吉田大八監督、錦戸亮、木村文乃、優香、北村一輝、松田龍平、市川実日子、水澤紳吾、細田善彦、松尾諭、安藤玉恵、中村有志、鈴木晋介、深水三章田中泯、山口美也子、北見敏之出演の『羊の木』。

 

原作は、山上たつひこ(原作)、いがらしみきお(作画)の同名漫画。

 

富山県魚深(うおぶか)市。市役所職員の月末(つきすえ)は、新たに移住してきた6名を出迎え、彼らが町に馴染めるように尽力する。6人にはそれぞれ面識はなく、互いの接触も禁じられていた。彼らの過去が徐々に明らかになるにつれて、穏やかだった小さな町と月末の平凡な日常に次第に奇妙な変化が訪れる。

 

昨年公開の『美しい星』に続く、吉田大八監督の最新作。

 

映画館で予告篇を観た以外は、詳しい内容についても原作が漫画だということすら知らずに鑑賞。

 

原作は未読(原作の要約を読んだら映画とはストーリーがかなり違っていました)なので、映画についてだけ語ります。

 

吉田大八監督の映画を劇場で観るのは僕は『パーマネント野ばら』と前作に続いてこれが3本目なんですが、それ以外の作品もすでにDVDですべて視聴済み。

 

そのフィルモグラフィがなかなかユニークであることは知っていました。

 

傑作の誉れ高い『桐島、部活やめるってよ』は別格として、それ以外の作品については「大好き!」というほど熱烈なファンというわけではないのだけれど、なんというかどれもがジワジワとあとを引くような感じの作品群なので、気になって観たくなっちゃうんですよね。

 

なので、この最新作も公開を楽しみに待っていました。

 

だけど早速前もって申し上げておきますが、そんな吉田監督の期待の最新作については、残念ながら僕はそこまでハマりませんでした。…いや、時間が経つにつれてだんだんまたいつものように癖になってくるかもしれませんが、少なくとも映画館で観た直後にはそこまでの満足感はなかった。

 

正直、去年の『美しい星』の方が単純に作品としては好きです。

 

それでもやはりモヤモヤと作品のことが気になるし、あれこれと考えることで映画を観ている最中には気づかなかったことが頭をよぎるかもしれないので、いつものようにあーだこーだと考えながら書いていきます。

 

ストーリーの中身についても触れますので、まだご覧になっていないかたはくれぐれもご注意ください。

 

 

観る前は僕はてっきりこの映画は6人の殺人犯たちが集まってバトルロイヤルをする話だとばかり思っていて、実際最初の方はそんな雰囲気も醸し出していたんですが、やがてどうやらそうではないことがわかってきたのでした。

 

メインとなるのは錦戸亮演じる主人公の月末と松田龍平演じる宮腰の物語で、宮腰以外の5人の元受刑者たちは脇役。

 

刑務所の経費削減や過疎化対策のために殺人罪で収監されていた人間たちを仮釈放して10年間その町に住まわせるという試みが行なわれて、月末は上司(鈴木晋介)の命令で彼らを見守ることになる。

 

皆それぞれ新しい就職先で真面目に働いていて問題はなかったが、町の古くからの「のろろ祭り」で偶然全員が鉢合わせしてからどこか歯車が狂っていく。

 

最初から不満になってしまいますが、予告などでもいかにもいわくありげな6人が小さな町にやってくるということを強調していて、だから原作を読んでいなければ僕みたいに彼ら全員が本筋に絡んでくると思うんじゃないだろうか。

 

でも先ほど述べたように宮腰以外の5人のエピソードはわりと限られていて、物語は彼と月末の関係を描いたものなので、その時点で何か肩すかしを食らった気分に。

 

いや、他の5人もすべてが年齢や性別、性格や価値観も違えば、殺人を犯すことになったいきさつなどそれぞれ事情も異なっていて彼らの言動や職場での人間関係などが宮腰のそれと対比されているので、その存在にはちゃんと意味はあるんですが。

 

ただ、結局は一人のサイコパスが主人公を巻き込んで新たな殺人事件をいくつも起こす、というサスペンス物に過ぎなくて、正直途中で少々退屈してしまった。

 

やっぱりなんかこう、他の5人が直接カラんできてやがてそれが1本の束に収斂されていくような話を期待してしまったから。

 

酒癖が悪くてそのせいではずみで人を殺してしまった男・福元(水澤紳吾)なんか、それなのに再就職先の床屋の親父(中村有志)が無理に酒を勧めて案の定酔って暴れるなど、あまりにわかりきった展開にイラッとさせられたりも。個人的に酒乱が大嫌いだからってのもあるが。

 

 

 

まぁ、殺人犯同士のバトルロイヤルっぽいものを予想させておいて…というハズしだったのかもしれないけれど、それが期待してたもの以上の効果を上げていたかというと、ちょっと疑問。

 

何よりも映画そのものが宮腰を演じる松田龍平のサイコパス演技に頼りきってるように見えてしまうのは(それだけ松田さんのキャラが立ってる証拠でもあるのだが)、いかがなものだろう、と。

 

 

 

だって他の登場人物だってもっと描き込む余地は充分にあったと思うから。

 

特に市川実日子演じる恋人のDVに悩まされて彼を殺してしまった過去を持つ女性・栗本は、『シン・ゴジラ』での高速大量喋りとは打って変わって寡黙で、ここでも完全なる萌えキャラ(チョコチョコと走る姿がラヴリー過ぎるw)だったし、作品のタイトルにもなっている「羊の木」を手にするのも彼女なので、もっと彼女のエピソードを見たかった。

 

ゴジラの次はガメラか?と警戒心を強める尾頭さん、ではない

 

北村一輝が演じる、月末に気安くタバコを買いにいかせようとしたり元ヤクザの大野(田中泯)を挑発するようなことを言ったり宮腰にはヤクの密売を持ちかけたりするチンピラの杉山の喋り方や、平凡な日常に退屈していて何かやりたそうな雰囲気とか、いかにもああいう男は居そうな感じでよかっただけに、やはり彼があまりにあっけなく殺されるのは実にもったいない。

 

 

 

北村一輝はあの“ジャック・ニコルソン型眉毛”を吊り上げる和製ジョーカーみたいなニヤケ顔が怖くて最高だし、ヤカラちっくな台詞廻しがいちいちかっこいいので、もっと粘ってほしかった。

 

彼の途中での退場も狙いなんでしょうが、だからってお話がこちらの予想を超えて意外な方向に向かっていくわけでもない。

 

この映画は一応“群像劇”ではあるのだけれど、一人ひとりの物語へのかかわりがちょっと薄い気がして、どうも歯痒いんですよね。

 

同じように「人殺し」であっても、その先の人生はみんな違うのだ、ということを描いていたのかもしれませんが。

 

そんな感じで僕はわりと引いた目で観てしまったんですが、それでも出演者たちの演技はみんな良くて、特に主人公を演じる錦戸亮のシュッとした男前なんだけど田舎町で地味に生きているあれぐらいの年齢の男性の風情が感じられる演技はお見事でした。

 

会ってそんなに経っていない宮腰が自分がずっと好きだった女性・文(木村文乃)といきなり付き合い始めちゃってショックで思わず宮腰の素性を彼女に喋ってしまう弱さや、それをすぐに宮腰に報告して謝罪するような人の良さがその演技の端々から滲み出ていたし、クライマックスで宮腰の話を真剣な表情で聞きながら涙を溜めている場面なんて、あぁ、巧いなぁ、って思ったもの。

 

そして昭和っぽい化粧をした優香演じるアラフォー女性が発するエロス。

 

 

 

お相手役の北見敏之さんは背中に優香パイを押しつけられたり彼女とベロチューしたり、羨ましいことこの上なし!こんなエロいおねえさんが義理の母になったら、めっちゃ悶々とするわっ!^_^;

 

優香さんが演じている太田は、彼氏が「窒息プレイ」マニアで、それに付き合って首絞めながらヤッてたら誤って殺しちゃった、というマヌケにもほどがある人で、彼女が月末に「私はもう二度と人を好きになっちゃいけないんですか」と尋ねる場面は印象に残る。

 

ちょっとニンフォマニアっぽい、セックス依存症のようなところがある女性だけど、やがて彼女は純粋に愛すべき人を求めていることがわかる。

 

このように、こちらの予想をハズしてるようでいて、でも「この人はこういう人かと思っていたら違っていた」という『スリー・ビルボード』の時のようなツイスト、驚きのストーリー展開はほとんどないので、やはりこの辺の人物描写は若干退屈なんですよね。

 

怪しかったり悪そうな人はほんとに悪いし、善さそうな人はほんとに善い。

 

たとえば、以前『ボーイズ・オン・ザ・ラン』の批評でラップの人の宇多丸さんが「松田龍平の役は妻夫木聡が演じていたらよかったのに」というようなことを仰ってて僕も大いに同感だったんですが、今回ももしも妻夫木君が演じていたら意外性があって面白かっただろうなぁ、と思う。

 

だって、松田龍平はどう考えたって最初から怪しいでしょ。今回の役もいかにも「松田龍平が演じそうなキャラ」だもの。

 

表情の変化が乏しくて棒読み気味の喋り方とか、一見物腰は穏やかで丁寧な口調だけど、知らない間に距離を詰めてきていて主人公を「友だち」扱いしてタメ口利いたり自分のペースに付き合わせるところなど、何を考えてるのかさっぱりわからない(あるいは何も考えていない)その不気味さは松田龍平がお得意とするものだろうし、確かにハマってるんですが、やはり予想の範囲を超えない。

 

基本、『探偵はBARにいる』のやたら強くてつっけんどんな物言いの用心棒と演技のスタイルが同じなんだよね。ほぼ同じキャラをちょっとだけ人当たりがいい風に演じてるだけで。

 

そもそも会ったばかりの時に「僕のこと怖くないですか?」なんて聞いてきて、殺人にまつわる過去をベラベラ喋り出すような奴はどこかがおかしいに決まっている。

 

松田龍平の演技は宮腰というキャラクターにピッタリだからこそ、その後の展開が読めてしまって後半だんだん興味が失せていってしまった。だったら意外なオチとかあった方がよかったなぁ。

 

ヤバそうだった人がやっぱりヤバかったことがわかってカタストロフ、というのはあまりにも芸がない。

 

月末も、いくらなんでもあまりに人が良過ぎるだろう。

 

真夜中に「海見にいこう」なんて言われたら、普通は断わるでしょ、「明日仕事があるから」とかって。

 

宮腰のペースにまんまとハメられていく月末がもどかしくってしょうがない。

 

最後は宮腰の頭上にデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)よろしく「のろろ様」の首が落ちてきて強引に大団円。

 

「のろろ祭り」という架空の(ですよね?)奇祭は気味悪くてなかなか雰囲気出ていたんだけど、あのまるで巨大な土偶みたいな「のろろ様」の像が町にもたらす同時多発的な呪いめいた、もっとおぞましい結末が見たかったな。

 

文があんな暗い崖の下の海に浮かぶ月末の顔を判別できるというのも、そういうところで映画の嘘が目立ってしまって…う~ん、と。

 

…ずっとダメ出しみたいなことばかりしてますが、不満を挙げることで逆に魅力に気づくこともあるのでご容赦を。結論を決めずに書いております。

 

昔からの友人(同級生だったかな?)で自分に好意を持っている月末にはツンツンしてるのに、月末からも「早過ぎない?」と言われるほどに会ったばかりの宮腰とはマッハで付き合い出した文は、女性から見たらどうなのか知りませんが、いかにもああいう男を見る目のない人居そうだなぁ、とは思う。

 

 

 

結果的に宮腰が頭のおかしい殺人狂だったから彼と付き合ってた文が愚かに見えるだけで、現実には根は真面目だけどちょっと頼りなさげな月末よりも謎めいてて自分の欲求に忠実な宮腰みたいな男がモテるのはわかる気はするんですが。

 

あの微妙に見ていて苛立たせられる文のキャラも意図的なものなんでしょうけどね。彼女のツン(→月末)デレ(→宮腰)がイイ、という男性の観客も多いようだから。

 

千葉の病院に勤めていたがそこで年配の医者と不倫かなんかして結局故郷に戻ってきたという設定らしい文は、杉山に「何も考えずに人を殺す」と言われた宮腰に純粋さとか単純さを見てそこに惹かれたのかもしれない。それとも宮腰と付き合ったのは月末に対するあてつけだったのか。

 

「その人を知りたいと思うから付き合う」と彼女は言うが、だから昔からよく知ってる月末には興味がないのか、それとも月末と一緒に楽器の演奏をしているのは彼が気持ちを伝えてくるのを待っているからなのか。

 

彼女のことをよく知ってるふうなことを言う月末に文がイラッとする場面があるけど、そのすれ違いは「元同級生の男女あるある」っぽいなぁと思う。僕は文みたいないつも疲れてるように見えて不機嫌そうな人は苦手だけど、ああいう美人に魅力を感じる男性は結構居そう。守ってあげたくなるのかな。

 

松尾諭が演じるやはり旧知の仲ですでに家庭持ちの須藤は、どうやら月末と文の仲を取り持つつもりでバンドに参加していたらしいのだが、文が宮腰と付き合い出したために「父親会が忙しいから」と言って離脱していく。

 

このあたりの小さな町の狭い人間関係もちょっと息が詰まりそうで、観ていて「めんどくせ」って思ってしまった。ああいう友だち同士の気の遣い合いとかほんと苦手だ。

 

それにしても、木村文乃さんは最近うつろな目でどこか冷めたキャラを演じることが多いように思うんだけど、わざとなのかたまたまなのかどうなんでしょう。

 

顔がよく似ている伊藤歩がひと頃やっていたような役を今では木村文乃が演じてる。

 

 

あるかたがご自身のブログでこの映画を「友人関係について描いた映画」というふうに評していて、そう考えると確かにいろいろと興味深くはあった。

 

「殺人」という極端なものを描いているけれど、これは「友情」や「愛情」など人と人の繋がりを描いた話なんですよね。過去にいろいろあって人を傷つけたり自分も傷ついたりした人たちの“再生”についての物語。

 

宮腰は何度も月末に「それは友だちとして聞いてるの?それとも市役所として?」と尋ねる。

 

僕は月末と宮腰の関係を見ていて、以前DVDで視聴した『かしこい狗は、吠えずに笑う』という映画を思い出したんですよね。

 

やはり殺人が絡む内容だけど、『かしこい狗~』では女の子同士の友人関係について描いていた。『羊の木』はあれの男の子版みたいな。

 

僕は常々相手との距離の取り方のおかしい人には気を許してはならないと思っているんですが、ここでの宮腰はまさしくそういう人間で、彼が文や月末の首を絞めるのは憎くてやってるのではなくて、相手に甘えているのだ。

 

人の首を絞めるという行為はたとえ冗談であっても許されないことで、だからそういう「やってはならないこと」をその人にやってもいいと思う時点でそいつは相手のことを見くびり甘えきっている。

 

いじめやDVをやる人間が被害者に“甘えている”のと同じようなこと。

 

市川実日子が演じる女性がDVを受けていたという設定なのは、もちろん偶然じゃないのでしょう。

 

かと思えば、かつて息子を殺されて宮腰の行方を追っていた男性(深水三章)をあっさりと返り討ちにしたり、その事実を知って脅迫してきた杉山をなんの躊躇もなく轢き殺したり、彼の「命」というものに対する無頓着さにも既視感がある。

 

たまに日常会話やTwitterなどのSNSでの発言で見かけますが、法律で禁じられていてバレたら捕まるから「いけないこと」だとはわかっているけれど、「なぜ人を殺したらいけないのか」その基本的なことが理解できていない人がいる。

 

彼らと宮腰の違いは、実際に人を殺したか殺していないかの違いで、その思考は非常に似通っている。ああいう人間は現実にいるのだ。

 

だから、宮腰という“サイコパス”に焦点を当てて共感能力の欠如した人間のもたらすものの怖ろしさについて描いたということでは興味深い部分もあるのだけれど、宮腰が暴走していく後半は僕はわりと予定調和的なものを感じてしまった。

 

戦慄するような怖さは感じませんでした。

 

宮腰は、人殺しである自分は変われないのだ、と言う。

 

しかし元ヤクザがクリーニング店で真面目に働いて、愛想がなく言葉はキツめだが人の内面を見ようとする女性店主(安藤玉恵)の下で更生していったり、DV被害者だった女性が人を殺したことを日々思い返しながら徐々に社会復帰していったり、刑務所で理容師の免許を取った男がやはり前科のある床屋の店主のところで働き始めたり、愛を求める女性が新たな伴侶を得て生き直していったりと、宮腰に殺された杉山以外の者たちは変わろうとしている。

 

人は変わることができる。

 

宮腰は明らかに精神病理学的な問題を抱えた人間で、彼には“治療”が必要だったのだ。

 

だから宮腰のような人間はそもそも「友人」として付き合うべきではないし、おかしいな、と感じた時点で距離を置いて、何か異常な行動があれば専門家に相談するか通報すべきだし、自分と同じ常識が通用する人間だと思わないこと。

 

この映画の前に観た『パディントン2』では人の善意というものを肯定的に捉えていたけれど、残念ながら現実にはまともに話が通じない人間や他者を平気で傷つけたり殺したりする人間が存在する。

 

こちらが誠意を持って付き合えば理解し合える、と信じようとしても、それが不可能な相手というのがいるのだ。

 

誰とでも「友だち」になれるわけではない。

 

この映画を観ていると、宮腰には何やら心の中に深い悲しみがあって、それが彼に殺人を犯させているようにも感じられるが、勘違いしてはいけないのは、彼は「まともではない」ということだ。話して説得できるわけではないし、同情などすべきではない。

 

月末を無理矢理一緒に崖から飛び降りさせた宮腰は、けっして「友だち」にはなれない人間である。彼には他者への労わりというものはない。あったらあんなことしない。そして、ああいう人間は現実にいる。そのことをよく覚えておきたい。

 

 

映画を観終わって、後悔はなかったけど、「う~ん、モヤモヤと心が晴れない映画だなぁ」と思いました。

 

次々と人死にが出る話でもあるから、前作『美しい星』のような突き抜けた解放感のない映画だった。

 

「稲中」の人もそうだけど、ギャグ漫画描いてる漫画家さんって、こういうホラーっぽかったり病んでる人を描いた話をやりたがるもんなんだろうか。

 

僕は基地GUYが人を殺すのは現実だけでも充分ウンザリしてるんで、フィクションの中でぐらいそうじゃない映画を観たいなぁ、って思いますが。

 

それでも、吉田大八監督の次回作もまた観たいと思ってますけどね。

 

 

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