今までの職場を考えると、とりあえず一人は必ず我慢できないほどのキ印(自分の中の基準から言えばなのですが、ここではそう言わせてください。)な人がいました。


日によって性格が違う人、とりあえず怒鳴り散らす人、当り散らす人、執拗に攻めてきて扱いに困る人、大して仕事できてなくて人望もないのに地位ある人に気に入られているというひとつの事実だけで「自分は特別な人」と思い込んで、あらゆる人を上から目線で見てくる人。


我慢して影で泣きながら、あるいは欝になって病院に通いながらも耐えて仕事を続ける人がいる中でわたしは最後我慢できなくて職場をやめてしまうことが多かった。(表向きの理由はステップアップという理由だったのだけど)


それを受け入れられない自分がいやだった。


わたしは、そんな自分がいやで「いやなものを克服する」と周りの人に宣言して、そういう人を避けないように、なるべく接近するようしている時がよくあった。


確かに、そういう変わった人も人間なので、にこやかに接してくる自分をいやな扱いをしない。


だから、一時期かなり楽になる。


でも、たまに出てくるその人のいやな性格と、自分の中にあるある種の嫌悪感が自分の中でいっぱいになって、結局うまくいかなかった。


というか、一度距離を縮めてしまったものだから、その反動はさらに他の人よりもすごいものになったりする。


その結果、「何もかも中途半端で壁を乗り越えられないわたし」と自分を責めてきた。


一人でもできるありのまま認めるEFTの講座を受ける中で、伊藤さんに「自分の基準がわかると、自分がいやだと思うことに近づかないようになる」といわれて、目からうろこだった。


そういえば、わたし自ら近寄っていたというか挑んできた。


仕事上絶対避けられない人はいるけれど、仲良くなる必要もないのに、なんであんなに挑んでいたのか…。


一時期「なんでわたしはああいう人ばかり引き寄せてしまうんだろう」と悩んでいたけれど、自分から近寄って行ってたんじゃないか(苦)


そんなので傷ついて、「人間関係は疲れる」と思っていた自分に少しあきれてしまったのだった。


それは疲れるはずだわと…。


そして、その奥には案の定「扱いにくい人とうまく付き合える自分を認めてほしい」という自分がいることも判明…。


次人間関係を築く時は、複雑に考えるのではなくもっとシンプルに違う選択をしたいと思った。

アイホージュというサロンで初めてセッションを受けた時、わたしは前職の受けた辛い経験をネタにEFTを受けました。


わたしは、詳しくは個人が特定すると困るので書けないけど、転職を何度も繰り返していて、職場で嫌な思いをすることが続いてきました。


それも社長が原因となる嫌な経験ばかり。


わたしは、その経験を乗り越えて更に成長できない自分が嫌でした。


それでずっと自分のことを責めてきました。


それをセッションの時に言うと、「我慢できないことがダメなんじゃなくて、猫村さんの基準がそうなんだから、それはそれでいいんですよ。自分の基準がわかると、次の選択がしやすくなる」というような内容の言葉(かなり端折ってます)を言ってもらいました。


そう言われても、頭ではわかるけど、なかなか実感できない自分がいました。


わたしは社会では不要な人間なのでは?幸せに生きていけない人間なのでは?


そんな不安な思いだけがたくさん出てきます。


でもこういうネガティブな思いを否定せずにEFTを繰り返すうちに、「職場でつらい思いをしてきたんだから、傷ついて当然。現在の私は、自分を守りたいと思ってるだけ」という、今の自分を認めらられるようにはなってきました。


少し心が軽くなった気がする週末の昼下がりでした。


わたしが今までいろいろ自己啓発をやってきて苦しかったのは「ポジティブに!」という考えが合わなかったのです。


本来の自分がよくわからなくなって、辛いのに、落ち込んでるのに、表面的につくろっているポジティブな自分しか見てない人たちは「しっかりしてる」「前向き」と評価してくれて、更にそこから抜けられなくなっていました。


ありのまま認めるEFTは、人が避けたがるネガティブな感情を持つ自分を受け入れることから始まるので、とても楽だと感じています。


少しずつ少しずつ自分を認められたらいいなと思っています。

EFTを始めてから、あんなに一時期すがるようにはまっていた自己啓発に全く興味を持たなくなってしまった。


本屋に行くと、自己啓発の本が並んでいる棚にフラフラと近づく癖がついていて、それは今でも治らなくて本屋に行くとお決まりの棚の前に立っていることに気づくのだけど(笑)


今も変わらず、自己啓発系の本には「ワクワク」「ドキドキ」「ポジティブ」「ウキウキ」「ありがとう」「感謝」「愛」なんて言葉がたっくさん並んでて、以前はあんなに”ありがたく”思って読んでいた言葉も、今では心に響かない。


今思えば、本当にありがたいと思っていたのだろうか。


以前自己啓発系のセミナーで知り合った講師の方がいて、今でもブログは読んでいるのだけど、最初に彼女にアプローチした時は、とにかく彼女が眩しくて、わたしが持っていないものすべてを持っている感じがしていた。


確かに彼女は仕事も家庭も頑張っていて、人当たりがよくて、自己啓発とは関係なく本当に素敵な人なんだと思う。


そんな彼女を見て、わたしは「こんなふうにキラキラ輝きたい!」と思い、彼女にアプローチして、彼女の家で開催される会合に何度も足を運んだ。


今思えば、わたしは「あれ」そのものだったと思う。


それは、暗闇に灯る灯りに群がる蚊もしくは蛾


これは、先日うけた『1人で出来る言葉を駆使するありのまま認めるEFT講座』の途中でわたしが伊藤さんに言った言葉なのだけど、我ながら当時の私をうまく表現している言葉だと思った(笑)


自分をそんな虫に例えるのはなんだか悲しいことだけど、昔のわたしはそうだったなと思う。


いわゆるキラキラしたものにとりあえず惹かれて群がっていただけ。


その光の恩恵にあやかりたいと思っていたのだと、今では冷静に分かる。


「苦しい時の神頼み」なんて言葉があるし、苦しい時ほど神社が儲かると言われているくらい、日本人の宗教観の一部ではあると思うのだけど、まさしく「The 他力本願」といった感じだったように思う。


よく、神社にお参りする時はお願いするんじゃなくて感謝する方がいいとか言うけど、その言葉を聞いてわたしは必死になって感謝してました(爆)


「意味違うから!!」と自分で自分にツッコミを入れたくなります。


今思えば、お参り≠お願いであってお参り=感謝という図式みたいなものはなんとなくわかる気がする。


やりたいことがあって、それをすでに成し遂げている人の真似をするのは、道を極める近道とはいうけど、ただ単にその人のキラキラに目がいって、その恩恵にあやかりたいと思っているだけでは、うまくいくわけがないと思う。


人のキラキラにばかり目がいっていた時は、人のことばかり気になって、自分自身が自分のことをわかっていなかったから、とてもふわふわしていたように思う。


EFTを始めて、自分のありのままが見え始めて来ると(まだまだ始めたばかりなのでえらそうなことは言えない)、ふわふわの雪の上を歩いてたまに「ズボッ」と足がめり込んで歩きにくかった状態から(雪国の人しかわからない表現だけど)、少しだけ見えてきた大地に足がついてきているのかな。


何か目に見える変化があったわけではないので、なんとなくでしかないけど…。


人のキラキラを見るのではなく、自分のありのままを認めて自分の足元を見て生きていく事が私には必要だったのだなあと思っている。

EFTとは関係ないネタなので、書く事を悩んだのですが、吐き出す所もないので書いてみます。


先日、オウムの菊池直子が逮捕されました。


報道から彼女の潜伏中の様子を聞いていると、「なんとリア充なんだろう!」と思ってしまいました。


彼女がたくさんの人に被害を及ぼした大きな犯罪に加担していた犯罪者なのは間違いないし、逮捕されてよかったと心底思っているのですが、こんな不謹慎なこと考えてしまうのは私だけなのでしょうか…。


17年も潜伏していて、あそこまで人相変わってほかの人に溶け込んで生活できていたら、潜伏生活に自信が出てくるのは間違いないと思うのですが、あまりにも普通に女性としての生き方を満喫していたように思うのです。


すごく衝撃でした。


資格を持って仕事をし、同僚にも恵まれてたようだし、新年会なんかにも顔をだし、いわゆる女子会なんかにも参加をし、私生活では、恋人と同棲してプロポーズされて、指輪ももらい、ウェディングドレスを着た写真が部屋にあったという。


しかも、恋人にあのオウムの菊池直子と告白しても、警察に通報されないという愛の深さ(?)。



それに対して、わたしは、犯罪も起こしてない自由な人間のハズなのに、彼女が持っていたものを何一つ持っていません。


彼女のニュースを見るたびに、心がザワザワするのでした。


比較対象があまりにもすごいので、自分でもばからしいと思うものの、彼女にあって自分にはないものはなんだろうと思ってしまうのでした…。


こういう心がザワザワした時にこそEFTで片付けるのでしたね。

便利です。