アッピア旧街道 マイルストーン、ドミネ・クォ・ヴァディス | イタリア ローマの新聞屋さん

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イタリア在住22年。以前エディーコラ(新聞や雑誌を売るお店)を経営していましたので、このタイトルです。
お店は売ってしまいましたが、続けて興味のあるイタリアの芸能、旅行記、食などについて書きます。最近は主にユーチューブで旅行・生活vlogを公開しています。

散歩日 2014.05.01

アッピア旧街道

サンセバスティアーノ門からアッピア旧街道を少し歩くと、
右側に
マイルストーンがあります。

1ローママイル (1000歩) ごとに設置した。
第一マイル柱石
カラカラ浴場辺りを起点とした1つ目。
オリジナルはカンピドリオにあります。



この街道は、南イタリア プーリア州のブリンディシまで続きます。

以前のアッピア街道の旅行記 ブリンディシ編はこちら

高架を潜ったら、左側に
プブリウス・セプティミウス・ゲタの墓 Tomba di Getaがありました。


プブリウス・セプティミウス・ゲタ
ローマ帝国の皇帝。第21代皇帝カラカラの実弟

もう少し進むと左側に白い綺麗な教会
ドミネ・クォ・ヴァディス教会 Chiesa del "Domine quo vadis" 1637年 Francesco Barberini が建て直させた。



キリストの足跡 L'impronta del Quo Vadisのコピーがありました。

「ドミネ・クォ・ヴァディス」とはラテン語で「主よ、どこに行かれるのですか」を意味します。

ネロ帝が放った火でローマは火事になり、メラメラ
キリスト教徒が罪を被り迫害されます。

師弟ペトロ Atti di Pietro がローマから逃げる途中、ここで彼の前にイエスが現れ、
「主よ、どこに行かれるのですか」とイエスに尋ねた。
イエスは「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ」
と答えた。
彼はそれを聞いて悟り、殉教を覚悟してローマへ戻ったという。

現在の教会は17世紀のもの、オリジナルのカッペッラは9世紀には存在していました。

足跡のオリジナルは、アッピア街道をもう少し先へ行ったところにある
サン・セバスティアーノ聖堂 Basilica di San Sebastiano fuori le mura
にあるそうです。

これは異教徒からの 奉納物 EX VOTO というものだったらしいです。

この足跡の上に
旅人たちが乗っかって、
行ってきます。とか
ただいま帰りました。とか言っていたのではないかと調べてるうちに思ったのですが、
どうでしょう。

間違っているかも知れないです。いや、きっと間違いです。笑
あせる
近くにインフォメーションがあり、マップをゲット。
地図好きにはたまらんね。ウキウキ。音譜
ここでは自転車も借りれます。自転車



喫茶店とレストランもありました。
この先はきっと喫茶店なんてないだろうから、
パニーノを食べときました。ナイフとフォーク



ツナと乾燥トマト入り。にひひ

バールやレストランの裏側、ドミネ・クォ・ヴァディス教会前に
Sepolcro di Priscilla が見えました。



プリシッラのお墓です。 1世紀。
ティトゥス・フラウィウス・ドミティアヌス Tito Flavio Abascanto 解放奴隷 Liberto (詳しくはウィキペディア) の奥さん。


続く。



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