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去年の12月3日、ユン前大統領が戒厳令を宣布しました。
そして、選挙管理委員会の事務所と国会を押さえました。
国会はともかく、なぜに選挙管理委員会?
ユン大統領は不正選挙を暴きたかった。
なぜなら、国会の3分の2、180議席以上を占める「野党」によって、国会の場は、立法の場ではなく、二十数回にわたる政府要職の弾劾の場と化していたからです。
25年度の予算案においても、たとえば大統領室の予算が0ウォンとかね、そういう感じで予算が可決され、つまり、一国の政府としての体をなさないように国会で可決されてたんです。
ですから、野党の支配の現状を打開するために、ユン大統領は、大統領権限として残された権力を行使して、戒厳令・・・お前ら、国会の6割を占める180議席は不正選挙で得た議席だろう?国民に正当に選ばれてもいないのに国権を邪魔するのか?・・・と、暴きに出たのだと思います。
あるいはですね、わたしが勝手にもしかして~ですけれど、過去の選挙だけではなく、未来の選挙の不正・・・自分が弾劾で引きずりおろされてからの新大統領選挙においてイジェミョン氏が確実に当選できるしくみ、それが既に左派に抑えられた選挙管理委員会で、不正選挙が準備されていることを暴こうとしたのかも?
おそらく勝ち目はあったからこそ、ユン大統領は戒厳令という強硬手段に出たのだと思いますよ私は。
いくら最後の悪あがきだとは言え、煙のないところに選挙管理委員会事務所を押さえには行きませんよたぶん。
国会を押さえたのはね、大統領が発令した戒厳令を、国会で覆すことができますので、時間稼ぎのために国会を押さえたのだと思います。実際、6時間後には国会で戒厳令が解除されてます。
ここで国会は「全会一致で」戒厳令解除を可決しました。
全会一致とは、その当時に国会に参加した野党の国会議員も、与党の国会議員も、全員での全会一致です。(与党議員は18人参加していました)
その後、当時国会に集結せず、ユン大統領を支持した与党の国会議員は、謝罪声明を出しました。
ユン大統領は与党からも梯子を外され、「悪い大統領」になってしまいました。
戒厳令の条件、戦争あるいはそれに準ずる国家的危機・・・という条件は、見る立場によって違います。国政の危機は、それにあたるかどうか。
ユン大統領は、あたると判断し、国会および憲法裁判所、ユン不支持者は「あたらない」と判断した。
与党は、神輿に担いだ大統領を尻尾切り(頭切り)して、自分たちの生き残りを考えたのでしょうか?いえ、韓国の民主主義の未来を考えたんですよね?(皮肉)
そして「国民に銃を向けた」と騒がれてますけれど、実際は「国会議員に空砲と言えども銃を向けた」というか、軍を派遣したわけで、まあそれでも国会という「国民の代表」に楯突いたわけですかね。
ユン前大統領は言いました。「民主主義の危機だ」と。
そして、イジェミョン現大統領も言いました。「民主主義の危機だ」と。
それぞれの立場で言う、事実は真逆です。
悪い大統領が自分の権力を維持するために内乱を起こした。
クーデターを起こした。
国民に銃を向けた。
戦争を起こそうとした。
韓国民がそれを阻止し、国民主権を守った。
平和的に歌と踊りで民主主義を守った。
韓国の民主主義の誇らしい日である。
光の革命はまだ終わっていない。
今では左派政権になっておりますので、テレビで振り返る去年の事件も当然このような左派目線で語られておりまして、
わたしはニュースを見ていてどうも気持ちが悪いです。
なぜに、国民が直接選挙で選んだ一国のトップである大統領が、”クーデター”を起こすのか。
同じく国民の代表である国会議員が権力を掌握する「国会」の決議を大人しく受け入れたくないから”クーデター”を起こした、という意味ですね。
で、「国民主権を守った」と韓国民はイジェミョン現大統領から褒められてる。
ならば、韓国民の直接選挙である大統領選挙は、国民の主権ではないのか?
(24年の国会議員選挙で与党は大敗、野党が議席の6割を掌握しましたので、国民の代表としての立場は野党(国会)に移ったとしても)
(で、ユン大統領は、不正選挙を暴きに出てる)
その「大統領制という国民主権」をないがしろにしたのが「国会」ではなかったか。
いくら何でもやりすぎたのが「国会側」でもあり、ユン大統領側も、いくらなんでもやりすぎではあった。おとなしく、予算0ウォンを受け入れて、政府高官弾劾および野党が支持する人材を長官にして、全て受け入れて、窓際で何もできない隠居生活をするべきだった・・・?
おそらく、それでも弾劾されてたと思いますね。無能大統領として。
ユン大統領ひとりで実行した?
共犯者として、大統領の命令を受けた軍の関係者、大統領の命令を伝えた人、などがあげられていますが、共謀した政治的な側近などはあげられていません。
このあたりに、野党(現与党)との政治的な取引きがあったりしてない?ユン支持を止めたら追求しないなどと・・・?
まあねー。
戒厳令までは予想してたかどうかわかりませんが、現与党は自分たちがクーデターの半分をやっておいたわけですよ。
そしてうまく他人のせいにする言葉遊びというか、責任のなすりつけというかも、ここまでやるのかと。
純真な国民はすっかり騙されてしまうのだなーと。
どっちが善で、どっちが悪か。
二元論の人たちだなぁ。
でも、ユン支持者はまだ韓国民の非主流の何割か、います。
きっと現在の「主流」に、わたしと同じく歯がゆい思いをしていることでしょう。
いえ、傍観者であるわたしと同じどころじゃなく、当事者としてもっともっと絶望していることでしょう。
韓国は革命ブームですね。
昔はね、「政権交代」って言ったんですよ。
いつの間に政権交代が革命になっちゃったんだろう。ムン大統領からですね。笑
政治家の方で革命ブームでして、韓国民の方で革命ブームかどうかはわかりません。
韓国民は、集会ブームではある。確かに。
国民は、悪い大統領を引きずりおろせと集まって歌って踊っていたのであって、自分が「革命」に参加しているとは思っていなかったんじゃないだろうか?(コアな左派支持者は内心そう思っているかもしれませんが)
後づけで、「国民主権の革命だった」「民主主義を守った」と褒められて喜んで、
へー、革命ってすごいんだ、僕たちってすごいんだ、って、「革命」を誇らしく思えるような思想に誘導されてはいないか。
これ、何度かブログに書いていることなんですけれど、
ムン大統領も、大統領就任以前に、ロウソク集会を組織しまして、自分が集会の指導者であって、
そして、パククネ大統領の弾劾が成功し自分が大統領になった後で、それを「ロウソク革命」と言いなおしました。
イジェミョン大統領も、ユン大統領の弾劾集会を組織?し、
弾劾が成功し自分が大統領になった後に、それを「光の革命」と言い直してます。
どちらも後付けで「革命」であったとしております。
この、革命を信奉する彼らと、革命だと褒められて喜んでいる韓国民が、どうも気持ち悪いです。
この下のリンク記事の↓文面だけ見ても、気持ち悪くないですか?
左派というのは、こういうものの言い方、国民の乗せ方、政治の仕方、歴史の作り方をするんですね。
そして、こういう風に常に誉められて気分が良くなる国民が大半であるということですね。
ちょっと批判っぽい言い方になりましたけれども、
国民性がそうであるから、そうなるのであって、そうなるのが自然なのでしょう。
それが、韓国では「誇らしい」ことである。ならばそうであるしかない。
わたしがどうこう言って、いいとか悪いとか、ないわけです。
彼らがそうありたいなら、そうなるしかなく、彼らの国ではそうあるべきである。
これは、思想が異なる国、政治体制が異なる国、宗教が異なる国、全部に言えることです。
彼らにそうなるべきではない、とは言えません。
自分が対処するしかないのです。
で、韓国という国、民族は、世界の中でも特にお隣。
たとえこうであっても日本としては非常に理解しやすい部類であると、思わなくてはなりません。
世界はもっと広いから。
>李大統領は「光の革命で誕生した国民主権政府は、韓国国民の偉大な勇気と行動を称えるために、12月3日を『国民主権の日』に指定する」とし、「大韓民国が存在する限り、憲政秩序と民主主義を守り抜いたことを共に記念し、より堅固な民主主義を誓う契機にする」と述べた。
>続いて李大統領は「世界史に類例のない民主主義危機を平和的な方式で克服した韓国国民こそノーベル平和賞を受賞する十分な資格があると確信する」とし「もしノーベル平和賞を受賞するならば、葛藤と分裂で揺れるすべての国家に大きな転換点になるだろう」と伝えた。
>「政権内部のクーデター的な動きという高い壁を乗り越えた国民の力は、どんな壁でも越えることができる。真の国民主権国家に向け、力強く前進していく」と語りました。
>「私的な野心のために憲政秩序を破壊し、戦争まで画策した暴挙は、必ず裁かれなければならない」と述べました。
>また、「光の革命はまだ終わっていない。二度とクーデターを夢見ることさえできない国、国民主権を脅かすことのできない国をつくるためには、正義ある統合が必要だ。偉大なる大韓国民とともに光の革命を必ず完遂する」として、内乱の真相解明と責任者の処罰を最後までやり遂げる考えを強調しました。
高市総理になってから、小泉進次郎防衛大臣の答弁や活動、片山財務大臣の答弁や活動、他の国会議員の質問とそれに対する答弁、非常に面白いです。
これまでのモヤモヤした感覚が、スカッと爽やかコカコーラみたいになって行く。
たくさんの方が「政治が面白い」と思っているらしく、動画もショートも盛りだくさんで、だからなおさら面白い。
日本がよくなって行く期待と実感。
この高揚感。
この高揚感を、韓国人は今のイジェミョン政権において味わっているのだなあと、
思った次第です。
いやいやいや、もっともっとですね。
道端の弾劾集会に参加して、音楽とともに歌って踊って引きずり下ろして監獄にいれて、世界で最も先進的な民主主義国家の国民主権の歴史的快挙だと誇らしく思う。
その実写ドラマじゃなくて参加型ドラマは、ゲームの世界よりもどれほど楽しく面白く、青春を掛けていて、誇らしく満足感のあるものでしょうか。
高市政権で日本人が感じる楽しさの千倍万倍かもしれません。
ワールドカップのようなお祭り騒ぎ、ラグビーのスタジアムのような盛り上がりを政治で定期的に行えるって、
健全?ですかねまあ。
日本人は歌って踊って政治に参加するのはたぶん「違う」と思うことでしょうが、民族によって表現方法や何に満足するかは違うのでしょう。
ユン大統領は左派政治家らを「従北勢力」と呼びましたが、
金正恩は歌って踊って最高指導者を引きずり下ろすイベントが大好きな国民性を見て、韓国を「別の国」と見なしたのかもしれません笑。
親中親北で「別の国」なら韓国としても中朝としても本望か?
うちのひょんにむ(お義姉さん)と二人で地方からソウルに観光に行ってこようと、計画を練ってたんですよ。
ひょんにむの希望は、덕수궁 돌담길 : 德壽宮(どくすぐん)の石塀の道
ソウルの中心にある景福宮(경복궁:きょんぼっぐん)が朝鮮時代の宮殿ならば、
德壽宮(덕수궁: どくすぐん) は大韓帝国の宮殿であって、伝統的な宮殿の脇に、近代的な西洋建築の宮殿が併設されています。
で、その周りはこのように高い石の塀で囲まれている。
その塀の周りの道が趣があって美しいとのことなんですね。
で、紅葉がまた美しいとのこと。
德壽宮は景福宮の近所ですし、景福宮の前には韓国のデモの名所、光華門広場がありますし、そこには世宗大王の像もありますし、また景福宮の周囲には韓屋(はんおく)も多くありますしで、どこを回ろうかと地図を眺めていましたら、
面白いことに気づきました。
德壽宮の裏門に、イギリス大使館がくっついているのです。道も隔てずに。裏門を出ればイギリス大使館?
えぐっ。
大韓帝国の政治の裏門にイギリス大使館が。おそらく大韓帝国と密接な関係を築いていたことでしょう。
そしてイギリス大使館にほぼ同じ敷地?って感じで隣接している、でかい教会はカトリックの教会。イギリスはカトリックの国ではないはず?ですが、イギリスの宣教師が建てたようです。キリスト教と大使は密接な関係が?
日本併合下の朝鮮において独立運動を支援してたのがキリスト教会ですから、大使や本国教会からの、布教活動以外の密命もあったことでしょう。
(NAVER マップより)
そして德壽宮の脇に隣接して、というか、德壽宮の敷地に挟まれる形でアメリカ大使の住居がくっついているのです。検索してみたら、これは元アメリカ大使館でした。
旧アメリカ大使館も当時なかなかいい場所取りをしましたな。
アメリカも大韓帝国と密接な関係があったことでしょう。
そして、旧アメリカ大使館である、現アメリカ大使住居、ここが、以前ハリス米大使が韓国の左派大学生に侵入された住居なのだなぁ・・・
アメリカ大使はその後どうなったか。
顔を切りつけられた情報上がりの大使がいましたね。次の大使が海軍上がりのハリス大使(日系)でしたが住居侵入されて韓国側の警備も穴で。で、その後はしばらく空席だったと記憶してますが、....今も空席でした。その間に大使がどなたか就任してたかな?
現在は大使ではなく次官がアメリカから派遣されていて、大使館の実務は韓国側がやってるようです。
空席。これがアメリカの現在位置。
(現在の米大使館は光華門広場の世宗大王の像の脇にあります)
で、ロシア大使館も德壽宮の近所にありました。みんな、大韓帝国の宮殿にくっつきたがってたんだなぁ。
ロシア大使館もでかい教会とほぼ同じような敷地で隣接しておりまして、
しかしこれはロシアのキリスト教会ではありませんでした。アメリカのでした。笑
アメリカ、見張ってたか?
・・・ロシア大使館の設立は1884年で、アメリカの教会の設立は1885年でした。
もしや大韓帝国をめぐって、各国の熾烈な場所取り争いが?
(ロシア大使館にはNAVERマップのビューが接近できませんでした。公道から奥まってました)
では中国大使館は?・・・明洞(みょんどん)にありました。
明洞は昔は日本人居住地だったそうで、中国人も沢山住んでいた。明洞も景福宮や德壽宮に近いのですが、有名な商業地ですよね。
中国大使館は政治よりも商業を選んだのかな?いくつか公館がある中で明洞のが残ったのかな?
商業に従事する中国人居住者のためかな?現在、中国大使館には華僑の子供ための学校が併設されています。
(NAVER マップより)
併設されている学校の名前は漢城華僑小中高等学校。
なんで漢城なのかというと、ソウルは昔は「漢城」と呼ばれる都市であって、今は韓国人はソウル(首都)と呼んでいますが、
たぶん、北朝鮮や中国の立場では、半島南端の済州島までが「朝鮮民主主義人民共和国」であって、南側は反政府分子が米帝の傀儡政権を作って統治してることになっているので、
「ソウル(首都)」というわけにはいかないので、「都市名:漢城」なんかなー。
調べました。

中国大使館の脇に駐車されたオートバイがなんか中国してる。ほんとに商店街にいきなり赤い大門があるような感じ。
ではわれらが日本大使館は?
NAVERマップで探しましたら、景福宮の近所にありました。
塀に囲まれた空き地がね。笑 (現在、隣のビルに間借り中)
建築許可をどうのこうのして、遺跡発掘を言い訳に建設を遅延されて、建築許可期限が切れちゃって、切れる間際に「工事しないの?」と一応アリバイ的に催促の声掛けはされたようですが、現在更地の放棄地です。
慰安婦少女の像とデモ隊だけが空き地の前に立っている?
なのに日本大使館と検索すると、この空き地が出てくるんですよ。
だったらほんとにパスポート更新とか出生届けとかの手続きに行きたい在韓日本人はどうやって日本大使館に行き着くのでしょうね。
空き地。これが日本の韓国における現在位置です。笑
ところでね、朝鮮の宮殿、景福宮の正門である光華門の中には、かつてはこんな建物があったのです。
朝鮮総督府
イギリス大使館以上に、えぐっですね。
この存在感。
裏門の外どころか、正門の中、そして本殿の前ですもん。
朝鮮総督府当時は明らかに、韓国を乗っ取っていた感じだなぁ。笑
確かに伝統的な建物の中に醜悪な鉄筋コンクリートが建っていた。
(旧ソウル駅はもう少し美しいデザインなのに総督府は無機的ですねなんでだろう)
(内部は美しい洋風建築)
でもこれは文句言われてもしょうがないわ。伝統建築の門にマッチしていない。(という次元の話ではないですが)
朝鮮総督府は1995年に撤去されまして、現在の景福宮の姿はこちら↓です。
本来の伝統建築群が美しいですね。これは素直に認めざるを得ない。
景福宮はさらに高い石の塀で囲まれていまして、歩行者からも車からも、視界が完全にさえぎられ、光華門の前からですと、門と塀だけ見えます。
(でも朝鮮総督府は高層なので視界が遮られなかったわけだな)

確かに総督府がない方が断然いいかんじ。
景福宮の後ろに見えるのが韓国の現在の国政の中心、青瓦台です。
景福宮の光化門の後ろにあった朝鮮総督府が撤去されて、景福宮の中の二番目の門(朝鮮総督府跡地)が昔のように復元されて、韓国としてはこれが本来の姿に戻ったわけです。
ついでに景福宮近所の日本大使館も建て替え妨害で更地にしたので、韓国としては、まぁ、ささやかな復讐をなしとげたということでしょう。
韓国の立場では、日本大使館は空き地&借り屋で十分。これでよかったことでしょう。
(日本としても空き地&借り屋のメリットはある)
でも何かあった際には、この空き地が「治外法権」の地になってくれるんかな?たぶんなってくれないな。
わたしは釜山領事館の管轄でして、釜山領事館も昭和中期の香りのままの狭い施設です。こちらももしかすると、建て替えするとなると建築許可が下りずに更地になるかもしれません。昭和のまま年を重ねるしかないか。
まぁそれも時代ということですなぁ。
光華門広場には日本の侵略から国を守った李舜臣将軍の像も立ててますしね。これで日本の侵略から国を守る国防精神は万全です。
まぁそういうことで、
わたしはひょんにむと、秋のソウルを楽しんできました。
で、
じつは、
20年以上もアメブロ交流がありました、かんくらさんと、ささやかなオフ会もやってきました!
顔も知らなかった方とお会いしてきました。
時間の都合でちょっとしかお話できなかったけれども、楽しかったです。
かんくらさん、ありがとう!!
が、今現在、地球全体のホモサピエンスの人口は増えてますからね。まだ全体の傾向ではない。
というわけで、日本は少子高齢化と人口減での、ホモサピエンスの衰退の最先進国というわけで、日本が足掻いた試みが、いずれ世界に応用されるかもしれません。
(いえ韓国が急速に追い越していきますが。笑)
日本も(韓国も)、もうちょっと、あがいてみる意義も時間もありますよね。
失われた30年。
90年代初めのバブル崩壊の後、
日本が経済成長0%、マイナス成長~微プラス成長をしていた時期です。
これで日本の若者が将来の希望を持てなくなったと言われてますでしょ。もう平成の頃、「失われた20年」の頃から言われてましたよね。
韓国に嫁に行った身からして見ますと、実家に帰省する度に、いつまでも変わりない(よくも悪くも)故郷の懐かしい姿の中でも、
近所の酒屋さんが無くなっていたり、八百屋さんが無くなってたり、小さな商店街そのものが無くなっていたり、駅前の大通りが寂しくなっていたり、少しずつ衰退していく景色を眺めていました。
その一方で、手持ちの「円」の価値が下がらないことは、ありがたいことでした。
1万円は、10年経っても1万円だったからです。
韓国の高齢者の貧困率は50%だと言います。国民年金非加入者も多い。
そりゃそうでしょうよ。
国民年金が義務化される以前の方々には、漏れがあります。
うちのお姑様も、国民年金に加入したはしたけれども、加入期間が10年に満たなかったので一時金を少々もらって終わったそうです。
(掛け金以上の支給が一生続くと言っていたのに嘘っぱちだったと言っておられます笑)
また、韓国の高齢者の貧困率は、インフレに対応できなかったことが原因の一つでしょう。
お姑様が労働にご苦労された当時の日給5000ウォン。時給換算で600ウォン余り。現在は時給1万ウォンです。日給なら8万ウォン以上。普通は日給なら10万ウォン出ます。
つまり、
高齢者が労働者だった時代に稼いで貯めた貯蓄は、額面は同じでも、価値は10分の1、20分の1に目減りしてます。
60年代、プンオパン(韓国式タイヤキ)が10ウォンでいくつも買えたのに、今は1個1000ウォンです。これは100倍以上。
韓国の田舎のおばあちゃんたちが、貯金が500万ウォンあることを誇りにしていたとして、
その500万ウォンは、プンオパンを10ウォンで買えた当時の500万ウォンではありません。
だから韓国では、全財産を土地と家に替えて持っている風潮ができたんだと思います。これは物価と共に上がりますからね。不動産神話は生きており、銀行預金以上に割が良い。
それでも、貧困率50%とは言っても、お年寄りが昔の家で当時の生活を続けているという意味なら、おそらくそれほど貧困でもないのです。時代から取り残されただけ。
だからか、韓国では、親の家に冷蔵庫やテレビやクーラーを買ってあげる式の親孝行が普通です。「孝行旅行」という言葉もあります。病気になったら医療費、入院費を息子娘が負担します。親の生活の面倒を見る。
ただそれでも、昔のように年老いた親に仕送りしたり、長男家族が親と同居してお世話をしてくれる風潮や状態ではなくなって来ていますので、その現代化の狭間で貧困に陥るお年寄りはいます。
パククネ大統領時代に、「老齢年金」という制度ができました。収入や財産のないお年寄りに、国が年金を支給するものです。
「自分は国民年金を長年まじめに掛けてきたのにこれはどういうことだ?」との声もありましたけれども、国民年金だってそれだけで生活するのは大変ですので、一定の所得以下の方々に支給される老齢年金はありがたいのです。
韓国で、こういう事情を見ていますとね、
日本の失われた30年は、お金と物価を凍結した30年だったとも言えます。
ステルス値上げや税金の値上げはありましたが、
イケイケの80年代までの労働者、現在の高齢者が、当時貯めたお金、当時かけた年金、これらがしっかりと90年代から30年にわたって温存されているのが大きい。
数十年越しのインフレによる高齢者の相対的貧困が起こっていない。
もう30年も前から「少子化」が社会問題になっていますが、同時に、30年間、お金の価値や資産価値が据え置きされ、高齢者の財産が10分の1の価値になったりはしてません。
(家や土地の価格は下がりますが、それは個人で対応できませんね。家も土地も価値が上がって相続税もそこそこだったら、相続はもっと嬉しいものになるでしょう)
少なくなった労働者が高齢者を支える負担が問題になっていますけれども、日本の高齢者は韓国の高齢者に比べると、経済状態は良好です。
だれかがそう計画したわけではないでしょう。けれども結果として、日本の高齢者は、経済的に安定している方が多い。
日本は高齢化社会、高齢社会、超高齢化社会、超高齢社会を経て、多死社会(急激な人口減社会)へと向かいます。
日本では絶望的に見えていたかもしれませんけれども、
隣の国から眺めると、なかなかうまく行っているように見えるのです。
韓国では、内乱罪のユン大統領の政治危機を乗り越え、優秀な指導者イジェミョン大統領のもとで、国が正常化されて本来の推進力を得て、劇的な経済回復をするものと皆が期待しております。
結婚率も、出生率も、上がるものと予想していましたが、
そうそう甘くはないようです。
でも韓国民(の過半数のイジェミョン支持層)はいまだ、希望を持っていますね。
イジェミョン保有国だそうですよ。
そういう、大統領が変わるたびに政治に大きく期待する韓国を内心笑っておりましたけど、
高市政権に期待する日本人を、今度は韓国が笑う番かしら?
日本は変わる。
この期待というか確信というか、
これを、韓国人は常に持っていたんだなーって、やっとわかりました。
日本が日本らしく躍進するのは世界のため、と本気で思えます。
「韓国が躍進するのは世界のため」
韓国人が持っているこの感覚も、やっと「日本版で」共感できました。
(韓国版では共感できない笑)
10時に記者会見が行われました。
昨日は韓国の祝日、「ハングルの日」でした。
韓国版オンライン百科事典(ナムウィキ)から抜粋します。
>世宗大王が1446年に「訓民正音」を発表したことを記念し、ハングルの独創的な科学性を国内外に広く知らせ、汎国民的にハングルを愛する意識を高めるために指定した国民の祝日。
ああ。この短い説明文からでも、韓国の香りがプンプンしますね。笑
ちなみに「訓民正音」とは、「民を教える正しい音」という意味です。
自国の言語がもともと存在する上で、優秀な文字として漢字が入って来たのは日本と同様。
読み書きするための文字としての漢字に対して、それを自国化したのが日本のひらがなカタカナ、そして訓読みや漢字交じり文の発明だとしますと、
朝鮮の場合、漢字のお勉強が極めて優秀かつ優秀な上流階級の人材が多かったのでしょうね。
漢文そのままでの読み書きの時代が割と長く続きます。
しかし、漢文のお勉強をしない民のための文字の必要性を感じた世宗大王が、1446年、朝鮮語そのままの音声を記録し読むことのできる表音文字をおつくりになられた。(実際は「作れ」と命令したようですが、そう意思決定成されたことがありがたい恩寵)
ハングルの日には、ハングルの日の意義を教える政府広報がテレビに入りますけれど、
こういったハングルのなりたちと、日本帝国強制占領時代にこの優秀なハングルが奪われ、解放とともにハングルをまた取り戻した・・・ということに、やはりなっています。
ま、ハングルの日に関してはここまでにします。
今日書きたかったのは、国語についてです。
アフリカの方とお知り合いになったのですが、
韓国ではいちおう英語と韓国語を話されてます。ブロークンな英語と片言の韓国語ですが、それなりに通じてるので韓国で仕事もしてます。
お国は公用語はフランス語とアラビア語だそうで、その方は、フランスの大学を卒業してます。
英語は、独学だそうです。
(だったらフランス語が主言語の国に就職なさればいいのに、わざわざ韓国に来たのは新たな冒険・・・というか、ヒュンダイ主催のインターンシップに応募したのだとか)
で、ちょっと教育と国語について聞いてみましたら、びっくりというかなるほどなーというか。
生まれて育ちながら覚えるのは、母国語(?)とは言っても、多民族国家なので、母国語というより母民族語?家庭内では、母民族語で会話している。
で、
小学校に入ると、アラビア語を学ぶそうです。
そして、地理や歴史は、アラビア語の教科書で学ぶ。
(北アフリカの方だからでしょうかね?)
小学校の高学年になると、フランス語を学ぶそうです。
そして、数学や化学は、フランス語の教科書で学ぶ。
高校の時が一番大変で、アラビア語とフランス語で高等教育水準の科目を高等教育水準の言語で学ぶ。
大学になると、自分の専攻分野の言語だけでいいから楽になる。
・・・のだそうです。
こりゃぁ、こどもがお勉強をするのが大変だ。
アラビア語とフランス語を習得しながら、基礎的な歴史と基礎的な数学、科学を勉強し始める。
高校レベルの内容の科目を習得するために、そのレベルの公用語を習得する。
これが、国語の実態というか、民族語と公用語の実態というか、
ひとつの国が多言語で構成されている国の教育の実態というかです。
半島の国も、5000年の歴史があると自慢してますが、その中でも朝鮮という国に至って世宗大王が表音文字を作ろうと決意なさる15世紀までは、このように「お勉強=中国語の習得」と同義語だったわけでしょうし、
日本は、万葉仮名という、比較的古い奈良時代から母国語での表記の試みがなされ、平安時代にひらがなカタカナが生まれました。
日本語が面白いのはそればかりではありません。
韓国人が不思議がる、「訓読み」を発明しました。
(韓国では漢字も一語一音、音読みのみです。)
また、漢字とひらがなカタカナが一文の中に同時に存在する表記法。
明治には、地域ごとに異なる方言を、共通語としての日本語にまとめた。(江戸方言?)
さらに、外国の概念、学問を、大量の和製漢語を作って自国化し、漢字圏に輸出もした。
(そんなこと言ったら、「二酸化炭素「とか、「合成分解」とか、「万有引力の法則」とか、「民主主義」とか、何か発見したり作ったりする度に名前をつけていた西洋はかなり偉いわけですが)
それでも一応、日本では全ての分野の高等教育まで、日本語で教育できる。
批判はあれどもカタカナ外来語を日本語化して氾濫させていたりもする。
(論文を読んだり書いたりに英語力が必要になるのは大学生から?修士くらいから?)
日本語として漢字は勉強するけれども、科目自体で外国語を学ばなくてもよい。
カタカナ外来語として英語を知るけれども、英語自体はそこそこでよかったりする。
もちろん西洋にも言語の歴史がありますが、
日本人が「国語」をつくってきた長年の創意工夫というのも、けっこう独創的です。
日本語には「国語の日」はありませんけれども、
もしかしたら、韓国が「ハングルの日」を自慢する以上に、
日本人が日本語を自負したっていいくらいに意味深いものかもしれません。
ところで、偉大なハングルを奪われてまた取り戻したといいますが、
漢字から独立した国語としてのハングルは偉大であると認めます。
朝鮮語を奪われ日本語を強制的に教えられたというのは、確かにに併合の証ではあるんですが、
例の、アフリカのお勉強事情と同様な一面ではないかとも思いました。
小学校に入学して朝鮮語を学び、3年生からは日本語を学ぶ。それは日本が西洋の概念をいち早く日本語に取り入れていたなら、お勉強の近道です。
もちろん、民族同化という、韓国人にとっては耐え難い屈辱の目的もありますので、弁明はしませんが。
ということで、韓国語の国語の歴史には、日本語の流入とその排除という流れが、その痕跡を残しながら今に至ります。
なのでハングルは彼らの独立精神の証、誇りでもあります。
さて。
日本の国語のなりたち
それは漢字にせよ(呉音とか漢音とかの時代差もある)、和製漢語にせよ、カタカナ外来語にせよ、日本と他民族とのお付き合いの歴史でもあります。概念が輸入されて消化してきた歴史。
もっと古くは、日本の中でのいろいろな部族の統合の古代史でもある。
聖徳太子が10人の言葉を同時に聞いて答えられた・・・というのも、もしかして、あちこちからの渡来人がたくさんいて、日本の地方人地方豪族も多数がいる時代に、多言語を駆使した、ということではないか、とも聞いたことがあります。
「和を以て貴しと為す」とは、多民族、多豪族いる中での訓示だとかね。
今はAIが台頭して、こんな便利なら英語の勉強って要るんかな?とか思ってますけれども、
多民族の流入の時代になりますと、やはり文系の力、理解力調和力調整力、異なる人や集団を扱う能力というかが、各分野というか、各会社にというか、各地域、市役所に、個々にというかに、必要になってくるのだろうな。
近年は文系よりも理系がもてはやされますが、
こういう、国家の根幹となる政治というか、統治というか、思想、概念、言語というか、そして教育。
平たく言うと、しくみとコミュニケーションとまとめ上げでしょうかね。そこで国力を支えたのは、文系の力じゃなかったか、と思いますね。
またそれがもっと必要な時代になりますかね。









