判例タイムズ1519号で紹介された事例です(東京高裁令和4年10月20日判決)。

 

 

交通事故の事案などでは、損害賠償を請求された側から支払うべき金額がないことの確認を求めて債務不存在確認訴訟と呼ばれる訴訟を提起することがあります。

通常は、損害を受けたと主張する側が損害賠償請求訴訟を提起しますので、その中で債務の不存在を争えばよいのですが、訴訟提起がされずに訴訟外で請求がづつけられその対応に窮したりするような場合に、請求を受けた側から積極的に債務不存在の確認を求めるということが行われます。

 

 

本件は、会社の上司からパワハラを受けたと主張する従業員(その後退職)に対し、会社側から、債務不存在確認の訴訟が提起されたという事案ですが、裁判所は「確認の利益がない」として訴えを却下しています。

 

 

・本件は消極的確認訴訟である債務不存在確認訴訟であるところ,かかる訴訟が提起される典型的な事件類型である交通事故による損害賠償請求権の存否が問題となっている事案についてみると,この種事案において提起された債務不存在確認訴訟については確認の利益が認められるのが通常であるものの,紛争が未成熟であったり,訴え提起が濫用的であったりするなど特段の事情が
ある場合には確認の利益が否定される余地もあると考えられるところである(このような指摘をしている裁判例として,東京高裁平成 4 年 7 月 29日判決・判例タイムズ 809 号 215 頁,東京地裁平 成 9 年 7 月 24 日 判 決・ 判 例 タ イ ム ズ 958 号241 頁)。

・本件は,職場における本件パワハラ等をめぐる紛争について債務不存在確認訴訟が提起されている事例であるところ,この種の紛争については以下のような指摘ができる。
職場内において,パワーハラスメントやセクシャルハラスメント等,各種ハラスメントが発生したとして従業員が事業主に対して相談を持ちかけたり苦情を申し入れたりしたからといって,当該従業員が事業主に対して損害賠償を請求する目的があると当然にいえるものではない。

・このような場合における問題解決の在り方には多様な選択肢があり得るところであって,従業員としては事業主が事実関係の調査を踏まえつつ適切な対応措置を取ることを通してより良い職場環境が実現されることを期待しているのがむしろ通常であると理解される。労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律 30 条の 2 第 1 項は,「事業主は,職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって,業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されることのないよう,当該労働者からの相談に応じ,適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。」と定めるが,これは上記と同様の理解に立つものといえるであろう。そして,同条 3 項を受けて定められた「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(令和 2 年厚生労働省告示第 5 号)」は,事業者に対して職場におけるパワーハラスメント防止のための措置を講ずることを求めるとともに,従業員から相談等があった場合において迅速かつ正確な事実確認やこれに引き続く措置を取るべきことなどを定めているところである。

・このような事情を考慮すると,従業員がパワハラ等について事業主に相談等をした場合には,状況のいかんにより将来的に従業員からパワハラ等を理由とする損害賠償請求がされる可能性がないわけではないけれども,その可能性は一般的抽象的なものにとどまり,むしろ両者間の協議や事業主による対応措置がされることによって債務不履行や不法行為を理由とする金銭賠償や特定的救済といった紛争にまで至らずに解決する可能性も十分に高いものと思われる。そうすると,紛争解決の在り方として損害賠償による解決が原則となる交通事故の場合などとは相当に様相が異なると解されるのであって,単に上記のような相談等がされたことをもって事業主に対する損害賠償請求権の行使につながる抽象的可能性があるとして当該従業員を相手に債務不存在確認訴訟を提起することは,損害賠償請求に係る紛争が未成熟な段階で確認を求めるものといわざるを得ない。また,かかる段階で債務不存在確認の訴えを提起することは,相談等をした従業員側の意思に必ずしもそぐわないばかりでなく,事業者の法令上の責務を果たさないまま応訴の負担を従業員に負わせることにもなりかねないところである。損害賠償請求がされる抽象的危険があれば債務不存在確認訴訟を提起できるとするならば,従業員としては損害賠償請求をしないと約束でもしない限り上記の負担にさらされることにもなるが,これは問題解決へ向けた従業員の選択肢を奪う結果となるのではないかとの疑問もあるし,その態様のいかんによっ
ては従業員からの相談等を封殺するおそれがあることも否定できず,既に挙げた法令等の趣旨との抵触が問題となり得るというべきである。
・このような事情を勘案すると,以上のような状況の下で債務不存在確認訴訟が提起された場合において,当該確認訴訟による即時確定の利益があるといえるためには,少なくとも当該事案における事実関係に照らして従業員が事業主に対し損害賠償請求権を行使する現実的危険があるといえるだけの事情があることを要するものと解するのが相当である。
 

 

そして、本件では、従業員が会社に対する損害賠償請求を具体的に考えていることをうかがわせるだけの事情は,証拠上認められないとして、上記のとおり確認の利益を欠くとして訴えを却下したものです。