私の父は私が大学1年生の時、52歳で亡くなったのですが、それはそれは失礼な方でした(笑)。比較的大きな会社に勤めていたのですが、出世には全く縁がない人、その点は倅である私にもしっかり受け継がれています(笑)。
父は所謂「偉い方」に全く配慮ができない性格で、重役でもあった工場長に対して「お前!」呼ばわりをするような、実に失礼な方でした。そんな人が「組織」において出世できるはずがありません(笑)。父には父なりの「理由」や「正義」があったのでしょうが、いつの世も出世するのは「清濁併せ呑む」人たちなのです。「言いたいことを言っている人」が頭角を現せるほど、世の中は甘くないですし、それくらいのことは父も理解していたと思います。
翻って、同僚の出世を目の当たりにし、会社において「冷遇」されていた父が不幸であったり、不貞腐れていたのかといえば、私には決してそのようには見えませんでした。父は確かに組織の中においては「爪はじき者」だったのかもしれませんが、組織において「重要(と思しき)地位を占める」ことへの価値を見出せなかったのだと思います。そんなことよりも、私の野球を応援しに行ったり、自宅で晩酌をする方が父にとっては「大切なこと」だったのでしょう(笑)。正直なところ、父の生き方には息子として少なからず反発心もありましたが、このような「価値観」は父も私も似たような部分があることは確かで、私にとって、父に対する数少ない「尊敬できる部分」のひとつでもあるのです(笑)。
「とにかく金儲けをしたい!」「会社で偉くなりたい!」というのも立派な価値観だと思います。一方で、金や社会的地位以外にも価値を見出すべき対象はいくらでもあるはずなのです。私たち人間にとって「学ぶ必要」があるとすれば、まさに自分自身の「価値観」を見出す能力を身に着けるためだと言えるのではないかと、私は考えているのです。ひとつだけはっきりしているのは、その価値の対象が、他人のそれと同じである必要性などどこにもない、という真実だということを、決して忘れてはなりません。
何しろ現代は「多様性」を尊重する時代なのですから(笑)。
ちなみに、会社という組織の中で最も「強い人」は、「社長」でも「会長」でもなく、「出世に興味がない(もしくは諦めた)人」であることは疑いの余地がありません(笑)。そういう方はもはや組織の行く末などに全く興味はありませんし、上司の諫言なんか、気にする訳がない(笑)。けれども、「正しいこと」を主張するのも、実はこの手の方々でもあることも多いのです。
「成功した人」って、いったいどんな人なんでしょうねえ(笑)。
頑張りましょう!

