誰かの言葉や、TVのニュースを見たり聞いたりして、

 

過剰に反応したり(されたり)することがあると思いますが、

 

その理由は、その人の中に癒されない深い悲しみ=トラウマ

 

があるからだそうです。

 

 

心理学を学んで、そのことは理解していたものの、

 

その悲しみの元となった出来事=原因がわからないと

 

悲しみを癒しようがないので、解決できない訳ですが、

 

 

今回、棚田先生の無料セミナーを受けて、

 

長年持ち続けていた「かわいそうな人が見捨てられない」

 

根本原因がやっと突き止められました!

 

 

私はホームレスや困っている人、かわいそうな人を見ると

 

異常なまでに同情してしまい、お金や食べ物を与えて

 

何とかして救ってあげようとする癖があるのですが、

 

自分でもなぜそうしてしまうのか?わかりませんでした。

 

 

でも、こちらに書いたように、

 

原因と思われる過去の出来事を思い出して、

 

「どんな場面で、どんなことを感じ、どんなことを考え、

 

どんな行動をしていたか?」を書き出し、

 

ビリーフを書き換えるワークをしてみると、


「大事な人を救えなかったことが悲しい」

 

という思いが出てきて、泣いてしまいました💦

 

 

小3の頃、初めてホームレスの人を見た時にショックを受け

 

多くの人が素通りして助けないことにもショックを受け、

 

「かわいそう!」「助けてあげたい!」

 

という思いが強烈に出てきて、

 

 

でも何もできない自分が悲しくて、悔しくて、情けなくて、

 

「役に立たない自分、何もできない自分が悲しかった」

 

ということを思い出し、号泣しました。。

 

 

「何もできない自分がかわいそう!」

 

という深い悲しみが原因あることに気づき、

 

6年前に書いた、この記事とも繋がりました!

 

この時も「母の苦しみを理解できなくて、悲しい」「母のことを理解したかった」と号泣したと書いてあります💦

 

 

そして、当時の自分に何と言って慰めてあげるか?

 

どうしてあげたらビリーフを作らずに済むか?

 

を考えたところ、欲しかった言葉が見つかりました。。

 

 

「何もできなくて辛かったね」

 

「助けてあげられなくて悲しかったね」

 

「でも自分を責めなくても大丈夫だよ」

 

「誰もあなたのことを恨んだりしないよ」

 

「悲しいよね、我慢しないでいっぱい泣いていいんだよ」

 

「あなたが悪いんじゃないよ」

 

とたくさん出てました。。(T_T)

 

 

そして、やっていくにつれて、これは私の悲しみではなく、

 

私の祖父の悲しみだと気づきました!
 

 

幼い頃に実母を亡くし、二人の妻と二人の娘を亡くし、

 

深い悲しみを抱えながらも、誰にも言えず、弱音を吐かず、

 

(戦前なので)悲しむことも思いっきり泣くことも出来ず、

 

黙って耐えていただろう祖父の深い悲しみが

 

私のDNAに刻み込まれているんだと思いました。。

 

 

実母のことは覚えていないかも知れないこと、

 

4回もお葬式をした時の祖父の気持ち、喪失感を思うと、

 

「大事な人を救えなかったことが悲しい」

 

「何もできない自分が情けない!」

 

という思いを何十年も癒されないまま、

 

死ぬまで持ち続けていたのではないかと思いました。。

 

 

棚田先生のこちらの本に、

 

悩みや問題の原因が集合的無意識にある場合、

 

「原因を個に帰することのできない、

 

システム全体に関わる要因によって引き起こされた問題」

 

である場合は「家族のトラウマ」を癒す必要がある

 

と書いてありましたが、まさにこれだなと思いました。

 

 

戦争や災害などで、家族を失った場合、

 

「私には何もできることはない」と

 

その変えられない運命を受け容れるしかないそうです。

 

 

誰もが自分自身の運命しか背負えないので、

 

他人のことを「かわいそう」とか「私が助けなければ」と

 

思う必要はないと書いてありました。

 

 

「両親が背負うべき運命」を尊重して、

 

「代わりに背負ってあげよう」とは考えないこと。

 

 

両親に対する同情や哀れみの気持ちを持ち続けていると

 

幸せになれないとも書いてありました。。

 

 

そして、親は加害者ではなく、子どもは被害者ではないので

 

親を許す必要もないこと。

 

親と同じように病気になって苦しんだり、

 

不幸にならなくてもいい。

 

 

「私は、お父さんお母さんを救うために

 

この世に生まれてきたわけではありません」と宣言して

 

自分の人生を生きること

 

と書いてあり、とても心に響きました。

 

 

幼い頃に「私はかわいそうな母親を守る救済者だ」

 

というイメージを持ってしまうと、

 

自分の周囲や世の中に、被害者と加害者を発見し、

 

被害者を守るために加害者を非難、批判するようになる

 

とも書いてあり、実に覚えがあるな~と思いました。。

 

 

家族の間に深い愛情があるからこそ、問題が起きる。

 

すべての子どもは親に対し、無条件の愛を持っているので

 

自らを犠牲にしたり、親を苦しみから救い出そうとする。

 

 

でも、子どもが不幸な人生を選んでも親は決して喜ばない。

 

子どもが幸せな人生を生きることが最高の愛情表現になる。

 

 

「両親=他人を同情や哀れみの目で見るのは止めましょう」

 

という言葉は、私の心にとても響きました。


 

祖父が亡くなった母親や、二人の妻や娘をさしおいて

 

「自分だけ幸せになってはいけない」と思ったように、

 

私も、戦中戦後、苦労した祖父母や両親をさしおいて

 

「自分だけ幸せになってはいけない」と

 

心の奥底で思っていたのかもしれないと思いました。。

 

 

でも、子どもの私に両親を救うことは出来ないように、

 

戦争で死んだ人たちを救うことも出来ない訳で。。

 

 

「私にできることは何もない」

 

「変えられない運命を受け入れるしかない」

 

ということがようやく腑に落ちました。

 

 

そして、

 

「何もできなくても、私には価値がある」

 

「生きているだけでいい=価値がある」

 

「生きているだけで人に喜びを与えている」

 

という新しいビリーフを持てるような気がしました♪

 

 

棚田先生の無料セミナーのおかげで多くのことに気づけて、

 

本当に有り難いなと思いました♡

 

 

「他人がかわいそう=私だったら辛い」と同義だそうです。。