『ありのまま認めるEFT 』を続けて、いろんなことを気づいてきました。
自分でできるありのまま認めるEFT講座を受講する前セッションを受けていた時、発覚したある人から可愛がられたかったけどそうしてもらえなかったという思いが、私の中でネガティブな記憶として根付いていました。
だから、その人に可愛がって欲しい、すごいねって言って欲しい、そういう思いから、頑張っていた幼い頃の記憶がありました。
でもそれが、「自分じゃだめなんだ」「自分は可愛がってもらえない」そういう信念みたいなものが自分の中でぺったりと定着してしまっていたことが、セッションで発覚しました。
これに関してはセッションでEFTをやっていただきました。
未だにそのことについては時々顔を出すけど、その時の記憶が自分を苦しめてきたと認識できただけで、顔を出すたびにEFTをすればいいとわかっているので、大丈夫だと思っています。
そういう幼い頃の経験から、大人になってもわたしは人に認めてもらう為の自分になるために「理想を高く持つ」ことが癖になってしまっていました。
理想を高く持って頑張って評価してもらえる時もありましたが、達成できないことも多いので、またそれで自分を責めてたんですけど(苦)
それも「自分じゃだめなんだ」「自分は可愛がってもらえない」「自分は認めてもらえない」「自分のままでは受け入れてもらえない」という思いから来るものだというのもありのまま認めるEFTで気づくことができました。
正直こんな考えだと、自分で自分を責めて萎縮してるんだからしんどいです。
この何十年という長い時間、わたしは自分自身を虐待してきたんだと思いました。
恐ろしいです。
EFTをしながらそう気づいた時、自分に対して「ごめんなさい」と感じたので、「今まで自分自身に辛くあたってきたことを自分に対してごめんなさいと謝りたいと思っている」ということでEFTをしてみました。
そしたら「許したい」という感情が出てきたので、「今まで自分自身に辛くあたってきたけど、自分自身を許したいと思う」ということをEFTしてみたところ、なんだかモヤモヤしました。
なんだか受け入れられない感じがするのです。
人からひどい仕打ちを受けて一度謝られても簡単には許せないと思う状態と同じだと思いました。
人に本当に許して欲しかったら、誠意を持って何度も何度も謝ります。
だから何度も何度もこれは繰り返しました。
そしたら、涙が出てきて、胸のあたりがスッキリしました。
自分は敵じゃなくて味方です。
自分をひどく扱う相手が他人だったら「この人は自分の人生に必要か必要じゃないか」の選択ができますが、自分自身だとそういう選択はできません。
自分が一番、幸せになりたくていろいろもがいてあがいてきたことも知っています。
そんなことを何十年もやってきたことを知っている自分が自分を本気で許せないと思えるわけないです。
不器用だけど必死でもがいている過去の自分が愛おしく思えた瞬間でした。
これからも不器用なのは変わらないと思うし、まだまだもがくんだろうけど、わたしはありのままの自分でいい。
これも『ありのまま認めるEFT 』をやって気づけたことです。
最近『ありのまま認めるEFT 』の受講生のSNSや自分のブログに出てきている“認めてチャン”。
人に認めてほしい、人に受け入れてほしい、そうしないと自分に自信が持てない、そういう感情から来る行動、それが認めてチャンなんだとわかって、自分の中にすごい割合で認めてチャンがいると気づいてびっくりしました。
このことで思い出したことがありました。
昔心理学を勉強していた時期がありました。
とりあえず生きていくことがしんどくて、つらくて、そこから這い上がるためにがんばって講座に通って勉強していました。
今思えば他の自己啓発と同じく知識はついたけど実際どう使っていいのかわからなくて役に立ってません(汗)
その講座の中で教えてもらった、三大欲求。
よく、食欲、性欲、睡眠欲とか言われますけど、心理学的、脳科学的には食欲、性欲、集団欲なんだそうです。
集団欲というのは、人は一人では生きていけないから群れたくなるという欲求なんだそうですが、人間が生きていくのに本当に大切な欲求で、これが満たされないと、心のバランスを失って生きにくくなり、犯罪を犯してしまったり、自殺してしまったりするくらい、満たされないと怖いことになる欲求なんだそうです。
自分が認めてチャンだと認識してから、認めてチャンって、この集団欲が満たされてないから出る行動なんだなと思いました。
他人ハンドルで人が喜んでくれるように(実は人が喜んでくれていると自分が勝手に思ってるだけなんだけど)行動して、思ったほど自分が満足できてない。
さらに満たされようと思って、さらに喜んでもらえると思う行動をして、やっぱり満足できない…。
結局どうすればいいかわからない…。(この後も同じことを繰り返し…)
そう思うと、満たされない思いを抱えて認めてチャンでい続けることに怖さを感じてしまうのでした。
わたしは、顔の作りから、昔から「怖い」と言われることがよくあって、怖いと思われても、わたしも人間だし女なので「優しいね」「親切だね」「いい人だね」と言われたいとずっと思ってました。
けど、絶対そう言ってもらえないので、だんだん性格もカリカリしてくるし、他人の評価がぺったり身について、性格まで怖くなっていくような気がしていました。
とにかく「優しい」「親切」の言葉が欲しかったわたしは、人が嫌がる事を積極的にやる自分を作り上げることでその言葉をもらおうと思いました。
自分も「やりたくない!!」と思っているのに、です。
わたしもやりたくないと思ってるのに、他人からの評価をもらうためだけに積極的にやるだななんて。
結果、自分が満足いく反応が返ってきたか?
もちろん感謝はされますし、それなりの評価がもらえますが、自分が納得していません。
だって、次から嫌なことを積極的にしてくれる猫村さんってレッテル貼られて嫌な役割がどんどん舞い込んでくるんだもん゚(゚´Д`゚)゚
よく言われる不幸は自分が引き寄せているってこういうことなのかなと思います。
冷静に思えばほんと馬鹿らしいです。
でも、わたし、こうやって人の評価を気にしている人を客観的に見て、「馬鹿らしい」と思ってたんです。
「おいおい、自分も仲間なんだよ!」って、後ろから肩を叩いて自分に教えてあげたい気分です(笑)
前回のブログ『認めてチャンは困ったチャン 』を読んでくださったアイホージュ の伊藤さんが、「あの日記を読んで、こういう人いるとは思っても、自分のことだと思う人は案外少ないかも」という主旨のことをおっしゃってたのですが、わたしの上のケースのように他人にハンドルを渡して気づかずに生きている事を本人は全く気づいてないんだろうな~と思います。
どんどん自分の人生のハンドルを他人に渡すことが進んで、うまくいかなくて心が失調してしまう前に、自分をありのまま認めて心の平安を取り戻す手段が手に入れることができてよかった。
今ももちろん認めてチャンがしょっちゅう顔を出てくるけど、人間の三大欲求からくるものと思えば、なくすことはなかなか難しいと思うので、自分の心の中に存在しているものと理解した上で、自分の中の認めてチャンが騒いでいるのを「ああ、今声あげて大騒ぎしてるw」と認めてあげることで、楽になることがわかりました。
人に喜んでもらわなくても、評価をもらわなくても、自分が心からしたいと思う選択をして行動を起こして自分が納得することで終わる。
これが人が生きていくのに、シンプルで生きやすい生き方なんだと思いました。
今日は、『ありのまま認めるEFT 』の中級講座の初日でした。
いつもセッションの時に、話が盛り上がりすぎて、かなり延長してしまうのは申し訳ないのですが、受けていてすごく楽しく感じています。
今日の講座の中で、自分軸で生きていない人にありがちな立派な人、有名な人に認められたいという話が出た時に、とある人を思い出して吹いてしまいました。
それを話すと伊藤さんに、「それ面白いから、日記に書いてくださいよ」と言われました。
確かに認めてチャンのいい例だと思ったので書いてみようと思います。
この講座の時思い出したのは、初めての転職で勤めた会社の代表取締役を勤めていたAさんでした。
Aさんは、地元では有名な資産家が集まる私立のエスカレーターの学校出身で、お父様が馬主という超お嬢様でした。
わたしとは2コ違いという若さでの起業。
当時女性の起業ブームだったので、まさしく当時の流行の最先端な人ではありました。
Aさんはどういう経緯かわかりませんが、とある中小企業の社長さんに気に入られ、その社長のはからいで出資してもらい、当時の知り合いBさんとともに会社を立ち上げました。
その会社の立ち上げメンバーとして採用されたわたしは、その会社で右も左もわからない状態で働いていました。
Aさんは身に着けているものから、育ちの良い嬢様であることがわかるし、見た目はこぎれいで素敵な人でした。
Aさんは交友関係も広いのか、話をすると「この前友達の有名なアートディレクターが~」とか「ギャラリーのオーナーが~」というきらびやかな世界の話になり、いつも「わたしはセレブだからいろいろ出会いがあるのよ~~~(オホホ)」ということを最後に付け加えました。
それに対して田舎から出てきたばかりのわたしはただただ想像を超えたセレブの世界に驚いて「お嬢様学校卒業して、起業のお祝いに父親から高級外車プレゼントしてもらって、持ってるバッグはボッテガだし、若くして会社の社長だからそうですよね~~~」と思いながら、ニコニコと笑って聞いていました。
ある日、いつものように雑談で話していたら、「そういえば、この前、俳優さんが集まる飲み会に誘われて行ったらそこにいらしてた俳優さんと友達になったんです。今度出演される舞台のチケット取ってもらえるようなので、一緒に行きませんか?友達なんで楽屋に挨拶にきてって言われてるんで~」とお誘いいただきました。
「さすが、Aさん!セレブは知り合う人がわたしとは違うなあ」と思い、「いいんですか?じゃあご一緒させてください!」と言って一緒にお芝居を観に行くことになりました。
楽屋に挨拶に伺うのだからお土産をどうしようかとAさんに確認したら、「わたしが適当にデパートで買って持って行きます」とおっしゃったので、セレブはそういうのには慣れてるはずだし、「じゃあお願いします」とお願いしました。
そして、お芝居当日。
生まれてはじめての劇場の楽屋への挨拶でドキドキして、当日劇場前で待っていたら、タクシーで現れたクラッチバック1個しか持ってないAさんを見て「あの、お土産は…」と聞くと「買う暇なかったので手ぶらです」と…。
「えっ。さすがに開演前の楽屋見舞いで手ぶらはまずくないですか?近くで何か買ってきましょうか?」と聞くと「え?ん~(一瞬悩んで)、まあいらないでしょ」と劇場の中に入っていきました。
楽屋に通されて俳優さんに初対面の人間として一通りの挨拶をして、その後ご友人同士のAさんと俳優さんで話が盛り上がるかと思いきや、全く何も話さない…。
沈黙が続いて気まずい空気がいっぱいになります。
そして、わたしが素人っぽさ炸裂でいろいろ話してその場を和ませ(?)「では、開演前で準備なんかでお忙しいでしょうから、Aさん、この辺で客席にいきましょうか~~」と話を終わらせ疲れきって客席に入ったのでした。
楽屋に入って出て行くまでAさんが話したのは「こんにちは。今日はチケット取っていただいてありがとうございます。今日は、わたしが経営してる会社の子と来ました」「じゃあ失礼します。」だけでした。
その時に思ったのです。
「この人の友達って何??」と…。
セレブの友達って私達庶民の友達と違うの??
その出来事の後も友達の●●という話を聞かされ実際お会いしたこともありましたが、なんだかお金の関係ですか?と思うときもしばしば…。
当時はセレブってわからないな~と本気で思っていたのですが、ありのまま認めるEFTを勉強している今思えば、この人は有名人に認められたくて有名人に近づき、知り合いになると「すごい有名人と知り合いのわたしってすごいでしょ~~~(オホホ)」と言って私達に「すごいですね~」と言ってほしかったのだと思いました。
他人に「すごい」「さすが」と羨望のまなざしを受けることで、自我というものが保てている自分の軸がない人だったのだろうと思います。
しかもこの人は、私達の前で強気な発言をする割に、取引先との合同会議の席になると一言も自分の意見を話せない人だったのです。
なんでそんな人が会社の社長になれたのか…。
今でも全然わかりません。
その会社は私達社員が辞めた後、出資してくれている会社でいろいろあり、Aさんは責任を取ってなのか自分では対応しきれないと思ったのかはわかりませんが、その会社を辞めて違う会社に勤めることになり、一緒に経営していたBさんが会社を引き継いで、業種変えして一人で細々と仕事をしています。
昔は、使命感(戦後復興、国を豊かにしたい等)を持った人が起業して、そのぶれない使命感に社員がついていって会社が大きく成長していったことが多かったと思うのですが、少し前の起業ブームでできた小さな会社はわたしが経験した社長のような認めてチャンを炸裂させて周りの人を巻き込んでいる人は多いに違いないと思っています。
こういうAさんのような人でも、機会に恵まれれば社長になることはできるけれども、社長が認めてチャンだと会社が崩壊に向かうのは間違いないのだと思います。
また、こういう認めてチャン社長の下に認めてチャン部下がつくんだからうまくいくわけもありません(爆)
自分のありのままを認められずに他人に認めてもらおうという他人ハンドルで生きていく怖さを、このAさんを思い出しながら感じています。
日本EFT愛用協会のSNSの伊藤さんの日記で「認めてチャン」というフレーズが出てきたので、わたしの中の認めてチャンについて書こうと思います。
わたし自分では全く気にしてなかったのに、ありのまま認めるEFTをやり始めて、自分の中の認めてチャンの大きさに驚いています。
わたしは無意識に、今まで人から「うらやましい!」と思われたいと思って行動してきたのです。
特にひどいのが、物を購入する時です。
「これもってたら人からうらやましいって言われるかな~」というのがあるのです。
ある大きな物がほしいと思って、物色していたかつての私を思い起こすと「これ手に入れたら、友達から「猫村ちゃんすごい!」といわれるかな~」とか「職場の人にうらやましがられるかな~」と思っていたことをはっきりと覚えています。
なんて馬鹿らしい判断基準なんでしょう~~~。
結局それは買わなかったんですけど、今思えば買わなくてよかったと思います。
それを買ったからと言ってうらやましいと思ってもらえるかわからないのに、何考えてるんでしょうか。
きっと、購入した後、一通り「うらやましい」と言ってもらった後、もしくは「へぇ」で終わらされた後、その購入した物への興味はなくなってしまったことでしょう。
人にうらやましがられることで自分の幸せを作ろうだなんて、今思えば、他人にハンドル渡しすぎじゃないかと思います。
旅先で、どこに行くかわからない行き先不明なバスに乗って、「これに乗って行けば、必ず目的地にいける~」と思ってる自分を想像すると、おかしくて(爆)
わたしの認めてチャンが満載なところが読めるのが、こことは別なところで続けているプライベートなブログです。
先日その日記を久々に読み返してみたのですが、自分で読んでて痛々しく感じてしまいました。
仕事がうまくいって充実している友達、学生時代にできたはじめての彼氏と結婚していく友達がいる中、仕事がうまくいかない、プライベートがうまくいかない、そんなものを隠すように、「わたしってこんなに充実しているの!!」と主張しまくるブログ。
いかほどにわたしは痛々しかったか…。
ああ、恥ずかしい(爆)
ブログ見てる友達からも「猫村ちゃんは充実してて楽しそうだね」と言われて満足していましたが、実際心の底は今の私のように「痛々しいなあ」と思われていたかもしれません。
でも、他人はそこまでわたしのことを見てくれているわけでもなだろうし、これも上と同じで実際「痛々しい」と思っているかどうかもわかりませんし、過去のブログを自分が恥ずかしいなと思ったとしても、過去の自分はそういう時期もあったとありのまま認めるだけで、この痛々しいと思ったことへの恥ずかしさは楽に受け入れられるのですけどね。
ありのまま認めた後のあの痛々しいわたしは、ある意味一生懸命で必死で人間味があってなんとなくかわいらしく思えるのでした。
自分をかわいらしく思えるなんて、今までの人生にあっただろうか…。
言葉では何度も「昔のわたしは若くて何も知らなくてかわいかった」と言いつつも、こんなに実感できたことなかったかもしれない。
それが理解できたのも「ありのまま認めるEFT」をやり始めたからだなあと思うのでした。