でんぱ組.incの夢眠ねむも2018年10月に卒業を発表した。

 

 彼女は美術大学に通いながら、秋葉原のメイド喫茶カルチャーに惹かれてアルバイトをはじめ、そこで知ったディアステージの面接をうけて採用された。

 

 秋葉原ディアステージの経営者でもあった福嶋麻衣子がプロデューサーとして2008年に『でんぱ組』が結成される。はじめは古川未鈴と小和田あかりの二人組だった。

 

 夢眠ねむは相沢梨紗とともに2009年にグループに加入。このころグループ名を新しい感じにリニューアルしたいということで『でんぱ組.inc』と改められた。(※1)

 

 「アイドル戦国時代」といわれた2010年前後に活動をはじめたグループのなかで、インディペンデントから登場したアイドルとしては、もっとも成功したのが彼女たちだ。(※2)

 

 2014年に日本武道館公演を成功させ、2015年には代々木体育館で2日間、のべ2万人を動員した。

 

 2018年、夢眠ねむは卒業を発表したあと、ラジオに出演して、こんなことを言っていた。

 

「──でんぱ組.incでやりたかったことは満足したという瞬間は何度もあって、夢を叶えまくって、やりきった感覚はあったんです。でもグループでやってるので、それだけで辞めちゃうのはどうなの? というのはありながらで。だから1年かけて準備してきた卒業という感じなんですよ」(※3)

 

 彼女は2017年の時点で、卒業の意思を仲間に告げていたようだ。

 

 しかし状況が変わる。2017年の8月にメンバーの最上もががグループから脱退した。体調不良もあったようで、急なことだったのだろう。(※4)

 

 この事態をうけて、古川未鈴が夢眠ねむに「辞めるな」と頼んだ。(※5)

 

 夢眠ねむ「──未鈴ちゃんが『辞めんな!』って言ってくれたんですよ、1番最初に言った時は、OKはOKだったんですけど、もがちゃんが抜けちゃったあとは流石にってことで…」

 

 古川未鈴「一生をかけてのお願いみたいな感じでした、しかもこれって責任重大じゃないですか。彼女の人生をちょっと左右することになるから、でんぱ組.incをもっとちゃんとまた(上に)持っていきたいと思ったから、そういうお願いをして…」

 

 夢眠ねむ「私も最初からでんぱ組.incにいるんで、そりゃそうだって思ったので続けて…」

 

 彼女は一年をかけて卒業を準備した。

 

 でんぱ組.incは2011年に最上もがと藤咲彩音が加入したあと、古川未鈴、相沢梨紗、夢眠ねむ、成瀬瑛美の6人体制でやってきた。最上もがの脱退までは、6年間メンバーが変わらなかった。

 

 モーニング娘。のプラチナ期や、ももいろクローバーZのことを考えてみても、やはりメンバーが長期間変わらないことはパフォーマンスの力になる。

 

 2017年8月に最上もががグループを離れたあと、グループは5人体制となっていたが、12月に鹿目凛(ベボガ!)と根本凪(虹コン)の二人がでんぱ組.incに加入し7人体制となった。

 

(鹿目凛の所属していたグループ『ベボガ!』は2018年9月に解散した。それまでは兼任だった)

 

 あとから考えると、この若い二人の加入は、夢眠ねむの卒業を見越してのことだったとわかる。

 

 夢眠ねむは卒業のコメントで、芸能界を引退し、キャラクターのプロデュースや書店の経営を目指して活動していくと書いている。(※6)

 

 彼女はグループのゆくすえとともに、引退後の自らの進路についてもきちんと準備をしていた。

 

 古川未鈴は夢眠ねむの卒業についてこう言っている。

 

「──マジで並大抵のことじゃできないんですよ。それを決断して、なおかつ、ちゃんと段取りを全部やって、誰も不幸にさせない卒業をやろうとしたんですよね」(※7)

 

 でんぱ組.incは、2019年1月6、7日の二日間、日本武道館で公演を行い、最終日をもって夢眠ねむはアイドルを卒業する。

 

 その場で、彼女のメンバーカラーである「ミントグリーン」は根本凪に引きつがれた。根本凪にとって夢眠ねむは、髪型を真似するほど憧れの人だった。(※8)

 

 でんぱ組.incは、ふたたび6人組のグループとなり、未来へとつなげていく意志を示した。

 

 秋葉原のメイド喫茶のアルバイトからはじまり、10年間、芸能生活を送った女の子は、グループの未来と、じぶんの将来を準備してから、応援してくれる人たちにサヨウナラをした。

 

 武道館の卒業公演ではアンコールの最後に、応援ハッピを着た彼女が「どうも、元でんぱ組.incの夢眠ねむです」と現れ、こう言った。

 

「──みんな、めでたしめでたしみたいになってない? 『オレはねむきゅんを見送れた』『オレ今日で、でんぱ組.inc見納めなんだ』って気持ちじゃない? しかも『ねむきゅんがいないでんぱ組見るの怖いから、ライブ行かんとこう』ってなってるでしょ。ダメよそんなんじゃー。私が一緒に見てあげるから。怖くないからみんな一緒に見ようね。あ、そろそろライブが始まる!」(※8)

 

 見事な卒業だった。

 

 同じ秋葉原ディアステージ所属のアイドルグループ『妄想キャリブレーション』も2018年10月に解散することを発表した。2019年の2月に活動を終了すると、3月になりメンバーだった胡桃沢まひるがディアステージの新しい店長に就任した。(※9)

 

 プロデューサーの福嶋麻衣子は配信番組の中で、女性プロデューサーを育てると宣言していたので、その一環でもあるのだろう。元『虹のコンキスタドール』の奥村野乃花も「ののたP」として勉強をはじめている。(※10)

 

 その後──

 

 2019年になり、ディアステージは新人アイドルのオーディションを行い、7月にお披露目をした。そこには「ののたP」こと奥村野乃花のプロデュースするグループも含まれている。(※11)

 

 アイドルの新陳代謝はつづいていく。

 

 夢眠ねむは7月に「夢眠書店」をオープンした。

 

 

 ──「2018年 グループの解散」につづく

 

 

(※1)でんぱ組.inc - Wikipedia(結成、メンバー流動期)

 

(※2)本ブログ参照:2010年「アイドル戦国時代」【2】群雄割拠 

 

(※3)でんぱ組.inc 夢眠ねむ、グループ卒業&引退を控えて「やり残したことは無い」 | オールナイトニッポン.com (2018年11月21日)

 

(※4)でんぱ組.incを脱退しました。 | でんぱ組.inc 最上もがオフィシャルブログ「もがたんぺぺぺ」(2017年8月6日)

 

(※5)でんぱ組.inc・夢眠ねむの卒業&引退、古川未鈴が「辞めんな!」と引き止めていた | オールナイトニッポン.com (2018年12月26日)

 

(※6)夢眠ねむ、でんぱ組.incから卒業、芸能活動を終了~夢眠ねむにインタビューで聞く今後(宗像明将) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

(※7)夢眠ねむが決断した“誰も傷つけない卒業”とは? 古川未鈴×藤咲彩音がグループへの思い語る | ORICON NEWS

 

(※8)でんぱ組.inc、夢眠ねむ卒業で示した過去・現在・未来の姿 驚きと涙と感動が詰まった武道館2日間 - Real Sound

 

(※9)胡桃沢まひるさんのツイート: "秋葉原ディアステージ 新店長になります

 

(※10)ののたP/奥村野乃花さんのツイート: "皆さまお久しぶりです!奥村野乃花です!今日からののたPはじめます!

 

(※11)DEARSTAGEオーディションから生まれたユニット3組お披露目、TIFにも登場- 音楽ナタリー

 

 

 

 AKB48では渡辺麻友が、2017年大晦日のNHK『紅白歌合戦』を最後にグループでの活動を終えている。

 

 2018年4月には北原里英が新潟の朱鷺メッセで卒業コンサートを行った。

 

 北原里英は2007年に「第二回研究生(5期生)」としてオーディションに合格する。指原莉乃とは同期になる。

 

 2008年の「大声ダイアモンド」で選抜メンバーに入る。2009年の第一回『選抜総選挙』では13位となり、選抜入りをはたした。以降、2012年まで『総選挙』での選抜入りをつづけるが、2013年には21位となり、選抜からははずれ、アンダーガールズとなった。

 

 2013年には一時的に名古屋のSKE48との兼任もしている。

 

 2015年3月に、新潟に新設されるNGT48への移籍とキャプテン就任が発表された。この年の『選抜総選挙』では11位となり、ふたたび選抜入りをはたす。

 

 2016年の1月10日に『NGT48劇場』は初日を迎え、彼女はキャプテンとしてステージに立った。(※1)

 

 そして2017年8月、北原里英はNGT48からの卒業を発表した。(※2)

 

 彼女が卒業発表をしたあとにラジオで話していたことが印象に残っている。『AKB48のオールナイトニッポン』に出演し、同期の指原莉乃を相手にこんなことを話した。(※3)

 

「──AKB48の選抜から外れ、くすぶっていた時期に、ずっと卒業を考えていた。でも、現状が嫌だからといって、逃げるようには辞めたくはなかった。そんなときにNGT48への移籍があり、もうひと頑張りして、いまはNGT48にも勢いがある。もうちょっといてほしいと思ってもらえる。いまなら前向きに辞められる…」

 

 彼女は涙声で言った。「惜しまれながら卒業をしたかったから…

 

 新潟での新グループ起ち上げに尽力し、若手のお手本となり、NGT48 の草創期を支えた北原里英。2018年の4月18日、NGT48劇場での公演を最後に、彼女はアイドルとしての活動を終えた。ファンに惜しまれながら。

 

 ラジオで共演し、北原里英の話にもらい泣きしていた指原莉乃も、2018年12月にHKT48からの卒業を発表した。

 

 2012年に福岡のHKT48への移籍を命じられ、それは「左遷」と言われた。しかし翌年には劇場支配人を兼務して、グループの土台をつくり、後輩を育て上げた。

 

 2013年の『選抜総選挙』では、はじめて1位となり、初のセンターポジションを得る。そのセンター曲が「恋するフォーチュンクッキー」だった。

 

 2014年は2位となり、1位の座を渡辺麻友に譲るが、2015年から17年まで3年連続で1位となった。

 

 アイドルオタクらしい広範な知識と好奇心、媚びることなく相手を立てる姿勢、機転のきいた会話力。とうぜんメディアでの活躍も多く、近年のAKB48グループの「顔」といえる存在だった。

 

 どこでの発言だったかは定かでないけれど、指原莉乃が卒業について話していたのを覚えている。

 

 共演者から、これだけメディアに出演していてタレントとして忙しいのに、アイドル仕事との両立は大変じゃないのかと訊かれて、彼女はこんなふうに言った。

 

「──もう、アイドルを辞めても、いまと仕事の感じは変わらないと思うけれど、でも、ステージで歌ったり踊ったりするのが好きだから、アイドルを卒業するとそれがなくなっちゃうので、まだ、アイドルをつづけてる」

 

 アイドルを見るのも、やるのも、ほんとうに好きな人なんだな、と思った。

 

 2018年11月4日には山本彩がNMB48から卒業をしている。

 

 朝ドラの主題歌「365日の紙飛行機」をセンターで歌った山本彩や、現役ではもっともメディアへの露出が多かった指原莉乃の離脱は、AKB48グループから、一般的な知名度のある「顔」がどんどん失われているのを感じさせた。

 

 2019年の話になる。

 

 AKB48グループにとっては、2019年が大きなターニング・ポイントとなる。

 

 1月に発覚した新潟でのトラブルはあとをひき、4月にはこの時点でAKB48の「顔」ともなっていた指原莉乃がグループから卒業した。

 

 3月にはレギュラーの冠番組が2つ終了している。

 

 ラジオ番組『AKB48のオールナイトニッポン』は2010年から9年間。NHK・BSの『AKB48SHOW!』は2013年から5年半つづいた番組だった。(※4)

 

 そして9月には日本テレビ深夜の冠番組『AKBINGO!』も終了した。(※5)

 

 前番組『AKB 1じ59ふん!』から数えると11年半つづいていた。2008年の放送開始時には秋元康がその影響力を漢方薬にたとえ、AKB48のメンバーを一般にも浸透させた番組だった。(※6)

 

 たてつづけにメディアから冠番組が消えたことになる。

 

 話は2018年にもどるが、じつはステージの裏で、ちょっと気になる変化があった。

 

 2018年の8月に初代劇場支配人の戸賀崎智信がAKB48グループの運営から離れていた。(※7)

 

 48グループの総支配人をつとめたあと、人事裁定によってカスタマーセンター長という肩書になっていた。彼は会社を退き、まったく別の道へと転職した。

 

 いろいろと好ましくない出来事もあったようだ。しかし2005年の設立時から手探りでグループを支え、裏方の「顔」とも言える存在だっただけに、何かが大きく変わってしまったのだと感じた。

 

 2014年に総支配人を解任され、カスタマーセンター長に任命されたとき、彼はこう書いている。

 

「──2005年12月8日の7人しかいない劇場公演の景色も、去年の日産7万人の景色も見せて貰いメンバーには本当に感謝しています。そして、何よりそこに連れてって下さった、ファンの皆様へ心より御礼申しあげます。本当に本当にありがとうございました」(※8)

 

 戸賀崎氏のいた13年間は、秋葉原の地下アイドルと見なされていたグループが、CDを出せば当たり前のように100万枚を売上げ、年間ヒットチャートを独占するような存在になるまでの時代だった。

 

 人の集まりは、大きくなれば動作が鈍くなる。外では衝突が増え、内では軋轢が増す。

 

 ここまで拡大をつづけてきたAKB48グループだが、気づけば運営を司る経営者が変わり、派生グループの経営母体にも変化がある。

 

 総合プロデューサー秋元康の距離感も時とともに変わっている。彼の関係するアイドルグループは年々多くなり、AKB48の設立時にくらべて、素人目に見ても仕事量の違いは明らかだ。

 

 彼は自らの仕事を「一枚も落とさないように命がけでまわす皿回し」に例えている。(※9)

 

「──ずっと回り続けることはないわけで、一生懸命回したっていつかはゆるくなってくる…」

 

 それでも、2019年9月に発売されたシングル「サステナブル」には、そのタイトルに強い思いが感じられた。

 

 しかし、センターに抜擢された矢作萌夏は10月にグループからの卒業を発表する。

 

 AKB48グループもまた、ひとつの節目をむかえている。

 

 

 ──「秋葉原ディアステージの挑戦」につづく

 

 

(※1)NGT48初日公演は感激の幕開け 北原里英らが涙 - AKB48 : 日刊スポーツ

 

(※2)NGT北原里英が卒業発表「とても悩みました」 - AKB48 : 日刊スポーツ

 

(※3)指原&峯岸&北原が涙ながらに語る日々「ヒマでも楽しかった」 | オールナイトニッポン.com ラジオAM1242+FM93

 

(※4)番組を応援してくださった皆さんへ | AKB48 SHOW! | AKB48SHOWブログ:NHK

 

(※5)AKBINGO!|日本テレビ

 

(※6)本ブログ参照:起業としての『AKB48』【3】 テレビは必要?  

 

(※7)とがちゃんTwitter: 「この前センター長は続けますなんて言ってましたが、どうやら8月いっぱいでセンター長も終わりみたいです。契約解除。。まぁここ数年は何も大きな改善は出来なかったから当然といえば当然だけど。13年関わったプロジェクトもこれで最後かと思うと正直寂しい。そして、次の仕事を何にしようかな、、? 

 

(※8)戸賀崎智信 - エケペディア(2014年の項目)

 

(※9)ライムスター宇多丸の『マブ論』p526

 

 

 

 

 

 アイドルにはグループからの脱退が「卒業」として興行のメインイベント化するメンバーと、そうでないメンバーがいる。

 

 とくに大人数のグループでは、その差が顕著に現れる。

 

 2018年1月の末に乃木坂46の生駒里奈が卒業を発表した。

 

 乃木坂46は2011年8月に結成された。2012年2月にファーストシングル「ぐるぐるカーテン」でCDデビューしている。そのデビュー曲のセンターが彼女だった。

 

(「ぐるぐるカーテン」は午後の教室のカーテンにくるまれて、女の子ふたりが秘密の話をしている様が描かれている。はじめて聴いたとき、この風景を歌詞にした秋元康の乙女力に感動すら覚えた)

 

 生駒里奈は乃木坂46の初代センターとなり、立ち上がったばかりのグループの「顔」となった。

 

 初期の乃木坂46にむけられた視線はけっして温かいものではなかった。

 

「AKBの二番煎じ」「公式ライバルってなんだ?」「秋元康がまた妙なことをはじめた…」

 

 じっさい、運営であるSME(ソニー・ミュージックエンタテインメント)も、AKB48との差別化を意識しながら、コンセプトをつくりあげていく過程にあった。(※1)

 

 その、もっとも風当たりの強い時期に、生駒里奈は乃木坂46の顔としてフロントに立っていた。

 

 彼女は交換留学のようなかたちで、AKB48との兼任もし、選抜総選挙まで参加させられている。乃木坂46がいまのスタイルをつくりあげるまでの試行錯誤を一身にうけることになった。

 

 2012年1月、『AKB48』のTDCホールでのコンサートに、結成まもない乃木坂46はゲスト出演している。

 

 2012年のAKB48といえば前田敦子のいた最後の年で、昨年末に「日本レコード大賞」を初受賞し、8月には東京ドーム・コンサートを開催する。帝国は上り坂のピークにあったと言っていい。

 

 「公式ライバル」と銘打たれたものの、まだCDデビューすらしていなかった乃木坂46のメンバーは、ブーイング覚悟でステージに上る。彼女たちははじめて、観客の前で「ぐるぐるカーテン」を披露した。

 

 そのときセンターに立ち、歌い終わったあと、生駒里奈は挨拶をする。なんどもなんども練習をした挨拶だったが、声が震え、言葉につまる。彼女は、温かく迎えてくれた観客に感謝をのべつつ、こう言った。

 

「──私たち乃木坂46には、越えなければいけない目標があります。その目標とは…、AKB48さんです。(…)AKB48さんは、いまの私たちにとっては、まだまだ高い目標ではありますが、まだまだ未熟な私たちに、AKB48さんと同じステージに立たせていただけたことに感謝して、これから全力で、全力以上で頑張って、いつか、ほんとうのライバルと言っていただけるように、頑張りたいと思います。みなさま応援よろしくお願いいたします」(※2)

 

 彼女たちは深く頭を下げた。

 

 それから5年がたち、乃木坂46は2017年11月に、初の東京ドーム・コンサートを2日間、開催した。その年の終わりには「日本レコード大賞」を受賞する。

 

 そして、2018年のはじまりに、生駒里奈はグループからの卒業を発表した。

 

 グループでの晩年はあまりフロントに立つこともなく、乃木坂のテレビ番組でも後景に退くことが多くなっていた印象がある。卒業シングルでも彼女はセンターに立たなかった。

 

「──卒業を具体的に考えていた時から、卒業だからといってセンターはしたくないと思っていました。曲が私の『卒業シングル』になってほしくなかった。レコード大賞をいただいた後の大事なシングルだし、長く歌い継がれてほしいと思ったんです」(※3)

 

「──秋元先生は『生駒センターの卒業シングルを作りたい』と言ってくださいましたが、『ありがたいお話なんですけど、私はそれを望まないです』と答えました。6回もセンターをやらせていただきましたし、これ以上やったらぜいたくですよ。グループ全体を考えた時、こういうパターンがあってもいいと思う。自分を貫かせていただきました」

 

 こういう人だから、まだ何ものでもなかった乃木坂46の先頭に立つことになったのだろう。

 

 4月22日には日本武道館で『乃木坂46 生駒里奈卒業コンサート』が開催された。チケット当選倍率は30倍となり、全国128の映画館で実施されたライブビューイングも6万席が完売した。(※4)

 

 5月6日に行われた幕張メッセでの握手会を最後に、生駒里奈はグループを離れた。その後、彼女はタレントとしてドラマやバラエティーで活躍している。(※5)

 

 乃木坂46一期生の卒業としては橋本奈々未(2017年2月卒業)が印象深かったが、彼女は芸能界からも去ってしまった。

 

(個人的に、卒業の際に書かれた橋本奈々未のソロ曲「ないものねだり」は近年の秋元康作詞曲でいちばん聴いている曲だったりする。いまでもときどき再生する)

 

 生駒里奈の卒業以降、同じ乃木坂46の一期生からは卒業発表があいついだ。2月には川村真洋が、9月に西野七瀬が、10月に若月佑美と能條愛未が、そして11月に川後陽菜が、卒業を発表した。

 

 「ろってぃー」こと川村真洋の卒業は、生駒里奈のようにメディアから大きく取り上げられることもなく、3月31日をもって活動を終了した。乃木坂46の冠番組『乃木坂工事中』に最後の出演をし、これからも音楽をつづけていくと話した。バナナマンの二人から花束を受けとり見せた笑顔が印象的だった。(彼女の音楽活動は2019年になり意外な展開を見せているようで興味深い。※6)

 

 12月24日放送の『乃木坂工事中』では西野七瀬、若月佑美、能條愛未、川後陽菜の四人を送る合同卒業式となっていた。

 

 番組の外では、若月佑美が11月末をもって卒業、12月4日に日本武道館で卒業セレモニーを行っている。(※7)

 

 能條愛未は12月15日に開催された東京ビッグサイトでの握手会が活動終了の場所だった。

 

 川後陽菜は12月20日のアンダーライブが最後の活動だった。

 

 アンダーとはプロ野球のチームに例えれば二軍のことである。しかし、いまの乃木坂46はアンダーメンバーでも武道館クラスで公演を行うことができる。それも、川後陽菜や川村真洋、能條愛未のようにあまり選抜には選ばれなかったメンバーが、アンダーでも誠実にパフォーマンスをつづけることで築きあげた実績だ。

 

 東京・武蔵野の森総合スポーツプラザで行われたアンダーライブでは19、20日の二日間で2万人を動員した。

 

 川後陽菜はラストライブで言った。

 

「──私が誇れるものがあるとしたら、それは乃木坂46のメンバーで一番ライブをやってきたということです」

 

 彼女がシングルCDの選抜に入ったのは「バレッタ」の一曲のみ。だが、アンダーライブでは全公演に出演していた。(※8)

 

 

 ──「『AKB48』グループの変遷」につづく

 

 

(※1)乃木坂46、女性アイドルの頂点に立った必然 | テレビ | 東洋経済オンライン 

 

(※2)『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』

 

(※3)生駒里奈「卒業シングル」でセンター打診断っていた - 乃木坂46 : 日刊スポーツ

 

(※4)生駒里奈ライブビューイングが史上最速50分で完売 - 乃木坂46 : 日刊スポーツ

 

(※5)乃木坂46生駒里奈ラスト握手会に3万5000人集結「最高のメンバーに出会えた」(イベントレポート) - 音楽ナタリー

 

(※6)元乃木坂46川村真洋、K-POPアイドルへ! | 財経新聞

 

(※7)元乃木坂46・若月佑美、卒業セレモニーで涙「本当に幸せでした」 : スポーツ報知

 

(※8)【ライブレポート】乃木坂46アンダーライブで川後陽菜が涙の卒業「7年間で本当に大切なものができた」(写真18枚) - 音楽ナタリー

 

 

 2018年の1月、まず驚かされたのは、ももいろクローバーZの有安杏果の脱退だった。

 

 ももクロは「アイドル戦国時代」のはじまりとされる2010年以降で、もっとも成功した女性アイドルグループだといっていい。

 

 2014年には改修前の国立競技場で2日間ライブを行い11万人を動員している。

 

 モーニング娘。には長い歴史に培われたハーロープロジェクトという母体があり、AKBグループには数の力がある。

 

 国立競技場ライブは、ももクロがたった5人で成しとげた偉業だった。

 

 2018年はももクロ結成10周年の年で、大きなイベントも予想されていた。

 

 そんな年のはじまりに有安杏果の卒業が突然、発表された。さらに驚かされたのは、1月15日の発表から、21日の卒業ライブまでは一週間もなかったことだ。

 

 ふつうであれば卒業発表からラストライブまで、数ヶ月から長ければ一年近く、卒業(あるいは引退)興行はつづく。

 

 それはファンが心情を整理するための時間でもあるし、売上を最大化するための経営判断でもある。そして、スポンサーや番組などの契約を更新するために必要とされる期間でもある。

 

 しかし、有安杏果の卒業は発表から脱退まで、一週間もなかった。

 

 彼女はラストライブの挨拶で、「──私も10周年は5人で迎えられると思ってました。でもね、これは4人のこれからのためにこうするしかなかったから…」と言っていた。(※1)

 

 すこし奇妙に感じた。ファンの間でも、いろいろと物議を醸したようだ。ただ、有安杏果が観客に最後のあいさつをしてステージを去ると、すぐに松崎しげるが現れて、ももクロのデビュー10周年である5月に、東京ドーム公演がひかえていることが告げられた。

 

 それを見て、ああ、ももクロの10周年記念を卒業で悲しい色にしたくなかったのかな、と思った。有安杏果が望んだのか、運営が考えたのかはわからない。でも、ももクロに悲しみは似合わない、というのは誰もが思うことだろう。

 

 しんみりとした卒業興行が長くつづくことを彼らは良しとしなかった。人々が唖然とするほどのスピードで、有安杏果はももクロのステージから降りた。こういう去りかたもあるんだよ、と言われているような気がして、考えさせられた。

 

 アイドルにはグループからの脱退が「卒業」として興行のメインイベント化するメンバーと、そうでないメンバーがいる。

 

 ──と、ここまでを書いたのが2019年の年初だった。

 

 Wikipediaを確認すると、2019年1月15日に有安杏果はSNS上で「音楽活動や写真活動などを通して表現し伝えていく活動を始めます」と発表している。(※2)

 

 ちょうど、彼女の卒業発表からきっちり一年後だ。

 

 そして2月6日に「結婚を前提に交際をさせていただいています」とのアナウンスがあった。(※3)

 

 ラストライブでの「──これは4人のこれからのためにこうするしかなかったから…」ということばを聞いたとき、ふしぎな言いまわしをするな、と感じていた身としては、謎解きがされたような気がした。

 

 ただ、関係者のなかで、ものごとが判明し、決断されていった順番や、いくつもあったであろう理由の尊重や、思いのあきらめ方は、外からはわからない。だから詮索してもしかたがない。

 

 だれだって恋くらいする。

 

 じぶんの気持ちに誠実であること、友人や仲間を大切にすること、そして仕事に真摯であること、これをすべて満たすのは、ほんとうに難しい。優先順位なんて簡単につけられるものではない。

 

 彼女は苦しみながら、なにが誠実なのかを考えたと思う。2月のアナウンスでは「──もし、この事実を知って嫌な気持ちになった人がいたら、本当にごめんなさい」とまで書いている。

 

 丁寧にものごとを考える人なのだな、と思った。

 

 彼女が健やかに暮らせるといい。

 

 ももいろクローバーZは2018年5月22、23日の二日間、東京ドーム公演を開催する。10年前に現れた週末ヒロインが、4人になって成しとげた到達点だった。(※4)

 

 先にも書いたけれど、有安杏果には、ももクロの10周年記念の東京ドームを、じぶんのことで悲しい色にしたくないという思いが、やはりあっただろう。

 

 アイドルにはグループからの脱退が「卒業」として興行のメインイベント化するメンバーと、そうでないメンバーがいる。

 

 とくに大人数のグループでは、その差が顕著に現れる。

 

 

 ──「『乃木坂46』卒業の風景」につづく

 

 

(※1)【ライブレポート】ももクロ、8年在籍した有安杏果が笑顔で卒業&10周年に向けて4人の新体制スタート - 音楽ナタリー

 

(※2)有安杏果公式さんTwitter / (午後0:00 · 2019年1月15日)

 

(※3)有安杏果さんのツイート: "こちらが私、有安杏果の個人事務所 株式会社アプリコット です。… "

「ファンのみなさんへ」(午後6:00 · 2019年2月6日)

 

(※4)結成10周年ももクロ、満員御礼の東京ドームで決意新たに「お前ら全員付いて来いよ!」(ライブレポート ) - 音楽ナタリー

 

 

 いまにして思えば、2017年の末におきた『GEM』(エイベックス所属の10人組アイドルグループ)の活動停止と、元『アイドリング!!!』のリーダー、遠藤舞の芸能界引退から不穏な空気がただよいはじめていた。

 

 遠藤舞は2014年にアイドリング!!!を卒業したあと、ソロシンガーとして活動していた。彼女が引退時に残したメッセージには、「アイドル」という言葉につきまとう「未熟さ」から、じぶんは抜け出せなかった、と語られていて、多くの人々が考えさせられた。(※1)

 

 彼女の生真面目さや職人気質がいささか厳しい自己評価につながったのだとは思う。

 

 しかし、その文章は彼女のファンだけでなく、ひろくアイドルを好意的に応援している人々に、やりきれなさを感じさせるものだった。

 

 彼女にたいする「やりきれなさ」ではない。彼女が感じ、そして考えざるを得なかった、世間の「アイドル」にたいする視線への「やりきれなさ」である。(※2)

 

 GEMの活動停止も不可解なものだった。

 

 理由は数人のメンバーの軽はずみな行動だと見られたが、それであれば当事者の処分をすればいいだけの話だ。ファンからすれば気分の良い話ではないかもしれないが、法を犯したわけでもない。罪のないメンバーの生誕イベントやグループのライブまで中止にするのは、どうにも解せなかった。

 

 2018年をむかえるとすぐにGEMの解散が発表された。その経緯はさまざまな憶測を呼び、スポーツ紙にはエイベックスがアイドル部門の整理統合に乗り出したのではないかとの記事まで出る。(※3)

 

 結果からいえば、GEMの解散は多くのアイドルグループが消滅することになる2018年の前触れでしかなかった。

 

 とくにエイベックス所属のアイドルグループは、Cheeky Parade、SUPER☆GiRLSとドミノ倒しのように、その余波がつづき、変化を強いられるのだが、その話はのちほど詳しく書いていく。

 

 まずはエイベックス以外に目を移してみる。

 

 2018年は多くの卒業によってもアイドル界の変化を感じることになった。

 

 

 ──「ももいろクローバーZは突然に…」につづく

 

 

 

(※1)遠藤舞 - Wikipedia「芸能・歌手活動引退メッセージ」

 

(※2)本ブログ:アイドルとアーティストのはざまで【6】アイドル性、その光と影 | 参照

 

(※3)GEM今春解散「スパガ」ら4組とメンバー入れ替え - 音楽 : 日刊スポーツ

 

 

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