昨日、仕事中に自宅の電話が鳴った。


最近はスマホでのやりとりが殆どで、自宅に掛かってくるのは、セールスが殆ど。

申し訳ないのだが、仕事中のみならず、きちんと用事があったらメッセージを残してくれるだろう、という判断でいる。


今朝、留守電録音を知らせるランプに気づいた。(仕事は別部屋で子機のみなので、本体の留守電のメッセージなどは聞こえない)


最近は少なくなったが、自宅電話番号が、某老人介護施設の電話番号と酷似していて、たまに間違い電話がある。多い時は、一度状況を把握していただくためにも施設に連絡したことがある。(文句ではない。利用する方も高齢、致し方ない)


というのも、たまに留守電に何やら、ちょっと大事そうなメッセージが残されていたりすると、放っておけない汗

利用者の家族の方?また、ご夫婦の1人?と思われる方が、施設に連絡せねばと思うことをメッセージに残される。

いやー伝えた、聞いてない、なんてことでごちゃごちゃするなんて気の毒だ。


20年位で、今日で5回目位だけど、施設に電話。

着信直後の時は、着信履歴番号にかけ直して間違っていることを伝えたこともあった。

今回は、幸いしっかり名乗られていたのと、着信履歴の番号もあったのですが、翌日になってしまったので、簡単なメッセージ内容を施設のスタッフの方に伝えた。


あんまりないことなので、私が電話口で話す内容は、簡潔に先方に分かるように伝えたい。


何事も練習


頭の中を整理してから電話しましたとさ。


改まらないと、女の話は要点が見えにくい、となりがちなので。

父は母に、Tさん(夫)は私に、で?どういうこと?主語は?本題は?となりがち。

(気を許しているからだもん❤️は通用しないか汗)


本当は、365日達成したら何かしら記そうと思っていたんだけど。

中途半端な342日目で記しておきたくなりました。





昨年夏から始めた英語アプリDuolingo(課金無し)。

しつこく、しつこく、1日も欠かさず続けてきました。1回(約3分程度)でも学習すれば、連続カウントが続くので、何があってもやりながら今日まで来ました。


365日を待たずにフライングな理由は。

ちょっと恥ずかしいけど。

英語で寝言を話したから。


色々説明が要りますがあせる

私は寝言をよく言います。

別の部屋で寝ているTさん(夫)にも聞こえるくらい、大きな声ですチュー

自分の声の大きさで目が覚めます。

目が覚める途中も口は動いています。


昨夜、学習し始めて初めて、英語で寝言を‼️

たしか、becauseが入ってました。

目覚めるとすぐ忘れちゃう。

ええ、大したこと無いんです。

逆に、毎日やってるのに、出てこなかったのが不思議ですが。

そして、今も全く会話として使える感覚無しです。予感もありません。咄嗟に何も出てきません。


細かい話ですが、面白い発見があって。

私の普段の寝言は、誰かに指図している場面が多いのです。不特定の集団に対して言っているとか。時にmamoに対してとか。

日常mamoに対して、言ってしまいたい「指図」を溜め込んでいるのかもしれません(笑)

まだ幼児の小さなmamoに対して、危険回避などを伝える場面もよくあって、その時は、腕を伸ばしどこかを指差している手も目覚めながら確認できます。

ほとんどが、危ないよ❗なんでかっていうとね❗と諭す場面が多いのです。

で、英語でも「because」(笑)


ま、興奮して書きましたが、冷静に考えたら、話せるようになりたいなーの願望が夢に出てきたってだけなんでしょう。


やり始めたきっかけは、何をやっても三日坊主のmamoに学習し続ける背中を見せるためという、姑息な動機でした。やり始めた時は、mamo中3受験生。

朝家事を終えて、mamoを学校へ送り出すまでや、寝る前にもやってました。


勿論、前からやりたいと思い続けている英語を、1ミリでも前進する(いや、日々やっては忘れる後退に抗う)ためにやろうと思ったのもきっかけです。

前に、ネットで短期集中で英語学習(これは自分への誕生日プレゼントで意を決して、少々高めの投資)を受講しました。その先生が発信しているSNSをたまに見ます。先日、その先生が明らかに名指しでDuolingoはやっても無駄とは言わないけれど、会話が出来るようになるには程遠い、と言っていたのを見て、ガックリ来たこともありました。

しかし、ゲーム性がうまく学習を継続させるように組み込まれていて、やりたくなる。モチベーションも継続できる。少なくとも知ってる単語の量は増えました。そんだけ。

今となってはmamoはどうでもいい(笑)


振り返ると、342日の間には、本番のある日、家庭内の色々、家族の手術、mamoの受験、身近な人の他界、本当に色々ありました。

しかし、どうしてもやると決めた、最低5分程度の継続はやってこれました。

暇な隙間時間を使ったりしましたが、案外、不安でどうしようもない(私がすべきことは何もない)時に、アプリに集中して気持ちを紛らわすという利用もありました。

笑えるひとつの例は、mamoの高校の合格発表を待つ直前、リビングでアプリを開き、大声で音読課題を中心にやりまくってました笑い泣き


365日まで行けるかなー。

行きたいなー。

そして、この習慣を利用して、他の何かに繋げたいなぁ。

と思った53歳誕生日の翌日の朝でした照れ


Tさん(夫)が帰宅し、玄関から歩きながら、こちらを見ずに、

「今日はキーマカレーか」

と言った。


mamoも普段から鼻が利くのだが、やはり親子だ。


暫くしてから、mamoに

「キーマカレーと普通のカレーと匂いに違いあるん?」

と聞いたら、

mamo:「あー違うよ」

私:「どんな風に?」

mamo:「わからん」(即答)

私:「あのさー、言語化する際に迷ったり捻り出したり、考えたりしたことある?」

mamo:「ないね~」(こちらも即答)


鼻が利く話から、飛んでしまうのだか汗


感覚的なことを人と共有するために「言語化」するという場合がある。共有したいという欲求。


しかし、自分のために「言語化」することもある。なんだかモヤモヤした違和感を感じているときだ。「言語化」を試みるために自分と向き合ったり、物事を詳しく観察することで、その過程や、「言語化」出来たときに、モヤモヤの解決の糸口が見つかる。


今日は、上記の2つが同時進行で行われた。

もうすぐ本番の曲に対する、モヤモヤしたしっくりと来ない感覚。

じっくり曲に向かいきれてないということもある、中途半端なタイミングでもあった。

本来はもう少し自分で観察する必要があったようにも思うが。歌い手の方に、まだ掴みきれていないモヤモヤを相談してみた。

私の感じる違和感と、歌い手の感じる違和感を丁寧に楽譜のどの場所なのか、何がどう作用しているのかを「言語化」して、感覚的なことも絞り出して言葉にしてやり取りをした。

とても有意義だった。

なんだか糸口が見つかりそうだ。

こんなやり取りを、する、しない、も相手による。こちらが求めていても、何のこと?とスルーだったり、「言語化」を面倒だと思ったり、そもそも伝えあうこと自体に価値を感じない人もいるだろう。


キーマカレーとカレーの匂いの違いが知りたい私と、まぁ違うんだよ、何かわかんないけどね、止まりのmamoと私の会話は続かない汗


これ、ウザイってやつか‼️


言葉に出来ない諸々もある。言葉が全てでもない。私がよく言葉数の少ない身内の、mamoやTさんに求めすぎて反省することが多々ある。

半分は、反省して、ごめんよ、私の欲求が強く出た、と思うのだが。

半分は、もうちょっと言葉にしてみいや❗言葉にしようとして、言葉を探すときに、表現を覚えることだってあるんやからな❗と思っている。

時々チェックする星占い。(複数あり)

その内容に傾倒して生活しているわけではありませんが。ミスをしやすい、など読んだら、点検しとこう、と思う程度。(実際ほとんど読んだら生活の中で、内容を思い出すことはないです)


長年覗いているひとつ。

しいたけ占い


自分が、相当大変でヘロヘロ、ギリギリの時は、読みながら、あーその労いの言葉が沁みるえーん

私の頑張り間違ってなかったんだ、とか思ったりして励まされ。


しかし。


そうでもない時は、そんなに頑張ってませんけど、そういう語り口調がしいたけ.さんの口癖ですか?「あなたはずっと頑張ってきました。今からは肩の力を抜いて、楽しんでください」とか、癒しの占いとされているのは、ここかな?と斜に見たりしていました。


なんとなく、そんなことを感じながら、自分の星座しか見てこなかったのですが。

たまたま、今朝どれどれにやり、他の星座を覗いてみるか。と見てみました。


あら、勿論、日々の労い、癒しの言葉はちりばめてありますが、私の星座ほどの「よしよし、あなた頑張ってます」感が少ないのです。

うーん。

確かに近年、恒例となっていた自然な流れを断ち切る選択をする場面があったり、そういう流れが来ています。最近、選択の場面であまり出してこなかった「我」の想いに基づいた言動を選ぶようになっています。

期間限定の運勢ではなく、私の星座の持つキャラクターに対しての言葉のチョイスなのかもしれない。とふと気づく。


誰しもそうだとも思いますが、私の星座は特に、誰かに見守っていて貰い、労いの言葉を貰うことが、次へのパワーに繋がったりするのかもしれません。


なんて気が付いたら、しいたけ.さんのことを斜に見ていた自分が急に恥ずかしくなり。


自分勝手だなぁとあせる

私の悪い癖。

広がる、広げる、収拾つかなくなる。


興味の対象が多すぎて、物事の共通点ばかりが気になって、アタマの中のいろんなことが引っ張り出されて、どれもこれも全部伝えたくなってしまいます。


文章を書こうものなら、あちこちの記憶が芋づる式にアタマの中に浮かんで、それらを全て網羅しないと伝えたいことが伝わらない気がして、結果、整理がつかず、何が言いたいのかわからない、といったことがよくあります。


ブログでつらつらと書く時、まさにそれが顕著に現れています。


この癖、自覚はあるんです。


なので、なるべく「しぼる しぼろう」と何度も自分に言い聞かせます。


以前、500円で自由にお話(対話)をする(させてもらえる)という場に出向いたことがあります。一定時間、一対一で。多分、傾聴とも異なるスタイルだと思います。

(傾聴の定義も曖昧で良くわかってないので表現がぼんやりですが)

その時には一応自ら話してみたいテーマを用意していきました。「無料と有料について」ざっくりとですが、物品を介さないやり取りで、無料と有料の区別を人はどう折り合いをつけているのかという話題。また、有料の場合の金額設定についてなど。

私が、ビアノを教えたり、演奏するということで対価をいただくにあたり体験することでもあります。反対にレッスンを受ける立場でもあります。


人によって価値のはかりかたが異なることなので、とても曖昧です。

セミナーなども、高額の受講料のものがあったりしますが、自分の価値基準で、これが身に付くなら、知ることが出来るなら惜しくはないと納得して受講を決断するのだと思います。


別に正解や、一つの結論に達するとは思いませんが、普段何の関わりもない方と、フラットな状態で、安心した場で(基本、対話を望んでいることが前提とわかっている関係)話してみたかったのです。


対話はとても気持ち良く、すごく共感されたわけでもないし、でも私の話したい内容に興味を持ってもらえて、適度に意見や質問もしてくれました。印象としては、風通しのよい場所で、人の温かみも感じながら、自分を受け入れてもらえたような感覚でした。

対話の終盤で、言葉はもっと丁寧で優しかったのですが(残念ながら思い出せない)、意味合いとしては以下のようなことを、私の話し方の印象を伝えてくれました。


えだまめさんは、いろんな共通点を見つけながら考えるんですね。もしかして、お相手によっては話がいろいろ飛んで驚かれるかもしれませんね。


私は、このようなことを客観的に伝えて貰った時に、凹むこと無く、あぁ、気を付けよう、落ち着け私、と思ったのです。

気を許し過ぎたり、興奮するとそうなりがちです。なかなかコントロールは難しいですが。

でも、なるべく、「しぼる しぼっていこう」と心掛けています。


昨日、mamoとTさん(夫)と3人で、高校生活について、今思うこと、先に考えていることなどを話しました。(きっかけは高校PTA主催の進学についての塾講師の方の講座をTさんと聞いてきたことからですが)

思春期で親を鬱陶しいと思ったり、反発する気持ちがあっても、mamoの性格上、ストレートにぶつけてこず、本人が凹みがちなので、気を付けながら。

あまりないタイミングだからと勢いこむと、私はいろいろ盛り込みすぎる❗自制しながら、点検しながら。Tさんの存在が抑止力になり助かりました。mamoが落ち着いて考えられる範囲にしぼること。私の独りよがりになってはいけない。日々鍛練中です。


ってことをつらつらと書きましたが。

私がこれを書き始めたきっかけは。

⬇️広告画像ではありません。

ついさっきAmazon primeで、Kindleで読んだ料理本です。
予告します。話、飛びます❗

mamoの高校生活が始まるまで苦手意識で一杯だった弁当作り。ようやく慣れてきました。

ある意味マンネリ化してきた汗

たまたまつかんだコツが、この本に書いてあった内容に一致していたのと、そのコツを更にパワーアップさせる情報を得ることが出来ました。


弁当は、卵焼き、動物性たんぱく質、野菜があれば良い。肉魚の味付けのバリエーション。野菜の調理法のバリエーション。それを卵焼きフライパン一つでやること。

普通に毎日お弁当作りをやっている人は、「アホか」と思うくらい、本など読まずにして承知のことかと思います。苦手な私も気づいたくらいのコツですから(笑)


しかし、侮るなかれ、卵焼きの種類の豊富さ、同じ肉で味付けのバリエーション、シンプルな基本にちょっとアレンジするだけの工夫は、楽なのに効果絶大。


大事なこと(栄養面、美味しそう、作る負担が少ない)を「しぼり」、そこをほんのちょっと豊か(味付け)にする。


この加減です。


本一冊出すのに「へ?」と思うような的のしぼりっぷり。

ほんのちょっとの豊かさは、易しい内容なのに、思わぬ変化をもたらしたり、作る側の自発力を促したり。


私の悪い癖で、この料理本と、500円で対話した経験と、子育ての大事なことが、繋がってしまいました。

アタマの中がそわそわしながらも、共通点を見つける快感を記録したくて、こうして書く。

自己満足。