土井裕泰監督、小栗旬、星野源、宇野祥平、阿部純子、篠原ゆき子、水澤紳吾、尾上寛之、古舘寛治、松重豊、市川実日子、宇崎竜童、梶芽衣子ほか出演の『罪の声』。

 

原作は塩田武士の同名小説。

 

平成が終わり新しい元号を迎えようとしている中で、1984年に起こった製菓会社への脅迫事件について追っていた新聞記者の阿久津(小栗旬)は、犯人からの脅迫電話で使われた子どもの声を手がかりに調査を進めていくが、同じ頃、父から受け継いだ京都の紳士服店のテーラー、曽根(星野源)は自宅の押し入れの棚から古いカセットテープを見つけ、そこに録音されていたのがかつての脅迫事件で使われた子ども時代の自分の声であることに気づく。

 

ネタバレがありますので、まだご覧になっていないかたはご注意ください。

 

 

内容についての事前の情報を入れずに、評判がいいということだけを頼りに鑑賞。

 

ただ、どうやら1984・85年の「グリコ・森永事件」をもとにしたフィクションということなので、当時を知る世代として興味をそそられたというのはある。

 

それと、この映画の前にやはり実際に起きた事件をもとにした中国映画『薬の神じゃない!』を観てとても面白かったので、実話ベースの映画を続けて観て比較してみたい、という気持ちもあった。

 

原作は読んでいないので、あくまでも「映画」の感想を書きます。

 

まず、観る前からいくつか連想した作品があって、それは以前それぞれ劇場公開時に観た『64-ロクヨン-』と『22年目の告白』。

 

どちらも一応現実に起きた事件をモティーフにしていて、世間での評判も悪くはなかった。

 

ただ僕は両者ともに酷評したし、特に後者に対しては現実に起きた災害や凶悪な事件をあまりに無思慮に安っぽい刑事ドラマに仕立てたことに怒りさえ覚えて、こういう類いの映画はもう御免だと思っていたので、今回もその二の舞になりはしないかと不安ではあったんですよね。

 

 

 

 

…残念ながら、その予感は当たってしまったんですが。

 

いや、この『罪の声』が無思慮な映画というわけじゃないんだけど。

 

う~んと…キツかったです。面白くなかった。

 

上映時間は141分。面白くないうえに長いもんだからほんとにマイッた。

 

この映画、酷評につき注意
この映画がお好きなかたはおそらく不快な気分になると思いますから、お読みにならない方がいいです。なお、小栗旬さんと星野源さんのことをディスっているわけではないので、ファンのかたがたはくれぐれも誤解なさらぬようお願いいたします。

 

モデルとなった「グリコ・森永事件」については、僕も当時、お店のお菓子コーナーからグリコと森永の菓子類が消えたことやあの「キツネ目の男」の似顔絵のこと、「かい人21面相」と「どくいりきけん たべたらしぬで」の脅迫文などのことは覚えているけれど、子どもの声の脅迫テープのことは忘れていたし、事件の細かい概要についてもちゃんと知ってたわけじゃないので、それらが史実に忠実に描かれるのなら興味深いし、誘拐監禁された人がいて警察関係者の中には自殺者も出ているのであまり無責任なことは言えないけれど、それでも犯人グループが直接誰かを殺害したわけではないから、昭和末期に起こった「劇場型犯罪」としては確かにエンターテインメントとして作品化するのに最適な題材だとは思う。これまでにも同事件をもとにしたフィクションはいくつかあるようだし。

 

あの事件の真相をどのように解き明かしてみせるのか、それなりに期待して臨んだのです。

 

だけどなぁ…ハッキリ言わせてもらいますが、あんな「面白い題材」をなんでここまでつまんなく描けるのか不思議でしょうがない。

 

「リアリティを感じた」という感想を目にしたけど(※アメブロではありません)、僕はこの映画にリアリティなど全然感じられなかった。すべてがニセモノっぽくて。

 

物語の初めの方で、星野源演じるテーラーが自分が幼かった頃に録音されたテープに80年代の有名な脅迫事件で使われてのちに一般公開された子どもの声が入っていることに気づき、その声が自分自身のものであることを確信するあたりは、なるほど、そういう話か、と入り込めたんだけど、やがてヤクザがらみの話が続いていくにしたがって「違う、これじゃない」感がどんどん増していったのだった。

 

原作者は主人公の曽根とほぼ同い年ぐらいで、だから当時テープの中の声の男の子と同じぐらいの年齢だった原作者が「もしも、自分の“声”があの脅迫事件で使われていたら」というワンアイディアから想像を膨らませていったのだろうことがわかったんだけど、要するにこれって「グリコ・森永事件」とそれにまつわるさまざまな説をパッチワークのように繋げて作ったものなんだな。テーラーだけに(何も上手いこと言ってない)。

 

ヤクザとか過激派が絡んでいる、というのもそう。

 

で、これは『ロクヨン』の時にも思ったことだけど、そもそもフィクションなんだから、もっと“昭和”という時代を総括するような壮大な物語にだってできるだろうに、なんでよりによってこんな2時間サスペンスドラマみたいな安い話にしてしまうのか、ほんとに首を傾げてしまう。

 

先ほどの『薬の神じゃない!』だって史実にかなり創作が含まれていたようだけど、とても面白かったのに。しかも、あちらは2時間以内に収まっている。なのになんで邦画だとこういうことになるのか。

 

そりゃ、現実の世界でも企業とヤクザとの間には何かとトラブルがあったり、実際にヤクザにあんな目に遭わされる人もいるのかもしれないけど、別にそれをこの題材で描かなくてもいいんじゃないのか。

 

だって、子どもたちがヤクザに捕まって酷い目に遭わされるくだりはフィクションなわけだし、そこをあんなにメインの話として熱っぽく描かれても「そういうのが観たかったわけじゃない」としか言えなくて。

 

この物語は、脅迫事件の被害者であるお菓子会社の側ではなくて、犯人側を描いたものなんですね。で、肝腎のその犯人側の描写がすごくつまらない。

 

小栗旬演じる新聞記者と星野源のテーラーが心を通わせる場面とか、多分、映画の作り手はあそここそを描きたかったんだろうけど、ほんとどーでもよくて。だって事件となんの関係もないもの。

 

小栗旬も星野源も関西出身ではないから彼らが喋る関西弁もどこか中途半端で、そのリアリティのない彼らの関西弁で行なわれる会話にもまったく心を動かされない。

 

この映画はところどころ関西出身の俳優たちが脇を固めてはいるんだけど、その出演場面はそれぞれほんのわずかだし、大阪とか関西特有の“濃さ”が圧倒的に足りないんですよね。ユーモアもない。なんかお行儀が良すぎるというか。ヤクザが出てくる場面はVシネみたいでこれまた安っぽいし。

 

84~85年ごろの大阪の新聞社とか街なかなんかも、もっと熱気や猥雑さに満ちていたんではないか(繰り返しますが、原作の方は読んでないから映画について述べています)。

 

 

 

「グリコ・森永事件」の舞台になったのは大阪や兵庫だし、あの「たべたらしぬで」の関西弁のインパクトが強いからどうしてもそれに従わなければいけなかったんだろうけど、だったらせめて主役は関西出身者にしてもらいたかった。

 

たとえばイギリスが舞台の映画なら、普通はメインの出演者は英国出身者を配役するでしょう。アメリカ人の英語の発音と英国人のそれとでは違うから。

 

関西が舞台の場合も、よっぽど発音が達者でもない限り、他所の出身者では細かい関西弁のニュアンスが出ないんですよね。

 

そんなの物語の本筋とは関係ないだろう、と言われるかもしれないけど、僕はそうは思わないんですよ。人間ドラマを描きたいんなら、なおのことそういうディテールを大切にしないと。

 

作り手が描きたかったものとこちらが観たかったものがてんで噛み合っていない作品だった。突然、場面がイギリスに飛んで英国人女性が登場するのも、あぁ、ヘタクソだなぁ、と溜め息が。小栗旬はたいして英語を喋らないし、語学に堪能な記者に見えないんですよね。

 

 

 

必要だったんだろうか、あの場面。すごく唐突に思えたんだけど。「中国人じゃなくて日本人」とか、なんなのあれ。あれが謎解き?

 

最後に新聞記者が犯人に説教するとかさぁ…フゥ~。

 

宇崎竜童演じる曽根の伯父が犯人だった、というオチも、その動機や犯行の様子の描写も、何一つ「そうだったのかぁ」という驚きには繋がらず、曽根の母親(梶芽衣子)が脅迫用に息子の声を録音した理由にもまったく納得がいかない。

 

 

 

 

かつて、父親が交番に届けた財布から警官が金を抜いて、その濡れ衣のせいで仕事を失って父が自殺したことを恨んで過激派の活動に傾倒した…って、なんだそりゃ。

 

だいたい脅迫に使った声の入ったカセットテープをなんで何十年も大事にとっておいたのか。そんなブツは真っ先に処分するはずでしょ。

 

とにかく邦画にありがちな妙にベタついた人情話や因縁話みたいなものに落とし込む作劇が本当につまらない。

 

何度も言うけど、どうせお話自体はフィクションなんだから、もっと手に汗握る犯罪モノにだって仕立てられたでしょうに。テーラーだけに(だから何も上手いこと言ってない)。

 

いくらでも面白くなる題材を無駄遣いしている。

 

リアリティもないし、作り話としてもちっとも面白くない。それで141分。いい加減にしてほしい。

 

あとですねぇ、もう登場人物が何かのはずみで車に撥ねられる、って展開、全面的に禁止にしません?(;^_^A みんなやたらと撥ねられ過ぎだろ、車に(それ言ったら、『薬の神じゃない!』だって似たような場面はあるんだが)。

 

こんなんだったら、「グリコ・森永事件」を詳細に解説したドキュメンタリーでも撮ってくれた方がよっぽど興味深く観られたんではなかろうか。

 

史実よりもフィクションの部分の方が圧倒的につまらないって、それは劇映画としての敗北なんじゃないか。

 

言いたかないけど、この映画の作り手たちは『薬の神じゃない!』の作り手の爪の垢を煎じて飲んだ方がいいと思う。「ウェルメイド」というのはああいう映画のことを言うんだよ。

 

お願いだから、これ以上俺を邦画嫌いにさせないでほしい。

 

日本映画には優れた作品がいくつもあるのは知ってるけど、ハズレを引くことがあまりに多過ぎる。腹が立つというよりも、「もしかしたら結構面白いのでは」という期待が見事に裏切られる失望感はあとを引く。

 

TVでやってる2時間ドラマだったらいいかもしれない。だけど映画館で観られるクオリティではないと思う。海外ロケ場面の安っぽさがほんとに残念過ぎる。

 

大勢の人々がかかわってみんなで一所懸命作った映画をクサすのは気持ちのいいものではないし、これは僕の個人的な意見ですから、おそらく僕とは正反対の評価をされるかたもいらっしゃるでしょう。この映画を楽しまれて「素晴らしい出来だった」と感じる人がいたって、それは自由だし、そのことをとやかく言うつもりはありません。僕の評価もまた同じように人からジャッジされるものでもありますので。

 

だけど、これの前に観た映画は面白かったと申し上げているんですから、なんでもかんでも文句つけてるわけではないことはわかっていただけると思います。

 

大阪道頓堀のグリコの看板がこの映画用の架空の会社のそれに変わってる映像はまるでSF映画のようでちょっと面白かったし、高田聖子さんの若い頃を演じた女優さん(すみません、パンフレットを購入していないので名前が確認できません)やその友人でヤクザに働かされて逃亡を図るも車に撥ねられて死んでしまう少女役の原菜乃華さんの演技は印象に残りました。これからも彼女たちの演技が報われる作品に出演してもらいたいです。

 

そして、日本映画界の皆さん、どうか観終わって満足感とともに劇場をあとにできる作品を1本でも多く作ってください。お願いします。

 

 

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