本日こんなトンデモ記事を目にしてしまったので、ブログ更新します。
記事URL
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2013043000581
いやあ・・・目が点になったというか、目を疑ったというか、
よくこんなすぐにバレるウソの社説を書いたなあと呆れました。
支那共産党は韓国・朝鮮化してるん?
詳説日本史研究(山川出版社 2000年版) より書き起こし
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(333~334頁本文)
清国に対して、日本は1871(明治4)年、日清修好条規・通称章程などを結んだ。同年、台湾に漂着した琉球漁民が原住民に殺される事件がおこった。
清国は台湾を「化外の地(けがいのち)」として、その責任を取ろうとしなかったので、事件の処理をめぐって交渉は難航し、1874(明治7)年、日本政府は西郷従道(つぐみち・1843~1902)のもとに軍隊を台湾に派遣した(台湾出兵)。
筆者:注) 化外の地 ↓
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/67400/m0u/%E5%8C%96%E5%A4%96/
この事後処理のために、大久保利通が全権として清国と交渉し、イギリス公使ウェールズの調停もあって、清国は日本の出兵を義挙として認め、償金50万両を支払って解決した。
17世紀初頭以来、琉球は薩摩藩(島津氏)の支配下にあったが、名目上は清国にも属し朝貢するという両属関係にあった。
明治政府は琉球を日本の領土とする方針を定め、1872(明治5)年には琉球藩をおき、琉球王尚泰(しょうたい・1845~1901)を藩王として華族に列し、ついで1874(明治12)年には軍隊を派遣して廃藩置県を断行し、沖縄県を設置した(琉球処分)。
清国は琉球に対する宗主権を主張してこれに強く抗議し、前アメリカ大統領グラント(Grant,1822~85)は、宮古・八重山の先島諸島を沖縄県から分離して清国領とする調停(先島分島案)を示したが、清国側はこれを認めなかった。
その後も紛争は続いたが、日清戦争における日本の勝利によって、琉球帰属問題は事実上、日本の主張通りに解決した。
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江戸時代の琉球・日本・清国の関係については↓の過去記事に詳しく書きました。
http://ameblo.jp/egiihson/entry-11132808855.html
日本の学校教育で「柵封体制」を教えないのは教育問題
日清戦争の講和条約が下関条約(1895.明治28年)です。
沖縄(琉球諸島)は、サンフランシスコ平和条約(1951)の締結から1972年の返還までアメリカ合衆国の信託統治がありましたが、それ以外は明治以降ずっと日本国の領土です。
尖閣諸島は琉球諸島に含まれまています。
遼東半島や山東半島や台湾と違って、沖縄(琉球諸島)に関しては下関条約で決めた施政権がまだ生きているのですよ。
そして、あなたがたは講和会議に招かれなかったからサンフランシスコ平和条約に調印していない。中華民国とは1952(昭和27)年に日華条約を結びました(失効しましたけどね)。
下関条約以降、あなたがたと結んだ条約をウイキペディアから貼っておきますから、よく読んでおいてくださいね。
どこにも沖縄(琉球諸島)が中華の領土になったなんて書いてないですよ。
中文でも読めますよ。
wikipedia.org/wiki/日本国と中華民国との間の平和条約
wikipedia.org/wiki/日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
wikipedia.org/wiki/日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約
主権・領土の相互尊重、
相互不可侵、
相互内政不干渉
明確な国際条約違反ではありませぬか!!
日清戦争が侵略戦争とか大日本帝国が軍国主義とか、妄言を仰らないでくださいね。
第二次世界大戦が終結して国際連合憲章が批准されるまでは、
「国家間の話し合いではなんともならない揉め事を戦争で解決する」
実はこれ↑クリック出来ます。(戦時国際法-ウイキペデア)
というのは国際社会において、当たり前のことだったのでございますよ。
良い子の日本人のみなさんは、こんな戯言社説に騙されないでくださいね。
~おしまい~