2017年11月にエイベックス・マネジメントからGEMの公演中止のアナウンスが出る。(※1)

 

 以前にも書いたが、きっかけは一部のメンバーによる軽はずみな行動だった。ファンにしてみれば愉快な話ではないだろうけれど、本来であれば当人に自覚を促して、ことによっては個別に責任をとらせればいいだけの話だ。そんなに大袈裟にさわぐ事でもない。(※2)

 

 しかし、そうはならなかった。それは「グループの諸般の事情」となり、決まっていたライブの予定がキャンセルされる。なんの関係もないメンバーの生誕祭までが中止になり、何事かと不信感がつのる。

 

 これに先立つ、9月には10人組のメンバーを『ルナ』と『ソル』という5人組の二つのグループに分け、新コンセプトで活動していくという発表があったばかりだった。(※3)

 

 おそらく人数をコンパクトにすることで機動力を増し、可愛いグループの『ルナ』とカッコいいグループの『ソル』とで、コンセプトも明確にし、新展開を図ったのだろう。

 

 単純に人数が半分になれば、移動や宿泊の経費も半分になる。地方のイベンターも呼びやすくなるし、主催する公演も小回りがきく。悪くないアイデアだと思った。現場の運営スタッフは、懸命に道を切り開こうとしていた。

 

 しかし、押しよせる波には抗えなかった。

 

 年が明けて2018年1月15日の発表により、同年3月31日をもってGEMのグループ活動を終了し、解散することが伝えられた。(※4)

 

 このタイミングで、「GEM今春解散『スパガ』ら4組とメンバー入れ替え」(日刊スポーツ1月15日付)という記事が出る。(※5)

 

 朝刊の紙面で、「14日、分かった」という文面だから、おそらく公式発表前のリーク記事だ。内容的には、GEMの解散により、アイスト内の姉妹グループ、スパガ、チキパ、わーすたとのプロジェクト全体の見直しが行われ、メンバーの入れ替えなども検討されているというものだ。

 

 これは、にわかには受け入れがたい情報だった。ただでさえGEMの解散で打ちひしがれているときに、ほかのファンまで巻き込んで、さらに大きな動揺を生みだすことになる。

 

 この報道に反応して、樋口プロデューサーがツイートする。

 

「わーしっぷの皆さんへ

一部報道にわーすたの記載がありますが、

わーすたのメンバーが代わる事はありませんので安心してください

よろしくお願いします。(8:35 - 2018年1月15日)」(※6)

 

 このツイートにたいする人々の反応は容易に想像がつくだろう。要約すれば「あなたは『わーすた』だけ良ければそれでいいのか?」という憤りだった。

 

 うかつだとは思うが、彼にも事情があった。

 

 このとき、樋口プロデューサーが担当しているのは『わーすた』のみで、ほかのグループのスケジュールすら彼は知らなかった。大きな流れは彼の耳にも入っていただろうけれど、それについてどうすることも彼にはできなかった。ただ、多くの人はアイストの責任者はいまだ樋口プロデューサーだと思っていただろうし、それぞれのグループを立ち上げた責任者としては、あまりに心ない反応に見えてしまった。

 

 彼のそういった立場を多くの人が知ることになったのは、もう少しあとになってからだ。3月26日の配信番組で彼はこんなふうに言っている。(※7)

 

「アイストというくくりで全体を見ている人がいなくなった」

 

「採算をファミリーとして見ることがなくなった。そのため昨年(2017)8月にストリート生は終わった。くいとめたかったけれど、新人育成についてエイベックス全体で考え直すことになった」

 

「個別の採算になったときに、GEMはむずかしいという話は4月からあった。武田が帰るまでがんばらなきゃ、と思い、テコ入れのために2チームに分けた──」

 

 ここで話に出ている武田舞彩とは、2016年の6月からアメリカに留学していたGEMのメンバーだ。

 

 「個のパフォーマンス力を強化し、ワールドワイドに活躍できるアイドルになる」ためにエイベックスが資金を用意し、現役のアイストのメンバーに希望者を募って実現した。チキパからも山本真凛と鈴木真梨耶が選ばれ、それぞれのグループのエース級3人が2年間のLA留学に旅立ち、2018年の夏にはもどる予定だった。(※8)

 

 大胆で野心的な企画だった。と同時に、エース級が2年もいなくなって大丈夫なのか? と誰もが思った。個人的にはリスクをとってチャレンジすることに好感をもっていた。

 

 しかし、思った以上に環境の変化は大きかった。エイベックスという企業の体制が変わり、アイドルの世界も移ろっていく。

 

 旅人が2年の修業を終えようとしたとき、GEMという戻るべき家が失われてしまった……

 

 GEMの公式ブログはリーダー金澤有希の記述で終わっている。これまでのことに感謝し、前向きになろうとする意志と、それでもやっぱり、やりきれない思いで最後までゆれつづけている。(※9)

 

 『GEM』の名前の由来は「Girls Entertainment Mixture=少女たちのエンターテイメントの集合体」そして同時に「宝石・美しく貴重なもの」を表す。

 

 2012年11月にストリート生からピックアップされたプレ・メンバーによって結成され、2018年3月に解散した。活動期間は5年4ヶ月だった。

 

 この悲劇はもう一度、Cheeky Paradeでくり返されることになる。

 

 

 ──「撤退戦Ⅱ『Cheeky Parade』」につづく

 

 

(※1)NEWS | GEM オフィシャルウェブサイト(2017.11.26)

「公演中止のお知らせ」

 *2019年12月12日現在、確認したところ、上記GEMの公式サイトが消失していた。おそらくこの半年ぐらいでの措置だと思う。公式ブログ「GEMILYへ。メンバーより! | GEM (iDOL Street)オフィシャルブログ (2017年11月26日)」はまだ残っている。日刊スポーツの記事も添付する。「GEM公演中止を追加発表「沢山の愛を胸に頑張る」 - 音楽 : 日刊スポーツ

 デジタルの記録って、ほんとにいつ消えるかわからないなあ、とまた感じた…

 

(※2)本ブログ:2018年「アイドル界の乱気流」 まえぶれとしての遠藤舞とGEM | (2019-11-23

 

(※3)GEMから2つの新グループが誕生 | BARKS(2017.9.19)

「GEMが9月18日、ワンマンライブを開催した。(…)グループ名の由来である「Girls Entertainment Mixture=少女たちのエンターテイメントの集合体」の言葉通り、まるで演劇ショーのようなライブとなった」

 

(※4)NEWS | GEM オフィシャルウェブサイト(2018.01.15)

「弊社所属アーティスト「GEM」の解散のご報告」(*GEM公式サイトは失われている)

 オリコンの記事を添付する。「GEM、3月末で解散を発表 金澤有希「とても悲しく、悔しい」 | ORICON NEWS

 リーダー金澤有希のコメントも掲載されている。

 

(※5)GEM今春解散「スパガ」ら4組とメンバー入れ替え - 音楽 : 日刊スポーツ

 

(※6)樋口P🌟さんのツイート: "わーしっぷの皆さんへ 一部報道にわーすたの記載がありますが…(2018年1月15日)

(日刊スポーツweb版の記載時間が朝の7時40分、朝刊の紙面にも載っている。樋口氏のツイートは8時35分なので、彼もかなり慌てていたのだろう)

 

(※7)@JAM アフタートーク 緊急討論会 2018.03.26 - YouTube

 

(※8)チキパ山本真凜と鈴木真梨耶、GEM武田舞彩がLA長期留学へ。「ペラペラ人になって帰ってくる!」 | BARKS

 

(※9)GEM (iDOL Street)オフィシャルブログ Powered by Ameba「departure 金澤有希!」(2018年03月31日)

 

We’re GEM (CD+DVD) We’re GEM (CD+DVD)
1,288円
Amazon

 

 

 SUPER☆GiRLSの第三章は厳しかった。彼女たちだけでなくiDOL Street全体の雲行きが少しずつ怪しくなっていく。

 

 あとになって考えれば、それは2010年から拡大期にあったアイドル市場が、あるていどパイを広げてしまったあとの経年変化の一部のようにも見える。ただ、時とともにうつろう業界やグループの盛衰も、メンバーひとりひとりにとっては、大きな人生の岐路となる。

 

 2016年12月、田中美麗が体調不良から活動休止を発表する。月9などのテレビドラマに出演し、ファッション雑誌の専属モデルをつとめるなど、スパガの顔ともいえる一人だ。

 

 インタビューを読むと、個人仕事が減って悩んでいたところに、夏のイベントで熱中症になって倒れてしまい、その後も体調が悪くなることが増えて、コンディションを崩してしまった、と話している。(※1)

 

「個人仕事がなければ自分にはなんの取り柄もなくなってしまう」と彼女は悩む。「私はグループに必要な存在なんだろうか」

 

 同期の前島亜美は「アイドルらしさ」でSUPER☆GiRLSのフロントに立ち、溝手るかは「歌声」でグループを引っ張っていた。そして、後輩の渡邉幸愛はパフォーマンスが期待され、浅川梨奈がグラビアで注目されはじめていた。

 

 美麗という名にふさわしいビジュアルを持ち、お芝居もできる彼女にとって個人仕事は、『SUPER☆GiRLS』の存在をより多くの人に知ってもらうための活動でもあり、グループのために自分がより良くできることだった。揺れる思いのなかで、田中美麗は体調をくずし、一時グループを離れる。

 

 2017年3月に前島亜美が卒業したあと、4月には3期メンバーの木戸口桜子が体調不良を理由に活動を休止した。そのまま9月にグループからの卒業と芸能活動からの引退も発表される。同じく3期メンバーの尾澤ルナも12月に活動を休止し、2018年1月にグループから卒業して体調回復に専念すると発表された。(※2)

 

 木戸口桜子は2012年のアイドルオーディションに合格し、尾澤ルナは2013年のアイドルオーディションに合格している。ふたりはiDOL Streetの育成メンバーとなり、それぞれの地元、札幌や名古屋でストリート生としてアイドル活動をしている。木戸口桜子は2015年に上京し、東京のストリート生のリーダーとなり、イベントではMVPを獲得するなどの活躍を見せている。

 

 そして2016年6月に第三章メンバーとしてSUPER☆GiRLSに加入した。

 

 2017年、ふたりはグループを離れる。スパガでの活動は2年に満たなかった。

 

 アイドルの平均的な活動期間は5~6年だという話もある。SUPER☆GiRLSでの活動は短く見えるかもしれないが、ストリート生からの活動を考えれば、けっして短くはない。木戸口桜子は5年半、尾澤ルナも5年近く活動している。(※3)

 

 木戸口桜子の卒業時の年齢は17歳の高校3年生。尾澤ルナは15歳の中学3年生だった。とても若い。ただ、進学を含めた将来にたいする決断を求められる時期でもある。

 

 成長による心身の変化や、環境の変化。責任の自覚や、期待への戸惑い、進学を含めた将来への希望と不安。ただでさえ不安定な成長期にステージに立ちつづけることの大変さをあらためて感じる。

 

 既存のグループにあとから入るメンバーは、過去曲を覚えなくてはならない。物理的にも大変な作業だ。すでにある人間関係のなかに入っていく気苦労もある。だからこそ、運営スタッフのサポート体制や経験が必要なのだが……

 

 この時期は運営側の体制も揺らいでいた。

 

 iDOL Streetの責任者だった樋口プロデューサーが、全体の統括を離れ、やがてSUPER☆GiRLSの担当からも離れていたことが、あとから判明する。

 

 2016年から2017年にかけて行われたエイベックス全体の構造改革で、スタッフも大きく入れ変わったようだ。その結果、2017年4月以降、樋口氏はわーすたを担当するのみとなっていた。

 

 そして、2017年8月にはiDOL Streetのアイドル育成プロジェクトである「ストリート生」制度が終了する。(※4)

 

 ブログのなかで樋口氏は「──”新人育成”に関する根本的な見直しなど含めた総合的な経営判断もあり、ストリート生に関しては一旦終了という形をとることになりました」と記述している。

 

 しかし、この出来事からファンが受けとるシグナルは、「エイベックスがアイドルの育成をやめた」「新しいアイドルを自らつくる気がもうない」「グループに新加入がないのだとすれば、いずれは失われるのではないか」という未来にたいする不透明感だった。

 

 そんな雲行きの怪しさが、このあと現実の悲劇となる。

 

 2017年11月、GEMが事実上の活動停止となり、2018年になると、1月にGEMの解散、4月にCheeky Paradeの解散が発表された。

 

 

 ──「撤退戦Ⅰ『GEM』」につづく

 

 

(※1)(3ページ目)元SUPER☆GiRLS田中美麗が明かす卒業の真相「アイドルはあんまりオススメしないですね(笑)」 | 文春オンライン(2019/01/26)

 

(※2)スパガ木戸口桜子が卒業発表「全て私の宝物です」 | ORICON NEWS(2017-09-20)

 SUPER☆GiRLS・尾澤ルナ、グループ卒業と芸能活動休止を発表|E-TALENTBANK co.,ltd.(2018.1.31)

 

(※3)女子アイドル転換期 グループの顔が卒業する理由|エンタメ!|NIKKEI STYLE(2018/12/5)

「──アイドル界全体で見れば、卒業・解散の“適齢期”は意外と早い。18年卒業したアイドル130人の平均年齢は20.5歳。その分布を見ると、成人となる20歳をピークに、17~18歳の高校卒業、21~22歳の大学卒業といった“人生の節目”となる時期にグループを離れる選択をするケースが多いことが分かる。同様に活動期間は5年3カ月が平均。最も多いのは加入から6~7年だった

 

(※4)iDOL Street ストリート生 ファイナルライブ | iDOL Street スタッフオフィシャルブログ (2017-08-11)

 余談ながら、

 ストリート生の終了を告げる樋口氏のブログ(上記)内にこんな一文がある。

「──そして、ご家族、ご親戚皆様のご支援があってこそ、メンバーがこの活動に打ち込めたとおもいます。遅くなった時にお迎えに来ていただいたり、学校との両立や、様々なご理解ご協力本当にありがとうございました。…」

 ステージに立てばプロとして仕事をしなければならないアイドルではあるけれど、10代の成長期にある娘さんを預かっていることに変わりはない。それを自覚した気遣いを感じる。思い通りにいかないことは多いが、誠実にとりくむしかないのだ。

 

 

 2016年6月に「第三章」がはじまる。

 

 一期メンバーの勝田梨乃と荒井玲良が卒業し、三期メンバーとして、木戸口桜子、石橋蛍、尾澤ルナ、阿部夢梨、長尾しおりの5人が新加入した。石橋蛍以外の4人にはストリート生としての活動経験があった。グループは過去最大の14人体制となる。

 

 そして、第三章のリーダーは前島亜美になった。

 

「──もしもリーダーが変わることがあるのなら、私にやらせてくださいっていうことをお話しして」と、自分からの志願だったことを公言していた。(※1)

 

 それほど、強い思いをもって彼女はSUPER☆GiRLSの浮上に取り組もうとしていた。しかし、その思いは一年足らずで、挫折へと変わる。

 

 2017年3月、前島亜美はSUPER☆GiRLSからの卒業を告げる。(※2)

 

 彼女のブログを読んで、印象に残ったのは、「──スパガを好きなまま、卒業させてください」という一文だった。

 

 この時期、SUPER☆GiRLSをふくむiDOL Streetに大きな変動があったようだ。

 

 プロデューサーの樋口氏によれば、2016年のスパガ「第三章」がはじまる頃に、iDOL Streetの統括プロデューサーとして全体を見る役割ではなくなり、彼はスパガとわーすたの2つを担当するだけになった。この時点で、Cheeky ParadeとGEMは別の担当者となる。(※3)

 

 2017年になると、エイベックスという会社自体に大きな組織改編があった。マネジメント会社が統合されることで、人事も変わり、経営判断も変わった。アイストを立ち上げたときのスタッフは樋口氏しかいなくなった。その彼もスパガからは外れ、わーすたのみの担当となる。スパガ、チキパ、GEMはそれぞれ担当者が分かれ、採算も独立で見るようになった。

 

 「アイストというくくりで全体を見る人」はいなくなり、「採算をファミリーで見ることがなくなった」と樋口氏は話している。(※3)

 

 会社の企画によって生まれたアイドルグループである。会社の人事によって担当者が変われば、とうぜん、グループの方針も変わる。あるいは、会社のなかがゴタゴタしていれば、方針すらあいまいなまま迷走することになる。

 

 2017年3月5日の公式サイトには、前島亜美の卒業について、

 

「──かねてよりSUPER☆GiRLSとしてのグループ活動と、個人活動について話し合って参りました。その結果、4月以降のグループ活動と個人活動のバランスを考慮し…」卒業という結論に至ったとある。(※4)

 

 それがより、人々を不可解な気持ちにさせた。

 

 「もういちど武道館に立って、みんなで涙を流したい」と言っていた人が、そして自ら申し出てグループのリーダーに就任した人が、そんなことで辞めるだろうか。

 

 それまでの言動を信じるならば、彼女自身のグループと個人の優先順位ははっきりしている。むしろ迷走しているのは会社の人事や方針の方だ。

 

 3月5日に卒業を発表し、3月31日をもってグループ活動を終了というスケジュールも慌ただしい。5日の公式発表の時点では「卒業イベント」の場所や日時すら決められていない。

 

(のちに漏れ聞くところによれば、彼女が卒業の意向をスタッフに伝えたあと、しばらくのあいだ引き留めの説得を試みたようだ。他のメンバーにも彼女を翻意させられないかとアプローチしていた。そのためにぎりぎりのスケジュールになったのだろう。※5)

 

 なにが前島亜美に卒業を選ばせたのか、それはわからない。

 

 ただ、その強い思いと、彼女の周囲にある世界の歯車が、うまく噛み合わなくなって軋み、悲鳴をあげてしまったのだろう。

 

 2017年3月31日の卒業公演をもって、前島亜美はSUPER☆GiRLSを離れた。

 

 12歳でオーディションに合格し、絶対エースと呼ばれ、リーダーとなり、卒業したのは19歳だった。

 

 2017年の4月にリリースされた「スイート☆スマイル」は卒業した前島亜美に捧げられた曲である。担当した音楽プロデューサの橋元恵一はこう言っている。

 

「──スイートスマイルは前島に送りたくて、歌詞を変えた。笑顔で送り出したかった、笑顔でいようよって」(※3)

 

 歌詞は「散々なことがあったでしょう」とはじまり、「笑って、きみの笑顔が大好き」と語りかける。

 

 前島亜美は現在、声優、俳優、タレントとして活躍している。(※6)

 

 彼女はいまも、スパガを好きでいてくれているだろうか。

 

 

 ──「『叶わない願い事』 SUPER☆GiRLSにつづく離脱とストリート生の終了」につづく

 

 

(※1)なぜ!? スパガのリーダー前島亜美が卒業を電撃発表 | 芸能ニュースならザテレビジョン(2017/03/05) 

 

(※2)皆様へ | 前島亜美オフィシャルブログ (2017-03-05 )

 

(※3)@JAM アフタートーク 緊急討論会 2018.03.26 - YouTube

 

(※4)前島亜美に関する重要なお知らせ|NEWS|SUPER☆GiRLS(スパガ) Official Website(2017/03/05)

 

(※5)「あみたが卒業するって言ってるから、なんとか思いとどまらせてほしい、って使命を与えられてたんだけど、そんなん、無理じゃない、あのころは気が重かったよね…」と、あるメンバーがラジオで話していた。

 

(※6)2019年2月には声を担当する『バンドリ』のメンバーとして日本武道館にも立った。

昔から | 前島亜美オフィシャルブログ Powered by Ameba(2019-01-29 )

 

 

 

 2014年2月の新メンバーの加入以降を、SUPER☆GiRLSでは「第二章」としている。二代目リーダーはグループ最年長の志村理佳。エースは前島亜美だと見なされた。

 

 第二章になって初のシングル曲「花道!!ア~ンビシャス」では、前島亜美のセリフ「宣誓! わたしたちSUPER☆GiRLSは、清く正しく100%の笑顔で、アイドルの花道を突き進むことを誓います!」からはじまる。

 

 横一線にならんだときのメンバーの中心には、前島亜美と渡邉幸愛がいる。12人のグループなので、ダブルセンターという考え方もできる。MVでは宣誓時に前島亜美が一歩前に出たならびになっているが、踊りはじめるとダブルセンターのポジショニングが判然とする。

 

SUPER☆GiRLS / 「花道!!ア~ンビシャス」YouTube

 

 SUPER☆GiRLSのダンスはポジションチェンジも多く、歌割りもふくめてそれぞれのメンバーに見せ場が用意されている。そのイメージはモー娘。に近い。もともと、SUPER☆GiRLSをつくりあげたエイベックスはダンスミュージックによって身を立てた会社である。そのDNAは彼女たちの中にもある。

 

 第二章がはじまって3枚目のシングル「ギラギラRevolution」(2015年2月発売)のMVはダンスバージョンが公開されている。これを見ると彼女たちのフォーメーションダンスの面白さがわかる。

 

SUPER☆GiRLS / ギラギラRevolution (Dance ver.) - YouTube

 

 頻繁に移動をくりかえしながら、それぞれが見せ場でセンターポジションにやってくる。ダンスのキレもよく、サビではきれいなフォーメーションでダンスをシンクロさせて魅せる。

 

 初期メンバーは5年目、歌や踊りがはじめてだった者も経験を積んでいる。二期メンバーも浅川梨奈と内村莉彩はストリート生として訓練され、GEMのプレ・オープニングメンバーとして活動していた。そして渡邉幸愛はそのパフォーマンス力が買われて移籍してきたメンバーである。第二章になってまだ1年だが、グループ全体のパフォーマンスは充実していた。

 

 この時期には、深夜帯にSUPER☆GiRLSが出演するバラエティ番組『Girls TV!』やiDOL Streetの所属メンバーが出演する歌番組『あいどりゅ☆』(ともに関東ではTOKYO MX)が放送されている。

 

 田中美麗がファッション誌やテレビドラマに出演し、前島亜美も舞台やミュージカルに進出している。

 

 ローカル・ネットとはいえ、グループで出演する地上波のTV番組があり、メンバーはメジャーなドラマや舞台に出演している。活動は順調なようにも見える。

 

 ただ、2015年3月に後藤彩が卒業し、11人体制となった。グループ結成から4人目の離脱だった。

 

 ──「年始のライブで必ず卒業発表があるね」って言われちゃう。

 

 じっさいにはこの時期、SUPER☆GiRLSの内情には厳しいものがあったようだ。前島亜美はインタビューに応えて、切実な心情を語っている。(※1)

 

 メンバーが卒業するたびにグループの士気が下がってしまう。ひとり卒業するたびに一緒に去っていくファンもいて悲しい。「このままじゃダメだ!」と上げていくが、

 

「──本気で仕事だけを頑張りたい娘と、普通の女の子としても楽しみたい娘がいたりして、そこで意見がぶつかったりする…」

 

 それでも、なんとか乗り越えて、

 

「もう誰も辞めない状態でスパガを続けていきたい」「みんなで頑張ろう!」

 

 となるのだが、また卒業者が出てしまう。

 

 インタビューで話題になっているブログには、「──頑張れば頑張るほど空回りして…」「──去年、ダメだったから新メンバー入れます、ってなって…」とつづっている。(※2)

 

 新メンバーの加入がやはり、彼女たちを傷つけていたことがわかる。正直これは運営の不手際だと思う。長期的にグループをどのように展開させていくかというコンセンサスがメンバーとスタッフで共有されていなかったのだ。

 

 前島亜美は最年少の12歳からSUPER☆GiRLS一筋で活動してきた。そして絶対エースとよばれる存在になる。そんな女の子に、メンバーを新加入させるだけで、「自分じゃダメなんだ」と思わせてしまうようなやりかたは、いかにアイドル運営がはじめてのスタッフとはいえ、あまりにもお粗末すぎる。

 

 アイドルグループの場合、メンバーの離脱や加入があるたびに、すでにある楽曲の歌割りやダンスのフォーメーションをすべて見直さなくてはならない。別れの悲しみや、グループの形が変わることへの不安だけでなく、これまで体に染み込ませた動きを、また再プログラミングする物理的な負担も大きい。

 

 それでも、彼女たちはSUPER☆GiRLS「第二章」をより高みにもっていこうと前向きになる。ふたたび「──このメンバーで日本武道館に立つ」と目標をかかげている。

 

 前島亜美は、最初の武道館公演に満足していなかった。

 

「──スパガは2013年に武道館に立ってますけど、私的には『達成!』みたいな感じじゃなくって。180度のステージで、集客も一般的な満員にはできなかったし、『失敗だったね』って言われることもあったんです。だからリベンジしたい」

 

「──これからは『あみたにだったら任せられる』って思われるように、グループに必要な存在になれるように頑張っていくので、満員の日本武道館で一緒に『よかった!』ってうれし涙を流して下さい」

 

 このときのインタビューはそのように結ばれている。2015年7月の公開である。

 

 結果から先に言ってしまうと、これ以降、2019年の現在まで、SUPER☆GiRLSは二度目の日本武道館公演は行っていない。

 

 

 ──「SUPER☆GiRLS『第三章』 前島亜美のリーダー就任と突然の卒業」につづく

 

 

(※1)<連載 第11回>スパガ個別インタビュー:絶対的エースの覚悟と執念「“劣化した”とか言われてますけど」前島亜美の正念場 | Daily News | Billboard JAPAN(2015/07/10)

 

(※2)2015年06月13日のブログ|前島亜美オフィシャルブログ Powered by Ameba「私の本音」

 

 

 

 渡邉幸愛は1998年3月生まれ。小学三年生のころ、雑誌にのっていた広告モデルのオーディションを受け、地元仙台の芸能事務所『ステップワン』に所属することになる。

 

「──そこで、レッスンとかを受けているうちに楽しいってなって、いろんなステージに立ってみたいって思ってるうちに、いつの間にかアイドルになっていた感じです」(※1)

 

 彼女は事務所が運営していた、『REX』(レッキス)というグループで活動をはじめる。小学生の渡邉幸愛は地元の住宅展示場やショッピングモールなどでダンスや歌を披露していた。(※2)

 

 ちなみにREXには東京女子流の新井ひとみも所属していたが、渡邉幸愛とは活動時期がすれ違っている。

 

 その後、『B♭』(ビィフラット)というグループが結成され、中学生の渡邉幸愛がリーダーにもなる。

 

 2010年、渡邉幸愛は『avexアイドルオーディション2010』を受ける。しかし二次審査で落選した。

 

 彼女は地元で活動をつづけ、B♭のメンバーとして、アイストのストリート生やCheeky Paradeとも対バンライブを行っていた。(※3)

 

 2012年にB♭のメンバーから選抜されて『Party Rockets』を結成する。ここでもリーダーになった。8月にメジャーCDデビューし、11月に行われた「アイドル横丁祭 中学生うた姫決定戦」では優勝している。

 

 そして2013年、SUPER☆GiRLSの運営から移籍の打診があった。

 

「──当時、ストリート生で結成された『Cheeky Parade』と対バンすることが多くて、2013年の秋くらいにエイベックスの方から『スパガに入りませんか?』って声をかけていただいたんです。グループのこととかいろいろ悩んだけど、ラストチャンスのつもりでやってみようと」(※4)

 

 彼女は2013年11月にParty Rocketsを卒業。2014年2月のパシフィコ横浜でのサプライズ登場となった。

 

 期待と不安を抱き、より高く大きなステージを夢見て、SUPER☆GiRLSに飛び込んだ渡邉幸愛。しかし、予想以上の逆風にさらされることになる。

 

「──最初は本当にアウェーでした。しかも、ファンの人たちからも『スパガは永遠にオリジナルメンバーの12人』とか言われてしまうし…」(※4)

 

 握手会では、目の前をわざわざ通り過ぎて、握手をしてくれない人もいた。(※5)

 

 MV撮影では笑顔がつくれないこともあった。取材の最中に気持ちが不安定になり急に涙がこぼれた。(※6)

 

 彼女はいつも泣いていた。

 

 2014年8月(移籍から半年)の出来事として、こんなエピソードが残っている。

 

 ──『a-nation island「IDOL NATION NEXT」』にシークレットゲストとして参加したParty Rocketsは、自身らのステージが始まる直前、「SUPER☆GiRLSで頑張る渡邉幸愛ちゃんに」贈る曲として、「セツナソラ」を熱唱。客席で観ていた渡邉幸愛をはじめ、多くのパティロケファンが号泣する。(※6)

 

 渡邉幸愛「──あれはすごく嬉しかったです! 私は客席から観ていたんですけど、3人の成長した姿も観れたし、急にステージ上で『渡邉幸愛に届くように歌います』って言ってくれて……。本当にあたたかい、素晴らしいメンバーに恵まれたんだなって。(Party Rocketsの)3人の存在は今でも大きくて、移籍を悩んでいた時も『頑張っておいで』って言ってくれたりとか、本当に優しいメンバーで……。だから3人が頑張っている姿を見ると、『負けてられない!』っていい刺激をもらえるんです。私にとってすごく良い存在です」

 

 彼女がステージを降りなかったのは、応援してくれる人がいたからだ。その気持にこたえるためにも、渡邉幸愛はひたむきにパフォーマンスを重ねた。そしてメンバーやファンからの信頼を得ていく。

 

 渡邉幸愛が生まれた1998年は、モーニング娘。がメジャーデビューした年であり、宇多田ヒカルが登場した年でもある。日本の音楽CD売上が史上もっとも多かった年としても記録される。ここからCD売上は徐々に下降線をたどる。いっぽうライブ興行の売上は上昇を示し、音楽産業の構造変化がはじまる。

 

 2008年、渡邉幸愛が地元仙台の住宅展示場で踊りはじめたころ、AKB48が存在感をみせはじめ、Perfumeがブレイクする。

 

 AKB48はインディペンデントからのアイドルの盛り上がりを、Perfumeはローカルからの地道な活動をへてのブレイクがあり得ることを、人々に示した。

 

 さらにいえば90年代なかばの安室奈美恵とSPEEDの活躍が、ローカルでのタレントの育成とダンスの可能性を披露した。

 

 SUPER☆GiRLSがオーディションから結成された2010年は、「アイドル戦国時代」のはじまりとされる。それは、モーニング娘。がグループアイドルの新たな扉をひらき、AKB48が市場を開拓し、Perfumeが希望を与えることで、生まれた時代だった。

 

 渡邉幸愛はそんな時代の流れのなかで、ローカルアイドルとしてステージに上がり、SUPER☆GiRLSにたどり着いた。

 

 

 ──「SUPER☆GiRLS『第二章』 パフォーマンスの充実とメンバーの苦悩」につづく

 

 

(※1) SUPER☆GiRLS「スパガ☆Times #39 ~渡邉幸愛P定期公演~」 - YouTube(11:31 アイドルになるきっかけ)

 

(※2)* 我の歴史 * | 渡邉幸愛(SUPER☆GiRLS)オフィシャルブログ Powered by Ameba

 

(※3)プロデューサーメッセージ/2014.02.23 | iDOL Street スタッフオフィシャルブログ Powered by Ameba

 

(※4)史上初のW表紙! 浅川梨奈&渡邉幸愛の野望「スパガのメンバー全員をいつかは脱がしたい!」 (2017年6月12日) - エキサイトニュース(2/4)

 

(※5)▶︎5周年ありがとう | 渡邉幸愛(SUPER☆GiRLS)オフィシャルブログ Powered by Ameba

 

(※6)<連載 第3回>スパガ個別インタビュー:まるでFA移籍? 昨年新加入の渡邉幸愛が鳴らす5年目の警鐘 | Daily News | Billboard JAPAN(2015/04/17)