以前、どこかの塾の先生が面白い試算をされていました。
その先生の子さんが重要な「進路選択」をする際、どの道に進めば「経済的効率」がよいのか、極めて真剣に試算されたようでした。私などからすれば、そもそも「経済的効率」だけで「人生の価値」を推し量ること自体が「アホか!」という感じなのですが(笑)、一方で多くの人たちが盲信している「一般的な(と思しき)価値観」なるものが本当に正しいのか、率直に疑問を呈する姿勢自体には大きな価値があると思います。
その先生のお子さんは「医学部」に進んで医者になるべきか、はたまた文系に進んで弁護士や公認会計士等の大型資格を取得して生きるべきか、どちらの方が「経済的効率」が良いのか、大真面目に試算されたようです。
その結果、
「国立大医学部に進学できるのであれば話は別だが、私立大の医学部の場合は途方もない学費がかかり、仮に研修が終了して「一端の医者」となって年収1500万円ほど稼ぎだしたとしても、「投資が回収」できるのは60歳前後、一方で文系に進んで首尾よく大型資格を取得した場合は、数年で収支はプラスに転じる。」
との分析結果だったそうです。そしてそのお子さんはその通りに人生を歩み始めることにしたそうです。
もちろん医者であろうが弁護士であろうが、あるいはそんな資格など全く持たない人であろうと稼げる人は稼げるだろうし、ダメな人はダメであるのは当然のことです。そもそも人生の価値を専ら金銭的なものだけに求めること自体が、実にさもしい人生観であることは「言わずもがな」なのです。それでも、一般的な価値観を盲信することなく、常に健全な猜疑心を持ち続けることが、おぼろげながらも「真実」の一端を垣間見ることができる唯一の手段であることは、疑いの余地がありません。
受験において、「良好な受験環境」を求めて首都圏の難関校を目指す小中学生が数多く存在します。多額の月謝や交通費の負担は避けられませんが、それでも「それだけの価値」がある選択なのだろうと思います。一方で、「田舎の進学校」からでも少数ながら必ず東大・京大・国立医学部などの超難関校に進学する生徒は必ず存在しますし、当然のことながらそのような生徒たちにかかる「学費」は、それこそ「一般的な金額」で収まるはずなのです。
学習環境の良否は確かに存在しますが、それでも「勉強」は万人にとって比較的公平性が高いものであると私は思うのです。
「一等が何本も当たっているから!」と、わざわざ「西銀座チャンスセンター」に並んで宝くじを買えば、当たる確率が飛躍的に上昇するというような「妄想」は、勉強の世界でもやっぱり「通用するわけない!」のだと、私は考えているのです(笑)。受験において、「どっちが損か得か?」などという損得勘定ばかりするのは決して「お上品」とは言えないのかもしれませんが(笑)、良い意味での「費用対効果」を考慮した上での「進路選択」も、また重要な論点ではないかと考えた、木曜日の朝なのでした。
頑張りましょう!





