昔からの銀座ってどこからどこまで? | 小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

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昔からの銀座ってどこからどこまで?

朝日カルチャーセンターの講座『目利きの東京建築散歩』での公開野外講座「消えゆく銀座の近代建築を見納める」の開催が近くなったため、今日、午後から銀座を取材してきます。
メインは銀座の「奥野ビル」。旧名「銀座アパートメント」。本当の銀座です。というのは、本来の銀座は中央通りを挟んだ銀座1~4丁目まで。そのほか5丁目からや東銀座、西銀座はあとから町名変更して「銀座」という呼称になった町(最終的な町名変更は昭和44年。都内各地で名の通った町名に統合されました)。ということで、木村荘八などは5丁目からを「ヤボ」と呼んでいたそうで、実際、瀧山町ビルヂング(数年前解体)など新しい町名の〝銀座〟を名乗らず、旧町名の瀧山町を名乗っていました。
とはいえ、かつての銀座の名残を残すのは、1~4丁目ではなく(再開発が進んで横丁や路地の面影がありません)、5丁目から、というのが現状ですが、どっこい生き残っている奥野ビルを中心に探訪してきたいと考えています。