2014年2月、SUPER☆GiRLSはパシフィコ横浜での公演をもって、初代リーダーだった八坂沙織が卒業する。先に卒業したメンバーをあわせて3人がグループを離れ、一期メンバーは9人となった。

 

 八坂沙織の卒業は前年の12月に発表された。そのときに浅川梨奈(当時14歳)と内村莉彩(当時13歳)の新加入も発表されていた。

 

 ただ、このパシフィコ横浜では、もう一人、新メンバーが発表される。それが渡邉幸愛(当時15歳)である。このサプライズ加入が物議をかもすことになる。

 

 渡邉幸愛はもともと『Party Rockets(パーティロケッツ)』というアイドルグループでリーダーを努めていた。仙台ローカルを中心に活動していたものの、メジャーレーベルからCDデビューしており、エリック・マーティンによる楽曲提供や、アイドル・フェスでの活躍もあって、知られた存在だった。

 

 そんな別グループのエースを引き抜くようなかたちで移籍させたのだ。話題にはなるだろうが、反発も予想される。そもそも、そんなやり方は許されるのだろうか?

 

 統括プロデューサーだった樋口氏はこう言っている。(※1)

 

「──当時、彼女が所属していたステップワンの佐藤社長とお会いする機会をいただいて、移籍をお願いしたんですよ。(…)ロードマップを見せてスパガには彼女が必要なんだとお願いしてみたら、『良いと思いますよ』って。『彼女の将来のためになるんだったら良いです』って、本当に愛されているんですよね。(…)今度はレーベルの方にお願いしに行ったら、色々と紆余曲折はありましたけど最後はやっぱり『彼女のためになるんだったら良いですよ』と仰るんですよ。(…)彼女も相当悩んだと思いますが、スパガへの加入を決めてくれて。本当に円満に移籍することになったんです」

 

 じつは、渡邉幸愛はSUPER☆GiRLSを誕生させた『avex アイドルオーディション2010』を受けていた。しかし二次審査で落選。彼女によれば「緊張で歌詞がとんでしまい、うまく歌えなかった」そうだ。

 

 その後、もともと仙台ローカルで活動していたアイドルグループから選抜されるかたちで、2012年にParty Rocketsが結成され、8月にメジャーデビューした。(※2)

 

 Party Rocketsでの渡邉幸愛の活躍を見た樋口プロデューサーは、彼女がSUPER☆GiRLSのオーディションを受けていたことを知り、白羽の矢を立てる。彼女もスパガへの加入を決断した。

 

 そうはいっても、別のグループのエースである。スパガのメンバーもどういう態度をとればいいかわからず、ファンも戸惑ったことだろう。そもそもSUPER☆GiRLSは新メンバーを受け入れること自体がはじめての経験だった。

 

 浅川梨奈は、はじめて同期として加入する渡邉幸愛を紹介されたとき、「え、だれ?」と思ったという。(※3)

 

 スタッフから一期のメンバーには、「今のスパガに足りない、パフォーマンス力を持っている子です」と渡邉幸愛の加入を説明された。(※4)

 

 これを聞いた、メンバーはどう思っただろう。スタッフはメンバーを鼓舞したかったのだろうけれど、自分たちでは不足なのか、と反感を抱きかねない。歳も近く、スパガの歌姫とされていた溝手るかは、「勝手にライバル視してました」と後年ブログに書いている。

 

 加入する渡邉幸愛のほうも、完成されたグループにあとから入ることの厳しさを強く感じることになる。彼女は後輩のストリート生ではないどころか、リーダーまでつとめたグループを捨てるようにして現れた。純粋さが好きなアイドルファンであれば、アンチの視線をもってもおかしくはない。

 

 じっさい彼女への逆風は思った以上だった。見ようとしなくても入ってくる批判。グループの握手会などでは、彼女だけ握手をせずに通り過ぎる人もいた。

 

「──胸がぎゅっと締め付けられる毎日で、なんて冷たい場所なんだろうって思ってた」(※5)

 

 別のブログにはこんな事も書いている。

 

「──はじまりのパシフィコ横浜でのステージは今でも鮮明に覚えてる! 緊張したし、不安に押しつぶされそうで、けどこれからが楽しみで、…」

 

 だが、厳しい逆風にあう。

 

「──メンバーにもファンの皆さんにも受け入れられていないことを肌で感じたし、馴染めてないことも自分でわかった。けど、幼かったし、経験も少ない私は、どうすることもできなくて、ほんとに毎日が苦しかったです」(※6)

 

 ミュージックビデオの撮影では「笑顔がつくれない」と泣きだし、取材などでも気持ちが不安定になって涙を流した。(※7)

 

 オープニングメンバーであり四代目リーダーを努めた溝手るかは、配信番組に出演したさい、SUPER☆GiRLSの結成当初には「卒業と加入をくりかえすグループだとは聞いていなかった」と話している。(※8)

 

 2010年の結成から2014年の二期加入まで、毎年のように卒業者が出ている。どこかの時点で運営として、12人前後のグループ規模を維持するには新メンバー加入が必要だと考えたのだろう。

 

(モーニング娘。をモデルとしているなら当初からその可能性は折り込み済みだったかもしれない。ただ、メンバーのモチベーションを考えるなら、はじめからそうは言わないだろう)

 

 他のグループからエースを移籍加入させるという施策は大胆で、離れて見ているぶんには、とても興味深い。しかし、あまりにも準備ができていなかった。

 

 二期の3人には、既存の曲のダンスも、ただ映像をわたされて、覚えておくようにと指示されただけだった。彼女たちは数十におよぶ楽曲を、自主練で覚えるしかなかった。

 

 すでに出来上がったグループに加入する大変さは、元モーニング娘。の矢口真里も話していた。

 

 とくに二期生は、メンバーにもスタッフにも、はじめての経験でノウハウがない。モーニング娘。は人数や年齢差で、あまり前例のないグループアイドルだった。彼女も一期と二期が打ち解けるまで、2年くらいかかったという。(※8)

 

 AKB48も一期(チームA)と二期(チームK)の間で軋轢があった。

 

 一期の前田敦子は、始まってたった三ヶ月で新しい子たちを入れると聞いて、「えっ? 私たちじゃダメなの」と感じ、悲しい気持ちになったといい。二期は「チームAを追い越せ」「チームAがいるからおまえたちはいらないんだ」と発破をかけられて、ライバル心を燃やすことになる。(※9)

 

 AKB48の一期と二期のライバル関係は、それぞれのファンの間での対立やトラブルまで生みだした。劇場ではコールの声の大きさを競い合い、メンバーとのハイタッチのときは二期のファンが、一期のメンバーのまえを素通りした。

 

 その対立が解消されはじめるのは、2007年7月の一期二期合同のシャッフル公演「ひまわり組」のころだといわれる。やはり二年近くを要している。一期には前田敦子がいて、二期には大島優子がいた。ふたりのライバル関係はこのあと「選抜総選挙」に持ち込まれていく。

 

 SUPER☆GiRLSの二期生、渡邉幸愛、浅川梨奈、内村莉彩も、先輩との距離感がつかめず、いつも3人で固まっていたという。しかし、この3人もまたそれぞれに個性が違い、ほんとうに馴染むまではずいぶん時間がかかったようだ。

 

 歌とダンスが好きで、小学校の三年生のころからアイドルのステージに立っていた渡邉幸愛。AKB48の高橋みなみにあこがれ、スパガの田中美麗を発見して、彼女に近づきたい一心でオーディションを受けたというオタク気質の浅川梨奈。本を読むことが好きで、どちらかといえばクールな印象の内村莉彩。

 

 おそらく同じクラスにいても仲良くはならないような子たちが、メンバーとして集まり、絆を深めていく。

 

 

 ──「渡邉幸愛はどこからきたのか」につづく

 

 

(※1)統括プロデューサー 樋口竜雄氏再び! アイストを語り尽くす!! | Special | Billboard JAPAN

 

(※2)Party Rockets GT - Wikipedia

 

(※3) 1月13日OA「SUPER☆GiRLSのスーパーラジオ!」ハイライト - YouTube 「え、だれ?」

 

(※4)大好きなメンバー | 溝手るか(SUPER☆GiRLS)オフィシャルブログ 「がんばるかっ」 Powered by Ameba(2019-01-11)

「──スタッフさんから幸愛の加入を知らされたとき、

『今のスパガに足りない、パフォーマンス力を持っている子です』

って紹介されたもんだから、加入当初、実は勝手にライバル視してました。笑

なんでもできる幸愛が羨ましくて、自分の実力不足が悔しかったんだよね。幸愛にはたくさん刺激をもらいました。…」

 

(※5)▶︎5周年ありがとう | 渡邉幸愛(SUPER☆GiRLS)オフィシャルブログ Powered by Ameba(2019-02-23)

 

(※6)▶︎4周年 | 渡邉幸愛(SUPER☆GiRLS)オフィシャルブログ Powered by Ameba(2018-02-23)

 

(※7)<連載 第3回>スパガ個別インタビュー:まるでFA移籍? 昨年新加入の渡邉幸愛が鳴らす5年目の警鐘 | Daily News | Billboard JAPAN

 

(※8)『矢口真里の火曜The NIGHT #133 ~卒業するからこそ言えるこれからのスパガ』AbemaTV(2018年12月12日)

 

(※9)『AKB48ヒストリー』p23

 本ブログ参考:成長する『AKB48』 前田敦子は14歳だった 

 

 

 

 

 

 2011年、年末の『日本レコード大賞』でSUPER☆GiRLSは新人賞を受賞している(最優秀はフェアリーズだった)。それに先立つ、10月には三枚目のシングル「女子力←パラダイス」でオリコン週間ランキング2位を獲得している。(※1)

 

 そして、2012年2月には日本青年館でのリベンジ公演を成功させた。(※2)

 

 記事には「──当時(2011年1月)は約500名の申し込みであった日本青年館がこの1年でなんと9倍の4,500枚の申し込みとなり、一般発売開始から1分で即完となった」とある。

 

 この公演で、メンバーの志村理佳は「初めのa-nationの握手会の時はお客さんが5人でしたが、今ではこんなにたくさんの方に支えられて本当に嬉しいです」と話している。

 

 恵まれているように見えた彼女たちの船出も、けっして順調なものではなかった。のちにメンバーが語ったところによれば、レコード大賞の新人賞で、ようやく一般的な認知が広がったと感じられたようだ。

 

 しかし、この公演ではすでに、一人の卒業者を出している。

 

 エイベックスはSUPER☆GiRLSのCDデビューに合わせて、「iDOL Street」というレーベルを立ち上げた。アイドル専門のレーベルであり、このレーベルのもとに「ストリート生」という若手を育成するためのプロジェクトもはじめる。

 

 ストリート生は当初、SUPER☆GiRLSを生んだ『アイドルオーディション2010』の落選者のなかからピックアップされた。その後、2012年と2013年にも『avex アイドルオーディション』が行われ、その合格者がストリート生としてiDOL Streetに所属することになる。(※3)

 

 このプロジェクトから、2012年2月には『Cheeky Parade(チーキーパレード)』が結成され、12月には『GEM(ジェム)』の結成が発表される。

 

 Cheeky Paradeのメジャーデビューは2013年1月。結成から一年近くは、インディーズCDの売上枚数やライブの観客動員にハードルを設けて、デビューまでの試練を演出している。(※4)

 

 GEMの場合は、スターティングメンバーとして11名がストリート生から選抜され、卒業や加入などで人数が変動しながら、2013年6月の日本武道館公演のなかで正式メンバー10名が発表された。そして2014年1月にメジャーデビューを果たしている。

 

 どちらも、結成からメジャーCDデビューまで一年近く時間をかけ、試練を演出している。運営の側も「物語」が必要なことはじゅうぶんに承知していた。

 

 iDOL Streetの統括プロデューサーとなった樋口氏の頭にあったのは、やはりハロプロだろう。

 

 モーニング娘。を筆頭に、いくつものグループを抱えるハロー!プロジェクトは、研修生として若手を育成し、既存グループに人材を供給しながら、Berryz工房や℃-uteなどの新グループも立ち上げる。それぞれにライブやメディアで活動し、ファミリーでも大きなイベントを行う。ハロプロは、モーニング娘。を中心とした護送船団方式になっている。

 

 SUPER☆GiRLSは、2013年6月に初の日本武道館公演を行なっている。このイベントのタイトルが『SUPER☆GiRLS 生誕3周年記念SP アイドルストリートカーニバル 日本武道館 ~超絶少女たちの挑戦2013~』となっている。

 

 iDOL Street全体として、「アイストカーニバル」というイベントを打ち、大きな公演を乗り越えようとしている。GEMの正式メンバーが発表されたのが、このイベントだった。

 

(このときGEMの暫定メンバーとして活動しながら、正式メンバーに採用されなかったのが、のちにSUPER☆GiRLSの二期メンバーとして加入する浅川梨奈と内村莉彩であり、わーすたの坂元葉月だった。そして正式なGEMのリーダーに就任したのが金澤有希である)

 

 

 ──「『新メンバーのサプライズ!』 SUPER☆GiRLS 3度目の卒業とはじめての加入」につづく

 

 

(※1)SUPER☆GiRLS、一度は公演中止となった日本青年館のステージへ | BARKS

 

(※2)SUPER☆GiRLS 日本青年館メモリアル公演で1年前のリベンジ達成 - ライブドアニュース

 

(※3)avex dream 2000 - Wikipedia

「アイドルオーディション2010・2012・2013」

 

(※4)メジャーデビューへの試練 会場埋まらずチキパ「悔しい」 - ライブドアニュース

 

 

 

 2009年12月に『avex アイドルオーディション 2010』の開催が発表される。一般公募による大規模なオーディションで、エイベックス初のアイドルグループを結成すると宣伝された。(※1)

 

 エイベックスが、はじめてアイドルグループをつくるという話は、とくにアイドルや音楽に詳しくない僕の耳にもとどいていた。

 

 オーディションのようすは新しくできたネットの放送局でやるとの情報もどこかで知った。携帯電話会社が放送局のようなことをやってうまくいくのかと興味はもっていた。AKB48の流行りに乗って、視聴者を獲得できる番組を開発したいのだろうとも感じた。

 

 オーディションの模様や経過は「BeeTV」によって配信された。(※2)

 

 ちょうどTwitterやUstreamが一般に普及しはじめた頃で、インターネットを使った放送や配信が模索されはじめた時代だった。BeeTVはエイベックスとNTTドコモの共同出資で2009年の5月に開局している。(その後、2015年にdTVに移行したようだ)

 

 AKB48がはじめて登場したテレビCMは、2006年のNTTドコモのテレビ電話機能のキャンペーンCMだった。メンバーと話せるイベントや、2期メンバーのオーディションではテレビ電話をつかった審査もあった。(※2)

 

 メディアの新機能の実験媒体として、アイドルは相性が良いのだろう。

 

 オーディションは半年をかけておこなわれ、6月12日の最終審査で12名が選ばれる。彼女たちは『SUPER☆GiRLS』と名づけられた。(※1)

 

 エイベックス初のアイドルグループ『SUPER☆GiRLS』を企画し、プロデュースすることになったのは、エイベックス内のひとりの社員だった。彼はこんなことを言っている。

 

「──僕は最初からあややファンだと明かして今の会社に入りましたし、そのファンサイトを構築、運営の仕方をまとめた仕様書を用意してプレゼンして入社したんですよ。そこから5年くらい経って、ようやくアイドルをやろうってタイミングがやってきて。協力的な上司や役員がいっぱいいたから、タイアップとか色んなものが成立したんです…」(※4)

 

 SUPER☆GiRLSのプロデューサー樋口竜雄は、かつてハロー!プロジェクトの現場に通っていた松浦亜弥オタクだった。レコード会社に就職し、プロデューサーとなった彼は、新グループの人数や年齢構成などについて、モーニング娘。を参考にしたと話している。

 

「──2009年の秋くらいに、社長と副社長へのプレゼンを経て、メンバー決定直前の2010年の5月、4~50人いる会議で『こんなグループになります』というプレゼンしたんですよ。当時、僕はBeeTVを担当していたので、オーディションの経過などを番組にしてファンの方に見せながらグループを作りたいと。そこで『ゼロから生み出す、育てるアイドル』っていうキーワードを作って、人数感を説明するためにモーニング娘。さんの黄金期を題材にしたシルエットを12人分並べた資料を作ったんですよ。当時、シドニーオリンピック中継のテーマソングに『I WISH』が起用されていた彼女たちを見せながら、これがベストだと。上が20歳くらいで下は中学生というレンジで、中学生は4人まで。高校生は主力なので5人、そしてお姉さんが2~3人くらい…」(※4-p2)

 

 SUPER☆GiRLSは、AKB48が押し広げた市場に、モーニング娘。をモデルとして誕生した。

 

 樋口プロデューサーは結成日のあいさつで、「──とにかく、2010年、アイドル戦国時代と言われていますが、このグループは本気で10年後まで頑張り続けるグループにします」と言った。(※1)

 

 しかし、当初は集客などで苦戦したようだ。2010年12月に予定されていた大阪のライブや、2011年1月の東京・日本青年館でのコンサートが集客不足で中止になっている。(※5)

 

 結成から半年では日本青年館の座席(1360席)を埋められなかった。

 

 モーニング娘。はテレビがつくった最後のアイドルグループともいわれる。彼女たちはボーカリスト・オーディションの落ちこぼれ組で結成された。

 

 レコードデビューには高いハードルが設けられ、その努力や奮闘がドキュメント・バラエティーとして放送されることで、共感や認知がすすみファンを増やしていった。東京ローカルの番組とはいえ、その影響力は大きかった。

 

 AKB48は秋葉原の劇場定員250人を満員にするのに2ヶ月かかった。

 

 当初、彼女たちはレコード会社も芸能事務所も関与せず、インディーズとして活動していた。ただ、結成まもなくNTTドコモのCMタイアップやTVドラマのエンディングテーマとして採用されている。メンバーの認知までにはいたらないものの、AKB48という存在や「桜の花びらたち」という楽曲は多くの人々にとどいた。(※6)

 

 乃木坂46は結成後、2ヶ月たらずで冠番組の『乃木坂って、どこ?』がはじまっている。(収録やオフラインを考えれば結成前から動いている)

 

 Perfumeだってブレイクのきっかけは環境キャンペーンのテレビCMだった。

 

 それぞれに人気者になるために費やした時間や環境はちがうけれども、やはりメディアは重要だ。

 

 2010年はTwitterなどのSNSがようやく一般に普及しはじめたころである。オーディションの過程を公開するとはいっても、ネット配信や有料放送だけでは、なかなか広く遠くまではとどかない。

 

 もうひとつ感じることは、SUPER☆GiRLSが「エリート」に見えてしまったのではないか、ということだ。

 

 あのエイベックスが約7000名の応募者から選んだ12名で、容姿端麗でスタイルもよく、衣装をつけた彼女たちはとてもきらびやかだった。遠くから一見するだけでは、モデルさんが集まっているように感じられた。

 

 エリートは共感されにくい。

 

 モーニング娘。はオーディションの「落ちこぼれ」を集めて結成された。

 

 初期のAKB48には、モー娘。にあこがれながら、ハロプロや他のオーディションに落ちたり、二の足を踏んでいた子たちが集まってきた。秋元康は彼女たちを『がんばれ!ベアーズ』に例えている。(※7)

 

 アイドルに向けられるまなざしは「あこがれ」と「共感」だ。「あこがれ」はパフォーマンスやファッションでつくれる。しかし「共感」には物語が必要だった。物語には時間がかかる。そしてメディアがなければ伝わらない。

 

 人はエリートが順調に出世するお話になど興味がない。落ちこぼれが、困難に直面しながらも、自分を信じて努力し、仲間と助けあい、夢を追う姿に感動する。たとえその夢がつかめなかったとしても。

 

 SUPER☆GiRLSにもひとり、ハロプロの嗣永桃子にあこがれ、アイドルの世界に入ってきたメンバーがいた。前島亜美、彼女はオーディションに最年少の12歳で合格し、のちにSUPER☆GiRLSの絶対エースと呼ばれるようになる。しかし……

 

 

 ──「SUPER☆GiRLSの成長とiDOL Street(アイドルストリート)」につづく

 

 

(※1)「AKB48超えたい」、avexから誕生のSUPER☆GiRLS | BARKS

 

(※2)avex アイドルオーディション2010 #1ダイジェスト - YouTube(2010/03/25)

 

(※3)『AKB48ヒストリー』p23

 

(※4)iDOL Street 樋口竜雄×編集長 平賀哲雄 スペシャル対談 | Special | Billboard JAPAN

 

(※5)SUPER☆GiRLS、なんばHatch&日本青年館公演が中止に - 音楽ナタリー

 

(※6)本ブログ参照:起業としての『AKB48』【2】 CMとインディーズ・デビュー

 

(※7)『QuickJapan vol.87』秋元康インタビュー p74

 

 

 

 

 2010年代の前半は、PerfumeのブレイクとAKB48の成功によってもたらされたアイドル市場の拡大期だった。

 

 AKB48グループは、名古屋のSKE48、大阪のNMB48、福岡のHKT48、新潟のNGT48、瀬戸内7県を船でめぐるSTU48と、フランチャイズのように地方に拠点をつくり規模を拡大していく。

 

(気がつけは海外展開も、ジャカルタ、バンコク、マニラ、上海、台北、サイゴン、チェンマイと広がっている。インドでの計画もあるようだ。※1)

 

 老舗となったモーニング娘。はライブ活動を中心にプラチナ期と呼ばれるスキルの向上を果たした。しかし、マスメディアへの出演の機会は減っていた。危機感をもった道重さゆみがテレビのバラエティー番組に打って出て、再びグループへの注目度を上げる。

 

 道重さゆみが卒業したのは2014年11月。芸能活動の無期限休止としていたが、2017年3月に復帰し、ソロでのアーティスト活動を再開した。(※2)

 

 ハロー!プロジェクトの堅実な育成からは、Berryz工房、℃-ute、スマイレージ(現アンジュルム)など、後輩グループもつぎつぎと現れ、活躍していた。

 

 Berryz工房は2004年に結成され、2015年に無期限活動停止。メンバーだった「ももち」こと嗣永桃子は、2015年からカントリー・ガールズに加入し、プレイングマネージャーとなる。テレビなどのメディアでも活躍するが、2017年6月にアイドルを卒業し、芸能界からも引退した。彼女は大学で教員免許を取得しており、幼児教育の道へと進んだ。(※3)

 

 ℃-uteは2005年に結成され、2017年6月に解散した。アイドルグループが解散したあと、メンバーがソロ歌手として活動をつづけるのは難しいとされるが、鈴木愛理は2018年7月にひとりで武道館公演を成功させている。

 

 スマイレージは2009年に結成。「アイドル戦国時代」の幕開けともされる2010年5月のNHK『MUSIC JAPAN・女性アイドル大特集!』にモーニング娘。と共に出演している。(※4)

 

 メンバーの加入や脱退がたびたびあり、2014年に『アンジュルム』と改名した。

 

 2018年4月にスマイレージ結成時からのリーダー、和田彩花がグループからの卒業を発表した。彼女はハロー!プロジェクトのリーダーでもあった。

 

 彼女が卒業を告げたブログは、「いつまでもみんなと夢を追いかけることはできないのだろうか?」とはじまる。(※5)

 

「──しかし、1年でメンバーが変わっていくスピードにそんな思いも徐々に崩れ始めました。グループは続いていくのですが、上を目指すことよりもグループを維持することに専念する自分がいました。…」

 

 「アイドル戦国時代」と言われた10年を、変化の大きかったグループのリーダとして和田彩花は生き抜いた。そんな彼女の卒業は時代の変化の象徴のようにも感じられた。

 

 だが、和田彩花はつづけて書いている。

 

「──私はステージに立ち続けたいです。

30代になったとき1人でステージで歌って踊っていることが次の目標です。様々な表現をやっていきたいです。そうなれるよう、20代を過ごそうと考えました。

そして、できればアイドルで居たいのです。…」

 

 彼女は一年をかけて準備をし、2019年6月の日本武道館コンサートをもってアンジュルムとハロプロから卒業した。

 

 最後の挨拶では「──アイドルの解釈の幅を広げるために、またステージに戻ってくることが次の夢であり、次のやりたいこと…」だと話した。このとき彼女は24歳だった。(※6)

 

 グループのあり方、アイドルという存在に、自覚的で、考えつづける和田彩花の夢を、いつかまた見てみたいと思った。

 

 

 2010年5月の『MJ・女性アイドル大特集!』では、早見あかりが「──私たち、ももいろクローバーが狙うのは、アイドル戦国時代で天下を取ることです」と宣言した。(※4)

 

 その宣言通り、ももいろクローバーZはブレイクを果たし、私立恵比寿中学の活躍もあって、所属するスターダストプロモーション内に、多くの妹分的なアイドルグループが生みだされた。

 

 でんぱ組.incの成功は、インディペンデントでもじゅうぶんに戦えることを示し、秋葉原カルチャーをこえて、アイドル界に「電波系」とよばれる多くのフォロワーを生んだ。

 

 このような2010年以降のアイドル市場拡大期に、大手レコード会社が一般からのオーディションを行い、自らの手でつくりあげたアイドルグループが2つある。

 

 ソニー・ミュージックエンタテインメントの『乃木坂46』と、エイベックスの『SUPER☆GiRLS』だ。

 

 多くのアイドルグループは芸能事務所の企画によって生みだされている。はじめからレコード会社と協力していることもあるが、近年は多くの場合、インディーズで楽曲を発表し、見込みがあればレコード会社が契約する。AKB48もももクロもはじめはインディーズだった。

 

 ちなみにアイドルネッサンスを企画運営していたソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)は、ミュージシャンやタレントのマネジメント業務を主とする会社で、彼女たちのレコードレーベルはソニーではなく、T-Palette Records(タワーレコードの所有するレコードレーベル)だった。

 

 エイベックスの東京女子流についても、自社アカデミーのレッスン生からピックアップし、日本のアイドルとは別のモデル(東方神起など)を参考にして誕生している。

 

 AKB48の成功をうけて、それぞれの事業体が「うちでも新しいアイドルグループを」と考えたとき、ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)が選んだのは秋元康ともういちど手を組むことだった。(※7)

 

 もともとAKB48が最初に契約したレコードレーベルはSME傘下のデフスターレコーズだった。しかしデフスターから移籍したあとにAKB48はブレイクした。デフスターは「逃した魚たち」というミュージックビデオ集のDVDまでつくっている。

 

 そのような経緯もあり、ソニーミュージックの担当者が一年弱もの間、秋元氏のところに通いつづけ、企画を練り上げて誕生したのが『乃木坂46』だった。2011年8月のことだ。

 

 その後、2015年に『欅坂46』が生まれ、そのアンダー的な位置づけだった『けやき坂46(ひらがなけやき)』が、2019年に改名し『日向坂46』として正式にデビューした。「坂道シリーズ」はメンバー数も観客動員数も規模を増しつづけている。

 

 エイベックスもまた、2010年から新しいアイドルグループを創設するために動きだしていた。ただ、彼らがモデルにしたのはAKB48ではなく、モーニング娘。を軸とする『ハロー!プロジェクト』だった。

 

 

 ──「『SUPER☆GiRLS』の誕生」につづく

 

 

(※1)AKB48グループ - Wikipedia

 

(※2)道重さゆみ - Wikipedia

 

(※3)嗣永桃子 - Wikipedia

 

(※4)総勢59人!「MJ」収録に人気女性アイドル7組が集結 - 音楽ナタリー

 参考:本ブログ「アイドルとアーティストのはざまで【1】東京女子流

 

(※5)皆さまへ | 和田彩花オフィシャルブログ「あや著」Powered by Ameba(2018-04-05)

 

(※6)アンジュルム・和田彩花、ハロプロリーダー卒業で決意「またステージに戻ってくることが次の夢」 | ORICON NEWS

 

(※7)乃木坂46、女性アイドルの頂点に立った必然 | テレビ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

 

 

 

 

 AKB48のブレイクが確かなものとなった2010年ころから、アイドルグループの創設があいつぎ、活性化して「アイドル戦国時代」と呼ばれるようになる。

 

 その時代をつくりあげた、AKB48グループや坂道シリーズ、ももいろクローバーZ、でんぱ組.incといったグループから、つぎつぎと「顔」となるようなメンバーが卒業していった。

 

 さらに2018年は「アイドル戦国時代」を戦ったグループそのものの解散も多く見られた。

 

 まず、2月に『アイドルネッサンス』が解散した。

 

 SMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)が2014年に立ち上げたアイドルグループで、当初は「名曲ルネッサンス」をコンセプトとして、Base Ball Bear の「17才」やユニコーンの「雪が降る町」など過去の名曲をカバーしていた。

 

 選曲やビジュアルから、十代の少女が持つ溌剌さやセンチメンタルさが表現され、歌唱には清涼感があった。彼女たちの歌う「若者のすべて」には泣けた。

 

 2017年からオリジナルの楽曲にも取りくみ、小出祐介の提供した「前髪」はアイドルネッサンスにふさわしい名曲だった。

 

 TIF2017(東京アイドルフェスティバル)では、最終日のスマイルガーデンのトリをつとめた。あの東京女子流の復帰ステージの直後の出演だ。

 

 東京女子流の盛り上がりを受けたあと、アイドルネッサンスは会場が静まるのをまって、アカペラで歌唱をはじめた。その歌声は夏の夜の涼風のようでとても心地よかった。そのステージで歌われた「前髪」は胸にしみた。

 

 彼女たちの東京アイドルフェスティバル出演はそれが最後となった。

 

(そのときの映像が公式に残されている。「~あの夏の夜がずっと~【TIF2017】 YouTube」 ※冒頭、ステージ裏の風景では背後に東京女子流の「深海」の歌唱と歓声が聞こえていて感慨深い)

 

 解散後、メンバーだった南端まいなと原田珠々華はソロで活動をはじめ、石野理子はロックバンド『赤い公園』にボーカリストとして加入している。

 

 

 5月には『PASSPO☆』が解散を発表した。

 

 2009年に結成され、2011年のメジャーデビューシングル「少女飛行」をオリコン初登場一位に押し込んで、女性グループ初という記録をつくった。(※1)

 

 吉田豪によれば、事前にリリースイベントなどを多くくりかえし、予約注文を積み上げて、オリコンの初登場時の順位を上げるという手法を徹底した成果だという。(※2)

 

(この手法はプロモーションの担当者が、ももクロの担当時に開発し、PASSPO☆で結実させたとも話している)

 

 振りつけを担当した竹中夏海によれば、それだけでなく、2011年の東日本大震災によって、メジャーなアーティストのCDリリースの予定が混乱したことも影響しているという。

 

 もちろん「少女飛行」という楽曲の魅力もある。彼女たちをフライト・アテンダントに見立てたコンセプトもしっかりしていたし、ガールズロックの元気の良さと明るさがPASSPO☆の持ち味となっていた。

 

 2014年ころからは歌とダンスだけでなく、メンバーそれぞれが楽器を担当し、バンド演奏もしていた。ライブによっては、ダンス&ボーカルを披露した直後に、楽器を演奏し、またダンス&ボーカルに戻るといったユニークな試みもしていたようだ。(※3)

 

 紆余曲折はあったが、「おばあちゃんになってもPASSPO☆をつづける」と言っていただけに、解散発表は意外だった。発表までは何度もメンバーで話し合い、どうにかしてつづけていく方法はないかと模索したようだ。しかし最終的に選んだのは解散だった。

 

 前出の竹中夏海は、「──解散を発表した時の文面にも書いてあったと思うんですけど、PASSPO☆はもう残った7人が……最初は10人いて、最初に1人抜けて、その後に2人抜けてってなった時、残った7人っていうオリジナルメンバーでやってきて、『もうこの7人の誰かが抜けたら解散だよね』って…」と話している。

 

 ダンス&ボーカルとバンド体制の強化という、グループとしての高度な洗練は、誰かが抜ければ代えがきかない状況をつくりだしてもいた。

 

「歌って踊れて奏でる」という最後の3年ぐらいのスタイルはもっと全然評価されてもいいくらいスゴイことをしていた。そう言って、竹中夏海と吉田豪のふたりは「もったいない」とつぶやいた。

 

 

 7月には『ベイビーレイズJapan』の解散が発表された。

 

 2012年に結成された5人組で、2014年には武道館公演も行っている。2013年のNHK朝ドラ『あまちゃん』内でのアイドルユニット曲「暦の上ではディセンバー」の歌唱も担当していた。

 

 2015年にリリースした「夜明けBrand New Days」は、この時期のアイドル界を代表する一曲だ。メインボーカルの林愛夏の歌唱力がきわだち、フェスでこの曲がかかると大変に盛り上がっていた。彼女は子役時代に劇団四季のミュージカル『ライオンキング』に出演していたという。

 

 メンバーそれぞれが個性的で、2017年から2018年にかけて、テレビ東京の日曜深夜(2019年現在「日向坂で会いましょう」の枠)にバラエティー番組を放送していた。同じ事務所の同僚「9nine」とともに、彼女たちのタレント性が発揮されていた。

 

 それだけに、やはりベイビーレイズJapanの解散の報には驚いた。アイドル界のアンセムと言われるような曲を持ちながら、タレント性のあるメンバーがそろっていても、つづけられないこともあるのだ。

 

(その後、同僚の9nineも2019年4月での活動休止を発表した)

 

 アイドルイベント「@JAM」の橋元恵一プロデューサーは雑誌の取材に答えて、こんなふうに話している。

 

「アイドル戦国時代と呼ばれて一気にマーケットが拡大した2010年前後にデビューし、黄金期を支えてきた大手事務所所属グループの解散が目立つ。メンバーの入れ替えがあまりなく活動してきたところが多いので、マネジメントの事情だけでなく、『誰か1人でも抜けるなら終わろう』と本人たちの意思が反映されているケースも多いはず」(※4)

 

 PASSPO☆は10人で結成され、3人が卒業したが新加入はなく、7人で活動を終えた。ベイビーレイズJapanは結成から解散まで変わらない5人のメンバーだった。

 

 

 8月には『バニラビーンズ』が解散を発表した。

 

 リサとレナの二人組で、2007年から活動していた。所属事務所が北欧の雑貨を輸入販売していて、その音楽部門として企画されたという。

 

 当初のレーベルだった徳間ジャパンは、Perfumeのつぎに出す二人組ユニットとして、「北欧の風に乗ってやってきた、清楚でイノセントな雰囲気を持つ女の子」というコンセプトを打ち出していた。(※5)

 

 2007年はちょうどPerfumeが「ポリリズム」でブレイクを果たした年で、テクノポップのつぎは北欧ポップスだと考えた人がいたのかもしれない。2008年にリリースした「ニコラ」は別れの切なさを爽やかにアレンジした名曲だった。

 

 その後、AKB48の成功もあって、2010年ころからグループアイドルの拡大期に入る。すこしデビューが先行していたバニビの二人は、お姉さん的な立ち位置で他のアイドルたちと関係することが多くなり、サブカルチャー界隈の人々との仕事も見られた。

 

 バニラビーンズはPerfumeのブレイクによって生まれ、AKB48の成功がつくりだした市場を生き抜き、大人のアイドルになっていた。

 

 良い持ち歌があり、二人のタレント性もユニークだった。それぞれに芸能の仕事をこなしながら、バニラビーンズとしては、いつまでもステージで歌いつづけるのだろう、と思っていた。インタビューなどを見ると、彼女たち自身もそう考えていたようだ。

 

 しかし、終了の時はあっさりと来た。所属事務所の社長が、彼女たちの属する会社そのものの廃業を決めた。

 

 レナは移籍などの可能性も探ったようだ。(しかし権利や経済的な問題からうまくいかなかった)相方のリサは移籍してまでの継続は考えていなかったという。(※6)

 

 それでも、解散発表時のリサのコメントには、くやしさが滲んでいる。「──素直な気持ちと向き合うと、今は大きな寂しさとそこに見え隠れするくやしさで心がいっぱい…」(※7)

 

 最後のライブイベントのトークコーナーでは、「アイドルの解散が相次ぐ中、グループを継続させるためには?」という質問に、レナはこう答えた。

 

「──本人たちはみんなステージに立ちたいと思ってやってるから、運営の人たちが続けていこうと思うモチベーションが大事かなと思います。私たちにはファンの人の声は届くけど、事務所の人は『この子たちやっていけるのかな』と不安かもしれないので。ライブの動員はやっぱり大事」(※8)

 

 アイドルをつづけさせるには事務所(運営)のモチベーションも大切なのだ。

 

 会社の企画によって生まれたアイドルグループは、会社が継続をあきらめれば、そこで終わる。

 

 バニラビーンズの「ニコラ」を聴くと、はじめから彼女たちとの突然の別れが歌われていたようで、とても切ない。それでも彼女たちは11年間、ステージに立っていた。そんなに長く歌いつづけられるアイドルグループは少ない。

 

 そして10月1日、SUPER☆GiRLSから大量卒業の発表があった。

 

 

 ──「manufactured girl group(企画された女の子たち)」につづく

 

 

 

(※1)CA風アイドル・ぱすぽ☆、女性グループ初の初登場首位デビュー | ORICON NEWS(2011-05-10) 

 

(※2)竹中夏海と吉田豪『シュガー・ラッシュ:オンライン』とPASSPO☆を語る(2019.01.30)

 

(※3)PASSPO☆、グループ活動を“青春”から“生活”に変えた9年間 デビューからの歩みを振り返る - Real Sound(2018.07.05)

 

(※4)『日経エンタテインメント!』2018.11号 p19

 同上ネット転載:女子アイドル転換期 グループの顔が卒業する理由|エンタメ!|NIKKEI STYLE(2018/12/5)

 

(※5)バニラビーンズ ラストインタビュー|兄貴分・掟ポルシェが聞く解散の真相 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

 

(※6)元バニラビーンズ・レナが語る“アイドルの辞めどき”「OLくらいの給料はもらってた」 | 文春オンライン(2019/07/07)

 

(※7)女性デュオ、バニラビーンズが解散発表 レナ「とても幸せな11年間でした!」 - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)

 

(※8)バニラビーンズ、愛する人たちに囲まれた「感謝祭」で笑顔のラストステージ - 音楽ナタリー