今回の本は、これまで筑摩新書から出されていたものの文庫化。昨年出された『知的トレーニングの技術』が爆発的なヒットだったのを受けた、企画でした。
今回の本は、これまで筑摩新書から出されていたものの文庫化。昨年出された『知的トレーニングの技術』が爆発的なヒットだったのを受けた、企画でした。
来週の土曜日(10月1日)、「第25回〝横丁・小径/ガード下学会〟旧小菅刑務所+差入れ屋横丁」ミニ遊歩の集合時間決まりました。
午後1時、東京メトロ綾瀬駅東口改札前
これは、東京拘置所の開放時間が午後3時までのためです。
*ミニ遊歩ですが、よろしくお願いいたします。
東京メトロの「Metro Walker(メトロウォーカー)秋号」の特集の監修をいたしました。地下鉄の駅で無料配布されています。
今回の特集は〝建築〟です。ご興味のある方、無料ですので、手に取ってみてください。『ここだけは見ておきたい 東京の近代建築Ⅰ』(小林一郎著、吉川弘文館)のプレゼントもあります。
なお、ネット上でも公開されています。http://www.tokyometro.jp/enjoy/freepaper/metro_walker/
第24回「横丁・小径学会」荷風からはじめる横丁と路地〝鐘ヶ淵〟遊歩
ナビゲーター:小林一郎
開 催 日:2016年9月10日(土)
時 間:午後2時
集合場所:東武スカイツリーライン(東武伊勢崎線)「鐘ヶ淵駅」西口改札前
内容:鐘ヶ淵駅(西口改札前)―墨堤通り―旧綾瀬川―隅田水門―堀切駅―柳原千草園―柳原商店街―北千住
* 川と路地を遊歩します。
阪神淡路大震災から20年を過ぎ、関西、東京ともにガード下が大きな変化を遂げようとしています。
阪神では、日本一長いモトコーのガード下での店子の締め出し、東京でも、有楽町から上野駅まで(基本的に山の手線の高架橋は一部を除いて、この区間しかありあません)店子を追い出し大規模再整備へと向かっています。このほか、開かずの踏切を解消するため新たに創り出された高架橋(中央線東小金井―武蔵小金井付近)でもガード下が誕生しています。
これら、新たなガード下の再活用作は、どれも机上の論理のうえに成り立ったもの。そこで、再度、ガード下の再開発について、しっかり遊歩し、見届けていきたいと考えます。
これまでの「横丁・小径学会」(http://yokochogakkai2012.jimdo.com/)のホームページにかつての「ガード下学会」の活動を含め取り組むことにいたしました。
ご興味ある方、一度、ご覧になってください。
第24回「横丁・小径学会」荷風からはじめる横丁と路地〝鐘ヶ淵〟のお知らせ
ナビゲーター:小林一郎
開 催 日:2016年9月10日(土)[予定]
時 間:午後2時~
集合場所:東武スカイツリーライン(東武伊勢崎線)「鐘ヶ淵駅」西口改札前
内容:鐘ヶ淵駅(西口改札前)―墨堤通り―(水神大橋)―(千住汐入大橋)―旧綾瀬川―隅田水門―堀切駅―柳原千草園―柳原商店街―北千住
* 綾瀬川が入り込む隅田川(鐘ヶ淵)から、右岸の南千住へ。そして昭和が残る〝金八先生〟の堀切、牛田(左岸)を歩きます。
「南千住地区」は「山谷地区」と並び、隅田川が洪水で溢れた際には、他地域に被害が及ばないよう、一手にその水害を引き受けた地域。隅田川から溢れ出た水は南千住の西側に築かれた日本堤で留められ、川と土手に挟まれた南千住は、いわばプール状態。
とはいえ、南千住エリアは(隅田)〝川〟と(日光街)〝道〟の交通の要衝。今でも、物流の拠点として〝JR隅田川貨物駅〟が営業を続けています。
一方、この水没地を救済するために新たに掘削されたのが荒川放水路(現・荒川)。この掘削によって分断されたのが堀切と千住。いまだに、さまざまな面で混乱は続いています。
そして、綾瀬川が入り込む隅田川(ここからが隅田川!?)。
* 明治30年代まで運輸の一翼を担った「川」と、それ以降主役となった陸上の「道」と「鉄道」。この街の三題噺に交通機関から治水へと変わり、街を分断させた川をプラスさせて歩きます。
* 江戸の大きな町割り(120m角)は、長い年月を掛け、さらに戦後、街区内に路地などを通して細分化。その細分化された街が再びまとめられ、100mを超えるスーパー街区として生まれ変わり、巨大なタワーマンションが建ち並ぶ。わが国独自の独立住宅群と巨大な摩天楼という時代のせめぎ合いのなか、昭和の街並みとスーパー街区をしっかり遊歩します。
* 参加費無料。一緒に遊歩しましょう。
昨日あるところから、突然電話があり、小冊子の監修を頼まれました。都内の建築の特集をしたいとのことでした。今日、担当者がうちの事務所に訪れ、話をお聞きすると、ボク自身が書いてしまった方が明らかに早いし、効率がいい、と思いながらも、依頼はあくまで、監修。だんだんと、実社会から引き離されていっています。ボクの本の愛読者というのはありがたいんですが……。
鉄道旅行の歴史が述べているのは、車窓のパノラマ化。それによって〝前景〟が消失する、というのがその論。自分を含む前景が存在しなくなるということは、見る〈主体〉と見られる〈対象〉が乖離された、ということです。(この〈見る―見られる〉関係性の乖離は交通機関だけでなく、テレビも同じで、見られるだけの者と見られることなく見る者(匿名性をもっています)とに分割され、それになんとも疑念を抱くことがなくなっています)。この〈見られる者〉と〈見る者〉の日常的な乖離は、監視カメラの設置のみならず、都市に対する〝違和感〟や〝疑念〟を生じさせない、一つの大きな要素になるのでは、と考えました。
ちなみに、居酒屋は顔の見える匿名性の世界。ここを起点に論理が展開される?
これらの本を読んでいて気付いたんですが、路地は利用者によって意味を書き換えることができるけれど、横丁(ネーミング横丁)は利用者が意味を付け加えたり、書き換えたりすることができない! という発見。でも、(ヤミ市起源の)横丁はその存在自体がアナーキー?(これらはいずれも、読書感想ではなく、ボクの思考に寄せると、というお話です)








