乱を避けるべきとする場合は、

事実を隠蔽するのではなく、

解らなかったとするのが合理的という場合もあります。

 

ただ、実際に情報をほぼ察知する当方は…

コロナ問題の初期時点で変異株の登場を予見していたわけで、

案の定、変異株が登場し、更に新たな変異株が登場している時点で、

おおよの見当はついていると言っておきます。

また、ブログを読んでいた人はご存知と思いますが、

日本変異種の登場も予め可能性を示唆してます。

専門の医者では有りませんが、

情報を精査して整理すると見えてくる特徴であるのは事実です。

 

その上でWHOの報告書にも理解を示している訳で、

もっと広い視野で考えて見てもらいたいと願うばかりです。

 

実際に中国が国益の為に武漢施設起源説を否定し続けるメリットはありません。ある意味、高度に対応していた研究施設からそれでも漏洩した危険極まりないウィルスと言ってしまえば、

むしろ世界中が混乱する事態を引き起こせる。

まあ、ワクチン開発施設全体が大丈夫か?という話で。

その上で、中国は技術的にここまで慎重に取り扱っていたという情報まで流れると…はたして欧米のそれはどうなのか?

そういう手口にも持って行けます。

 

むしろその施設に共同研究という形で参入していた米国政府機関が困る話に成るという点で、調整したのでは。

そしてよく考ええばワクチン開発への影響も考慮すると…

まあ、WHOの報告書は妥当な所と判断するものです。

 

ただし、ワクチン開発を即座に中止させるつもりなら別な話に成りますが…

人類の決断力でそこまでの事が出来ますか?

出来ないでしょうね…後の歴史で解ったとしても…ワクチン開発を今止める賭けなんて出来るわけもない。

故に、仕方のない事態なのです。

どうも…ショーエイです

世界中の人が知っているはずのイソップ物語。

その中の風と太陽の話を思い出してほしい。

 

どれだけの知識や見識を有しても、

小学生でも知っている物語を理解すらしていないのか?

 

中国やロシアが懸念する問題を抱えているとしても、

風を吹いてそのベール(コート)を脱がせようとしても、

結局彼らはそのベールと必死に閉ざすだけです。

どれだけの強風を用いようとも、

ベールを脱ぐことは無く、

強風に耐え続け死(戦争)への道を選ぶことでしょう。

 

今、世界が用いるべき外交は

太陽であるのです。

 

太陽が自由で開かれた社会という、

人を魅了する世界で有るのならば、

その太陽を照らせばいい。

アメリカにはスポーツでありエンターテインメントがその魅了する光に成ります。

ヨーロッパもサッカーというものが魅了する光に成ります。

そういう光から見いだせる人々の暮らしなどが、

最終的には多くの人々を導きます。

太陽と言うのは雲に覆われていては照らせません。

ここでいう雲は国同士の不信感です。

国同士の不信感は国民同士の不信感にも繋がります。

 

日本人が過去の戦争の過ちを認めないのは、

ある意味韓国が戦争責任というもので風を吹きかけて

日本人の感情を逆なでするからとも言えます。

ここでいう太陽とは…

寧ろ、今の日本人を批難するより、

徴用工や慰安婦問題を取り上げた映画を製作して、

何らかの世界的な賞を元に日本人にその映画を見せる事です。

世界的な「賞」を得ることはとても難しい事で、

それを制作するのは大変な作業です。

そういう意味で太陽で照らす事は難しい話に成りますが、

風を吹き付けて理解させるより、寧ろ遥かに理解を得られやすい。

勿論、直接的な作品=慰安婦問題や徴用工問題を取り上げたものを日本人が好んでみる保証は有りませんが、

K-POPやら韓流ドラマで日本と文化的に交流し、

日本のアニメや漫画を受け皿として理解し合えるのなら、

韓国の人たちが最終的にこういう表現は困る、

日本人はこういう表現をされると嫌がる、

そういうお互いがビジネス上で尊重し合える状態の中で、

問題点を理解し共有し合える努力は大事かと思います。

雲を取り除いて太陽を照らすのはとても難しい事で、

揚げ足取りの屁理屈こねて「風を吹けば雲は消える」と唱えるならば、天候という自然現象を人工的な風で対抗すると言っている様な話で、その科学技術とコストを得るのにどれだけ時間掛かるの?

という事に成ります。

まあ、アホには心の雲を晴らすという心理現象の作用すら理解できないのでしょうね…

 

アメリカには寧ろ太陽で照らす力が備わっており、

ヨーロッパにもそれに近い影響力は備わっています。

韓国が日本に太陽を用いて照らす作業より、

欧米が中国やロシアを照らす方がより遥かに簡単な事とは言えます。

中国やロシアの人たちも、アメリカの自由で開かれた社会には憧れを抱き、華やかな文化を共有したいという意図はすでにあるわけですから。

 

人を信じない事は臆病者の病なのです。

人を信じても信じなくても、

直面する問題が生死に関わる事、

いわば戦争を引き起こすことならば、

結果は同じ。

 

信じて貰えなければ相手もその人を信じない。

相手を信じても友人として利害を共有出来なければ、

相手は何れ裏切る。

 

友人として引き入れて、

お互いが共通の趣味で楽しみという利害を共有できるのなら、

その友人はいつも同じ楽しみを分かち合える人に成る。

 

外交でいう友人関係の利害は、

グローバル経済という利害で共有できる話で、

この共有できる利害が取り除かれるなら、

その人は友人に成れないのです。

友人で無くなった相手は、

お互いの私情(市場)を挟み喧嘩相手にも成りかねず、

それが基で殺し合う(戦争)ことにも成りかねない。

 

雲を晴らして太陽を用いるという事は、

国連という枠組みの中で、

如何に各国が友人同士として

利害を共有して行けるかに掛かっているのです。

 

簡単なようで難しい。

ビジネス上の関係でありゴルフ仲間の関係であり、

対等に友人として付き合う事が前提で、

お互いの私生活には干渉し合わない事が、

先ず友人関係を維持する前提で、

国連の内政不干渉というのは、

こういう関係性を考慮したものである事を、

世界中の人は理解するべきと思います。

無論、人権問題は考慮するべきだが、

その人権問題を悪化させない為にも、

友人関係を維持して話し合いで解決する方法を

模索するしかないのです。

友人からDV被害を受けた奥さんの話を聞いて、

その友人を批難するだけでは、

寧ろ外部に話が漏れた事で、

その奥さんは余計にDV被害を被りかねません。

友人関係を壊し、刑事訴訟という手段を用いれば、

逆上したその友人が奥さんを殺すかもしれません。

外交上で取り扱う人権問題とは、これと同じことで、

逆上して殺意を用いるのは、

普通の友人関係より遥かに発生しやすいのも事実です。

どうも…ショーエイです

うつけの兵法と被る形で、

「桶狭間」という市川海老蔵こと市川団十郎さん主演のドラマが公開されました。

先ずは、あの程度の先品で良かった。

良かったというのは、素人さんが上手にドラマに仕立てただけの桶狭間なので、うつけの兵法のネタバレに成らないという感じです。

先ず、あんな戦い方をしたら全滅してます。

信長側が…

 

海老蔵と愛称で呼ばせてもらいますが、

台詞多すぎて、海老蔵のいい味が崩れた。

台詞は少なめの方がもっと魅力的だったという感想です。

 

あえてヒントを言うなれば、

桶狭間はサッカーの1点を賭けた、カウンターアタックという感じ。

これが桶狭間の実態なのです。

 

因みに信長たまの戦法は、

自らが先陣を切っていく際は、ほぼ止まる事はありません。

直感型のドリブラーという感じですが、

ドリブル突破をするのに、

味方がドリブルスペースを開いてくれると、

ドリブル突破しやすいという感じ。

 

勝か負けるか?

そんなもも気にせず、

死ぬ気でその一点を取りに向かっているだけ。

実はこれが実態なのです。

ただし、その僅かな可能性を確実に近づけるには…

ここがポイントなのです。

 

ほぼ次の話は書き進んでいるのですが、

ちょっと色々検証したい部分があって止まってます。

検証部分は子供の戦遊び。

少々、お待ちください。

まあ、「桶狭間」の人物背景は

この物語に何か似ていて気持ち悪いけど…

盛重、小平太、新介にスポット当ててるし…

 

そういう部分では上手くドラマとして構成されているのかな…

 

ただ、うつけの兵法次回作は、

何故信長たまが農民と仲良く成れたのか・・・

その実像を上手く表現してます。

身分を越えて解り合えるには、

そんなに簡単な話しじゃないのです。

みんな簡単に作り過ぎと言っておきます。

どうも…ショーエイです

頭がいい人って何考えてるか解らなくて怖い

そういうイメージはあるかも知れません。

それは中途半端な奴に限ってはそうです。

 

本当に頭いい人って嘘で身を固める必要はないのです。

何故か…結果問題を解決する努力をするから。

また、難題を攻略する楽しみを知っているから。

 

それが出来ない中途半端は、

頭を良く見せよと嘘をつきます。

日本の政治家を見てもそうです。

日本の官僚もそうです。

 

考えられないから力で誤魔化す。

権力で隠蔽やら国民を騙して、

誤魔化そうとするのです。

 

逆に、頭のいい人は問題に真っすぐぐ向き合って、

何とか解決しようとする意識を持つわけです。

 

ただ、世の中

中途半端ばかりが権力握ってしまう仕組みなのは、

本当に残念ですね。

結果、頭のいい人は脅威な存在扱いされるのも事実。

「能ある鷹は爪を隠す」

というけど、

それも中途半端な人たちの話。

本当に能ある人は

基本学者に成って研究に没頭するみたい。

 

アホの下で働くことほどアホらしいことは無い。

 

因みに誰でも諸葛孔明を軍師にできると勘違いしない様に。

諸葛孔明は家臣団の中で天秤掛けたら去ります。

全幅の信頼を与えて扱わないと、

さっさと見切りをつけてどっかに行っちゃいます。

 

先ず、曹操や秀吉の下では100%働かない。

 

そんな程度の下で働くなら、

自分で適当に何かの研究に没頭してる方が良いという感じになる。

そして書物にでも残して、後世に託す方が賢明と考えます。

 

本当に頭のいい人たちってこういう感じです。

 

どうも…ショーエイです。

島根県知事が聖火の中止を言い出したとか…

これ島根県人の論拠の無いパフォーマンスです。

 

結果出来ない事を言い出して押し通さずに、

県選出の国会議員に花を持たせる計画のもの。

まあ、失敗に終わった様ですが…

 

ただ県知事の味方をする必要もありません。

 

先ず、島根の現状で聖火の中止を訴えるだけの説得力はない。

ただ世論の流れに乗じて聖火中止を唱えれば、

島根と言う知名度を上げるパフォーマンスにも成るし、

県知事の名前もメディアに取り上げられる。

最終的に地元選出、竹下亘のみならず細田もいるわけで、

その影響力で黙りましたとすれば、

地元出身の議員の株が上がるという算段。

 

聖火リレー開催で他県から人が来るから危険だ

という主張でもするつもりなのか?

その前に47都道府県で開催されるので、

別に島根に態々行って見るだけの価値はありません。

錦織圭君が走るからというパフォーマンスなら、

彼を走者にしなければ要は足りる話です。

コロナの感染が入り込む心配という目的で、

聖火リレーを開催中止にするなら、

走者を他県から見に来る気に成らないレベルで調整して見なさい。

 

とは言え、オリンピックさえ中止に成れば、

何の問題も無い事なんですがね。

 

正直なところ、

島根県人に裏切られた経験があり、

個人的に島根県人は信用しません。

 

政治家を見ても保守の巣窟ともいうべき地域で、

日本の恥部を代表するようなところです。

日本も同じで島根県人全員がそうでは有りませんが、

人口も少ない分、社会的圧力が強く、

自己主張が許されない土地でもあります。

 

【田舎ほど大衆社会と民主主義を混乱している。】

田舎ほど情報に乏しいせいか…

情報社会で情報に乏しい?

そうなんです。

田舎ほど大衆意見が絶対で、

結果、議論も成立せずに

単なるうわさ話でも広がればそれが絶対に成りがちです。

如何にITが浸透してても、

自身の社会環境いわば生活している地域に合わせないと、

結局は嫌われ者に成ってしまうのが田舎という土地です。

そういう意味で田舎ほど迎合して活きて行くことが求められます。

そういう社会ゆえに

議論という情報を適正に精査する機能が失われるのです。

 

日本社会全体が基本この田舎気質に支配されている訳です。

若干都市部では改善が見られますが、

ネット上などでは田舎気質が蔓延していると言えます。

 

大衆の意見だから絶対。

そうですね…ハッキリ言って民主制では有りません。

世界全体の話ですが、

太古からの社会が、特に村単位の社会がそういう仕組みなのです。

村民の一人が

「あいつは魔女だ!!」

と言い出して村全体が魔女だと信じたら、

その人は魔女にされます。

大衆全体が魔女だと決めつけたから絶対で、

どんだけ違うと根拠を示しても魔女にされます。

 

民主制に於いてはこうしたマイノリティの保護という観点が加わり、

魔女とされる人の権利が社会的に保証されます。

民主制は社会に迎合しなくても、

個人が個人として活きて行くことが保証された制度です。

 

アメリカでマスクの着用に拒否反応を示す人は、

自分の権利=自己選択の権利が社会に奪われるという懸念が生じているのです。

社会の為と言うけれど、個人の権利を無視しては

民主制の崩壊を招くことに繋がるという議論も生じます。

 

社会のルールに従えという主張は、

政治学上寧ろ権力者に有利な主張なのです。

前述の通り村社会で、一人だけ異質な人間として扱われて平気ですか?

いわば権力者は仕事を与えない、首にするなどの

パワハラツールを使って社会大衆を従わせることが出来るのです。

 

皮肉な話、日本では日本弁護士会もこういうツールを用いてます。

死刑制度の賛否で、

日本弁護士会員は死刑制度反対を唱えなければならないという

圧力を用いてます。

さすがに弁護士なので

あからさまに規約にしてはいないと思いますが、

結局異論者=死刑制度賛成側の人は、

弁護士会の会員として他者から協力を拒否されることに成り、

法律上必要な情報にアクセスさせてもらえなくなるなどの

支障が出る様です。

法律上では協力に応じる応じないは個人的な見識で許されるため、

協力要請に従う従わないは自由なのですが、

無論、異端者に協力する人は

同じ圧力にさらされて苦境を強いられることに成ります。

正に村社会であり、魔女狩りのシステムです。

とても封建的ですね。

こういうシステムは民主的では有りません。

 

民主制とは天秤の様なもの…

バランスを取るのが難しい繊細な政治なのです。

日本の弁護士はバッジの天秤の意味を

もっとよく考えてほしいです。

いわば天秤に重しを乗せて絶妙なバランスを保つのは、

とても難しい。技術も頭脳も要求されるモノです。

逆に重しをバランス関係なく乗せるだけの作業は、

何も考える必要が無く、誰でも出来る間抜けな作業です。

天秤の重しが必ずしも人数と言う意味では有りませんが、

人数として考えてもマイノリティとの関係性で

天秤の支える支点を調整する事でバランスは取れます。

ただ大衆は自分達が有利に成ろうとして重しをドンドン嵩上げしてきます。

もう一方も重しを嵩上げしようとすると、

今度は支点をささえる天秤そのものが崩壊してしまいます。

まあ、支点をマイノリティ保護の為に手前にずらせばずらすほど、

天秤の水平棒が伸びきって、折れやすくなる様に、

政治でも重い方へ折れ曲がって行く訳です。

面白い話、天秤の原理と人間社会の原理は似ています。

もうこれでは壊れているも同然です。

 

この状態が無秩序な状態で、

結果、独立戦争やら革命戦争と成る訳です。

 

こうした事が起こらない様に天秤の強度を補強する意味で、

憲法や法律が設けられているのです。

それでもバランスが悪くなると一方の重しの方だけが下がり、

もう一方は浮いてしまいます。

社会的に浮くという表現と同じで、異端者に成る感じです。

 

そのバランスで問題無いとする政治は

太古からある社会と同じで、

権力者や周囲の主張に逆らっては成らない社会です。

ある意味封建社会。

 

寧ろ民主制を大事に考えるのなら、

浮く人が生じない様にバランスを取って、

様々な個人が個人として活きて行ける環境を目指すものです。

そしてそれこそ自由が保障された社会なのです。

 

前述の通り、

民主制を維持するというのはものすごく大変な技術が要り、

頭を使って考えなければいけない作業です。

一方、片方だけの比重を下げるのは、重しを乗せるだけ。

いわば権力や金を使って重しを嵩上げすれば良いだけの話で、

政治として何の思考力も必要ないものと言えます。

 

日本人が求める政治とは、

ただ重しを乗せるだけの政治ですか?

それともバランスを取って個人の自由が保証される政治ですか?

もっとよく考えて見て欲しいです。

議論という場は、この天秤のバランスを取る意味で大事な作業です。

いわば支点をどの位置に持って行くか、

議論する事で絶妙な位置を探る作業なのです。

日本人にこういう作業をしている感じが見られますか?

日本人の主張は常に重しを乗せ合うだけの話に聞こえませんか?

そんなものは民主制とは言わないです。

 

これ理解できないと、マッカーサーの言う通り、

日本人の民主理解度は12歳以下です。

 

【追伸】

島根県というか中国地方の教えに、

(全く論拠の無い事で)

人が理解できない事をやって困惑させることで、

人の注目を引いて考えさせろというものがあります。

一見、何か考えがあるのかと日本人は勝手に想像してしまいます。

ハッキリ言って、何の意味も無いので、

馬鹿にしてあげて下さい。

日本でしかこんなこと通用しません。

 

根拠はと聞くと、根拠が無いので、

聞き手に質問攻めして考えさせるという

情けの無い手法まで有ります。

中国地方の政治家にこの手が多いのも特徴的で、

特に島根は質が悪い。

 

 

どうも…ショーエイです。

男女平等の観点で言わせてもらえば、

橋本聖子が会長に成っても一緒。

頭の悪い人たちが集まって、

選んだ人が女性だっただけ。

 

小池百合子も結局

マラソンの東京開催を札幌から取り戻す話をしないのなら、

森さんの時と何の変りも無いだけ。

話が出来る状態に成ったのなら、

マラソンの東京開催の話を元に戻す努力をしなさい。

 

男も女も関係ないのは明白だが、

結局何にも真っ当な議論が出来ないレベルなら、

男も女も一緒で、

日本人に真面な政治家はいないという話です。

 

結局は話題作りで、

一応対応しましただけの話なら、

何の意味もありません。

女性がこの人事で喜んでいるのも情けない。

 

表面上良い顔面しているだけの人間ばかり。

上に愛想振りまいて出世してきただけの人間は、

政治家としてのプライドも無いようです。

 

小池百合子は東京都知事としてのプライドを持つのなら、

先ず最初に札幌からマラソンを東京に戻す話を持ち掛けなさい。

これはコロナ対策の意味でも、

オリンピックで広範に感染拡大の要因と成る状態を阻止する意味で、

東京都に極力凝縮して開催を行うべきだという主張は出来るはず。

 

まあ、それで東京都にコロナの危険が集中してしまうという話なら、

オリンピックは速やかに中止してください。

 

どんな言い分を突き詰めてでも、

正当な東京都の権利を主張できないのなら、

結局は無能な人間で、

上司の代わりに話題性に愛想を振りまいて人気取りをしているだけ。

結局は女性でも一緒、

無能は無能と言う話です。

 

GoToトラベルの効果で札幌の経済の為なんてことを言うのなら、

オリンピック開催は無しでと脅すくらい都知事として

都民の権利を守ってください。

マラソンの為にマンション購入した都民も居るわけで、

そういう都民への配慮も含めて議論する姿勢を見せないと、

正直評価に値しない、

ただ都知事やっている人なだけです。

 

橋本聖子がマラソンの札幌開催に加担していた人物であることも含めて、女性同士で忖度演じるなら、

男のやっている事と所詮は同じになるだけです。

どうも…ショーエイです。

森さんが辞任したからと言って

根本的な問題は解決してません。

 

個人的に開催の条件を付与するなら、

マラソンを東京に戻すこと。

 

腹が立つのはアスリートファーストで

マラソン選手が完走しやすい様にとしている事。

はあ?どんな条件でも走れよ!!

そして死にたくないのなら完走せずに棄権しろ!!

準備とはそういう猛暑の条件を含めて実施しなければ、

マラソンの競技は赤道直下の国では

開催できないという不公平が生じてきます。

アスリートがどんな努力をしたかは知りません。

ただ、その努力の意味が差別的な意味を齎す大会なら、

開催を認めては成らないと言えます。

 

今回の札幌にマラソン競技を移した話は、

アスリートファーストという名目で、

開催できる条件に差別的な意図が含まれるからで、

これは断じて許すべきではない。

カタールの国際陸上、棄権者が出たから問題なのか?

棄権者は猛暑で完走する対策をしてなかっただけ。

死人が出たら?

その条件で死人が出ない様に棄権扱いの条件を設けなさいよ!!

腕時計に体温計や脱水状態を測定する機器を盛り込んで、

ドクターストップのルールを設ければいいだけ。

 

オリンピックレコードが出ようが出まいが、

それは時の運でしょ。

世界各国どこでもスポーツ開催できる条件が無いのなら、

オリンピック憲章から外れる差別に値します。

 

因みに冬季オリンピックは

道具が揃わない国ではさすがに開催できません。

道具とは雪そのものです。

ただし機械的であれドーム状の冷房空間で雪を開催条件に適したほど用意できるなら開催は可能です。

その反面、夏季五輪はルール上冬季のような条件は有りません。

赤道直下の国々の人も競技出来るものがベースな為、

彼らの条件でも開催できるルールで無ければ、

国を差別した行為と見なします。

 

きつい一言。

と、条件その②

次はバッハとコーツの両名が消えない限り、

こんなたゴミ大会は許さない。

2人はさっさと消えてくれ!!

オリンピック憲章違反の差別的な開催条件の意図が含まれる以上、

こんなオリンピックは地球の為に良くない。

 

新型コロナはあくまで開催環境上の条件です。

でも、この環境上の条件を以てして大会を阻止する事は

全く問題有りません。

アスリートが可哀想?

もう知らん!!

運が悪い世代だったと諦めて下さい。

貴方たちアスリートの努力より、

世界的な秩序であり公平性の方が社会的に大事なので。

 

ある意味そこに政治的な意図が絡むのなら、

アスリートとしてボイコットする位のフェアな精神を持って欲しい。

 

メダルを取る事がスポーツでは無いのだよ!!

如何なる自然条件でもルール上許される中で、

お互いがベストを尽くして競い合う事が

スポーツの醍醐味なのです。

弱ったウサイン・ボルトに100mで勝っても価値は無い。

最高の状態のボルトと競い、

自身が最高の力を出し切ることが大事なのです。

メダルはその絶頂の勝負を制してこそ価値がある。

無論自然の条件でレコードに届かない事は仕方がないが、

その条件を最大限に活用して最高のボルトに勝てたのなら、

尚素晴らしいという話です。

 

無論ボルトはもう参加しないのだが、

競技上、最高を競うとはそういう事なのです。

 

 

 

どうも…ショーエイです。

森さんの女性蔑視問題。

謝罪しても許してもらえない…何故か…

謝罪して許してもらえると思っている方が間抜けです。

 

日本人は謝罪に対して

勝ち負けの印象を持っているのかもしれません。

誤った方は負けを認めた。

そのいう感覚だから世界の認識とズレるのです。

 

逆に昔のヤクザが言う様に

「誠意を見せろ!!」

これが本当に大事なのです。

 

この問題での誠意とは…

謝罪する前に、先ず女性理事の割合を

40%なら40%に増やしますという行動で示しなさい。

その上で組織として女性側の主張がどういう形で話し合われるか、

そういう意見交換を前面に出して、

自らの失言が過ちであった事を反省して、

オープンに

オープンという言葉は難しいが、

議論の内容や主張をSNSで公表する事を認めるなど、

誰もが見える形の組織構成を提示した上で、

最終的に謝罪するなら、それは誠意ある謝罪と改善で認識されます。

 

日本人はこういう誠意を出さないから、

問題は解決してないと言われるのです。

 

戦争に負けました「ごめんなさい」

それで?

その戦争での犠牲者がそれで納得すると言えますか?

これ正直慰安婦問題や、徴用工問題も同じです。

誠意とはお金を払って終わりという事でも有りません。

二度と同じ過ちが起きない様にその事実を認めて、

次世代に教育していく事です。

韓国側がここを主張して言っているのを、

日本政府は謝罪したから終わり、

金を払ったから終わりと言って言います。

そして「そんな事実は無い」、証明できるなら証明して見ろ!!

そういう風に言っているのです。

日本人として寧ろ恥ずかしい話です。

 

第三者として見ると、

まあ、日本の常識として扱われる回答は、

誠意の無い回答に見えます。

 

「誠意を見せろ」=金を出せ

という認識で理解しているから可笑しな話な訳で、

日本社会でも謝罪したら誠意(金)を出す必要は無いという、

司法ですらバカげた理屈を採用するレベルなので、

謝罪の意思だけ受け取らなければいけない感じに成っているのでは?

実は正にこれも男社会の論理。

 

ある意味女性の方が、

謝罪なんてものは要らないから誠意を見せろ!!

という感じはある訳で、寧ろこちらの方が世界基準です。

恰好だけで許してもらえると思うなよ!!

 

よく考えて見て下さい…

謝罪なんてのは言葉だけで、

相手は大きなリスクで被害者に弁済してないのです。

また、最終的にはお金で弁済するのは被害者の心情に対する配慮に成るのですが、お金だけを渡して終わりだと被害者を侮辱した話に成ります。

まあ、その金額が米国並みに加害者に痛いと思わせるレベルなら別ですが、日本の司法で決まるような少額の弁済では、

ハッキリ言って加害者が何の痛みも感じない話に見えても来ます。

寧ろ小銭を投げつけて

「これで黙っていろ!!」

と言われる様な扱いでも有ります。

 

誠意というのは

加害者が「二度と同じ過ちを起こしたくない」

というレベルで無いと実は何の意味もありません。

 

文春との問題話題の太田光氏の裁判も、

謝罪やら何やらしなくても良いという判決なら、

その記事が得た週の週刊文春の売り上げの

50%無いし100%の額を

損害賠償として支払う様に命じなければ、

「二度とそういう記事は書かない」

という反省に繋がらない訳です。

いわば被害者は二度と同じ過ちを

犯さないで欲しいという気持で裁判しているのですから。

そこの気持ちに誠意を持たせない判決は公平では無いのです。

 

寧ろ社会的制裁を与えてリスクを受けた上で、

謝罪しない方が望ましい。

寧ろその方が気分が良いのでは?

 

逆に今回の森さんのケースの様な場合は、

反省しました、ちゃんと女性問題を改善しますという

姿勢で挑めば、謝罪なんてものは必要なかった訳です。

 

誠意とは難しいが…

同じ過ちを犯したくないというレベルで無くては意味が無く、

お金で解決する場合は、

本当に厳しいと言われる額で無ければ

その誠意に値しないという事です。

逆に反省して改善の意思だけでは無く、

改善した上で、その指摘を受けた事に感謝するのなら、

それは誠意と受け止めるに値する行動に成るのです。

寧ろこれならお金や謝罪は必要ないのです

何故ならその時点で

2度と同じ過ちをしない事が証明されたから。

 

日本の人はどうしてこういう大事な事が解らないのか…

特に政治家や官僚と言った人らは、

「謝罪したら負けを認めたから許す」

なんていう寛容さが大事みたいな考えなのでしょう。

一見、格好いい様に見えますが、

結果その甘い寛容さを利用した社会に成っているのでは、

謝罪すれば終わりという認識で、

反省をしなくてもいいという

バカげた論理に成り下がっているだけなのです。

 

誠意があればそれでいい、

誠意を明確に示せないのなら

お金や辞任というリスクで痛みを感じて下さい。

というのが世界基準でもあるのです。

 

森さんが老害なのは、

他人の寛容さを当てにして、

潔く負けを認めたから許してくれ言っている事ですが…

お前の負けなど何の関係も無い!!

 

「誠意を持って改善に努める器量が無いのならさっさと消えろ!!」

という話なだけです。

 

 

 

 

 

どうも・・・ショーエイです。

前回地形が違ったという事に気づき、

更なるクオリティを目指し、

地形をほぼ再現して活用したバージョンが完成しました。

一部建物は面倒なので

CitiesSkylineというゲームのアセット(ユーザー提供の物)を

使用しております。

ほぼ類似という形で考えて下さい。

全部自作だと3か月から半年掛かる。

それでも7割以上は自作(コピー含む)。

 

先ずはGoogleMapやその他資料を参考に再現した地形。

現在では入り江状態の水の有った場所は、田んぼに成っています。

 

では、狩野永徳作と云われる安土城鳥観屏風画と比較して見て下さい。

雲に隠れた場所は地形と構造上、

また全体のバランスで建物を配置しました。

因みに本丸、天守閣、二の丸の信長邸(現・信長廟)は

全て自作です。

屏風画の鳥観図と実際の石垣跡とでは

位置関係が異なる部分がある為、石垣の配置に准じて、

特に本丸部分、天守閣部分の建物を構成してあります。

その上で建物の形は鳥観図を参考にした感じです。

 

では天守閣と本丸の景観です。

この部分は前回と全く同じです。

前回本丸は資料参考に再現しているので。

若干変わったのは信長邸のサイズを小さくした位。

 

大手道から登る先には↓の光景が見えたと思われます。

「麒麟が来る」でせめてこういう再現はしてほしかった…

 

大手門はこんな感じ…↓

鎌倉の鶴岡八幡宮に因んだデザイン。

信長たま自身が実際に見てはいないのだが、

京都の寺社仏閣を参考に、想像力を活かして作らせた…

と、言うより我がまま言って作らせた感じかな…

「大手門には鶴岡八幡宮を作れ!!」

天守閣もそうですが、信長たまのデザインというより、

寧ろ狩野永徳のデザインで、

天守閣に限っては、

信長たまが天竺の様な建物と命じたのかも・・

ざっくりと意味不明だが…

狩野永徳の不思議な六角形の石垣に建つデザインは

かなりお気に召したモノだった。

天竺と言えば、チベットのラサとも言われますが…

このラサで有名なポタラ宮は1690年に建てられたもの、

ところがラサには…

こんな感じ建物も存在し…

このラサのイメージが絵画という形で

当時の信長たまの目にも入ったのかも知れません。

そういう想像力を永徳に伝えながら、

あの大手門から見上げる安土城に結びついた可能性は

実は大きく有るのです。

 

当時の宣教師は安土城を見て、

宗教色がかなり強い城と表現しました。

ところが…それは寧ろデザインの参考でしか無く、

寧ろ、仏教、神道、キリスト教、何でも有りな感じったと言えます。

 

ある意味、信長たまからすれば、

天竺だろうがヘヴンだろうが、極楽だろうが何でも良いから、

とてつもない天空の城を築きたかったというのが本音でしょう。

オッサンも作ってて日本の限界MAXで構成したんだろうという結論です。

いわば屏風画などキリスト教的な絵画を掛ける人間は宣教師位しか居なかった。

寧ろ品質的に選別するなら、日本の絵師、狩野永徳をはじめとする人材の方が良かった。

彼らに自由に想像力を膨らませて描かせたものが、

当時の天守閣を埋め尽くしていた。

しかし、実はこうした構造はヨーロッパのルネッサンスの影響が伺えるモノでした。

いわばルネッサンス期の芸術では絵画や彫刻を

キャンパスに限らず教会などの壁面にも描いていたわけで、

宣教師からそういう文化の話を聞いて、

最終的に和風に再現したのが安土城と成った訳です。

宣教師の目からすれば、日本の絵師が描く宗教的な幻想は、

キリスト教でありルネッサンスの芸術とは全く違うものに映り、

それ故に宗教色が強いと表現したのでしょう。

ところが信長たまの指示上では、

寧ろそこに宣教師から伝え聞いた

ルネッサンスのイメージを浮かべていたと言えます。

 

次に大手門以外にも

鶴岡八幡宮をイメージして作らせた部分は、

城下町にも有ったと言えます。

 

大手門へ向けて並木の大通りを作っていたはずです。

何故断定して言えるのか?

それは軍事的作用があるからです。

写真の様に並木の外側は町人が歩く場所、

並木の内側の大きな通りは武家が城に行くための通りなのです。

いわば城までのバイパスを作るのは当然の発想。

急ぎで出陣する際に、町人が歩く場所と

混在させたくない構造と言えるのです。

バイパスはその為のもので、結果その境界を区切る意味で、

並木通りの様な形に成る。

それをどういう方向で付けただろうかは、

地形や資料を参考に恐らくという感じで造りました。

 

城下街と港町の間に楽市の様な場所を設けたのにも

実は合理的な理由があります。

楽市で売られるモノは地元の農民が制作した

いわば現地の特産品に成ります。

それを商人が買い付けて、他国へ売る。

その為に買い付けた品物を

出来るだけ早いルートで船に乗せる為です。

当時は琵琶湖も水運として活用されており、

安土から琵琶湖を通じて大津(現在の滋賀県県庁所在地)へ運び、

そこから京都、堺へ木津川(淀川)を伝って、または陸運で運んだ。

安土が入り江に建てられたのも、実はこうした水運によって

流通の拠点と成る為の目的があった。

まあ、この辺は歴史学者さん達も同じこと言ってます。

 

そういう意味で、港に近い場所を楽市として、

大手道と挟んで商人が買付しやすい様に考えたと言えます。

 

また、安土城下は似た様な建物で

埋め尽くされていたという点も気付きました。

ある意味、作るの面倒でコピペしていて気付いた事なのですが、

こんなにコピペ状態の街で良いのか?

と、オッサン自身に疑問を感じた所、

寧ろ、戸建て売りの方式なら考えそうと気づいたみたいです。

いわば、信長たまは城下街を自分の資金で勝手に作って、

商人たちにその建物を売って儲けた。

商人たちには

「安土で商売したいなら、店の建物を買え!!」

とさながら強制的に買わせた感じです。

無論、ただ強制的に買わせたのでは有りません。

いわば信長たまの言い方は、

「商売で儲けたければ俺の言う事を聞いておけ!!」

という意味です。

結果強制的に集結させられた安土での商売は

流通がそれだけ盛んになる分、重要な場所に成ったのです。

いわば安土で商売できない事は

商人として時代に乗り遅れる事を意味した訳です。

それ故に半ば強引に買わされつつも、

それだけの価値があるモノだったという事です。

無論、信長たまはそうすれば

安土の街としての価値が上がるという計算の下で、

そういう政策を行ったと言えるため、

建物がコピペの様に類似している方が現実的と言えるのです。

まあ、当時は現代ほどデザインが豊富で無かったのも事実で、

デザインに変化があったのは寧ろ寺社仏閣のもの位でだったとも言えます。

何故なら…信長たまもそうであったように、

城攻めの時は街燃やすからね…

拘っても燃えるから簡素で考えてたのかも…

 

こうした構成で大手通りのバイパスを伝って大手門に行く訳です。

江戸城の構成も同じですが大手門の前に必ず広場を設けます。

場合によっては大手門を入った場所に設ける場合も有ります。

この広場は軍を招集する場所として考えられ、

大手門の様な場所からその面前の軍に

檄を飛ばすのが通例だったと考えます。

実は日本の歴史書ではあまり登場しない「檄を飛ばす」とうい儀式。

逆に中国の史書では寧ろよく見られます。

実際に日本でも同じことはしていたと言え、

その名残が軍を通して学校の全校集会みたいな感じに発展したと言えます。

そういう構成から、大手門の下に広場を設けて

高台か檄を飛ばせるデザインにしました。

構造上、多分こんな感じですが…

実際信長たまはこの時分、

家臣に毛利攻めろ、上杉攻めろと命令していただけなので、

安土で軍を招集して檄飛ばしたかは不明です。

多分、一度もそれやってなさそう…

やってたとするなら武田とやり合う長篠に行く前にやったくらい?

それでも寧ろ「清州に集合!!」と号令を掛けて、

熱田神宮で験を担いで檄飛ばしてる可能性が高いです。

 

まあ、使う使わない関係なくそこにそういう機能があれば良いというのが信長たまだったと言えます。

因みにこの大手門防衛機能としてかなり効果的に作られていたと言えます。

まあ、地形が変わっても水源に悩まされる構造なのは変わりませんが・・

 

前回にも説明したように、

本丸と二の丸とされる信長邸の周りには堀が作られていた。

ところが水源が無いので、空堀状態だった可能性は大です。

写真の堀となる水の部分は

石垣が崩れてしまった感じの場所でもあり、

狩野永徳の鳥観図で見られた渡り(写真の天守閣左側の渡橋で、鳥観図だと直ぐ右手真横)が

その堀構想の可能性を示しています。

実際に雨期に成ると水が溜まった可能性も有り、

その為長年放置された結果、

その周辺の石垣も崩れたと推測します。

 

この構造から本丸北…地図で言うなれば…

八角平と書かれた部分に、

こうした景観を設けようとした感じです。

前回も作ったこの景色、

実際の地形でもこの部分が窪地または谷に成っていたため、

やはりこの構成で間違っては無かったみたい。

何かオッサン先生…信長たまに乗り移られたのか知らないけど、

かなり自信満々にこれ作っていて…

半分くらい後付けで地図確認して

やっぱりみたいな感じでやったそうです。

まあ、八角平の存在だけは知っていた前回の状態で、

川の流れている谷の存在を想像力だけで造っていた点で

ご理解いただければそんな気もしてくるのかも…

 

更に八角平には清水の舞台の様なものを想定していたはず…

この建物が実際に建っていたかは不明ですが、

間違いなく構想上あった代物と断言してます。

何故なら、川に水が流れていなくても、

地形の構造が京都音羽山清水寺の舞台がある状態に似ているから。

ここに同じ様な舞台を設けると、

こんな景色が眺められたはずなのです。

お金が有れば絶対に作るよね。

という事で八角平安土城北側は↓みたいな感じ…

ただ、1582年時点で安土城の山全体に

まだ拡張余力のあった点が伺えるため、

何処まで作られていたかは定かでは有りません。

地形を見るに、赤丸で囲まれたエリアは斜面を削ったり、平地かすることで更に建物が拡張できたであろう場所です。

以後、功績を得た家臣らに恩賞として与える場所にしていた可能性は大いにありそれが可能な地形であった点も安土の魅力と言えます。

その為、1582年時点では未開発だったとも言えます。

これらの場所…

上の様な八角平の景色が眺められる場所だったなら…

交通の便は悪くても、良い場所に感じませんか…

信長たまが天才的なのは

そういう心理も利用して恩賞に反映させようとした点です。

それ故に家臣らが欲しがるような構造を編み出し実現化する。

現代で言うなれば都市計画を実行して

タワーマンションを建る感じ。

日本というよりドバイでそれやってる感じで、

景色の良い場所なら誰もが欲しがるでしょという感じ。

色々働かせてる分、それだけ良いモノ上げるからね…

という感じなのでしょうね。

 

「麒麟が来る」の信長は、凡才過ぎると評したのは、

単なるパワハラ親父にしか見えなく成っているから。

信長たまはパワハラ気味に命じるけど、

半分我がままだけど…

必ずそれに応じた対価は用意する。

その為に貰う側が喜ぶものを生み出そうとしていたのです。

ギヴ&テイクをしっかりと考えていた感じで、

寧ろ、同じパワハラでも

スティーヴン・ジョブズに近い感じだったとも言えます。

 

領地という恩賞だけでは

何れ領地が枯渇していく点も既に察しており、

その領地に見合うだけの恩賞をどう用意するか…

それが安土城内への居住権であったり、

茶器などであったりとしたわけです。

 

因みに佐久間信盛がクビに成った件…

実は信盛の失態を挙げたのは表面上の理由。

うつけの兵法でも大事な役どころにしている信盛を

そんな理由では切りません。

寧ろ信盛が家臣として怠慢に成った事が問題で、

横領や家臣への未払いなどという不祥事のようなものが

報告されていたからと考えます。

19か条の折檻状を見る限り、それ相応の理由がある訳で、

現代の会社では、信盛は調子ぶっこいた役員状態で、

会社の信頼を損ねる人物に成っていたと言えます。

特に、水野信元の一件は家康との信頼関係に関わる話で、

信長たまは信盛が策略(嘘)以てでこの地を横領した可能性が

一番許せなかったと言えます。

ただ、明確に水野信元の嫌疑(武田と密通していた)を晴らす証拠らしい証拠も当時は隠蔽されて無かったことも有り、

これを理由に信盛を処断する事は出来なかったと言えます。

それ故に、功績面を理由に罷免したのでしょう。

信盛が切られた件はうつけの兵法を描いていく中で

徐々に調べて行くものとし、

それを信盛のキャラクターとして反映させていこうと思ってますが、

要らなくなったから切るという感じではない点ははっきり言えます。

 

とは言え、開発拡張が出来る余地を残した安土城、

本能寺の変で死ななければ、ここら辺にも誰かの邸宅または別荘という感じのものが建ち並んだと思えます。

 

まあ、そういう中でちょっとだけ盛った部分も…

大手門左のこのエリアに滝を流した…

だから…水源は何処?

 

信長たまの「我がままMAX安土城」

ここでいうワガママはワガママ・ボディに使う

ワガママの感じで考えて見て下さい。

とにかく自分が実際に見れない物を安土城の中に入れ込みたかった。

厳島神社であり、鶴岡八幡宮であり、

まだ手の届いていない地域の名所を絵画や言い伝えを聞いて、

再現して楽しみたかった。

それは明であり、天竺ラサ、更には欧州の景観も、

そこに埋め込みたかった。

人間なら誰しも興味を惹くような発想で、

信長たまはそれを実現しようとした。

それが安土城なのです。

故に秀吉は大阪城である程度はマネできても、

安土城ほどの構想はマネできなかっただろう言えます。

何故ならあらゆるものを凝縮して、

上手く再現できる様な指示が信長たまには出せても、

秀吉には出せなかった。

いわば秀吉には安土より豪勢な城をと指示が出せても、

天守には天竺の様なイメージを、

御殿には厳島神社のような水に浮かぶ社を、

大手門には鶴岡八幡宮の様な圧倒感を、

そしてそこに結ぶ街道は並木を植えて、美しく。

こうした差が安土と大坂城の違いだったと言えます。

 

そういう意味で安土城は「我がままMAX安土城」なのです。

 

こうして安土城を再度作り直すことで、

織田信長の世界観がより見えてきたと

オッサン先生は言ってます。

まあ、単なる3Dで模型を作りたかったという

趣味の良い訳なのだろうけど…

 

ではその他安土城の景観をお楽しみください。

 

多分、この↓のパノラマが屏風画鳥観図の全貌。

観音寺城から延びる山麓からこの景色は見れたかも知れません

 

所で安土城を現実的にこの規模で復元するなら

という発想で考えた際、

これ全部、IRカジノのすればいいとか…

要するに邸宅部分などは旅館として運営させ、

各旅館が各建物で運営する形。

そして天守閣では、イベントアトラクション、信長屋敷ではカジノ。

中には花札や丁半賭博と言った

日本式で畳の間でやる会場も用意する。

カジノにすれば原資も出るから実現可能。

また、ホテルの様な建物は設けずに

旅館経営に宿泊客を任せる事で、

海外のカジノとは別な味わいを持たせることが可能です。

特殊なIR施設でカジノも有るので

海外からの観光客に興味を持ってもらえるのは間違いなしです。

 

旅館形式の運営でホテルとは異なる為、

寧ろリピーターも多く集まりそう。

何せ海外の人が好きな

サムライのお城そのままアミューズメントにしちゃってるんだよ。

 

ここまでやれれば安土再建して

更に町おこしまで出来ちゃうと思うよ。

 

でも、日本人でここに踏み切る度胸がある人は居ないだろうし、

馬鹿な老害多くて色々規制突破が難しいのかな?

 

NHK大河ドラマの「麒麟が来る」…

確かに心理的な変化の描写は上手く作られているけど…

信長たまに限っては、元々が頭オカシイのだよ!!

環境でその頭のオカシさが変化したら、

クレイジーでは無いのだよ!!

 

信長たまに限って言えば、

まるでネット上でディスられてる感じのキャラ。

パワハラ勘違い親父に成り果てて、

女房に愛想つかれて、家臣からクレーム出放題。

信長たまは悪い奴です!!

という感じだよね。

 

もはやあれは歴史ドラマでは無く、

ファンタジー小説「ミッチーの大冒険」で良くない。

パワハラ魔王を倒す勇者明智ミッチーみたいな話で・・・

 

まあ、所詮は小説なのでそれはそれで良いのだけど…

 

問題は「平和」という言葉を勘違いした点!!

今でこそ他国とは解り合おうという点で言えるのだが・・・

 

戦国の時代で

戦が終わらないと嘆くクレームってアホですか?

戦を無くすために誰かが天下布武しなければいけないのだよ。

まあ、寧ろ「麒麟が来る」の見識は、

ミッチーの見識そのものと言える。

表面上でしか当時の民の苦しみを理解していない。

いわばキレイごと言う為の方便。

 

当時の民は戦が起こるごとに

地元が攻められれば家燃やされるのですよ。

城下町の商人も同じ。

もう一度この絵を見て見れば、

安土城攻めるのに城下町は邪魔。

先ず燃やします。

武家同士は、戦争で城下が燃やされるのは

戦略的に仕方のない事と割り切れるかもしれないが、

そこに住む住民はタマラナイ話です。

 

家も家財も全て消えちゃうんだよ…

下手したら田畑も荒らされちゃう…

食い物も無くなくなる。

当時の時代に社会保障なんて無い訳で、

下手したら飢え死に。

 

そういう中で平和を守るという事は、戦争をしない事では無く、

他国から攻められない事。

他国から攻められない様にするために他国に先に戦争を仕掛ける。

後手を踏んで戦争仕掛けられなければ、

他国が逆に今度は戦争を仕掛けてくる。

それが戦国時代の世の中なのです。

 

こうして今の時代に「平和」という言葉を伝えるのなら、

世界全体が戦国時代の様な不信感で結びつかず、

安心感で国際協調を進める事なのでは?

 

米中、米ロが向かおうとするように

お互いが不信感を煽るようにすれば、

自ずと攻められる前に攻めろこそが自国民を守る術と成るのです。

 

「麒麟が来る」の平和の論理を聞いて本当に反吐が出る!!

 

攻め続けるから平和が来ないのではないのだよ!!

攻め続けなければ自国民に被害が出るの!!

平和にするには誰かが攻め続けて天下を平定する事だけ。

当時の人なら皆理解できる話だろうに…

 

まあ、ミッチーみたいなのが無知な人をたぶらかす方便で、

麒麟が来るみたいな

「敵に攻め入るから戦争が無く成らない」

という平和を語って

寧ろ力なく飢える民を見殺しにしてしまっている「平和」を説くのでしょうね。

 

因みに信長たまは…自国の民に

平和などという言葉を用いることは無く、

寧ろ彼らが安全安心できる状態を維持しようと努めた。

故に信長の治世は庶民が評価したと言われるのです。

 

「喧嘩を仕掛けなければ喧嘩が起こらない」

という事は違います。

無礼が有るから喧嘩に成るのです。

喧嘩腰で無くとも無礼で有れば喧嘩を仕掛けたのと一緒。

日本人でここ解っていない人多くない?

 

丁寧に嫌味をまき散らす。

それも喧嘩吹っ掛けているのと同じです。

相手に失礼な態度を取っておきながら、

挑発も怒鳴っても無いから悪くない。

日本の司法ですらそういう論理が通じる。

 

それで平和を語っているが…

実際は皆、法律に怯えているだけ。

法律の縛りから解放されたら

誰も寧ろ強者として活きている人間の殆どは、

平和なんて意味理解しないのがこの国の実情です。

 

強者の語る平和は常に

ご都合に合わせた方便でしかないのだから、

こういう言葉に耳を傾けてはダメです。

ガンジーの様に無抵抗貫いて死ぬ覚悟が無いのなら、

キレイごとは口にしないで欲しいです。

どうも・・・ショーエイです。

ちょっと腹立ってきたので言わせてもらいます!!

 

新型コロナの死亡者が65名だった1月31日日曜日。

それで重傷者が975名で一名少なく成りました?

 

はぁ?!!

 

1名少なく成りましたの中に65名の死亡者の数が入っているのなら、

1名少なく成りましたじゃ済まないでしょ!!

死亡者が出て、975名-1名では無く、

976名から65名の死亡があり、更に重傷者は64名増えましたじゃないのかな?

まるで報道では1名少なく成ってよかったみたいな言い方に聞こえる。

実際は65名が死なれたんでしょ!!

 

感染者数を少なく見せたい腹づもりが見え見えで腹が立った。

誤魔化し誤魔化しやっているのもイライラします。

最近では何件の検査数が行われたかという報道も省いてます。

オリンピック招致の為に誤魔化して日本人は騙せるかもしれないが、

海外では日本に対してかなり懐疑的。

検査数が足りていない点が指摘されている、

こういう姿勢でオリンピック開催に好意的に成れるのは、

開催国の日本人だけなんじゃ?