小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」 -34ページ目

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

「ガード下学会」「横丁・小径学会」活動の報告および、予定などをお知らせします。

今日の湿度は四十数パーセント 空に雲も出てきた

今朝、保存維持されているある新数寄屋造りを訪ねました。その際、ちょっと気になるこがあって、ボランティアさんに確認したところ(今日は団体さんが二組も来る、ということでボランティアの方もたくさん集まっていました)、一笑に付され、馬鹿にされただけで終わってしまいました。

まず、ひとつ、どんな方に対しても観覧者を見下(みくだ)してはいけませんね~。それと、わからないことは「わかりません」とこたえて欲しいですね~。

これから朝日カルチャーの公開講座に行ってきます

今日もいい天気。というか、冷たい空気が空一杯に入って、真っ青な空(空気が冷たいと、湿度も低く、水滴が少ない分、見通しが利いて青空になります)。今日、明日も写真を撮りに行きたいんですが、今回も新聞広告も打っていただき、たくさんの方があつまる公開講座を設定していただいているので、行ってきます。

毎回来ていただいている方たちとお会いできるのが楽しみ。と同時に、初めての方も結構いらっしゃるそうで、その分、気も引き締まります。

今日は、講座修了後の一献もほどほどに、事務所に帰り、仕事を続けます。

今日は撮影日和り 街に出よう!

今日は台風一過。湿度30%。絶好の撮影日和り。明日は朝日カルチャーの公開講座のため、身動きがとれないので、とにかく今日中に撮れるところは撮ってきます。

なんですが、今日は朝からfacebookのタイムラインで「お誕生日おめでとう」が殺到。誕生日というのは直前まで覚えているものの、当日にはすっかり忘れてしまう、というパターンが多いんですが、これなら忘れることもありませんね~。

娘がマガジンハウスの表紙に載りました!


先ほど、amazonで『多摩川サイクリングロード』を検索したら、わが娘が表紙に載っていました。

子どものころから年賀状にすら載せたことがなかった(親子は別人格という考えで、お互いに個をもっているものどうしとして親子一体を嫌いました)んですが、親はなくてもというか親はあっても育ちました。

とうことで、昨日学生時代の同級生(娘の上司)から来たメールには、娘が出ていたけど、仕事はちゃんとやっている(筈?)とメールを返しておきました。


来週の土曜日、「横丁・小径学会」四谷荒木町遊歩、開催します!

「横丁・小径学会」四谷荒木町遊歩
開催日:9月21日(土)
ナビゲーター:望月七郎
集合場所:東京メトロ丸の内線「四谷三丁目駅」改札口前4番出口付近
集合時間:午後3時
*参加ご希望の方、ご連絡ください。
 もちろん、、参加費無料です。

どこにでもいる〝小林一郎〟
昨日、出版社を通して図書館流通センター(?)から、「新刊の著者の小林一郎さんをデータベースで検索したところ、複数出てきてしまいました。今回の小林さんは、平凡社の○○○○の著者の小林さんでしょうか」という問い合わせが来ました。今日も出版社を通して書籍取り次ぎ業者から問い合わせが来てしまいました。経歴は隠していませんし、出版社自身ボクのデータベースをもっているはずですが、いやはやなんとも。
今回の混乱は、どこにでもある名前のため。たくさん同姓同名の著者がいるので、今までの例からすると、その中のこの著者です、と名乗ってあげないと混乱するのは判っていたんですが、まあ、この本では名前を出したくないな~、という深層心理が働いていたことが面倒くさいことになっているようでした。
まあ、でも山田太郎と同様、小林一郎も現実的にはいそうでいないんですけど、著者となるといらっしゃいますね~。ボクの場合は、生まれてきちゃって、なんか名前を付けなきゃならないんで、イチローとでも付けとけ、という安直なネーミングだったようですが……。
やっと解放!
昨日、来週末発売の書籍(ムック版のようなもの)の見本が届きました。これは、個人著書となるため、これから法務の方と契約書を交わして発売、というスケジュールです。夏に振り回された仕事からやっと解放!
今日、「EU」の編集本が下版。こちらは編集としての関わり。この書籍にも本当に振りまわされました。これで、編集作業で振りまわされていた仕事から解放!
現在、やっている編集作業は「原発」もの。ドイツにおける脱原発とエネルギー政策の転換を紹介する単行本で、22日にドイツで選挙があるため著者は渡独。でも、出版は後期の授業が始まるまでに作り上げたい、というタイムリミットがある書籍づくりですが、こちらはドイツとメールや宅急便のやりとりを駆使し、生き生きと編集作業をさせていただいています。著名な国際政治学者です。できあがったら、ぜひ一読してください。

世の中は電子書籍化の時代?
某新聞社系出版社から出していた建築ネタの新書、すでに数年前に電子書籍化の契約書は交わしていたんですが、このほど、それを了承するかどうかという書類が届き、了承する旨、返事を返しました。まあ、紙媒体と電子書籍、営業上いろいろあるんでしょうが、公開日(電子書籍でも発行日?)が決まりましたら、ブログ上でもお知らせいたします。
世の中は電子書籍の時代に入ったんでしょうかね~。気づかなかったんですが、その出版社の新書、もうすでに100点以上電子書籍化していました。半年前に、わが国を代表する書籍取次会社の取締役と話していたときには、まだ電子書籍化してないんじゃない、という話でしたが……。

見事復活!

昨日、銀座を散策しました。残念ながら京橋の片倉ビルも有楽町駅前の三信ビルも建て替えられてしまっていますが、情報提供いただいた銀緑ビルもすっかり建て替えられていました(早い!)。

――、と再開発が進む銀座ですが、シネパトスの通路が未だ健在(一軒営業している店があるためだと思われます)。で、三原小路横の袋小路を訪ねると、なんと! しもた屋状態だったのが、立派なレストラン街に様変わりしていました。う~ん、手を入れればまだ使えた、といのに脱帽です!

昔からの銀座ってどこからどこまで?

朝日カルチャーセンターの講座『目利きの東京建築散歩』での公開野外講座「消えゆく銀座の近代建築を見納める」の開催が近くなったため、今日、午後から銀座を取材してきます。
メインは銀座の「奥野ビル」。旧名「銀座アパートメント」。本当の銀座です。というのは、本来の銀座は中央通りを挟んだ銀座1~4丁目まで。そのほか5丁目からや東銀座、西銀座はあとから町名変更して「銀座」という呼称になった町(最終的な町名変更は昭和44年。都内各地で名の通った町名に統合されました)。ということで、木村荘八などは5丁目からを「ヤボ」と呼んでいたそうで、実際、瀧山町ビルヂング(数年前解体)など新しい町名の〝銀座〟を名乗らず、旧町名の瀧山町を名乗っていました。
とはいえ、かつての銀座の名残を残すのは、1~4丁目ではなく(再開発が進んで横丁や路地の面影がありません)、5丁目から、というのが現状ですが、どっこい生き残っている奥野ビルを中心に探訪してきたいと考えています。