よく成功法則や自己啓発の本なんかに「人を応援しよう」「成功している人はいろんな人から応援されているし応援している」「人を応援すると宇宙が自分をサポートしてくれる」みたいなことが書かれています。


自己啓発に異常なまでにハマってた時は、信じていましたし、「人を応援したい」と思ってました。


今考えたら変な話ですが、「○○を始めようと思ってる。成功したいから、猫村さんも是非応援してください♪」と言われて、心中ではモヤモヤしてたものの(笑)「いいよ。応援するよ」と言いながら、いろんなことやって協力してた時がありました。(これはかなり例外な気がするけどw)


上の人とは違う知人で、自分の好きなことで食べていこうと頑張っている人がいます。


その頑張る姿を見て「応援したい」と思って、連絡があるたびに会合に行くようになっていました。


でも、彼女が提供するサービスが面白くなくなってきてしまい、行くのが億劫になってしまった…。


誘いがあると前回の日記のように「今度行きますね♪」と返事はするのだけど、「ああ、行きたくないな」と思ってしまう自分がいました。


結局、今では誘いがあっても1年以上行ってない状態なんだけど。


前回のEFTの講座で受けたセッションで、伊藤さんとこの話でかなり盛り上がってしまって、ある程度自分の中で整理できてるつもりだったのだけど、でもどこかで、頑張ってる彼女を応援できない自分を責めていたので、しんどくなってこれに関してEFTをしてみた。


結果出てきたものは、「お金払ってまで受けたいサービスじゃなかったら行かなくても良い」だった。


伊藤さんとの会話でもこれは出てきてたのだけど、やっぱり頭で分かっているのと実感とでは違うと思う。


当たり前なんだけど、「いい人でいたい」私はムクムクと顔をだして、モヤモヤしてしまっていたのです。


自分の中の「いい人でいたい」という願望は、かなり強情に自分の中に根付いてしまっているのだと実感しました。


それにしても、わたしは「いい人でいたい」と思いながらも、人から「いい人」の称号がもらえているのかと言えばそうでもない気がするのだけど…。


というか、普通にいい人として認識されていたとしても、わたしが考えるいい人のレベルじゃない気がしている。


というか、「いい人」って何なの??


「いい人」と思われて誰得??という疑問が出てきてしまった。


誰得って、自分の得のためじゃなかったの?


EFTをやりながら、おかしくなって笑ってしまいました。

わたしがEFTでお世話になっているアイホージュの日記に興味深いことが書かれていた。


まさしく私だったから(笑)


独立してる人と出会うと「また今度い行かせていただきます!」と言いながらも行かないことが多いというもの。


わたしがまさしくそうでした。


なんであんなこと言ってたんだろう…。


と日記を読み進めながら考えていると答えが浮かびました。


「いい人に見られたい」


ただそれだけ。


それだけなんだけど、結局行ったことを守れないから自分のこと責めるし、信用もなくす。


この日記を読んでて、昔のことを思い出しました。


ああ…。


あれ思い出しただけでも、罪悪感が…。


でもそういえば、EFTを始めてから、安易に誘いには乗らなくなった気がします。


自己啓発なんかにある「人を応援しよう♪」「成功している人は人を応援しているし応援されてる」とかいう言葉を真に受けて、わたしも人を応援しようと思って、人からその人の商売がらみの誘いがあると顔を出したりしていたことがあります。


でも、「行くね♪」と言いながらも、やっぱり徐々に、興味がないからいかなくなっちゃうんですよね。


それで結局自分の信用をなくしてしまうわけです。


結局、「人にいい人に思われたい」じゃなくて「自分がどうしたいのか」のスタンスで考えて行動しないと、結果はうまくいかないといんだなあと思いました。


わたしは、人から「怖い人」と思わせる顔をしているようで、顔の印象よりも性格が「いい人」と言われるように努力して、結局「人にいい人と思われたい」という気持ちが強くなりすぎて、自分がわからなくなってしまったんだと思う。


自分は、何十年も人のことばかり考えて行動してたんだと思うとゾッとする。


なんて長い時間人生という限られた時間を無駄にしてきたんだろう。

アイホージュの日記の中の一言でぐっときた言葉。


「自分が、自分の人生に招き入れたい人を、招き入れよう。不満な関係性に我慢し続けて、自分の時間を不満な思いで潰す必要はない。」


確かにそうだと思う。


自分の幸せのために生きていきたいと思う。

先日また夜眠れなくてEFTをやってみた。


少し前にEFTをやっていた時に解決していない感情があったので、その続きでもあるんだけど。


自分のおなかで赤ちゃんを育てることはないんじゃないかということ。


進めていくと、母が自分の退職金で買ってくれた雛人形のことが出てきた。


これは、わたしに子供ができたらその子にあげようと思っていたものだった。


結局子供を産むどころか結婚もしてないので、雛人形をあげる子がいないんだなあと思った。


その感情をEFTしていくと、今度は自分は自分は両親に大切に育ててもらったけど、愛情を無駄にしてきたんじゃないだろうかと思い始めた。


雛人形は7段飾りで当時からすればすごく立派で高級なものだった。


当時母は、とても自慢げにわたしにそう言っていた。


雛人形みたいに無駄にしてしまった愛情があったんじゃないかと思うと自分を責める自分が出てきた。


そこでそのEFTをしていくと、涙が止まらなくなってしまった。


一連のフレーズが終わると、今度は自分の人生は失敗ばかりだという思いが出てきた。


それもEFTで処理していく。


そしたら、突然「失敗ばかりかもしれないけど、幸せになってもいい」という感情がふと出てきた。


なんでかわからないけど、ぽろっと出てきたのだ。


それをEFTで繰り返していくと、心の中がすっと軽くなったのを感じた。


人間生きてると失敗が多いけど、だからといってこの先の人生幸せになってはいけないと思うのは間違っていると思う。


なんとなく、自分は幸せにないたいと思いつつ、自分で自分を責めていて、幸せになることを許可していなかったのかもしれないと実感した。


ただ「思っている」のと、この「実感がある」のとでは、全く違うとEFTを始めてわかったように思う。


そういえば、EFTを始めてから不思議なことが続いている。


始めてEFTのセッションを受けた後、数年会ってなかった以前勤めていた職場の人にばったり会ったのだった。


そして、自分でこのEFTをした次の日友人に会う機会があったのだが、偶然にも久しぶりに数人の知人に声をかけられ再会した。


うち一人は15年以上会ってなかった人で、こちらはその人を一目ではわからなかったくらいだ。


こういう偶然に意味を付けるのは意味がないというのは今までの人生で分かってはいるのだけど、流れが変わってきている気がしている。(気だけかもしれない…)


あんまりこういうのに意味を感じるのは良くないのかもしれないとも思ったりもする。


EFTのフレーズ>>

先日、社会人になってからの友人から「久しぶりに会おう」と連絡があった。


その少しあとに、学生時代の友人から同じく「久しぶりに会おう」と連絡があった。


同じ日に別の人から同じことを持ちかけられるなんて、とても奇遇だと驚いた。


前者は結婚して1年たたないのだけどご懐妊とかで、心から「会いたい」と思った。


後者は、連絡くれた子(A子)とは学校卒業後何回か会っていたのだけど、社会人になってから2回しか会ってない人(B子)も一緒にとのことだった。


その時「う~ん。どうしよう」と思った。


学生時代A子、B子とわたしというメンバーでつるんでいたのだけど、B子がすごく苦手だった。


というか最初はそうではなかった。


B子はすごく人当たりもよくて男女共にモテる子で、最初はわたしも彼女のことが大好きだった。


けど、信頼を傷つけられる目に何度かあって、わたしの中では信用できない人リストに入っていた。


A子とだったら会いたいけどB子とは会いたくないと思った。


けど、なんだか罪悪感を感じる。


ここで罪悪感を感じる人はわたしだけなんだろうか?


そもそも、なんで罪悪感を感じるのか自分でもわからない。


ここは、大人なんだから「会いたくない」なんて単なるわがままだし、笑顔で「久しぶり~」と言いながら昔話に花を咲かせるべきと思う自分と、「会いたくないものは会いたくない」と思う自分がいた。


どっちを選んでもモヤモヤする気がするので結局EFTをすることにした。



EFTを進めていくと、彼女の学生時代の姿を思い出す自分がいた。


そして、日本人が大好きな「馴れ合い」「お友達ごっこ」の状態を冷めて見ている自分を感じた。


その彼女に対する感情をEFTで処理していくと、「もう彼女とは会わなくてもいい。わたしにとってB子は今後の人生に不要だ」という気持ちが出てきた。


日本人というのは、子供の頃から「人を嫌うなんてだめ」とひたすら道徳教育で教えられる。


だから「あの人には会いたくない」「あの人は好きじゃない」という感情に罪悪感を感じるのだと気づく。


もしかしたら、久しぶりに会ったら、懐かしい話で本当に楽しい時間が過ごせるのかもしれない。


けど、わたしにとって彼女は信用できない人なのは変わらない。


なので、結局会わないことにした。


先日のセッションの時に、講師の伊藤さんに上の件で話をすると、「『もう合わなくてもいい』という結論が出たのならそれでいい。けど、嫌な人に会わないといけない場合は実際に会ってみて、『今後の人生この人は本当に自分に必要なのか』を見極めるのもいい」と言われて、ああそういう手もあるなと思った。


でも、その話を聞いても、彼女に会おうとは思わなかった。


そこで改善するような関係なら会うこともありかもしれないが、彼女のわたしへの信頼は回復することはないだろうし、今更回復させたいとも思ってないし、もう寂しさを埋めるためだけの薄っぺらい人間関係は自分にはいらないと思ったから、会うことはないとやっぱり思った。


伊藤さんとその話をしながら、別の人で切っても切れない人間関係の人で、わたしの心の傷になっている人がいるのだけれども、その人とのことはEFTした際、発展的な関係を持つために、次はこうしてみようと思えたことを思い出した。


うまくいっていない関係でも、自分が必要だと思える人のことになると、やっぱりどうにかしたいと無意識にそういう選択肢を選んでいるのだなと思った。



今回のことで、選択に迷った事をEFTで処理していくと、「自分で決めた」という実感があるので、引きずらないことに気づいた。