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エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
http://www.effort-aca.com
です。よろしくお願いいたします!

小中高生は既に夏休みが終了したと思いますが、大学生については9月中旬まで夏休みが続くものと思います。

一方で、大学の夏休み期間中には「集中講義」なるものがあって、数日間の集中的な授業を受講することによって単位を認定する科目があるそうです。そういえば遥か昔の私の大学生時代にもあったような気がしますが(笑)、次男は昨日より3日間に日程で、「朝から晩まで」同じ講師のもと、心理学系の「集中講義」に出かけているようです。

 

そんな「集中講義」自体はともかく、次男は今回の通学から「新たな挑戦」をしているところなのです(笑)。それは先日取得した「原付免許」を駆使して、沼津駅まで「原付で通う」ということでした。次男にとっては4か月越しの「念願」がようやく叶ったという感じなのです。

 

集中講義前夜、次男は自宅に隣接する沼津教室に来て、私に「明日からの通学路」について相談していました(笑)。初めての本格的な原付の運転、どのようなルートで駅に向かえば極力「通勤通学ラッシュ」にハマらないか、私と二人でグーグルストリートビューを駆使しながら検討を重ねました(笑)。もっとも望ましい通学路が決まり、次男としては少しばかりの緊張感を抱きつつも、準備万端で「その日」を迎えたのでした(笑)。

 

思い返せば、私自身も大学へは新幹線での「長距離通学」でした。大学1年の時の年末にで父が亡くなってからは、母に請われて下宿を引き払い、自宅から首都圏まで通っていました。その際、新幹線の停車駅である三島駅まで、連日原付で通っていました。一度「自爆事故」を起こしたりして、親を心配させたこともありましたが(笑)、何とか無事に卒業まで通えたことは、今となっては良い思い出となっています。

 

「妙に幅寄せしてくるトラックがいたり、猛スピードで抜いてくるバイクがいたりして、ちょっと怖かったよ。」

 

そんなことを言いつつも、次男の表情はどこか晴れ晴れとしたもののように感じました。原付バイクというツールを得て、次男の行動範囲は今までよりもずっと拡がることでしょう。親として倅の安全を心より祈りつつ、自らの運転によって、責任をもって行動し、視野を広げていってくれることを願わずにはいられない私なのでした。

 

初めて原付で街に出た時、はっきりとはわからないのだけれど、何だかとても嬉しかったことを思い出した木曜日の朝なのでした。きっと次男も私と同じ気持ちだったのではないかと思います。

 

頑張りましょう!

昨日は我が家にとっては「大事件」たる出来事がありました。

 

母は朝から、

 

「車の鍵を出せ!」

 

と大騒ぎ、当然車を運転させる訳にはいかず、なぜ車が必要かと問うと、

 

「友達の家に行きたいから。」

 

とのこと、それならば私が送迎するからと、渋る母を何とか抑えて「友達の家」まで送ったのでした。帰りの時間になったら必ず連絡するように伝えることも忘れませんでした。

 

お昼頃、母から、

 

「市役所の近くにいるから迎えに来てほしい。」

 

との連絡がありましたが、私が送った「友達の家」から市役所まではかなりの距離があります。この時点でちょっとおかしいとは感じていたのですが、とりあえず市役所に向かいました。

ところが指定の場所を4回回っても母はおらず、再度母に連絡した(母はかかっていた電話にほとんど出ず、連絡を取ること自体、非常に困難でした)ところ、今度は、

 

「仲見世商店街にいる。」

 

とのこと、さらに数キロ先に商店街があるのですが、入り口が複数あり、どの入り口が問うても答えられないのです。

 

「何かお店か、建物があるだろ。それを言ってくれ!」

 

「建物もお店もない!」

 

商店街に「お店や建物」がないはずありません。

すると、また数分後に連絡があり、今度は、

 

「駅前にいる。」

 

とのこと、この時点で警察に通報することを考えていましたが、駅前のロータリーに車を止めて、母を探そうと思っていたところ、全くの偶然にも交通量の激しい横断歩道のない幹線道路をヨタヨタと歩く母を発見し、無事保護することができました。顔色は文字通り「土色」で、明らかに熱中症の症状が出ていたように感じました。

 

自宅にいた次男に連絡し、エアコンを最強にしておくこと、自宅に到着したら、母を運び入れるのを手伝うように伝え、何とか無事に家までたどり着いた次第です。

 

すぐに布団を敷いて寝かせたのですが、意識が混濁し、よだれと鼻水を垂れ流した上、失禁までしていた母の姿を見て、次男も少なからず衝撃を受けたようです。

 

しばらく経過を見て「ダメ」なようなら救急車を呼ぼうと思っていましたが、幸いにして数時間後に覚醒し、

 

「ごめんね~迷惑かけたね~」

 

などと軽口を言っていた時は、我が母ながら、「軽い殺意」を覚えてしまいました(笑)。

 

少し前からわかっていたことではありますが、母の頭の中では地理的な感覚が完全に壊れてしまっているようです。最初に約束した「市役所」も、実は市役所ではなかったのだと思います。商店街や駅は自宅とは真逆の方向であり、母の頭の中では地理的な情報を正常に処理できる余裕が、もはやなくなってしまっているのでしょう。

以前は足の具合が悪く、「出歩きたくても出歩けない」状態だったので、家族としてはある意味で安心だったのですが、多少歩けるようになった今後については、大きな心配が尽きないのかもしれません。家族とて、四六時中母を監視している訳にはいかないのです。

 

健康な若者だって、30度を優に超える気温の中で、数キロを歩けば熱中症になっても不思議ではありません。何か抜本的な対策を急がなければならないと強く感じた私なのでした。

 

頑張りましょう!

なぜか兄弟そろって「教育学部」に進学した愚息たちは、最近では塾での指導に関わる機会が多くなってきました。親であり、塾の責任者である私から見ても、

 

「まだまだ力不足だな~」

 

と断じざるを得ない現実がある一方で、倅たちは倅たちで塾生たちの指導を通じて「考えるところ」が少なくないようなのです。

特に次男は「教育学部」の中でも「心理学科」を専攻し、心理学的アプローチを駆使して教育を学ぼうとしています。当塾は完全マンツーマンの個別指導塾ですので、学習上の問題点を抱えるお子さんも相当数在籍しています。少し不遜な言い方になり恐縮なのですが、そのような個性溢れる塾生たちとの触れ合いは、次男にとってはまさに「生きた教材」そのものに映るようです。

 

次男が大学で学ぶ、言わば「座学」の「検証」を、塾での指導の中で実践しているような感じです。本日の授業後も次男と話をしたのですが、学習障害を抱える子にとって、「モノ」がどのように見えているのか、という点について議論になりました。

「視力」という点では問題なく「見えている」のですが、「見え方」がちょっと異なること、例えば「文字」を見た時、それを「文字」と認識せずに、ある種の「記号」と認識するから、「理屈」で説明しても理解が難しい、であるならば、「絵」や「図表」を駆使して視覚的に「わかってもらう」ことが有用だと大学で「習った」そうなのですが、この界隈で四半世紀を過ごしている私にはもはや「当たり前」のことで、偉い先生の論文など読まなくてもとっくに心得ていることなのです(笑)。次男としては「座学」が「実践」により「証明」されていくことが、単純に「学生」として新鮮に感じているようです。このような経験の積み重ねが、次男の大学での学びに寄与していくことを願うばかりです。

 

同時に、次男自身として「教育心理学」の奥深さと、その仕事の過酷さを実感しているようで、自らの「身の振り方」について、「ワリと真面目に」考え始めているようでした(笑)。数多存在する「仕事」の中で、犯罪でも犯さない限りは「濡れ手に粟」のようなラクな仕事などほとんどあり得ない、いずれにしても程度の差こそあれ、人間は死ぬまで「苦難の道」を歩まざるを得ないのです。恐らくは、今まさに次男は「大人への階段」を登っている最中なのでしょうが、塾での活動の中で、自らの人生について誠実に「思い悩むこと」こそが、まさに「大人になること」に他ならないのだと、私は考えているのです。

 

次男の「苦悩」を、親として大いに支持するとともに、一方で、

 

「俺のようにはなるなよ・・・」

 

と願わずにはいられない私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

先日、以下のようなニュースを目にしました。

 

函南町は私が住む沼津市に隣接した自治体で、熱海・三島にも近く、自然豊かな暮らしやすい土地柄だと思います。

この人口3万人余りの小さな自治体の「議会」で、大問題が勃発しているようです。

 

町役場の職員研修用の資料において、議会運営への対応として、

 

「議会の多数派である特定の会派には「丁寧に対応」し、少数派には「粗雑に対応して構わない」」

 

という「明確な指示」を、証拠が残る「文書」として配布されていたことが明るみに出たそうです。詳しくはリンク先の映像を見て頂きたいのですが、こんなトンデモ資料を本当に町の職員が作成したのか、しかもこのような「研修資料」については、ある程度の地位にある職員が作成するはずで、おそらくは町長をはじめとした町職員全体に同様な「雰囲気」が蔓延しているであろうことが強く疑われるのです。

 

いろいろと「おかしい部分」が垣間見れる一件ですが、高度な情報化が進んだ昨今において、明確に「証拠」が残る「文書」にて、わざわざこのような「言い逃れができない証拠」を残してしまうという杜撰さに、大変驚いてしまいます。

さらに、当然のことながら、一介の「公僕」が、意図をもって「少数意見」を弾圧するという行為は民主主義そのものを否定する行為そのものであり、法律違反というよりも、むしろ憲法違反とも解すべき大問題だと思います。このような重大な犯罪行為を平然と「やってのける」精神は、ある意味で「公務員気質」を見事に反映していると言えなくもないのですが、この「犯罪者」が「諭旨免職」でも「懲戒免職」でもなく、ぬけぬけと「依願退職」して退職金を満額「掠め取って」見事に「逃げ切った」ことに、ただただ驚きを隠しきれないのです。

 

「超えてはいけない一線」を「何の躊躇もなく軽々と越えて」しまう輩が、「町役場」という極めて公的な場所にも一定数(どころか、大多数?)存在することに、ある種の戦慄を覚えてしまう私なのでした。

 

函南町は今からでも当該「元職員」に対して、毅然とした対応をしなければなりません。でなければ、「町ぐるみ」だと勘繰られても仕方がないと思いますよ。

 

頑張りましょう!

当塾では、私のほかに「S先生」という女性講師に主たる講師として活躍して頂いております。

 

このS先生、実は私の出身大学の「先輩」にあたります。「先輩」なだけに、私としてもなかなか強くに出れない部分もあるのですが(笑)、学部学科も全く同じ、それにしては随分異なった人生を歩いているような気がします(笑)。

 

アメリカで生まれ、小学生までアメリカで育ったS先生は、いわゆる「ネイティブスピーカー」であり、その英語力については私などは足元にも及びません。帰国直後はほとんど日本語が話せなかったそうですが、いまや立派な「日本のおばちゃん(失礼!)」であり、帰国後に相当の努力を重ねられたことは容易に想像できます。日本に生まれ、日本で育ちながら、母国語さえ満足に扱えない人が少なくない中で、S先生の努力と能力にはただただ驚かされるばかりです。これで同じ大学出身なのかと、私としては少々悲しくなってしまうのです(笑)。

 

思い返せば、私とS先生の母校は、いわば「難関大学に今ひとつ手が届かなかった」学生の集まりのような性格を持つ大学で、キャンパス内にはどことなく敗北感や諦めのような雰囲気が蔓延しているような感じでした。本来の「想い」を遂げることができず、当時は、

 

「さて、これからどうしようか・・・」

 

という意識が強かったような気がしています。当時の何となく感じていた焦燥感や絶望感が、私やS先生の後の「身の振り方」に大きな影響を与えているような気がしてならないのです。私は塾業界に身を置いて、早いもので四半世紀が経過しましたが、S先生も当塾にて勤務する以前には某大手進学塾で講師を勤められていました。私自身、かつて経験した「手痛い失敗」を糧として、必死に夢を追う若者たちを応援したいという気持ちが強いのだと思うのです。この点に関しては、きっと私もS先生も同じように考えていると思っています。

 

「人生はイージーモード!」たる「成功者たち」が経験しえなかった、貴重な「手痛い失敗」さえ駆使して、私たちは子供たちの「夢」を応援したいと強く感じております。それこそが当塾の「強み」であり、どのような状況に置かれたお子さんであっても「受け入れる」覚悟で臨んでいる所以でもあります。躓きでさえも貴重な「経験則」に昇華し、少しずつではあるけれど、確実にお子様が「賢くなっていく」様子を、保護者様とともに見守り、大いに喜んでいくことを旨として、今後も指導を徹底して参る所存です。

 

数多の「失敗」を乗り越えて、逞しく成長していくお子様と出会えますことを、S先生とともに楽しみにしている私なのでした。

 

頑張りましょう!

日々「おかしな時間」に働き、「貧乏暇なし」な過酷な生活を送っている私にも、「ささやかな幸せ」というものが確かにあるのです(笑)。

授業終わりや朝方によく利用しているのがこちらです。

「なんだ、「ゆで太郎」かよ!」

 

なんて決して言わないでください!(笑)。元来「蕎麦好き」の私にとって、24時間いつでも開いているこちらのお店はとても貴重なのです!

朝まで細々とした事務仕事をやって、5時の「モーニング」開始に「一番乗り」すべく、早朝から意気揚々と来店した私なのでした(笑)。こちらのお店の従業員はほとんどが外国人の方ですが、キビキビと働いていて、挨拶もしっかりしてくれます。不愛想な日本人よりもよっぽど「爽やか」なのです(笑)。

これを500円で頂けるのは、私のような貧乏人にとっては大変ありがたいのです。「かき揚げ」は「三陸わかめ」にチェンジできるのですが、この日はその旨を店員さんに伝えるのを忘れてしまい、かき揚げがそのまま出てきました。本来カロリー的には「アウト」ですが、このかき揚げ、揚げたてで非常に美味でした!血糖値は気になるところですが、まあたまにはいいでしょう(笑)。

こちらのお店には時折授業終了後に次男を連れてお邪魔したりもしています。一人で食べるよりも、次男と一緒に「授業の反省」をしながら食べると、なぜかいつもより美味しく感じるから不思議です(笑)。

 

それと、もうひとつ。

もはや私の「行きつけのお店」となった「業務スーパー」で売られている「宇治抹茶のデザート」です。これがなぜか実に「美味い」のです!(笑)。普段はある程度の「糖質制限」をしているせいか、「あんこ」の甘さが私にとっては「堪え難い幸福感」に繋がっているようです(笑)。若い頃は「あんこ」なんて好きではないというか、むしろ「嫌い」だったのに、「おっさん」になると味覚が変化することを身をもって実感しているところです(笑)。

抹茶味のかんてん自体はほとんどカロリーがないと思いますが、「あんこ」にはそれなりのカロリーと糖質が含まれているので、このデザートを頂くために、前後の食事の量を調整したりしています。それほどこのデザートにハマっているところなのです(笑)。

 

50歳も半ばを過ぎた「おっさん」のみすぼらしい実態をお見せして恐縮なのですが(笑)、人それぞれに「幸せのカタチ」は異なるものだと私は思うのです。私には生涯「縁がない」であろう「贅沢な暮らし」を羨ましく思うことがあっても、「ゆで太郎」や「宇治抹茶のデザート」がない人生など、私にとっては文字通り「無味乾燥」なものになってしまうだろうと、半ば確信めいた思いを抱く私なのでした(笑)。

 

蕎麦を食した後の「蕎麦湯」が美味いのよ(笑)。

 

頑張りましょう!

昨日、ちょっと面白い記事を目にしました(笑)。

 

「校長が教員を恫喝してパワハラ」かと思ったら、新卒と思しき新米教師が61歳の校長を「叱責」して懲戒処分だと(笑)。パワハラと言えば「上司が部下に」だとばかりかと思っていましたが、ちょっと認識を変えなければいけないかもしれません(笑)。

 

最低限のモラルさえ持ち合わせていない「若造」の件はまずは「置いておいて(置いといちゃいけないのかもしれませんが(笑))、公教育の管理者たちが、これを「たまたま発生したちょっと頭のおかしい若者の偶発的な事件」だと捉えているのであれば、まさに「チャンチャラおかしい」お話なのです。

 

昨今の慢性的な教員不足の影響もあるのでしょうが、それにしても旧態依然とした「縁故採用」を令和のご時世になっても綿々と継続し、その結果、真に「能力」と「やる気」に溢れている人材をみすみす取り逃がしている現状が、このようなアホらしい事件を呼び込んでしまったのではないでしょうか?要は「人材を選んだ側」の責任が極めて重いのは言うまでもないことなのです。

 

私自身、職業柄「公教育に携わる人たち」の実情を比較的よく知る立場にありますが、素晴らしい教育者がいらっしゃる反面、およそ子供を導くには著しく不適格な輩が跋扈しているのもまた確かなのです。大切なお子様を育てている保護者様は、このような実態の「学校」にお子様を預けざるを得ないという現実だけは知っておかなければいけないと強く感じます。

 

「教員」を志望する学生の数自体が減少している昨今において、各自治体も教員の確保に四苦八苦している実情は理解できます。ただ、その実情に至った原因はどこにあるのか、ただ単に子供や学生の数が減っているだけが原因ではないと、私は考えるのです。「教育」とは未来の「国力」を担う重要な責務です。社会から「はみ出す」ような、常識さえ理解できない輩に大切な我が子を預ける訳にはいかないのです。

公教育の教員という、実に狭小で閉鎖的な「ムラ社会」に風穴を空けることが、子供たちの未来と、青雲の志を持った教員志望の若者たちのために大いに資することを、私は信じて疑わないのです。

 

今回の場合、とにかく「教員として(というより、人として)の適性」を明らかに欠いているのですから、分限免職なり懲戒免職なりにすべきだと強く感じます。「選んだ側」の責任を、強く質したいと思います。

 

頑張りましょう!

いい意味でも悪い意味でも「昭和」を生き抜いてきた私としては(笑)、「根性論」なるものをいまだ頑なに信奉している一人なのです。もちろん時代とともに「変わらなきゃいけない」ものだってあるのは理解していますが、「人間」として生きている以上、「変わらないもの・変わっちゃいけないもの」だってあるのだと、固く信じて生きているのです(笑)。

 

人間というものは実に「不完全」で、「不確実」なものであるという事実を、決して忘れてはいけません。「わかっちゃいるものの」、理屈通りには動けないのもまた「人間」であり、また「え!そんなことできたの?」と想定外の成果を出すのもまた「人間」だからこその「成せる業」だと私は思うのです。

 

データや分析も大変重要であることは疑いがありませんが、人間だからこそ「心の在り方」もまた欠かせない要素だと思うのです。「心」の問題は、私たちが生きている以上、避けては通れない問題でしょう。

 

「それ、意味あるんですか?」

 

自分が「お利口」だと勘違いしている人がよく口にする言葉ですが(笑)、意味があるかどうかなんて、「やってみた人」にしかわからないことで、自ら動こうともしない「外野の人間」が口にしていい言葉ではないはずです。自らの責任において、まずは「やってみる」こと、そこで初めてその「意味」が理解できるでしょう。たとえそれが明らかな「失敗」に終わったとしても、それはそれで貴重な「経験則」となるはずです。少なくとも「口先だけの人」よりも、得られるものは大きいのではないでしょうか?

 

受験生の皆さんにとって、来るべき「受験」はまさに「人生の岐路」といっても過言ではないでしょう。私は決して「宗教家」ではないのですが(笑)、「魂を込めて」勉強に立ち向かうことを強くお勧めいたします。自分自身の人生なのですから、「行きたい学校」に行くために、全身全霊を傾けるべきなのです。そこにスマートな方法論や理屈は必ずしも必要だとは、私には思えないのです。まずは必死にやってみよう!明らかに「根性論」の範疇を抜け出ない主張で恐縮なのですが(笑)、こんな「根性論」こそ、この先も受け継いでいくべき思想なのではないかと思うのです。

 

殴ったり蹴ったりする古い「根性論」は当然のことながら「昭和」で終わり(笑)、けれども魂を込めて頑張る精神だけは、いつの世でも変わらないのではないか、とふっと感じた木曜日の朝なのでした。

 

夏の学校課題が終わっていない子は、そろそろ焦ってくださいね!(笑)。

 

頑張りましょう!

昨日、とある中学生の授業において、ちょっと面白いことがありました。

その子は基本的には「よくできる子」であり、中学受験も経験しています。ひと言で言えば「品行方正」、実直で努力家な子、在籍している中学校での評判も上々なお子さんなのです。

 

昨日はお盆明けのため、久々の授業でした。課題として演習形式の総合問題(数学)を出しておいたのですが、その「結果」が「らしくない」状態だったのです。

総合問題でしたので、序盤は単純な計算問題、その後に方程式や関数、証明問題など難易度が上がっていくのですが、その序盤の計算問題で何度も躓いていたのです。計算といっても、四則計算や極めて単純な方程式の計算など、通常なら「間違えるはずがない問題」を次々に「ミス」していたのでした(笑)。

 

この子の名誉のためにあえて断言しておきますが、通常であればこのようなことはあり得ないのです。当の本人自身が大変驚いておりました。ケアレスミスが多かったとはいえ、いい加減な気持ちで取り組んでいた訳ではないことは百も承知ですが、それでもこの手の「ケアレスミス」は、自らの進路を大きく左右してしまう可能性もあるので、私からはそれとなく「厳しめに」注意をしておきました。基本的に「真面目な子」に注意するというのは、私のようながさつな人間にとってさえも、やや心が痛むところなのですが(笑)、指導する側の責任として「言うべきこと」は言わなくてはなりません。

 

「そんなつもり」は決してないのだけれど、このような言わば「気が抜けてしまった」状況というのは、誰でも時折招いてしまうことがあるのです。勉強の「量」や「質」が「いつも」と大差ないと考えて過ごしていたとしても、日々の学習に対する「緊張感」が、無自覚のうちに欠けている状態で過ごしていると、知らず知らずのうちに「つまらないミス」を重ねる結果となってしまうのです。勉強でも病気でも同じだと思うのですが、「自覚症状」があるうちはまだ「マシ」で、本当に恐ろしいのは「無自覚のうちに症状が進んでしまう」というケースで、私自身も学生時代に勉強や野球において何度か経験した「苦い思い出」でもあるのです。

 

このような状況を招かいないためにも、自学自習にしっかり取り組むことと同時に、塾などで一定の緊張感をもって机に向かう環境も必要なのかもしれません。自分自身は「しっかりしている」「頑張っている」という自覚があっても、「気の緩み」というものは知らず知らずのうちに「忍び寄ってくる」ものであるという事実を、特に受験生の皆さんにはしっかりと自覚していただきたいと強く感じているところです。

 

夏休みも間もなく終了、そろそろ「学校モード」に切り替える時期なのかもしれませんよ!

 

頑張りましょう!

学習塾に限らず、およそ「商売」を生業としている人間とすれば、「口コミ」は無視したくても完全には無視できるものではないのです。良い口コミであれば大歓迎ですが、あまりにも悪質かつ事実とは異なる口コミであれば、中小零細事業者にとってはそれこそ「死活問題」ですから、法的手段にだって訴えることがあるのです。幸いにして当塾においては、そんな事態まで至ったことはありませんが、「その一歩手前」までは至ったことがあります。何が目的で「事実でないこと」を吹聴しようとしているのか、それが法的に問題があることがどうして理解できないのか、「お前、それでも大人か?」と勘繰ってしまうほどなのですが(笑)、それでもいつの時代においても「けしからん奴」は確実に一定数存在しているので、「断固たる対応」を取らざるを得ないこともあるのです。

 

もっとも、明らかにサービス提供側の「過失」があるのであれば、「悪い口コミ」さえもひとつの「クレーム案件」として改善に努めなければならないのは当然のことで、結果として業務が「良い方向」に向かうのであれば、「ありがたい口コミ」と言えるのかもしれません。一方で、全く事実に基づかず、「妄想」や「捏造」に終始し、酷い時には何らかの「対価」を得ようとする、いわゆる「クレーマー」なる輩も存在します。実は過去に当塾においてもこの手の「クレーマー」が存在し、弁護士の助言のもと、対処したことがありました。もう思い出したくもない過去なのですが(笑)。

 

このような有象無象の輩が、超テキトーに嘯くホントかウソかもわからない「口コミ」を、「丸呑み」するのは極めて危険であるということを理解すべきでしょう。更に問題なのは、そのような「口コミ」を、意図的に「作り上げる」輩が存在しているという事実です。

先日、誰もが知る「某通販サイト」にて買い物をしたのですが、3点ほどの買い物が同梱されて送られてきました。それはそれで特に問題なかったのですが、そのうちのひとつの商品の梱包が雑で、荷物の中で動き回ってしまったようで、他の商品の箱を傷めてしまっていました。

商品自体が少々の傷がついても問題ないものだったため、特に返品申請などはしなかったのですが、「梱包が雑だった」旨のレビューを書いたところ、翌日に「某通販サイト」から連絡がありました。その内容をそのままコピペしようかとも思いましたが(笑)、要約すると、

 

「商品に関係ないレビューは認めない。」

 

とのことでした。いや、梱包がダメダメだったから、そのことを正直に書いたんだけど、何がダメなの?と思ったのですが、皮肉を込めて、

 

「梱包も商品も素晴らしく、納品後の〇〇〇〇の対応も非の打ちどころがありませんでした!」

 

とレビューし直したところ、即日サイトに反映されておりました(笑)。長年〇〇〇〇会員として年会費を支払ってきましたが、もうやめようと思います(笑)。

 

「口コミ」は商品選定の上では主要な「参考資料」には成り得ますが、あくまで「参考資料」の範疇にとどまるものだと思います。よい口コミでも悪い口コミでも、まずは「疑って」かかること、そして自ら能動的に調べてみることをしなければ、本当の「価値」はわからないのではないでしょうか?

「口コミ」全盛の昨今においても、消費者としては、この程度の「義務」は当然の如く負うべきだと、私は考えているのです。

 

頑張りましょう!