AKB48の指原莉乃は「モーニング娘。」の子供である。それと同じように、SUPER☆GiRLSの浅川梨奈は「AKB48」の子供である。

 

 浅川梨奈は小学二年生のときにAKB48に出会い、高橋みなみに憧れる。(※1)

 

 2007年頃だから、AKB48が結成して二年、高橋みなみがチームAのリーダーとなったころだ。秋葉原の劇場では盛り上がっているものの、まさかAKB48がのちに「国民的アイドルグループ」と称されるなんて誰も思っていない時代だ。

 

 2007年の年末にAKB48は「NHK紅白歌合戦」に出場する。しかし「アキバ枠」という企画で、中川翔子やリア・ディゾンとひとくくりにされた。会見では記者から「アキバ48(よんじゅうはち)さんは──」と呼ばれ、メディア関係者にすらちゃんとグループ名が浸透していなかった。高橋みなみは悔しい思いをしたと語っている。(※2)

 

 そんな頃から浅川梨奈はAKB48のヲタクだった。やがて「国民的アイドルグループ」と呼ばれるようになり、その初代総監督に就任し活躍する高橋みなみを、彼女はずっと見ていたことになる。

 

 浅川梨奈は秋葉原の劇場公演にも通い、自身も二度、AKB48のオーディションにエントリーするが、二度とも書類審査で落とされた。(※3)

 

 AKB48からはじまって、ほかのアイドルにも目を配るようになっていた浅川梨奈は、エイベックスの「アイドルオーディション2010」にエントリーしていた田中美麗を発見する。最終審査に合格し、SUPER☆GiRLSとなった田中美麗のヲタクとなり、彼女の握手会にまで通うようになる。(※1)

 

 そして、2012年の『avex アイドルオーディション2012』を見つけて──

 

「──その前年ぐらいにストリート生がお披露目されたじゃないですか。『え、スパガ、後輩できたの? 後輩が羨ましい!』ってストリート生に嫉妬心を抱いていたので、私も入りたいと思って。それで応募したら受かって、『私、スパガの後ろにいるよ!』『無銭で一緒に写メ撮っちゃったよ!』って(笑)。それから月日が経って、気付いたらスパガにいたっていう。…」

 

 彼女はすんなりSUPER☆GiRLSになったわけではない。

 

 ストリート生として活動しながら、2012年12月にアイストの第三弾グループ『GEM』のスターティングメンバーに選ばれている。しかし、グループで半年間活動したのち、2013年6月のアイストカーニバル日本武道館公演のステージ上で、GEMの正式メンバーから落選する。

 

(このとき共に落選しているのがスパガ二期の内村莉彩と、わーすたの坂元葉月である)

 

 そのときの映像が公式に残されている。横一列に並んだメンバーから、合格者の名前がつぎつぎに呼ばれる。最後まで名前を呼ばれなかった浅川梨奈は、深々とおじぎをして舞台袖に駆け去っていく。(※4)

 

 彼女はステージを降りたあと、泣いた。(※5)

 

「人生初の挫折を味わい、この世界での夢を諦めようとした──」ほど落ち込んだ。(※6)

 

 彼女はほんとうに辞めることを考えていたようで、親御さんをふくめて話し合うために樋口プロデューサーが地元まで足を運んだという。(※7)

 

「──私、結構苦しんだんですね。本当にGEMに落ちたら辞める話をしていて…。実は今だから言えますが、私の地元までプロデューサー(avex iDOL Street樋口氏)さんが来てくれて話し合いをしたんです。私の親もGEMに落ちたら辞めると言っていたので。『ストリーグ!!』が終わるまではいようかなという感じだったんですよ」

 

 武道館の時点で、アイストの統括プロデューサーである樋口氏の胸に、浅川梨奈のSUPER☆GiRLSへの加入というアイデアはあったようだ。だが、もちろん本人たちはそんなことを知らない。(※8)

 

 当時、SUPER☆GiRLSは結成から三年、オリジナルメンバーのみで活動しており、二人が卒業していたものの、まだ新加入はなく、メンバーが入れ替わり新陳代謝をしていくグループとの認識はされていなかった。

 

 2013年の9月、未だストリート生として活動していた浅川梨奈に声がかかる。

 

 ──スパガに入らないか?

 

「最初は入りたくないって思ってたんです。『今のスパガを崩してほしくない!』って──」(※1)

 

 スパガに新メンバーが入ることに、浅川梨奈は動揺した。

 

「いちファンとしては誰も入らないでくれ、という想いもあるし、アイドルとしてチャンスを活かせるのは“今だ”という挑戦したい想いもあって。でもそれが自分でいいんだろうか、という気持ちも大きい。その感覚が変わったのは、さおりーぬ(初代リーダ八坂沙織)さんから『浅川、頑張れよ』って言われたことでした」(※9)

 

 2013年12月のイベントのなかで、初代リーダー八坂沙織の卒業と、浅川梨奈、内村莉彩のSUPER☆GiRLSへの加入が発表された。正式な卒業と新加入は翌2014年2月のイベントで行われることになる。(※10)

 

 このときの発表では、もうひとりの新加入者についてはいっさい触れられていない。

 

 浅川梨奈は事前にスパガに新加入するのは三人だと聞いていた。しかし、ストリート生からは彼女と内村莉彩のふたり。残るひとりは外部の人だと言われて、「え、誰?」となった。(※11) 

 

 その「誰?」が渡邉幸愛だった。

 

 2013年の秋に、渡邉幸愛、浅川梨奈、内村莉彩の三人がはじめて顔合わせをした。浅川梨奈は内村莉彩ともほとんど話をしたことがなく、別のグループにいた渡邉幸愛のことはまったく知らなかった。(※12)

 

 ひとつの部屋に三人だけで取り残されたときは、誰も口をきかなかった。ただただ早く帰りたかった。

 

 このとき渡邉幸愛は高校一年の15歳、浅川梨奈は中学二年の14歳、内村莉彩は中学一年の13歳だった。

 

 2014年2月23日にサプライズ登場した外様の渡邉幸愛だけでなく、グループにはじめて加入することになった浅川梨奈と内村莉彩への風当たりも、相当に強かった。

 

 

 ──「1000年に1度の・・・」SUPER☆GiRLS 浅川梨奈【3】につづく

 

 

(※1)<連載 第5回>スパガ個別インタビュー:「全てのアイドルが手を取り合って―――」浅川梨奈(グラビア担当/総監督?)の野望 | Daily News | Billboard JAPAN

 

(※2)「AKBヒストリー」p58

 

(※3)“1000年に1度の童顔巨乳”かつ重度のアイドルヲタ、スパガ・浅川梨奈が投票したのはAKB48のあのメンバー!? - music.jpニュース

 

(※4)iDOLStreet/【スト星便り☆ミ 24 アイドルストリートカーニバル】◆2013年6月24日 - YouTube(14分50秒)

 

(※5)なぁぽん(・_・)武道館 | トーキョー夢ぴよ組(e-Street TOKYO)オフィシャルブログ Powered by Ameba

 

(※6)浅川梨奈Twitter「ティアラの条件」 人生初の挫折を味わい、この世界での夢を諦めようとした

 

(※7)浅川梨奈、廣川奈々聖、「コピンク」という転換点 : MusicVoice(ミュージックヴォイス) : ページ 2(2016年02月24日

 

(※8)統括プロデューサー 樋口竜雄氏再び! アイストを語り尽くす!! | Special | Billboard JAPAN(p3)

「──2013年の武道館でGEMのスターティングメンバーから選ばれなかった浅川梨奈と内村莉彩、坂元葉月がどうなるのかっていうタイミングでSUPER☆GiRLSの第2章をイメージし始めて、翌年2月に新メンバーを入れるストーリーになっていくんですけど、浅川はスパガに入ってもらいたい人だという思いがしっかりできたのでGEMには選ばれなかった、といってもいいと思います」

 

(※9)SUPER☆GiRLS | インタビュー | Deview-デビュー

 

(※10)「SUPER☆GiRLS」リーダー・八坂沙織が来年2月卒業― スポニチ Sponichi Annex 芸能

 

(※11)史上初のW表紙! 浅川梨奈&渡邉幸愛の野望「スパガのメンバー全員をいつかは脱がしたい!」 (2017年6月12日) - エキサイトニュース(2/4)

 

(※12)1月13日OA「SUPER☆GiRLSのスーパーラジオ!」ハイライト - YouTube

 

 

 

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 2018年の夏はたいへんな猛暑だった。東日本では1946年の統計開始以来、夏の平均気温がもっとも高かったと記録される。

 

 その夏、浅川梨奈(あさかわなな)はずっとSUPER☆GiRLSにいた。

 

 当時、グラビアで人気だった彼女は、ドラマや映画などの出演もあり、グループとは別に単独のスケジュールで仕事をすることが多くなっていた。

 

 2018年8月にスパガのリーダーである溝手るかと出演したラジオ番組ではこんな話をしている。(※1)

 

 吉田尚記アナ「浅川さんは今のSUPER☆GiRLSをどんな風に思っているんですか?」

 浅川「どんな……、私、ほとんどSUPER☆GiRLSにいないんですよね」

 吉田「どういうことですか(笑)」

 浅川「ひとりでドラマとか現場の仕事に行くことが多くて、今年の夏、1年ぶりぐらいにちゃんとグループにいるんですよ」

 溝手「そうなんですよ。今年の夏はいてくれてるんですけど、去年の夏はほぼいなかったですね。久々にライブ出たら『おかえりー』って気持ちですね(笑)」

 吉田「そういう感じなんだ」

 浅川「ファンの方とかも、ライブをネット中継したときに、そのコメント欄とかで浅川を探せゲームをするんですよ、今日はいるのか?って」

 吉田「いること自体が奇跡みたいな」

 浅川「レアモンスターって言われてます」

 

 「去年(2017年)の夏はほぼいなかった」という印象を多くの人がもっていた。個人的にもそう感じていた。彼女がどのくらい2017年の夏のアイドルイベントに出演していたのか、いちおう調べておこうと思い、残されている映像や、彼女のツイッターを確認してみた。すると意外な結果で、ちょっと驚いた。

 

 

 じつは浅川梨奈は2017年の夏も、おもなアイドルフェスにはすべて出演していた。

 

 アイドルにとって夏の大型フェスは自らの存在を最大限にアピールできる場であり、そのパフォーマンスによって新たなファンを獲得するチャンスでもある。

 

 グラビアによって多くの雑誌のカバーを飾り、ドラマや映画にも進出して知名度を上げつつあった浅川梨奈にとって、その活躍をグループの人気の後押しにつなげたいという思いもあっただろう。

 

 かつてのエース前島亜美が不在となって、はじめての夏だった。田中美麗が復帰したとはいえ、彼女たちにとっては踏んばりどころだ。浅川梨奈はじゅうぶんにそれを自覚していたのだ。

 

 7月19日の映画『トランスフォーマー』のプロモーション・イベントではパフォーマンス対決をして公式応援アイドルの座を勝ちとっている。浅川梨奈はツイッターでこんな報告をしている。

 

「びっくりした…そして本当に嬉しかった!! 何かと対決で負けてばっかのスパガさんですが、やっと勝てました。嬉しい」(※2)

 

 掲げられた写真が印象的だ。浅川梨奈がグループ最前線の中心にいてポーズを決めている。SUPER☆GiRLSはそういうグループになりつつあった。

 

 冒頭のラジオ番組の引用で、溝手るかが2017年の夏フェスの時期に浅川梨奈が不在だったと感じていたのは、おそらくそのあと、秋からはじまったSUPER☆GiRLSの定期ライブの印象が大きかったのだろう。

 

 たしかに10月から翌年の5月にかけて11回おこなわれた定期ライブでは、浅川梨奈が他のスケジュールで欠席することが多かった。同じタイミングでシングル曲「汗と涙のシンデレラストーリー」のリリースイベントもあったが、これも不在だった印象がある。ファンからも「あれ、きょうは浅川いるじゃん、めずらしい」とレア・キャラ扱いされていた。

 

 ただ、この定期ライブでも浅川梨奈は奮闘している。公演の2回目からメンバーそれぞれが個人で公演をプロデュースする事になり、そのトップバッターが彼女だった。

 

 ふつうはメンバーがプロデュースといえば、セットリスト(楽曲)を決めたり、衣装を選んだり、MCなどの構成を考えたりといったことなのだけれど、浅川梨奈は、そんなことは当然として、ステージだけでなく、会場のエントランスや、お手洗いまで自ら装飾した。メンバーの紹介文を書いて貼りだし、ウェルカムボードやチラシもつくった。すべて彼女の手作りだ。(※3)

 

 正直、クオリティは高校の文化祭レベルだ。しかし、それは予算が限られていたからであり、彼女はその少ない予算で何ができるかを考えた。数日前からじぶんで買い出しをして、折り紙で飾りを手作りし、ボードをつくり、メンバーの紹介文まで書いた。忙しいスケジュールをぬいながら、徹夜で、たったひとりで。

 

 会場では、風船をふくらまし、飾りつけもその手でおこなった。

 

 グループではときにセンターに立ち、コミック雑誌のカバーガールとしてはすでにトップにランクされているメジャーアイドルである。

 

 そんな彼女が徹夜して、のりとハサミで折り紙と格闘している姿を想像すると、ほんとうに感心した。そしてツイッターの最後にそれらのことを「楽しかった」と書く彼女にとても好感をもった。

 

 その過剰さが、ときとしてアグレッシブな言動になり物議をかもすこともあったが、基本的にはグループを思い、アイドルを愛するがゆえのことであり、それもまた彼女の魅力だった。

 

 浅川梨奈はほんとうにアイドルが好きで、SUPER☆GiRLSが好きで、そこに来てくれるファンが好きで、そのファンを喜ばせるために全力をつくしていた。

 

 それはやはり、彼女自身がもともとアイドルヲタクだったからでもあるのだろう。

 

 

 ──「アイドルヲタがアイドルに」SUPER☆GiRLS 浅川梨奈【2】につづく

 

 

 

(※1)グラビアで大人気のスパガ・浅川梨奈、多忙すぎてグループ活動は1年ぶり!? | オールナイトニッポン.com 

 

(※2)浅川梨奈Twitter: 「映画 「トランスフォーマー最後の騎士王」公式応援アイドルの座を勝ち取りました

 

(※3)浅川梨奈Twitter: 「エントランス、ステージ、お手洗いまで、装飾を考えて作成しました! 

 

 

 

 

 田中美麗と志村理佳の卒業は、SUPER☆GiRLSメンバーにも動揺を与えている。

 

 2018年2月16日の卒業発表のタイミングで、三期生の阿部夢梨はブログでこんなことを書いている。(※1)

 

「──志村さんと美麗さんが卒業する事で

スパガが終わった

スパガも解散か

とか色々思う方もいると思いますが

スパガはまだまだ終わらせないし

解散したくありません!

 

まだまだ、わたし

SUPER☆GiRLSで

やりたりないこと沢山あるんです。

高校生になって

やっとここからなんです。

 

もっともっとスパガで叶えたい夢があるの」

 

 おなじく三期の長尾しおりもブログで、ファンのみなさんに心配ばかりかけて申し訳ないとお詫びし、「私の大好きなスパガは、これからも懸命に走り続けますので…」応援して下さいと願ったあと、最後に──

 

「私の青春全て捧げるから」

 

 との一文で記述を終えている。(※2)

 

 阿部夢梨はこのとき15歳、春から上京し高校への進学を控えていた。そして長尾しおりは中学二年生の14歳、スパガ最年少のメンバーだ。熱い想いを抱えているとはいえ、14歳の女の子に、青春のすべてを捧げるから──と言わせてしまう状況というのは、ほんとうに「厳しい」としか言いようがない。

 

 彼女たち三期が加入してはじまったSUPER☆GiRLS「第三章」は、まずリーダーだった前島亜美が卒業し、新メンバーの三期からも二人が卒業し、ここでまたベテラン二人の卒業が発表された。事情はそれぞれにあるとはいえ、2016年6月からの2年間で、14人いたメンバーが、9人に減る。

 

 まわりを見渡せば、ストリート生は廃止され、姉妹グループのGEMは解散が決まり、Cheeky Paradeの苦境も伝わっていただろう。メディアにはグループ再編の記事まで出ている。かなり追いつめられた状況だ。(※3)

 

 ステージではつねに笑顔でパフォーマンスをする彼女たちだったが、先の見えない不安は大きかったはずだ。

 

 2018年4月にCheeky Paradeが7月に解散することを発表した。これでiDOLStreetに残ったのは、SUPER☆GiRLSとわーすただけとなった。

 

 そして6月24日、ライブツアー最終日の東京公演をもって志村理佳が卒業した。

 

 2014年、彼女は二代目のリーダーとなる。そのタイミングで、渡邉幸愛、浅川梨奈、内村莉彩の三人が二期生として加入するのを受けとめなければならなかった。はじめてのリーダー、はじめての新加入メンバーで、未経験の事態がかさなり苦労をした。それでも弱音をはかず、どんなときでも笑顔でメンバーに接した。(※4)

 

 とくに渡邉幸愛は志村理佳にとくべつな思い入れがあったようだ。外様で居心地のよくなかった渡邉幸愛に、志村理佳は気を配っただろうし、宮崎理奈との三人で勝手連的につくったユニット「しむこめCLUB」は、そのゆるさでメンバーやファンに渡邉幸愛をなじませることになっただろう。(※5)

 

 2016年の第三章からはリーダーを外れたが、生来の明るさと優しさでグループを支えつづけた。卒業の理由も「つぎの夢が見つかったから」というものだった。この前向きな表現もファンへの思いやりだろう。彼女は最後まで笑顔だった。

 

 志村理佳はスパガの母のような存在だった。彼女は卒業とともに、芸能の世界からも離れた。

 

 6月24日の公演をもってスパガはまた大きな柱を失い、メンバー数もこれまででもっとも少ない9人になった。

 

 ただ、ここで新展開があった。同じ公演のなかで、SUPER☆GiRLSの半年先までのロードマップがしめされたのだ。(※6)

 

 そのなかには新メンバー募集のオーディションが含まれていた。7月からはじまり、12月下旬の「8周年記念ライブ」で、合格者の発表とお披露目がされるとアナウンスされた。

 

 そして翌日には樋口竜雄プロデューサーが、SUPER☆GiRLSの責任者として帰還したことも報告された。(※7)

 

 ファンにとっては朗報だった。エイベックスはSUPER☆GiRLSの存続を決めたらしい。このタイミングでオーディションをはじめるのなら、新メンバーが入ってからすぐに、お取り潰しにするなんて酷いことはしないだろう。

 

 それでなくてもGEM以降の経緯で、ずいぶん不評を買っている。企業としての信用を保つために、少なくとも二、三年はようすを見るはずだ。そのテコ入れと責任を明確にするために樋口プロデューサーを再登板させたと考えられる。

 

 そしてこの頃から、メンバーや樋口プロデューサーが再び「2年後に武道館」ということを言いはじめた。SUPER☆GiRLSデビュー10周年の2020年に武道館公演をおこなう。それが新たな目標として掲げられたのだ。

 

 裏読みをすれば、おそらく樋口プロデューサーは2020年までのSUPER☆GiRLSの存続は会社から約束されている。と、同時にそれは試される2年間でもある。ただ、退潮気味であったSUPER☆GiRLSに新しい希望を与えたことも事実だ。

 

 半年のロードマップと、2年後の目標、そして創設時の責任者である樋口竜雄プロデューサーの復帰によって、SUPER☆GiRLSの崩壊はくいとめられた、と思われた。

 

 しかし──

 

 このあと何が起こるのか、われわれは知っている。そう考えると、なぜ、2018年の夏にいつも浅川梨奈がグループにいたのか、いまなら理解できる。

 

 

 ──「獅子奮迅!」SUPER☆GiRLS 浅川梨奈【1】につづく

 

 

(※1)* 解禁情報 * | 阿部夢梨(SUPER☆GiRLS)オフィシャルブログ「夢リズム」Powered by Ameba

 

(※2)定期公演Vol.7 | 長尾しおり(SUPER☆GiRLS)オフィシャルブログ Powered by Ameba

 

(※3)GEM今春解散「スパガ」ら4組とメンバー入れ替え - 音楽 : 日刊スポーツ

 

(※4)2018.6.24 | 浅川梨奈(SUPER☆GiRLS)オフィシャルブログ Powered by Ameba

 

(※5)しむこめCLUBの1日(^^) | 渡邉幸愛(SUPER☆GiRLS)オフィシャルブログ Powered by Ameba

 

(※6)【ライブレポート】SUPER☆GiRLS初期メンバーの志村理佳が笑顔で卒業、新メンバーオーディション決定 - 音楽ナタリー

 

 

(※7)樋口P🌟改めまして昨日(6/24)の発表とともにスパガのプロジェクトに戻ってきましたことを、お伝えいたします。(Tweet 

 

 

 

 2018年1月のGEMの解散発表から、7月のCheeky Paradeの解散へとむかう流れのなかで、SUPER☆GiRLSにも大きな変化があった。

 

 結果から言ってしまえば、2018年2月16日にスパガ一期メンバーである田中美麗と志村理佳の卒業が発表された。田中美麗は3月、志村理佳は6月にグループを離れるとアナウンスされた。(※1)

 

 田中美麗は2016年12月に体調不良のため活動を休止していた。しかし、そのままグループを離れたわけではない。2017年3月にはもどってきていたのだ。

 

 いちど休養してからグループにもどるのは、とてもハードなことだ。新しい楽曲やダンス、新たな企画、状況の変化。先に進んでいるグループにもういちど自分をアジャストしなくてはならない。彼女はブログにこんなふうに書いている。

 

「──休養明け、グループに合流する前

すごい言われたもんな~

復帰するのは良いことだけど、美麗が休んでる間に周りはすごいパワーつけて、すごい勢いで走ってるから追いつかないとね って

その言葉今でも覚えてるもん~怖かった~~ w」(※2)

 

 それでも彼女はもどってきた。それはとても勇気のいることだった。3月は前島亜美が卒業するタイミングでもある。そんなときに復帰してくれた田中美麗にメンバーも励まされたはずだ。

 

 Wikipediaの田中美麗の項目には、復帰後、《──しかし体調は思わしくなく、2018年2月16日、腰の治療に専念するためにグループから卒業することを発表…》とある。

 

 二行で要約すると、そうなってしまう。ただ、復帰から卒業までの一年間を知っていると、その印象はだいぶ違う。

 

 まず、復帰してからの彼女はグループでのアイドル活動を楽しんでいた。ときおり体調を崩すこともあったようだけれど、気力やパフォーマンスは充実していて、真夏につづくいくつものイベントを乗り越えた。

 

 ブログにもこうある。「──夏は沢山の野外フェス、アイドルフェスなどに出演させてもらい、パフォーマンスする楽しさを再確認しました!」(※2)

 

 そして、スパガが大好きで、いまのメンバーが大好きだから、このグループでもっと上に行きたいし、行けるはずだ、と話していた。

 

 8月のブログでは「これから挑戦したいことはなんですか?」という質問に答えて、こんなことも書いている。

 

「──仕事はグループでとにかく活動し、少しでもミレイがいてよかったと言ってもらえるように貢献すること。プライベートは、語学を学びたいな!」(※3)

 

 田中美麗は暑い夏を乗り切り、10月には17枚目のシングル曲「汗と涙のシンデレラストーリー」でセンターに指名される。2年ぶり2度めのセンターだった。しかし──

 

「──昨年の12月から今年の3月まで休養し、ようやく体調も気持ちも戻り、楽しくスパガを中心にスパガの活動に力を入れる年にしようと思っていた矢先…」(※4)

 

 このタイミングで彼女は腰痛に見舞われる。診断結果は「椎間板ヘルニア」だった。体調不良を乗り越えたと思ったら、つぎはフィジカルな故障が彼女を襲った。(※5)

 

 自らのセンター曲のリリースイベントではダンスの動きを制限され、悔しい思いをした。観客にあいさつをするときに腰を曲げることができす、深くお辞儀をするメンバーたちのなかでただひとり、申し訳なさそうに胸の前で手を合わせていた姿が印象に残っている。

 

 それでも彼女は、「原因がわかって少し安心した」「凹んでる暇あったら、できるだけ早く! 治してまたセンターで踊れるように頑張りたいと思います」「治るまでも上半身で皆さんに元気をお届けします!笑」と書いている。

 

 2017年の締めくくりに彼女はこんなことも書いている。

 

「──でもね、何より!

なにより、この一年はファンの皆さんとの距離が縮まった一年だったなとも思ってる!

むしろそこはすごい実感してる!

すごい仲良くなれたと思わない?

私はすごい支えてもらったし、本当に仲良くなれたと思ってる!w

本当にだいすきよ、みんな~(^^) 」(※2)

 

 のちのインタビューでは、このブログの後半部に注目されたりするのだが、じつは胸を打たれるのは前半である。引用した部分にあるのはファンとの交流に喜びを感じている彼女の姿だ。

 

 彼女はけっして接触イベントの得意な人ではなかった。もともとアイドルには興味がなく、街で声をかけられたことをきっかけに、モデル希望でエイベックスのオーディションを受けていた。(※6)

 

 レッスン生のようなかたちで、エイベックスのアカデミーに通い、あるとき講師から指示されて受けたテストが、『avex アイドルオーディション2010』の一次審査だった。彼女は最終オーディションに残り、12人のSUPER☆GiRLSのメンバーのひとりとしてデビューする。中学二年生の13歳だった。

 

 握手会では、はずかしくて相手の目を見ることができず、うつむいていた。握手会に出たくなくてトイレにこもったこともある。

 

 AKB48のような総選挙はないと聞いていたのに、モバイルサイトでの人気投票がはじまってランク付けされた。順位の低さにいつも隠れて泣いていた。

 

 そんな女の子が、少しづつファンとの関係をつくり、グループ内でも一位二位を争う人気メンバーになった。ゴールデンタイムのドラマに出演し、ファッション雑誌のモデルにもなった。体調不良から活動を休止するが、あきらめずに復帰した。そして、グループのためになりたいと話し、あんなに苦手だったファンとの交流を喜んでいる。

 

 それなのに、神様はずいぶん残酷なことをするな、と思った。

 

 何年もまえに、彼女がひとりで出演した長尺のラジオ番組をたまたま聴いたことがあった。(※7)

 

 どこか心細そうな声で、やさしく話す人だった。その印象だけが残っていて、あとからSUPER☆GiRLSを知り、そういえばあのとき聴いた声の人は田中美麗だったのだと気づいた。

 

 モデルさんらしい、すらりとしたスタイル。キリッとした端正な面立ち。それでいて笑顔には華がある。「美麗」という名にふさわしい人だった。

 

 ただ、あのラジオで聴いた、どこか心細そうな声の印象とは違っていた。

 

 彼女自身、見た目と内面のギャップに苦しんだかもしれない。でも、それを受け入れたとき、ギャップが彼女の魅力ともなっていた。

 

 いつだったか彼女は「美麗って名前だから、そう見られちゃうし、そう言われちゃうから、もう仕方ないよね」と笑っていた。

 

 2018年2月16日、田中美麗はSUPER☆GiRLSからの卒業を発表した。

 

 公式発表のステージでは、あの華やかな笑顔を見せている。それはファンへの思いやりだ。(※1)

 

 同じ日のブログにはとても正直な気持ちが書かれている。腰痛を患ってからの活動はかなり辛かったようだ。痛み止めも効かない状況で、副作用や後遺症が心配されるところまできていた。(※8)

 

 久々のシングル曲でのセンターだった。いちど体調不良で休養していたことから、ヘルニアの診断が下ったあと、「また休養する勇気」はなかった。そして無理をつづけてしまった。

 

「──本当ならもっと踊りたいしさ、限界まで踊ってやる!って思ってたしさ。大きなところでコンサートして見送られたいって思うよ?正直 。図々しいかもだけど w

 

 だけどね、負けちゃった(^_^;) 」

 

 

 2018年3月30日の定期公演がSUPER☆GiRLSとして最後のステージとなり、3月31日のサンリオ・ピューロランドでの卒業イベントをもって、アイドルから卒業した。

 

 結果的に最後に参加した楽曲となったのは、田中美麗のセンター曲──

 

 『汗と涙のシンデレラストーリー』だった。

 

 なんども負けて、それでも、なんども立ち上がった人だった。

 

 彼女はエイベックスからも離れ、しばらく治療に専念したあと、2018年8月から新しい事務所に所属したことがアナウンスされた。

 

 田中美麗はまた、すこしずつ舞台に立ち、歩きはじめている。

 

 

 ──「Don't Stop The Party」につづく

 

 

(※1)SUPER☆GiRLS、オリジナルメンバーの志村理佳&田中美麗がグループ卒業(コメントあり) - 音楽ナタリー

 

(※2)2017年は色んな意味で忘れられない一年になりました | 田中美麗(SUPER☆GiRLS)オフィシャルブログ 「Candy☆mirei」

 

(※3)こんばんは質問~ | 田中美麗(SUPER☆GiRLS)オフィシャルブログ 「Candy☆mirei」

 

(※4)ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いします!! | 田中美麗(SUPER☆GiRLS)オフィシャルブログ 「Candy☆mirei」

 

(※5)スパガ田中美麗、椎間板ヘルニアを発症「上半身で皆さんに元気をお届けします!笑」 - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)

 

(※6)元SUPER☆GiRLS田中美麗「AKB48も知らないコミュ障の私が本物のアイドルになるまで」 | 文春オンライン

 

(※7)第394回 SUPER☆GiRLS田中美麗のラジカントロプス2.0| AM1422kHz ラジオ日本(2015年2月16日)

 

(※8)感謝と愛を込めて…。 | 田中美麗(SUPER☆GiRLS)オフィシャルブログ 「Candy☆mirei」

 

 

 

 

 2018年4月12日、Cheeky Paradeが7月31日をもって解散することが発表された。(※1)

 

 GEMの解散から半月も経っていない。1月にリークされたアイスト再編の記事や、樋口プロデューサーの「採算的に独立してはきびしい」という言葉がよみがえった。(※2)

 

 2017年11月に配信のみでリリースされた「僕らの歌」というCheeky Paradeの曲がある。シンプルだけれど感動的なロックナンバーで、アメリカに留学しているふたりも含めたメンバー7人が作詞にも参加している。

 

 いい曲だと思った。と同時に、少し苦しみのようなものも感じた。

 

 2018年1月にGEMの解散が伝えられたあと、Cheeky Paradeは2月に大阪、名古屋、東京でのライブハウスツアーを行っている。

 

 これに先立って、メンバーがクラウドファンディングをつのり、東京でのツアー最終公演がライブ配信されることに決まった。

 

 クラウドファンディングをつのる配信番組のなかで、メンバーの島崎莉乃は、「ファンのみなさんにお願いするのは心苦しいのだが、チキパの現実はご覧のようにきびしい、それでも自分たちは最善をつくすし、出来ることはなんとしてもやりたいので協力してほしい」と話していた。

 

 島崎莉乃はチキパの顔というよりも、チキパの「ことば」を担う存在だった。そして、そのことばに応えるファンも多くいた。

 

 ツアーと同じタイミングで、「Answer」「marigold」「I Don't Care」という三曲が配信でリリースされた。

 

 「Answer」は「僕らの歌」につづき彼女たちが作詞に参加している。不安を抱えながらも前に進もうという意志が感じられる。

 

 「marigold」は女性の失恋を歌っていて、洗練された大人っぽさがある。個人的にはとても好感をもった。

 

 「I Don't Care」については、Wikipediaの解説を引用する。(※3)

 

「──HOME MADE 家族のKUROが作詞している。メンバーが日頃から思っている鬱憤や不満、思っている正直な気持ち、やりたいこと、とにかく、言いたいことを包み隠さずに曝け出している」

 

 重いビートに、ラップ調の歌詞。とても挑戦している。ただ、語られることばが痛々しくて、こちらも胸が苦しくなった。

 

 それだけ彼女たちは追い詰められていたのだ。

 

 彼女たちとしても、これが最後の冒険になるかもしれないと感じていたのだろう。思い切り振りかぶって、これまで届かなかったところまでボールを投げようとした。このボールがもし、届くべき人のところまで届いて、受けとめてくれる人がいるのだとしたら面白いとは思った。

 

 2月18日のツアーラストの東京公演で、島崎莉乃が最後にあいさつをした。

 

「──このツアーができるかどうかも、ほんとうは分からなかった。それでも、こうやってステージに立っているのが、わたしたちの答えです」

 

 そう言ってから、彼女たちは円陣をくみ、泣いていた。

 

 すでに、GEMの解散は決まり、ストリート生もいなくなっている。iDOL Streetには、スパガ、チキパ、わーすたしか残っていない。

 

 それでも個人的には、自らを「王道」とするスパガを軸にして、右翼にオタクカルチャーからカワイイまでを担うわーすた、左翼にアイドルのふりをしながら、大人のグループに脱皮しようとするチキパ、の三組を布陣するという体制は面白いのではないかと思っていた。

 

 チキパには、アメリカに留学している二人もいる。彼女たちの帰還をまって、少女だったアイドルが、成長して大人のグループになるには、どうすればいいのか、というチャレンジを見せてほしかった。

 

 メンバーも留学組が合流し、新しい曲、新しいパフォーマンスで、夏フェスのシーズンを迎えられれば、再起の目はあると考えていたはずだ。もともと持っている曲だって良い。パフォーマンスにも定評がある。フルメンバーでもういちど戦いたい。

 

 しかし、2018年4月12日、彼女たちの抵抗は終わった。

 

 解散を報告する文章のなかで、鈴木友梨耶はこう書いている。「──まりんとまりやと合流してチキパはこれからって思ってたのに悔しいです。守れなくて本当にごめんなさい。…」(※1)

 

 「僕らの歌」以降、出てきている楽曲を見ると、現場のスタッフは彼女たちによりそい、表現の可能性を模索している。限られた資源と力のなかで。

 

 グループ名のCheekyは「小生意気・やんちゃ」、 Paradeは「(音楽を伴った)行進」を意味する。

 

 解散が決まったあと、どこかの番組でメンバーが、「わたしたち小生意気を履き違えてたよね~」と笑っているのを見て、ちょっと救われる思いがした。

 

 Cheeky Paradeは7月12日にラストライブをおこなった。公演の最後に歌われた曲は、彼女たちがインディーズとして最初にリリースした曲「Cheeky dreamer」だった。

 

 曲の最後はつぎのような詞で結ばれている。

 

「──いま、わたし、夢の途中」

 

 

 ──「SUPER☆GiRLS 田中美麗『汗と涙のシンデレラストーリー』」につづく

 

 

(※1)NEWS | Cheeky Parade オフィシャルウェブサイト(2018.04.12)

「弊社所属アーティスト「Cheeky Parade」についてのご報告」

 

(※2)GEM今春解散「スパガ」ら4組とメンバー入れ替え - 音楽 : 日刊スポーツ

 本ブログ参照:撤退戦Ⅰ 『GEM』 

 

(※3)Answer (Cheeky Paradeの曲) - Wikipedia

 

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