F・ゲイリー・グレイ監督、ヴィン・ディーゼル、ドウェイン・ジョンソン、ジェイソン・ステイサム、ミシェル・ロドリゲス、シャーリーズ・セロン、タイリース・ギブソン、クリス・“リュダクリス”・ブリッジス、ナタリー・エマニュエル、クリストファー・ヒヴュ、スコット・イーストウッド、カート・ラッセル出演の『ワイルド・スピード ICE BREAK』。

 

恋人のレティ(ミシェル・ロドリゲス)とともにキューバのハバナを訪れていたドム・トレット(ヴィン・ディーゼル)は、謎の女サイファー(シャーリーズ・セロン)に出会う。ミスター・ノーバディ(カート・ラッセル)から電子機器を無力化する電磁パルス砲(EMP)の奪還を依頼されたホブス(ドウェイン・ジョンソン)はドムとお馴染みの“ファミリー”らとともに任務を成功させるが、帰還する途中、突如ドムはホブスからEMPを奪って逃走する。その背後にはサイファーがいた。

 

2015年の『SKY MISSION』に続く、最近はほぼ2年に1本というペースで続篇が作られ続けられている「ワイルド・スピード」シリーズ第8弾。

 

 

 

 

 

僕は2011年の5作目『MEGA MAX』から劇場で観ています。

 

主人公のドミニク(ドム)の相棒で親友であるブライアン役のポール・ウォーカーが2013年に自動車事故で亡くなって彼がシリーズを去ってから初めての続篇で、新たな3部作の第1作目というふれこみのようで。

 

劇中ではブライアンは生きている設定だけど、妻でドムの妹のミア(ジョーダナ・ブリュースター)と幼い息子ジャックのために戦線から離脱したことに。

 

なので、今回彼は仲間たちの台詞の中にのみ出てくる。今後、ポール・ウォーカーの弟たちがブライアン本人役だか兄弟役だかで出るかも、みたいなことを言われてますが、どうなるんでしょうね。

 

映画の内容だけでなく、(当初は予定していなかったこととはいえ)出演者についても「家族」というものが前面に出ている珍しいシリーズですよね。

 

かつてはドムを追っていたDSS(アメリカ外交保安部)捜査官のホブスは、娘の所属するサッカーチームの女の子たちと一緒に試合前にハカを踊る。

 

ハカって男性のしか見たことがなかったんだけど、女の子もやるのね。

※訂正:ホブスはサモア出身という設定で、あれは“シヴァタウ”と呼ばれる鬨の声=ウォークライなのだそうで。ハカはニュージーランドのマオリ族のもの

 

演じているドウェイン・ジョンソンは半神半人のマウイの声を担当した『モアナと伝説の海』でも踊りながら唄っていたけど、彼のようにポリネシア系の俳優(もちろん、もとはプロレスラーですが)がハリウッドの映画界でこれほど活躍している例って僕は他にほとんど記憶にないので(90年代に主演映画が何本かあったジェイソン・スコット・リーぐらい)、とても貴重な存在だと思うんですよね。

 

やはりマッチョ俳優のヴィン・ディーゼルと互角に張り合える存在感を発揮してて、ドムを追うライヴァル的なキャラから仲間に替わってその無双ぶりがどんどんエスカレートしていってる。

 

前作ではそこに悪役としてジェイソン・ステイサムが加わって、ハゲマッチョだらけになってましたが。

 

このホブスの娘のサッカーシーンも一見物語の内容とは関係がないんだけど、でもこの映画で常に繰り返される「ファミリー」という言葉を実感させるものとして、ここで親子が描かれている。

 

今回、劇中にはいくつもの「家族」が登場する。血の繋がった親子だったり恋人同士だったり、あるいは仲間たち、それらが「ファミリー」と呼ばれる。

 

ここ最近観る映画は、日常的なものを描いた人間ドラマからスペースオペラやアクション物まで、ジャンルにかかわらず「家族」について描いたものが多いなぁ、と僕は感じているんですが、たまたまなんでしょうかね。それとも何か意味があるのでしょうか。

 

さて、2011年から4本観てきて(それ以前の作品はTV放映で視聴)それなりにこのシリーズには愛着もあるし、一応次回作も観るつもりではいるんですが、今回この最新作の内容について苦言めいたことをだらだら書きます。ストーリーの内容から外れた部分でも結構長ったらしく書いています。

 

「ワイスピ」シリーズが大好きでこの最新作も楽しまれたかたは、読んでて「めんどくせーな」と思われるかもしれません。あらかじめご了承ください。

 

なお、以降はこの『ICE BREAK』以外にもシリーズの過去作、そしてなぜか『スーパーマン リターンズ』のネタバレがありますから、未見の“ネタバレ警察”のかたはくれぐれも読まれませんように。

 

 

率直な感想を言うと、個人的にだいぶ観るのがキツくなってきたなぁ、というところ。

 

予告篇観ればわかるようにカーチェイスと建物破壊や爆発がいっぱいの娯楽アクション映画で、映画館のデカいスクリーンでチュリトスかじったりドリンク飲みながら気軽に楽しむにはもってこいの、いちいち屁理屈コネる必要などないポップコーン・ムーヴィーなのはわかってるし、これまでだってそういうつもりで観てきたんですが、さすがに今回ストーリー展開や登場人物たちの扱いにちょっと我慢ならないものを感じてしまったのでした。

 

言うまでもなく物語自体はどこにでもあるようなたわいない代物で、悪者を主人公たちのチームが倒すという、シンプル極まりないもの。

 

ハバナでサイファーと名乗るサイバーテロリストと出会ったドムは、彼女にタブレットで何かを見せられて、その後ホブスや“ファミリー”たちを裏切って彼らからEMPを奪って逃げる。

 

主人公がこれまで一緒に戦ってきた仲間たちを裏切る!?というのが今回の売り文句なんだけど、まぁ、それには理由があることぐらい誰にだってわかる。

 

なぜ仲間を裏切って危険な兵器を敵のために強奪したのかといえば、かつて恋人のレティが行方不明(死亡したと思われていた)だった時にドムがつきあっていたエレナ(エルサ・パタキー)と彼女の子どもが、サイファーによって人質にとられたから。

 

ドムが初めて見るエレナの幼い息子は、ドムとの間の子だった。

 

エレナはかつて『MEGA MAX』でブラジルの警察官だったところをドムと出会ったが、死んだと思われていたレティがその次の『EURO MISSION』で復活してドムのカノジョに返り咲いたために自ら身を引いて去っていた。

 

そのエレナが今回捕らわれて、サイファーの命令によって防弾ガラスで隔てられたドムの目の前で撃ち殺される。

 

前作でドムたちが入手した監視プログラム「ゴッド・アイ」を奪ったサイファーは、ハッキングによって街中の車を操作したり潜水艦を遠隔操縦して、ロシアの国防長官が持っていた核ミサイルの発射コードを手に入れようとしていた。

 

核ミサイルの発射を食い止め、ドムの息子を取り戻すことが今回の彼ら“ファミリー”の使命。

 

とりあえずそういうことだと思って観てればいい。

 

それはそうなんだけど、ちょっと疑問なのが、エレナとドムとの間に赤ちゃんができていた、ということは、2011年ぐらいから数年かけて描かれてきたこの何作かの間の時間経過は劇中ではせいぜい1~2年ぐらい、ってことだよね。なんて慌ただしいんだ。

 

その間に仲間の一人だったハンが殺された3作目の『TOKYO DRIFT』が入ってるわけだし。

 

そういうシリーズ物における時間軸の歪みみたいなものにはいちいち目くじら立てたってしかたないし、そうやってツッコミ入れて楽しめばいいんだけど、僕が引っかかったのは先ほど書いたように登場人物たちの扱い、彼らの「生き死に」の描かれ方に物凄く抵抗を覚えたからです。

 

『EURO MISSION』の感想でも書いてますが、死んだはずのカノジョが戻ってきたから今カノはお役目御免でハイさようなら、というのはいかがなものだろう、と。

 

そんで、今回エレナはその時に授かった子どもの存在をドムには知らせずに一人で育てていたことがわかる、んだけど…なんで?

 

普通に「あんたの子どもだから養育費払ってね」と連絡すりゃいいじゃん。

 

でもなぜかエレナは捕まってドムと再会するまでそれを黙っていた。

 

ドムとの子どものことを現・恋人のレティに気を遣って内緒にしておく必要なんてあるだろうか。だってしっかりヤることヤってるんだからね。ドムには責任があるでしょうよ。

 

似たような展開が『スーパーマン リターンズ』にもあって、ヒロインのロイス・レインはスーパーマンが旅に出ている間に宿した彼の子どもを一人で産み育てる。スーパーマンは地球人の女性との間に子どもができたことを知らずに呑気に宇宙の彼方に里帰りしている。

 

ロイスはスーパーマンが人類全体を相手にしたお務めで忙しいのがわかっているから、彼に負担をかけないように気を遣っているように描かれている。

 

というより、赤ちゃんのことを話そうとした時にはスーパーマンは宇宙に飛び去ってしまっていたんだが。

 

…サイテーのヒーローじゃないですか?^_^;

 

X-MENでもそういうエピソードあったよなぁ。マグニートーが妻との結婚前に別の女性との間に子ども作ってた話。マグニートーはその子どもの存在を知らなかった。

 

それ言ったら、インディ・ジョーンズだってそうなんだが。

 

同じようにヤるだけヤっといて子どもができた時には雲隠れ、というのは『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』でライアン・ゴズリング演じるバイクスタントの男がやっていた。

 

恋人や夫の力を借りなくても一人で子どもを育てられるのが自立した女性の証明、ということなのかもしれませんが(あるいは現実にさまざまな事情でシングルマザーとして子育てしなければならない女性たちの姿を重ねているのかもしれないけれど)、それは男にとって実に都合のよい女性像じゃないだろうか。

 

ってゆーか、なんで避妊しねぇの?

 

 

 

男が子種を残して、相手の女性は黙って一人でその子どもを育てていた、っていうパターンが多すぎませんかね。

 

現実の世界にはそういうことはたくさんあるのでしょうが、少なくとも、そんなことしてる人間(超人でもだが)がヒーローを名乗る資格あんのか?と思う。

 

だって、これを反対の立場で描いてみたら(男は子どもを産めないから完全に逆の立場にはなりようがないが)わかるじゃないですか。

 

いろんなところで男作ったり父親が誰だかわからない子どもを産んだ女性を、スーパーヒロイン物の主人公として肯定的に描くような作品ってありますか(あったらゴメンナサイ)?僕は知りませんが。

 

そういう女性は必ず本人が深く後悔の念に駆られていたり、そうでないなら作品の中で“アバズレ”として描かれがちでしょう。

 

なのに、なんで男の場合は相手の女性が彼のことを気遣って自分だけ犠牲を払ったり、本人は反省もせずにヒーローヅラしていられるんでしょうか。

 

この映画のドムも、息子の存在を知らなかったから(母親が黙ってたから)彼には責任はないような感じで描かれているけど、僕は観ている間中ず~っとモヤモヤして釈然としませんでした。

 

普段からファミリーファミリー言ってんなら、その前に自分がつきあってる(つきあってた)女性のことはちゃんとしとけよ、と思う。ドムの優柔不断さと無責任さがエレナをシングルマザーにしたのだ。

 

そういう無責任男が主人公の映画はこれまでにもいっぱいあるけど、でもそんな男は“ヒーロー”じゃないでしょう。ダメ野郎じゃん。

 

結局、レティをシリーズに戻す、ということにした時点で、エレナの退場は運命づけられていたんですよね。主人公との間に余計な摩擦を生まないために。

 

そして今回、そのエレナは殺されるのだ。体のいい厄介払いではないか。しかも、ドムの血を受け継いだ息子はしっかり生き延びる。これからレティと二人で息子を育てていくことにするドム。

 

…なんだろう、まったく納得できないんだが。

 

捜査官でこれまで何度もピンチを切り抜けてきたエレナがいとも簡単に敵の手に落ちてしまうのも、お話の都合上単に彼女を“殺され要員”として使っているからに過ぎない。

 

子どもを抱えた女性が狙われるって展開は、すでに過去作でやってますし。

 

また、これも僕が大いに腑に落ちなかったのが、前作『SKY MISSION』の敵で、ドムの“ファミリー”の一員だったハン(サン・カン)を殺したデッカード・ショウ(ジェイソン・ステイサム)が今回完全に善玉化してそのファミリーに迎え入れられること。

 

さらに、デッカードがハンを殺した理由は『EURO MISSION』でドムたちに飛行機の外に投げ出された弟のオーウェン・ショウの復讐だったはずだが、オーウェンは前作で生きていたことが判明して病院に入院していたのが、今回はピンピンして出てきて兄とともにドムの息子の奪還に協力する。

 

 

オーウェン役のルーク・エヴァンスは、『美女と野獣』のガストン役など、最近悪役づいてますね

 

完全に無駄死にのハンさん

 

ハンの死はまったく無意味になってしまったばかりでなく、ハンと彼の恋人ジゼル(ガル・ガドット)を死に追いやった宿敵のショウ兄弟とドムやファミリーが手を結び仲間になるという、まるで「ドラゴンボール」とか「男塾」みたいな展開。

 

最初は反目しあってるけど、映画の終わり頃にはホブスと罵りあって笑顔で仲直り。みんなと一緒に手を繋いで食事の前のお祈りをしてる。

 

ありえなくねぇか?

 

僕のこの憤りに対してTwitterで「これは河原で殴りあってるヤンキーたちの話みたいなものなので、今回デッカードの母親役でヘレン・ミレンが出てきたように後出しの話を楽しみましょうよ」と穏やかにリプライしてくださったかたがいらっしゃるんですが、僕もこれが大真面目にストーリーを追うような映画じゃなくて、毎度サプライズみたいに有名スターが出演したり、世界各地でドッカンドッカン花火を上げる合間にちょっとお話を繋げてみた程度のもので、ここで描かれている「戦い」や「死」が単なる“ごっこ遊び”みたいなものだということはわかっておりますョ。

 

でもね、ごっこ遊びなんだから「なんでもあり」なんだと言って、死んだはずの人が「実は生きていた」とひょっこり戻ってきたり、主人公たちにとって大切な存在だったはずの人たちがあっけなく殺されて、仲間たちはその殺した張本人とジョーク言いあって仲良しになってたりしたら、それはあまりにふざけすぎじゃないですか。

 

いくらなんでも主人公に都合がよすぎるし、「生き残らせるキャラ」と「殺すキャラ」の選別が雑で酷すぎる。

 

主人公も悪役たちもなぁなぁの馴れ合いをしてるだけなんだったら、もうキャラクター同士のドラマに付き合ってなどいられない。友だち同士でじゃれあってるだけだもの。

 

そういうのは映画の本篇でじゃなくてメイキング映像の中でやってもらえないかな。

 

これ、冗談じゃなくて、今回の敵サイファーがいずれはファミリー入りする可能性だって高いんじゃないか。

 

サイファーはドムの元カノを殺してるんですけどね。エレナはホブスの部下でもあった。その彼女を殺した敵を仲間として笑顔で迎え入れるなんてほんとにありえないんだけど、そんなの関係ないんだろう、みんな仲良しになればいいなら。

 

 

 

でも、この『ICE BREAK』で、ドムはエレナを銃で殺したサイファーの部下のローズ(クリストファー・ヒヴュ)の首の骨をへし折って殺す。

 

直接手を下した相手はぶっ殺すのに、黒幕でエレナ殺害を指示したサイファーは殺さずにやがて仲間に、というのはどう考えてもおかしいだろう。

 

すでにそれと同じことを今回ショウ兄弟の件でやっているのだ。いや、デッカードは直接ハンを殺してるからもっと悪いんですが。今後もこのシリーズではそういう展開がいくらあっても不思議ではない。

 

僕は1980~90年代のジャッキー・チェンやシルヴェスター・スタローン、アーノルド・シュワルツェネッガーのアクション映画、そしてブルース・ウィリスの「ダイ・ハード」シリーズなどを映画館やTVで観て育ったんですが、それらの作品では悪役は最後に必ず退治されていたし、死んだはずの人が続篇で「実は生きてました」とか言ってシレッと出てくるようなこともなかった(まぁ中にはそういう映画もなくはなかったが、今の「ワイスピ」ほどヒドくはない)。

 

荒唐無稽の勧善懲悪が徹底していたんですね。悪役が主人公側に寝返ったりなどしない。

 

現実の世の中では人はわかりやすい善とか悪とかに分けられるものではなくて、一人の人間がいろんな要素を持っているものだけど、ヒーローが最後に敵を倒す類いの映画では物事を極力単純化して描く。

 

だから現実にはありえない決着のつけ方ができる。時に残酷に、あるいはマヌケな姿で殺される悪役たち。それこそがアクション映画の醍醐味だったはずだし、そこで得られるカタルシスを求めて僕なんかは映画館に向かったのです。

 

この「ワイスピ」シリーズは年齢制限がないので残酷な場面は映らないし、あれだけド派手にドンパチやったり殴りあっても血もほとんど出ない。

 

それはそれで年少者でも観られるメリットはあるだろうけど、だったら人の「死」というのものに対してもうちょっと慎重になるべきじゃないか。

 

つい先日観たヒュー・ジャックマン主演の『LOGAN/ローガン』では、「人を殺したらその罪を一生背負うことになる」ということを語っていたけど、それはまさに「ワイスピ」のような映画に対する批判じゃないだろうか。

 

デッカードはドムの仲間だったハンを残酷な方法で殺したんだから、最後はドムにぶち殺されるべきだったんだよな。俺はそれが観たくて映画館に行ったんだし。

 

映画の中でそういうけじめをつけずに、別にこれまでの自分の行為を反省させるわけでもなく、いつの間にかお茶目で赤ちゃん好きの「イイ奴」になってるってのは、何かすごく間違ってる気がする。

 

デッカードを演じているジェイソン・ステイサムはこれまで「トランスポーター」や「アドレナリン」シリーズなどの主演作でヒーローを演じ続けてきた人だから彼に気を遣ったのか、あるいはこのまま彼が出演し続けてくれると人気も続くだろうからキャラを変えちゃったのかどうか事情は知りませんが、ステイサムも出ていた「エクスペンダブルズ」シリーズではジャン=クロード・ヴァン・ダムやメル・ギブソンが悪役を演じて最後はちゃんと倒されていたじゃないですか(ちょっと物足りなさもあったけど)。

 

スターが悪役を演じて最後に倒されたって、まったく問題はないんだよね。むしろその意外性が面白いわけで。

 

でもそうしないんだよ、このシリーズは。

 

ズルズルと続いていって、主要メンバーが急に一新されたり、そのうちの誰かがまた戻ってきたりということの繰り返しをしている。

 

シリーズが続くとそういう「話を繋げるための強引な展開」というのが横行しがちだけど、ほんとつまらない。

 

シャーリーズ・セロンがヒロインを演じていた『マッドマックス 怒りのデス・ロード』では悪の親玉イモータン・ジョーは最後にしっかり殺されていたでしょう。殺されてもしかたないぐらいの所業をしていたんだし。

 

あれがもしもイモータン・ジョーが死なずに最後にマックスやその仲間たちと仲直りして一緒にバーベキューして終わるような映画だったら、面白いですか?

 

ワイスピは今やそういう映画になってきてるってこと。

 

あえて誰も死なないアクション映画を作るっていうんならいいけど、デッカードに自動車をぶつけられて車ごと炎上したハンや至近距離から銃で撃たれたエレナは確実に死んでるはずで(ハンが焼け死ぬ瞬間もエレナの身体を弾丸が貫く瞬間も直接描かれはしないが)、主要メンバーだった彼らの扱いがあまりに酷いことは先ほど述べたし、もしも彼らが死んでなくて再び戻ってくるようなことがあれば、それこそもうほんとにただの茶番に過ぎなくなる。

 

そこで登場人物たちが示した感情すらも、あとでいくらでも裏切られてしまう。

 

そもそもアクション映画ってのは「ご都合主義」の塊みたいなものだけど、だからキャラクターを軽視してただのコマとして使ってもオッケー、その時の都合で死んだり生き返ったりできる、ってのは違うんじゃないのか。

 

誰が死のうが何がどうなろうがどうでもいい映画に今後もお付き合いする気にはなれないな。

 

 

散々貶してきたからちょっとだけ褒めると、クリント・イーストウッドの息子スコット・イーストウッドがカート・ラッセル演じるミスター・ノーバディの部下“リトル・ノーバディ”役で出ていて、僕はこの人がこんなに多くの台詞を喋って長く映ってる映画を観たのは初めてなので、そこは嬉しかったです。

 

 

 

顔は親父さんによく似ているんだけど、クリント・イーストウッドが若造たちを鍛えたり大人の男として手本になるようなキャラクターを演じてきたのに比べると、この映画でのスコット・イーストウッドはみんなから新人扱いされて軽くあしらわれたりロック様に身体ごと持ち上げられて壁に叩きつけられたり、ちょっと頼りなさげな姿を見せている。

 

どうやら彼はこの新3部作のレギュラーらしいし、この映画で顔や存在感が記憶されてこれからの躍進に繋がっていけばいいですね。

 

デッカードとオーウェンのショウ兄弟の母親役でヘレン・ミレンが出ていたけど、残念ながら「RED」シリーズ繋がりでブルース・ウィリスは出てきません(ジョン・マルコヴィッチも)。

 

 

 

これでブルース・ウィリスやマルコヴィッチまで出てきたら、本格的にハゲ祭りになっちゃうけど。

 

シャーリーズ・セロンは『怒りのデス・ロード』のような善玉も今回のような悪玉もしっかり演じられる人だから、最後はちゃんとドムとの間に決着をつけてもらいたいです。おそらく3部作すべてに出てくるんだろうから、最終決戦は2021年(!)公開予定の第10作目になるでしょうが。

※追記:20202021年に続篇の『ジェットブレイク』が公開予定。2019年にはホブスとデッカードを主人公にしたスピンオフ『スーパーコンボ』が公開されている。

 

 

 

 

潜水艦との氷上の追っかけっこは面白かったです。魚雷を素手で方向転換させるロック様とか、相変わらずムチャやってるし。

 

最後は氷の上でも派手なバーベキュー。

 

 

 

 

さっきからバーベキューバーベキューしつこいですが、「ワイスピはBBQ映画」という指摘をされているレヴューがあって、確かにそのとおりだな、と思いました。

 

速水健朗の『ワイルド・スピード ICE BREAK』評:シリーズの核心は“バーベキュー”にある

 

 

このシリーズでは、ドム=ヴィン・ディーゼルが観客をバーベキューに招待してるんだよね。

 

だから、バーベキューが楽しめなくなったら帰ればいい。

 

ここんとこ言い続けてますが、やたらと「ファミリー」を連呼するのって僕はあまり好きではなくて、さっき文句垂れたように、避妊もせずにカノジョに子ども作らせてそのまま別れるとか、そういうイイカゲンな人間がファミリーがどうとか偉そうに言ってんじゃねーよ、と思う。

 

この映画でドムは大いに男を下げたね。

 

でも、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズもそうだけど、そういう妙にドメスティックなところも含めて作品がウケている、というのは何か世の中の人々の実態を反映していたりもするのかな、なんて思いました。そうでなきゃ、こんなデタラメな話がみんなに支持されてる理由がわからない。

 

次回作ではバーベキューだけでなく、ぜひアクションで燃えさせていただきたいです。

 

 

みんなファミリー。左端のステイサムはスタッフに紛れ込んでたらわからなそうw

 

 

 

 

 

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