EFTを始めてから、あんなに一時期すがるようにはまっていた自己啓発に全く興味を持たなくなってしまった。


本屋に行くと、自己啓発の本が並んでいる棚にフラフラと近づく癖がついていて、それは今でも治らなくて本屋に行くとお決まりの棚の前に立っていることに気づくのだけど(笑)


今も変わらず、自己啓発系の本には「ワクワク」「ドキドキ」「ポジティブ」「ウキウキ」「ありがとう」「感謝」「愛」なんて言葉がたっくさん並んでて、以前はあんなに”ありがたく”思って読んでいた言葉も、今では心に響かない。


今思えば、本当にありがたいと思っていたのだろうか。


以前自己啓発系のセミナーで知り合った講師の方がいて、今でもブログは読んでいるのだけど、最初に彼女にアプローチした時は、とにかく彼女が眩しくて、わたしが持っていないものすべてを持っている感じがしていた。


確かに彼女は仕事も家庭も頑張っていて、人当たりがよくて、自己啓発とは関係なく本当に素敵な人なんだと思う。


そんな彼女を見て、わたしは「こんなふうにキラキラ輝きたい!」と思い、彼女にアプローチして、彼女の家で開催される会合に何度も足を運んだ。


今思えば、わたしは「あれ」そのものだったと思う。


それは、暗闇に灯る灯りに群がる蚊もしくは蛾


これは、先日うけた『1人で出来る言葉を駆使するありのまま認めるEFT講座』の途中でわたしが伊藤さんに言った言葉なのだけど、我ながら当時の私をうまく表現している言葉だと思った(笑)


自分をそんな虫に例えるのはなんだか悲しいことだけど、昔のわたしはそうだったなと思う。


いわゆるキラキラしたものにとりあえず惹かれて群がっていただけ。


その光の恩恵にあやかりたいと思っていたのだと、今では冷静に分かる。


「苦しい時の神頼み」なんて言葉があるし、苦しい時ほど神社が儲かると言われているくらい、日本人の宗教観の一部ではあると思うのだけど、まさしく「The 他力本願」といった感じだったように思う。


よく、神社にお参りする時はお願いするんじゃなくて感謝する方がいいとか言うけど、その言葉を聞いてわたしは必死になって感謝してました(爆)


「意味違うから!!」と自分で自分にツッコミを入れたくなります。


今思えば、お参り≠お願いであってお参り=感謝という図式みたいなものはなんとなくわかる気がする。


やりたいことがあって、それをすでに成し遂げている人の真似をするのは、道を極める近道とはいうけど、ただ単にその人のキラキラに目がいって、その恩恵にあやかりたいと思っているだけでは、うまくいくわけがないと思う。


人のキラキラにばかり目がいっていた時は、人のことばかり気になって、自分自身が自分のことをわかっていなかったから、とてもふわふわしていたように思う。


EFTを始めて、自分のありのままが見え始めて来ると(まだまだ始めたばかりなのでえらそうなことは言えない)、ふわふわの雪の上を歩いてたまに「ズボッ」と足がめり込んで歩きにくかった状態から(雪国の人しかわからない表現だけど)、少しだけ見えてきた大地に足がついてきているのかな。


何か目に見える変化があったわけではないので、なんとなくでしかないけど…。


人のキラキラを見るのではなく、自分のありのままを認めて自分の足元を見て生きていく事が私には必要だったのだなあと思っている。