当時流行ったテレビドラマのセリフです。
遠く離れた東南アジアと日本の本社との距離は結構遠かったです。
1997年当時、シンガポール、マレーシア、フィリピン、インドネシア、タイのお客様をとにかく訪問しました。
当時の製造業は、円高を受けて東南アジアに工場を進出を加速していた時期でした。
一番早かったのは、
テレビやオーディオ機器がマレーシアやインドネシアへ
数年遅れて
エアコンや家電がタイへ
そして当時は
パソコン業界がフィリピンへ進出開始
各国は加工貿易で関税がかかるので、部品は国外のシンガポールで調達し、各国で組み立てて輸出するというビジネスモデルでした。
なのでサプライヤーはシンガポールに営業拠点を持っていると、東南アジアの各国から注文が舞い込んで来たのです。
しかしながら、弊社の売上は3年連続で前年割れをしている状況でした。

各国の顧客を訪問して分かった事は、
サプライヤーも各国に工場を作って、そこで組み立てた部品を顧客に納入し始めていた。
テレビ、オーディオのお客様は進出も早く、サプライヤーの工場進出も進んでいました。
お客様は、コミュニケーションや納期の事を考えると現地で部品を調達したい。
当時はインターネットやメールも普及していなかったので、言語や文化の違いで意思疎通が容易ではなかったです。
以前お話をした4500万円の未回収もこんな背景で発生したインシデントですね。

シンガポール拠点施策の弊社のビジネスは知らない間に現地工場進出したサプライヤーに切り替えられていました。
日本から次々とビジネスが移管されて来て、その対応でシンガポールのデスクで見積りや納期対応で毎日超忙しいのに、それ以上にビジネスを失っていたという訳です。

さて、これをどう立て直しましょうか?
1997年にシンガポールに赴任して最初にした仕事。
現地社員とのインタビューとか、顧客訪問とか華やかな海外駐在員の仕事かと思ったら。。。なんと、

4500万円の未回収債権の回収

でした。
当時は日系企業がこぞってマレーシア、インドネシア、タイ、フィリピンなどに工場を進出して、大量の日本のビジネスが移管されて来た時期でした。
その中の一社、フィリピンのお客様に注文書を貰って納入して売上を上げていたのですが、2年くらいお金の回収が出来ていない不良債権があったのです。
対応していた営業マネージャーに聞くと、「いやインボイスを送ったのに届いてないと言ってる」とか「問い合わせても回答がない」とか、言い訳ばかり。
当時はメール文化ではなく、FAXと電話でのやり取りで、しかもシンガポールとフィリピンなのでコミュニケーションも上手く進まないまま、2年間も放りっぱなしだったという事です。

先方の社長に面談してお願いしたら、こっぴどくお説教されました。
「工場経営していて生産が伸びていてキャッシュをどう廻すか工面している中で、いきなり4500万円のキャッシュを払うという事がどういう事か分かってるか?毎月ちゃんと回収してくれ!」
という事です。もちろん直ぐに支払っていただけました。
至極あたりまえ。とても勉強になりました。

それにしてもうちの社員は、営業マネージャーもカスタマーサービスも、前から居た日本人駐在員も、評論家見たいに人ごとで問い詰めると言い訳ばかり。そういう人達に限って、華やかな成果だけを上司や本国にアピールしているのを見ると滑稽です。
その後のサラリーマン人生で、いろんな場面で、前任の残した不良債権と不動在庫に大いに振り回される事になりました。

営業で言えば、不動在庫、不良債権など、誰もやりたがらない負の遺産をどう対応しているかで、その人の本質がすぐに分かりますね。
毎日の歯磨きや、食べた後の洗い物のように、日々の生活習慣と同じです。






会社によって海外駐在の制度が違うので、すべて同じとは言えないですが、
海外駐在の場合は社宅や移動手段としての車など、福利厚生は日本国内に比べていい方だと思います。
日本で仕事をしていた時よりも得したと思えばいいのですが、
いざ赴任してみると
社内では、
「あいつは俺よりポジションが低いのにいい車乗ってる」「あいつがあのクラスの車に乗ってるのだから俺はこのクラスの車じゃないとバランス取れない」とか、
「なんであつは市内のあんないい場所に住んでるんだ」「なんであいつ夫婦2人だけなのにあんなに家賃が高いんだ」とか、
ご近所では、
「〇〇さんの会社は奥さんにも車購入代が出るんだって」とか、「どこどこの会社はいい場所に家が借りれるけど、私達はなんで郊外なの」とか、
社宅と支給される車に関してはやたらと拘る駐在員達が居ます。
つくづく、
人間の欲というのは限りなく、駐在員になったときにそういう欲が現れる
ものだといつも感じます。
現在は海外駐在の敷居も低くなって、日本の転勤のような感覚に近付いて来ていますし、アジア圏の生活レベルも上がっているので、それほどの苦労はなく、貴族のような生活をする必要はなくなりましたが、たまに勘違いする人達は居ます。
「No」と言わない日本人という本が以前流行しましたが、海外では「Yes」「No」を明確にしないと相手にされないと言われます。
しかし実際に海外に行ってみて感じたのは、現地の社員も「Yes」「No」は明確にしないケースが多かったです。
では、なんと答えるのです。
「Can you finish this job in tomorrow?」……
「I will try my best」
凡人のの殆どは「ベストを尽くします」という答えです。
パフォーマンスやコミットメントの達成によっては簡単に解雇される社会では、
そう簡単に「Yes I do!」とは言わない習慣なのかなぁ。

1997年にシンガポールに駐在になりました。
それまで海外生活の経験もなく、語学もそれほど堪能ではなかった私にとっては人生最大のチャレンジだったのかもしれません。日本の社会人生活に違和感を感じていた私にとっては、これが人生の転機になりました。
当時のシンガポールは今のように近代化されてなくて、どこか田舎っぽい雰囲気を残していました。現地のスタッフもそれほど優秀なスタッフはおらず、皆人はいいけど、何を言ってるのかさっぱり解らないスタッフが多かったです。

英語が解らないのではなく、言ってる事そのものが解らない

というのに気付いたのは少し経ってから。それに気づくと気が楽になりました。
そんなスタッフだから若い優秀な世代が入社しても上司に嫌気をさして直ぐに辞めていくという状況でした。
自分自身も海外駐在で日本から送られて来たという一種の自負みたいなものもあり、年上の現地スタッフを馬鹿にしたり、見下したりしていました。
そんな時に現地の日本人上司からこっぴどく諭されました。

現地のメンバーをリスペクトする事。
喜怒哀楽は万国共通。相手が腹立つこと、哀しむ事は絶対するな。

グローバルで活躍する駐在員心得を簡単に一言で語ると、こういう事なのでしょう。
私が企業に入社したのは1989年、営業に配属されて3社のお客様を担当させられました。それらの客先は、当時「非管理客先」と呼ばれ前任の営業担当も1年以上訪問していないお客様でした。
前任の営業担当から引継ぎを受けて、はじめてお客様を一人で訪問した時の事です。前任から引き継いだ不具合の報告書を持参しました。ところがお客様の最初の一言は、

「何をしに来たのですか?帰って下さい。」

と凄い怖い目をして言うのです。
私は、一体何がおこったのか、何故そんな事を言われるのか判らなくて、どうしていいのか判らなくなりました。その後もアポを取ろうと電話しても、
「来ないで結構です。」とか「忙しいから来ても会えません」とか冷たい対応をされる日が暫く続きました。
その時、上司から「どうしてらお客様に会えるか、いろんな手段を考えて見ろ」と言われました。そして、色んな方法を書き出して全部試しました。後で考えるとこの時、悩んで試行錯誤した事が、「別に会いたくないと思っているお客様に如何にして面談するか」という経験になりました。当時は、電話をするのも怖かった位でしたが、今では、始めてのお客様にアポを取って面談する事、怒っているお客様に面談する事が平気で出来るようになりました。

何回も電話していると、お客様も「しかたがないなあ」という感じで、嫌々ながら会ってもらえる事ができて、色々話しを聞かせて貰いました。
営業担当者が、全然訪問して来ない事、こちらから用事があって電話しても、無視され続けた事、不具合が出て大きな損害が出ているのに、それでも何も対応してくれなかった事、こんな状態ではわが社とはお付き合い出来ないと思っている事、突然来られても逆に困る事、等々がその後の面談で判りました。

当たり前ですが、お客様が怒ったり、不満に感じたりするには、必ず原因がある事がよくわかりました。それは、一日で出来た原因ではなく、過去から時間をかけて積み重ねられた物です。このお客様の場合は「不満」が時間をかけて積み重なったのですが、同じように「満足」も時間をかけて積み重なっていくと思います。

お客様が、わが社を大嫌いで営業担当が対応に苦労するのは、過去の営業担当者の小さなマイナスの対応の積み重ねの結果です。逆に、私達がお客様と非常にいい関係でビジネス出来るのも、過去の営業担当者の小さなプラスの対応の積み重ねの結果のおかげです。あなたが今現在お客様を満足させた対応やサービスが、5年後、10年後のお客様とあなたの会社のいい関係に結びつくのです
30年位前の話ですが、私はとある部品メーカーの営業をしていました。ある家電製品を作っているお客様を担当していた時に、私の会社の部品が365円で毎月100~200個程度流動していました。数百機種のお取引がある中のひとつの部品で、数量も少ないので、こういう商品が売れている事など全然しりませんでした。ところがある日突然、数千個単位の注文が来たかと思うと、あれよあれよという間に20000個/月も注文が来るようになったのです。調べてみると、その部品は輸出向けの機種に採用されていて、ちょうど中国共産党の開放政策の影響で、日系メーカーの中国への家電製品の輸出が急増したのが原因でした。当時、そのお客様の売上は他のお取引も合わせて毎月30百万円程度でしたが、このおかげで売上は毎月1億円を超え、営業担当者の私は、1億円プレーヤーになってしまったのです。ところが上司はそれは単なるラッキーだと言って評価してくれなかったのです。
その時考えた事は、ラッキーも何も、輸出機種にその部品を使ってもらっていた事が大切で、もし使ってもらってなかったら、どんなに輸出台数が伸びても、ラッキー自体が発生しなかったんだから、それは評価されるべきだという事でした。周りの目は、こういったケースは、単なるラッキーという評価をしがちですが、ラッキーの背景にある本質を見抜けるような人間でありたいと思います。
本質は二つ。どんな小さな事でも無視せず、きめ細かく対応する事で、ラッキーが舞い降りる確立があがるという事です。世間では、これを「運を見方に付ける」と言います。例えば、お客様からのサンプル依頼に、例えばそれが自分があまり扱い慣れていない商品だとして、面倒くさいと無視していたら、実はそれが大型プロジェクトの案件で、ビッグ商談のタイミングを逃してしまったなんて事が十分起こりえます。例えば、お客様に訪問した時に関係ない新商品の紹介を続けていたら、たまたま別のプロジェクトがあって商談になると言う事もありえます。これもラッキーですが、もしあの時紹介していなかったら、ラッキーは知らないまま通り過ぎてしまったでしょう。大きな傘を広げているから、空から降ってきた雪が傘に積もるので、傘を広げていなかったら積もらないし、もし空から金貨が落ちて来たら、大きな傘を持っている方が拾う確立が高いですね。
もうひとつの本質は、ラッキーは訪れなかった人には気づかないままであるという事です。機会損失は知らない間に起こっているから損失なのです。大きく機会を広げる行動をするからラッキーが来たらひっかかり、それに気づくのは当然ですが、逆にひっかからなかったら、気がつかないままなのです。だからラッキーなのです。ここに「何もしない事の罪」というのがあると思います。ラッキーは他人から見れば単なるラッキーで評価されにくいですが、何もしないで機会を損失しても世間からは「マイナス評価」されないという事も事実です。仕事をしている振りをしている人は、仕事をやったように見せて「プラス評価」をしてもらい、実は何もしていないから機会損失しているのに「マイナス評価」されない事を目指している人という事が言えます。評価する立場の方も騙されない様に気を付けないといけないですね。
サラリーマンが仕事をサボる本質は実はこういうところにあるのかもしれません。
仕事には「新しく作る仕事」と「あるものを壊す仕事」があるのですが、前者は比較的やりやすく、後者は非常に難しいです。もちろん新規事業などゼロから形を作っていく事は、違う意味で非常に困難な業務なのですが。仕組みやルールを一緒に作っていけるという点では比較的取り組み易いです。
壊す仕事は、世間でよくリストラという言葉が使われています。組織や事業は、それがまだ小さい規模だといいのですが、それが大きく成長するに従って、ルールや役割というのが必要になって来ます。
例えば、3名くらいで新規事業を立上げたとすると、売上が成長してくると、納期を担当する人、営業を担当する人みたいな役割が出来て、仕組みが出来ます。もっと大きくなってくると、人事を担当する人も必要になってきます。会社くらいになるとIR担当者も必要になります。
こうして、事業がどんどん大きくなってくると仕組みやルールがどんどん複雑になっていって、ある時点でその仕組みやルールの複雑さが、社員や組織の脳の処理能力を超えてしまう状態が発生します。
こうなると、様々な場面でサボータージュやセクショナリズム、責任転嫁、無関心、新しい事に全てNO、などが発生します。栄華を誇った組織や会社が必ず衰退していくのは、こういうサイクルの事だと思います。この一度出来上がってしまったルールや仕組み、システムを変えながら事業を変革していく事は実は最も厄介です。
成熟産業など、組織が大きく、制度や文化が出来上がってしまっている場合は、そこに漂う閉塞感も闇が深く、簡単に変える事は出来ません。
会社の寿命は30年間と言われる事がありますが、戦後急成長した様々な大企業が1990年頃から事業の整理、仕組み、制度の見直しや変更をして来ましたが、上手く出来ている企業はそれほど多くないのではないかと思います。その間、1990年以降急成長してきた新しいビジネスモデルの企業が世界でポジションを上げて来ています。ファストファッションの会社は携帯キャリア投資会社などの有名な会社です。
新しく作る方は、新しいなりの大変さ、古いものを壊す方は、その変えていく大変さがあります。長く続いている会社は、この古いものを壊して変えてく事で、会社名や事業は変っていなくても、その中の細胞は以前とは全く違う会社のようになっているかと想像します。有名な羊羹の会社などは、その味だけではなく、その時代で会社の中身を上手く変えているのだと思います。
全く違う視点になりますが、ふと伊勢神宮の事を考えてみると、20年に1回、全く同じ社殿をお隣りの敷地に建設して、神様にお引っ越しをしていただいています。残った社殿は取り壊して全国の神社でリユースします。こうして1300年以上も存在し続けています。
企業や組織も、今ある成熟しきった組織を修正するのではなく、全く新しい事業を仕組みや制度と一緒に作って、それから今ある組織を壊すという方法が現実的ではないかと思います。しかしながら、日本の企業は、人事制度や業務プロセスなどの仕組みや制度は同じまま新しい事業をしようとして失敗してしまうケースがあるように見受けられます。なにせ、補修系は守るものが一致するので団結して抵抗勢力になりやすいですから。
経営を執行する視点と現場の視点には必ずギャップがあると思います。
今、本社にかなり近いポジションで仕事をしていますが、現場に合わせるか、経営に合わせるか葛藤する事があります。
例えば、「経営が細かく数字を管理したい」と考える。経営の視点では、投入したリソースに対してその事業が上手くいっているのか?どこが課題なのかを見える化したい。株主にコミットした数値に対して見込精度を高めたい。これは正しい期待です。
しかし、もし数字を正しく見える化する仕組みが出来ていなかったら、現場で動いている人には、現場で使っていない指標や数字をまとめて経営に報告する事になり、それに膨大な時間を取られる。本来やるべきお客様との時間や、開発の時間が削がれる事になります。
例えば、経営が全体最適で判断を下しても、個別最適の現場では混乱が発生する。国中の16億人から天才の天才をかき集めて検討に検討を重ねて政府で下した最善の決定が、例えば「CO2削減のため明日から停電」と言われて日々その国のその街で暮らしている下々の人々が右往左往する様とよく似ています。
このようなギャップを運用とか解釈で上手く逃げ道を作れるかという事が経営としても必要になって来ます。
車のエンジンでも組み立てる部品やパーツ間でも適正なクリアランスがあるから初めてスムーズに動くのですが、組織も同じでこのクリアランスがなければ、現場が潰れてしまいます。最近はこのクリアランスが少なくなっていて、現場の社員が疲弊してメンタルを阻害してしまっている原因のひとつかもしれないと思う事があります。
クリアランスが広すぎれば振動が大きくなって部品が摩耗してしまったり、狭すぎると発熱したり、摩擦がかかって燃費がわるくなったりします。会社、組織で言えば、経営と現場の中間に居るマネージャーがいかにこのクリアランスをマネジメントするか、現場に適度な逃げ道を作って現場のパフォーマンスを最大化するかが、その人の価値の出し処となります。
興味深いのは、誰が上の方を向いて仕事をしているか、誰が下の方を向いて仕事をしているか、組織をよく観察してみると透けて見えてきます。1stランクはもちろん経営に従わなければいけないですが、そのギャップが2ndランクなのか、3rdランクなのか、隣同士の組織を俯瞰してみると非常に興味深いです。ただただ上の指示を下に転送するだけのマネージャー、下を守って上に盾突くマネージャー、下に投げずに自分で処理してしまうマネージャー、自分に指示が降りてこないように、隣の部門に降りるように事前に画策するマネージャー。
経営の指示に忠実に従うマネージャーは上から見れば優秀で、出世していきますが、ポジションが上に行けば上に行くほど、必然的に仲間が少なくなっていきます。こういう人達は退職する時に少し寂しい思いをします。社外で愉しく過ごせる仲間が大勢居る方ならば、それでもかまわないのですが。

仕事には「新しく作る仕事」と「あるものを壊す仕事」があるのですが、前者は比較的やりやすく、後者は非常に難しいです。もちろん新規事業などゼロから形を作っていく事は、違う意味で非常に困難な業務なのですが。仕組みやルールを一緒に作っていけるという点では比較的取り組み易いです。

壊す仕事は、世間でよくリストラという言葉が使われています。組織や事業は、それがまだ小さい規模だといいのですが、それが大きく成長するに従って、ルールや役割というのが必要になって来ます。
例えば、3名くらいで新規事業を立上げたとすると、売上が成長してくると、納期を担当する人、営業を担当する人みたいな役割が出来て、仕組みが出来ます。もっと大きくなってくると、人事を担当する人も必要になってきます。会社くらいになるとIR担当者も必要になります。

こうして、事業がどんどん大きくなってくると仕組みやルールがどんどん複雑になっていって、ある時点でその仕組みやルールの複雑さが、社員や組織の脳の処理能力を超えてしまう状態が発生します。
こうなると、様々な場面でサボータージュやセクショナリズム、責任転嫁、無関心、新しい事に全てNO、などが発生します。栄華を誇った組織や会社が必ず衰退していくのは、こういうサイクルの事だと思います。この一度出来上がってしまったルールや仕組み、システムを変えながら事業を変革していく事は実は最も厄介です。
成熟産業など、組織が大きく、制度や文化が出来上がってしまっている場合は、そこに漂う閉塞感も闇が深く、簡単に変える事は出来ません。

会社の寿命は30年間と言われる事がありますが、戦後急成長した様々な大企業が1990年頃から事業の整理、仕組み、制度の見直しや変更をして来ましたが、上手く出来ている企業はそれほど多くないのではないかと思います。その間、1990年以降急成長してきた新しいビジネスモデルの企業が世界でポジションを上げて来ています。ファストファッションの会社は携帯キャリア投資会社などの有名な会社です。

新しく作る方は、新しいなりの大変さ、古いものを壊す方は、その変えていく大変さがあります。長く続いている会社は、この古いものを壊して変えてく事で、会社名や事業は変っていなくても、その中の細胞は以前とは全く違う会社のようになっているかと想像します。有名な羊羹の会社などは、その味だけではなく、その時代で会社の中身を上手く変えているのだと思います。

全く違う視点になりますが、ふと伊勢神宮の事を考えてみると、20年に1回、全く同じ社殿をお隣りの敷地に建設して、神様にお引っ越しをしていただいています。残った社殿は取り壊して全国の神社でリユースします。こうして1300年以上も存在し続けています。

企業や組織も、今ある成熟しきった組織を修正するのではなく、全く新しい事業を仕組みや制度と一緒に作って、それから今ある組織を壊すという方法が現実的ではないかと思います。しかしながら、日本の企業は、人事制度や業務プロセスなどの仕組みや制度は同じまま新しい事業をしようとして失敗してしまうケースがあるように見受けられます。なにせ、補修系は守るものが一致するので団結して抵抗勢力になりやすいですから。