最近、にわかにワグネリアンである。美しく官能的な音楽、ライトモチーフを多用した緻密な音楽の構成。魅力的である。
ワーグナー自身は専門的な音楽教育を受けた人ではなく、どちらかというと劇を作ることの方にそもそも興味があった人のようである。そして彼の作品のほとんどは彼自身の台本によるものである。

ワーグナー自身はおよそ「人徳」という言葉に縁のある人ではなかったようで、その代わりに彼には彼の音楽の中に潜むような他人を惹きつける「毒」があったようである。すでに指揮者フォン・ビューローの妻だったコジマ(リストの娘)を略奪し、バイエルン国王ルートヴィッヒ二世をパトロンにし国費を浪費させたのも彼である。とにかくスケールが違い、かつて類を見ない借金王だったらしい。

「トリスタンとイゾルデ」もいくつかソフトを持っているが、完全に満足のいくソフトというと少ない。イゾルデ役はビルギット・ニルソンの存在をもちろん忘れられないが、現代はワルトラウト・マイアーが一番のイゾルデではあるまいか?
ニルソンと違い美声とは言いがたいが、「演技力・歌・美貌」に恵まれた彼女は激しい恋に身を置くイゾルデはぴったりである。
バイエルン国立歌劇場公演の放送で見たが、コンヴィチュニーのメルヘンチックな演出はマイアーの本格的なイゾルデとは不釣合いな感じだった。
トリスタン役のフレデリック・フォレストはヘルデンテノールとして近年、頭角を表している人。「リング」のジークフリートと並んで長時間、オーケストラ並みの声で歌うことを求められる難役である。健闘していると言えよう。マリアーナ・リュポヴシュクのブランゲーネはさすが世界の第一人者の貫禄。マルケ王のクルト・モルは低音域の歌手の方が息の長い活躍ができるとはいえ、引退もそう遠くないように思えた。

バレンボイム指揮のバイロイト音楽祭盤はワーグナーの第一人者となった今の極みにまでは達していないにせよ、かなり満足のいく演奏。故ジャン・ピエール=ポネルの演出は美しくまるで夢の中にいるようである。トリスタンはルネ・コロ、イゾルデはヨハンナ・マイアー。ブランゲーネはハンナ・シュバルツ、マルケ王はマッティ・サルミネンである。ルネ・コロのヘルデンテノールとしての全盛期の歌唱なのであろう。立派なものであるがドイツ系アメリカ人のヨハンナ・マイアーは少し小粒なイゾルデである。

ベルリン・ドイツオペラの来日公演は故ゲッツ・フリードリッヒ演出で比較的シンプルなものである。ルイジ・コウトの指揮は手堅いものでオケ自体は満足できるものだったが、全盛期の過ぎたワーグナー歌手ルネ・コロ、ギネス・ジョーンズのタイトルロール役は正直ちょっときつい。マルケ王はロバート・ロイド、ブランゲーネはハンナ・シュバルツ。

しばらく映像ソフトの発売をしなかったメトロポリタンオペラも比較的、近年収録した映像をドイツグラモフォンより発売するようになった。この輸入をお願いして「トリスタンとイゾルデ」の最新演出のソフトを手に入れた。トリスタンはベン・ヘップナーイゾルデはジェーン・イーグレン。イーグレンは前出のイゾルデと比較してとにかく巨大で相撲取り体形。視覚的にはかなり厳しい。ワーグナー歌手やトゥーランドット姫などには珍しくないタイプだが‥。
実はトリスタン役のベン・ヘップナーが素晴らしいと聞いて買ったところもあるのであるが、フレデリック・フォレストとさして変わりがないように思える。
マルケ王のルネ・パーぺは素晴らしい美声の持ち主で前々から一目置いている歌手である。トリスタンの叔父にしてはどう見ても若いし、イゾルデが太ったトリスタンよりマルケ王の方に心変わりしそうな美男子ぶりである。オペラにリアリティを求めてはならない。
先日、キーロフオペラの来日公演、プロコティエフ歌劇「戦争と平和」が放送となった。この舞台の豪華なことと言ったらない。NYのメトロポリタンオペラとの共同制作だからこそこれだけ大掛かりで贅沢極まりない舞台が実現したのであろうが、現在、非常に元気のあるオペラハウスとなっている。

ここはワレリー・ゲルギエフが音楽監督になってから格段にそのレベルを上げたという。この日本公演もゲルギエフというカリスマが指揮をするというからチケットの売れ行きも良かったようだが、高額でとても手が出ない。

オペラのチケットはこれを観る者自身がリーズナブルと思えればそれでよい。
だが当然、「生もの」なので当日の出来不出来の保証はできない。

なので実のところ「当たるも八卦(はっけ)当たらぬも八卦(はっけ)」の世界だが、生の舞台の緊張感を知ってしまうとその虜となってしまい、この大博打に出てしまう‥。
ウィーン国立歌劇場来日公演が10月にある。小澤征爾がここの音楽監督になってから初めての凱旋公演でもあるし、「ドン・ジョバンニ」役にはにはトーマス・ハンプソン、ドンナ・アンナ役にはエディタ・グルベローヴァ、ツェルリーナ役にアンゲリカ・キルヒシュラガーなどオペラ界の新旧大スターが登場する。チケットは非常に取りづらい状況だったが、電話とインターネットを両手同時に操作してどうにかチケットを1枚確保できた。D席35,000円也。ちなみに全公演・全席種即完売御礼の盛況ぶりだった。

これは「ウィーン国立歌劇場」というブランドに、小澤征爾という偉大なマエストロに、またハンプソンやグルベローヴァといった名歌手に希望を託していると言ってもよい。
日本の大手CDショップでもお目にかかれないCDやDVDを輸入CD専門店に注文していたのだが、これが注文すること2ヶ月でようやく届いた。メトロポリタンオペラのドミンゴ、フレミング主演ヴェルディ「オテロ」とカリタ・マッテラ、ベン・ヘップナー主演のベートーヴェン「フィデリオ」、それにこの7月に小森輝彦さんが出演されるR・シュトラウス「インテルメッツォ」日本初演予習用のCD等である。
この中にマリア・カラスの「ノルマ」もあった。これだけは国内でも十分に手に入る商品なのだが店頭で買う価格の半額に近いお値段で売っていたので買ってしまった。

ノルマ=マリア・カラスと言われるだけにその録音も実に多い。その中でも貴重なステレオ録音でトゥリオ・セラフィン指揮、アダルチーザ:クリスタ・ルートビッヒ、ポリオーネ:フランコ・コレッリ、オルヴェーゾ:ニコラ・ザッカリア 盤が最も優れているものらしくこれを購入したのだが、セラフィン&カラスによるノルマが他の追随を許さない素晴らしいものであることがわかる。
ベッリーニのオペラのヒロインは「夢遊病の女」「清教徒」などに代表されるように通常コロラトゥーラソプラノで歌われる作品が多い。内容もたあいもないものでお話よりも歌声自体の美しさやその技巧を楽しむことが主眼だった時代である。それがベルカントオペラというものなのであろう。

ただこの「ノルマ」はベッリーニの他の作品とは違い美しい旋律だけで勝負をしていない。ベッリーニの美しい旋律を期待して聴くとそのあまりの激しさに驚かされるに違いない。
ヒロインはドラマティコ・ダジリタによって歌われ、かつ巫女の長としての神々しさ、女としての弱さ・苦悩、そして母としての母性をも感じさせなくてはならない難役である。
カラスのCD自体、アナログ録音が多いことからステレオ録音というのも魅力的だし、共演陣が大変豪華なこともこれを名盤としている所以であると思う。

セラフィンの指揮は「緩急自在」という言葉がまさにぴったりで、今まで聴いたノルマの印象と全く別物。
「ベッリーニの描き出したかった『ノルマ』とはもしやこうだったのではないだろうか?」とすら思える。彼の紡ぎだす「ノルマ」の虜となった。

カラスは幾度聴いても美声とは言い難い声質だが、その歌に込める性格描写は実に巧みで彼女のドラマティコ・ダジリタとしての実力も遺憾なく発揮されている、これは他の歌手の群を抜くものであるだろう。感情表現を優先するあまり時には歌手の命そのものである「声」すら犠牲にしている。ノルマの恋人に裏切られた怒りに燃える声はもはや金属音である。
声帯への負担が大きかったのか、彼女の歌手としての全盛期が10年程度だったという事実もうなずける。

カラス以降、「ノルマ」を歌う歌手は「カラスのノルマ」と比較されることとなった。これが「カラスの呪縛」である。
ヴェッセリーナ・カサロヴァ(Ms)
指揮;ディヴィッド・サイラス
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

○「オルフェオとエウリディーチェ」よりオルフェオのレチタリィーヴォとアリア‘何だって?なんて言った?~愛の神よ、僕の魂を’
○「皇帝ティトゥスの慈悲」よりセストのアリア‘私は行くが君は平和に’
○「セビリアの理髪師」より‘今の歌声は’
○「チェネレントラ」よりアンジェリーナのアリア‘不安と涙のうちに生まれ’
○「カルメン」よりハバネラ‘恋は野の鳥’ジブシーの歌‘響きも鋭く’
○「ドン・カルロ」より‘おお、むごい運命よ’

ヴェッセリーナ・カサロヴァというと「ロッシーニ歌手」として認識されていることが多く、「セビリアの理髪師」のロジーナ、「チェネレントラ」のタイトルロール役などで定評がある。

ところがモンテヴェルディのウリッセの妻やベルリオーズ「ファウストの劫罰」、昨年はグルベローヴァのノルマ初挑戦でノルマの妹的存在で恋敵でもあるアダルチーザをも歌い、主役グルベローヴァに一歩も引けを取らないアダルチーザにみんなが大興奮した。その実力とその広範なレパートリーには目を見張るものがある。

今回のリサイタルでは前半がほぼ自身のレパートリーとなり血肉となった役柄を、後半はカルメン、ヴェルディ「ドン・カルロ」のエボリ公女などこれからチャレンジするであろうレパートリーのアリアにも挑戦した。
カルメンは歌こそロッシーニのような難易度の高い技巧こそ必要とされないが「魔性の女」を演じるには歌・演技ともに強烈なキャラクターが必要とされる。歌は申し分なく上手いがカルメンに対するアプローチはいまひとつ。

ヴェルディに関しては彼女自身がヴェルディの声を持っているかどうかまだまだ未知数のような気がする。エボリ公女と言えばワーグナー歌手並みのドラマッチックメゾが歌う役で果敢な挑戦ではあったがやや迫力に欠けるかも?

アンコールでは故国ブルガリアの歌とロッシーニ「アルジェのイタリア女」イザベッラのアリアを歌った。やっぱり安心して聴くことができた。
現代はメゾソプラノに優れた人材が多いとは言え、決して万能ではなくやはりそれぞれに十八番はあるようである。

楽屋口でパンフレットと彼女のロッシーニアリア集CDを持って「出待ち」した。
彼女はすっごくかわいい声のチャーミングな女性だった♪ご自身でお持ちのブロマイドにサインもしてくれた~2枚も!!いい人だ。
指揮:クリスチャン・アルミンク
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
ヘロデ王:ウド・ホルドルフ
ヘロディアス:アニヤ・シリア
サロメ:アンナ・カタリーナ・ベーンケ
ヨカナーン:ユルゲン・リン
ナラボート:井ノ上了吏

「サロメ」は近年、上演機会が多い気がする。新国立劇場でエヴァーディングの演出を3度(!)も上演しているからだろうか?
このプロダクションは児玉宏指揮によるものを観たが怪我で急遽キャンセルした若杉弘の代打とは思えない立派な演奏で大喝采を浴びていた。

今回は昨年、音楽監督に就任し新日本フィルの株を大いに上げた若き(32歳)のマエストロ、クリスチャン・アルミンクが指揮を、またサロメの母ヘロディアス役を伝説のソプラノ、アニヤ・シリヤが歌うというので楽しみだった。
さすがに前日の「神々の黄昏」の観劇疲れは残っていたが、行った甲斐はあったというもの!!

シリヤはかつてバイロイトの女王だった。
自身が指揮をする作品にヴォルフガング・サヴァリシュがまだ21歳という若く美しいソプラノを連れて来たが、これがアニヤ・シリアだった。
R・ワーグナーの孫であり優れた演出家でもあったヴィーラント・ワーグナーは彼女をすこぶる気に入り「シリアのみが(「さまよえるオランダ人」の)ゼンダを表現しうる」と断言したという。ここでエーファ、ゼンダ、エリザベート、ヴェーヌスなど超ドラマチックな役柄を除いてはワーグナーのソプラノ役を次々と歌った。
シリアがヴィーラントの愛人であるというのも公然の事実で、ヴィーラントの死とともにバイロイトを去った。その後もクリュイタンスとロマンスがあったりして、今はクリストフ・フォン・ドホナーニ夫人である。

難役ルルなどでも高い評価を得た後、メゾソプラノに転じ怪演を披露しているという専らの噂だった。
ヘロディアスは元夫の兄弟であるヘロデと再婚をし、預言者ヨカナーンから不道徳者と烙印を押され、このヨカナーンは地下牢に幽閉されている。サロメは彼女の連れ子であり、ヘロデがサロメに性的な関心を寄せていることも十分に知っている。
サロメは牢の中のヨカナーンに異常なまでの関心を寄せ、「七つのヴェールの踊り」を所望するヘロデの要求と引き換えにヨカナーンの首を要求する。ヘロディアスはわが娘の常軌を逸した行動を止めることはなく、憎いヨカナーンの死を望んでいるためこの約束を叶えるようにサロメに加勢する(なんて母親!)。

「アルジェのイタリア女」のアグネス・バルツァもそうだったが世界の頂点を極めた人は例え全盛期を過ぎても十分にその当時の片鱗を垣間見ることができるよう。
バルツァが「イエヌーファ」の教会のおばさん役など名脇役として近年、高い評価を得るようになったように一流のワーグナー歌手だったシリアもヘロディアスというメゾソプラノの個性的な脇役で演奏会形式とは思えない優れた歌唱と演技を披露した。

カタリーナ・ベーンケもブリュンヒルデやトゥーランドットを歌えるほどのドラマチックな声の持ち主ではないらしいが、同作品のジークリンデ、そしてこのサロメ役で高い評価を得ている歌手のようである。容姿もドラマチックソプラノにありがちな巨体‥ではなく、スマートな美しい方だった。七つのヴェールの踊りのシーンは「ストリップ」ではなく踊りながら7つの仮面を次々につけ、これを放つという演出だった。
女性陣の充実ぶりに比べるとヘロデやヨカナーンの外国招聘の男声陣はいまひとつ。その点、日本人テノール井ノ上了吏(ナラボート)の甘い声が甘美な「サロメ」の音楽にはぴったりはまっていた気がする。
われわれの歌ったヴェルレクには不向きな声質だと思ったけど…。

気になるアルミンク指揮による新日本フィルだが、はっきり言ってオペラの演奏機会の少ないオケとは思えない高品質な演奏!
「七つのベール踊り」の音楽の官能的なことといったらこの上ない。この部分は特にR・シュトラウスのオーケストレーションが絶妙で聴き手もヘロデと同じく気分がどんどん高揚していき、煽情的にさせられる。しかしオケがダメだとまったく心がなびかないだろう。(私は比較的よい時期にあたっているらしくそういう経験はない。)

楽屋口から出てきたアルミンクはジーパンをはいた普通の青年だった。
「マエストロは次の予定がありますので…」とマネージャーさんに連れて行かれた。シリヤにはバイロイト音楽祭サバリシュ指揮の「タンホイザー」CDにサインを頂いた。すっかり婆ちゃんだった(*_*)。