最近あまり落ち着いて文章を書く時間が取れていない。
日常、動きながら、あ!これについて考えてみよう、向き合ってみよう、と時々テーマが浮かぶのだけれど、書き留めないと流れて行ってしまう。
まぁ流れていく程度なのだから、大したことではないのかも、と見過ごしている。
そんな日常でも、ちょっと引っかかり続けていたキーワードがあったので、気になるAIを試してみることにした。文章を書くことに特化したAI。
私は大抵思考がとっ散らかっているので、文章を書くのにAIを通すと、とても分かりやすくて整然とするのだけれど、私らしさが無くなるなぁと思うことも時々ある。
(ある意味これが文章が上達しない原因となる私の頑固さでもある)
私らしさを入れてから、ブログに挙げようと思ったけれど、このやり取りが面白かったので、そのまま載せることにした。
使用したのは、inki
私がある事柄を経験し、それを先に経験した人が私にアドバイスする中身について
どのような「経験」と、先に経験した人から受ける「アドバイス」を描きたいのか、もう少し教えてください。
たとえば、次の点が分かると内容を形にできます。
•経験の内容(転職、病気、子育て、留学、起業など)
•使う場面(エッセイ、小説、スピーチ、会話文など)
•伝えたいこと(励まし、注意喚起、具体的な助言など)
•語り手と聞き手の関係性
経験の具体的な内容は伏せたい。 使う場面は、エッセイ的なブログ。 伝えたいことは、あるあるかな?と読み手に問いかけたい。
たとえば、こんな切り口です。
経験者の言葉を聞いているときは、分かったつもりになっている。 でも、いざ自分が同じ場所に立つと、その言葉が急に具体的な重さを持ちはじめる。 「ああ、あのとき言っていたのはこれか」と、少し遅れて理解する。 こういうこと、ありませんか。
この方向性で、短めのエッセイとしてノートに書き起こせます。
その切り口は、アドバイスが良いものという場合だが、私が書きたいのは、上から目線の否定的な忠告の雰囲気を持つアドバイスについて。
なるほど。「経験者だから言える助言」が、相手を支える言葉ではなく、まだ経験していない側を低く見るための言葉になっている、という感覚ですね。
たとえば、こんな書き方ができます。
何かを経験すると、それをまだ経験していない人に助言したくなる人がいる。 ただ、その助言には、ときどき「あなたにはまだ分からない」「私のほうが先に知っている」という響きが混じる。 心配してくれているようで、実は相手の不安や未熟さを確かめるための言葉にも聞こえてしまう。
経験は、誰かより上に立つためのものなのだろうか。 先に通った人の言葉が、励ましではなく圧力になること。こういうこと、ありませんか。
さらに少し鋭くするなら、最後をこう締めてもよさそうです。
経験談と忠告は似ているけれど、相手の足元を見て話し始めた瞬間、まったく別のものになる。
まさにそれ! そこから、そういったアドバイスをする人は、どうしてそうなるのかを考えたい
考えられるのは、単純な悪意というより、経験によって得た苦労や不安を「価値あるもの」にしたい気持ちです。
先に経験した人にとって、その過程はたいてい簡単ではなかったはずです。迷い、失敗し、傷つきながら越えてきた。だからこそ、これから同じ場所へ向かう人を見ると、「そんなに甘くない」「自分も苦労した」と言いたくなるのかもしれません。助言の形を取っていても、その奥には、自分の苦労を軽く扱われたくない気持ちがある。
あるいは、「先に知っている側」でいることで安心したいのかもしれません。経験は本来、過去の出来事にすぎないのに、それを持つことで今の自分の立場まで少し強くなったように感じられる。相手がまだ知らないことを指摘すれば、自分は知っている側に立てるからです。
ただ、その言葉を受け取る側には、事情や覚悟があります。経験者が見ているのは自分が通った道であって、目の前の相手がこれから通る道そのものではない。似ていても、同じではありません。
こんなふうに続けられそうです。
上から目線の忠告をする人は、相手を傷つけようとしているとは限らない。 むしろ、自分が経験した大変さを知っているからこそ、言葉が強くなるのかもしれない。
「そんなに簡単ではない」「今に分かるよ」と言いたくなるのは、自分がかつて感じた不安や苦労を、まだ知らない相手に重ねているからだろう。 その苦労が大きかったぶんだけ、自分は先に知っている側でいたくなる。
けれど、経験は誰かより上に立つための証明ではない。自分が通った道と、相手がこれから通る道は、似ていても同じではないのだから。
私はそれを念頭におきながら、立場が変わっても気を付けたいと思う
そしてたぶん、立場が変われば、私も同じことをしてしまうかもしれない。 いまは言われる側だから、その言葉に引っかかる。けれど、いつか自分が「先に経験した側」になったとき、苦労したことを分かってほしくて、相手の不安を急かしたり、未熟さを指摘したりするかもしれない。
だからこそ、経験を語るときは気を付けたい。自分の通った道を、誰かのための地図として差し出すのか。それとも、自分が先に来たことを示すための証明書にするのか。
同じ経験をしていなくても、相手の不安や覚悟を軽く扱わないこと。先に知っていることを理由に、相手より高い場所から話さないこと。
それは、経験を重ねるほど忘れやすくなることなのかもしれない。
はじめは、ずっと長く持っていたモヤモヤだった。
「あなたのことを心配して言っているのよ」とアドバイスされた時に、素直に受け取れず、何かモヤモヤしたものを感じて自己処理出来ていなかった。
こんな齢にもなって、自分が頼りない人間だ、未成熟だと相手に思われていることに不満を感じて、アドバイスを素直に受け取れない自分を見て、まるで思春期の若者のようじゃないか!と自分ツッコミを入れたりもしていた。
言語化してモヤモヤを整理したいと思っていた。
元々は、このAIを使ってブログに挙げるために文章を作るつもりであったけれど、やり取りをしながら、この過程を残しておきたいなと思った。
勿論、忘れちゃいけないのは、そのまま受け止め、私が頼りなく、未成熟であることの点検もしなくちゃいけない。
今まで私にとってちょっとうるさいな(時には馬鹿にされてる?)、と思っていたアドバイスの裏側に思いを馳せるきっかけを貰えた。そのちょっとうるさいアドバイスをする人にも人生があり、自分を支える考え方なのかもしれないし、他人に認めてもらいたい主張したい部分なのかもしれない。
そう思ったら、その人も「同じ人間」に思えて来る。
そして、立場を変えて、自分は我が子にもそういう態度で接しているかも知れないと振り返った。
「あんた、まだ何にも知らないから」
なんていう思いで余計なことを言いかねない。
(一応普段意識して気を付けてはいるけれど、こういった類のことは、無意識で出ちゃうことが大いにあり得る)
言われた側の自分が感じたことを思い出そう。
AI先生、壁打ちお付き合いありがとうございます。



