祭りの最大の日 イエシュアの宣言 生ける水 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

イスラエルの神が創造された記念日、祭りは全て福音、イエシュアの業を網羅しており、それは婚姻関係に入るプロセスと最後に

婚姻が完全なものとなる事を通して表されているものです。

婚姻関係で神と人との関係を表しているのは、関係の中で婚姻関係が最も近い、親しい、これ以上の近さ、親密さはない関係だからです。

 

以下は前回書いた内容ですが、個人と全人類歴史の中の地上のこの世の歩み、サイクルとはぴったり神の記念日で表されている

内容を表しマッチしている事が分かります。

 

1過越で贖い出されて神のものとされた。

この時から婚姻関係にある事実開始。イエシュアは過越の時に

地上で処刑され、種無しパンを食べる7日間、初穂の祝い日に

復活されました。子羊の血の贖いはエデンの園から教えられています。

春の初穂、収穫、=イエシュアに救い出された個人個人の命の

始まりを表しています。

<個人がイエシュアに出会い子羊の血で贖い出された>

2 シャヴオート(ペンテコステ)でこの婚姻関係は全世界に向けて正式に公になった。

<初穂=イエシュアにより神の民とされ、神の宝である聖別された人、イエシュアに属する者となったら、神の伝える聖別された生き方を与えられた。神との関係にある印、証拠、保証である神から直接与えられた”婚姻契約”が存在する。>

3夏から秋〜この時期は穂が成長する時期であり、実りが枝に

成って実り続ける時期を表しています。一年の全ての収穫が秋の

祭りの時に集められます。全ての収穫=全てイエシュアに属する人がこの世の終わりに全部集められる事を表しています。

<個人個人のイエシュアにある歩みはこの世の中に在って実は

私達の現実は天の中=イエシュア=仮庵の中に存在している。

ヨハネ17。初穂=イエシュアに連なる個人とそして神の民に加えられる人が歴史の中でどんどん増し加わる。個人の人生の歩み、サイクルそして人類歴史の歩みのサイクル。>

 

秋の祭りは、イエシュアの再臨、この世の終わりの時を表すもの。ヨムテルア=イエシュアの再臨を伝えるシグナル。警報。

目覚ましコール。王の王が来られる。

そして大贖罪日、ヨムキプル。神の義で覆われる世界を迎える。

一人一人が神の前に立ち、神の義で正しく”悪”が排除され終了になる時が来る。

 

5 仮庵の祭りの7日。古代のヘブライの世界の婚姻の宴は7日間続きます。仮庵はイエシュアそのものを表しているのです。

この世の中の救われてからの人生の歩みは春の過越から、そして

秋のこの祭りで表される地上の人生の時で過ごしました。

この世は仮の宿、荒野で表される様に約束の地を目指して通過

している仮の宿、仮庵です。

でも私達は地上の仮の住まいでも実は今”イエシュア”と言う仮庵の中に住まっているのです。天の現実の中に居る事が今目に見えない、体感出来ないだけで実は憐れみ=レヘン=胎の中=イエシュアの中に守られて生きている事を教えているものなのです。

そしてこの秋の祭り、仮庵の7日間は子羊の婚礼の宴を表しているものです。全部繋がって見えてきます。

 

贖い出されイエシュアを通して新しくされた人、神の元に取り戻された人達の歩み、神との関係=一番親しい婚姻関係の間柄で、今は目に見えない天の現実を天に居て地上に生きている事を常に考えてこの世の旅路を歩みなさいと教えられています。

そして最後の時、個人の人生の地上の歩みの終わり、又は全人類のこの世の終わりの時、イエシュアの中に入れられた花嫁達の婚姻の宴を7日間、喜び楽しみ過ごすのです。

ヤコブがベテル=ベイト=家 エル=神と言う場所で目に見えない天と見える地が繋がっている天の現実に存在して居た事実を神から見せられた事でも分かるのです。これは又別の記事にします。

仮庵の祭り、子羊の婚姻の宴が開かれ7日間喜び楽しみなさいと神が言われました。イエシュアの再臨を待ち望む人達、イスラエルの神にイエシュアを通して繋がれて新しくされた人達、地上の生まれの国籍に関係無くその人達は全て同じく天の国籍を与えられ、イスラエルの神の大家族の一員に加えられたと神が伝える事実を知るならば、イスラエルの神の子らは、イスラエルの神が創造された独特な聖別された神が定めた日時の記念日を神と神の子らと皆で祝う様に招かれている事を聖書から発見出来ます。

大きな祝宴〜子羊の婚姻の宴のリハーサル、リハーサルは実際に起きる事と同じ事をして準備するのです。10人の花嫁の例で

イエシュアが教えている通り、神に言われた通り準備して待っている人=5人、言われた通りを実行しない人=5人が居るとあります。マタイ25。ヘブライ人なら”5”と言う数字を聞いたら即座にモーセの五書=トラー=神の教えと繋げて考える事が出来ます。

人の教えを探ると神が伝えている真実は覆い隠されてしまいますから、神の伝える真実、招きが見えなくなります。だから人の

教えや解説では無く神が直接人々に渡された招待状=神の言葉=

聖書に記されている事を読んで事実を把握すれば良いのです。

いつ、どんな祝宴に神から直接お招きを受けているのか?その記念日の意味は何なのか?神の口から直接出た言葉が聖書には記されていて、それは永遠に終了変更などしないのです。

しかもイエシュアが再臨された後は全世界が神の創造された記念日を祝う様にエルサレムに上って来るとまではっきり預言されているのですから、人の作った教えではなく神の言葉を直接聞いて受け取る訓練=頭脳に割礼を受け肥沃の地=頭脳に神の言葉が

根付いて成長する作業、訓練が必要なのです。誰かが作った神の伝える事とは違う記念日に招かれてその招待状を受け取っても

それは神から来たものではないのです。そこに主催者は参加しない、主催者がいないので誰も招待はしていないのです。

その日を主催もしてない、開催してもいないからです。

 

さて、今日は仮庵の第七日目であり、第8日目の祝いの日が

あるのです。7日間の婚礼の宴=イエシュアの子羊の宴の後

第1日に戻るのではなく、8日目の祝い、これは新しい時代、

イエシュアが統治する時代に入る事を意味している記念日です。

この日、神の婚姻契約=トラーを与えられた事を喜び祝う、

神の教えを一年聞いて学んだ幸い、感謝、祝福を神に捧げて

盛大に祝う日です。

 

イエシュアも神の創造された記念日の全て=レビ記23章、

そしてもちろん仮庵を祝って居た事も記されています。この仮庵の祭りの最後の日、盛大な祝宴の日にイエシュアがご自分はどなたであるのか公に伝えた事がヨハネの福音書に記されています。

 

ヨハネ7:37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むが

よい。7:38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、

その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。

聖書に書いてある通り?聖書=タナック=モーセの五書、預言書、諸書しか存在してませんから、その中に書かれている!

とイエシュアが言っています。

 

この箇所プレイズにされたり、よく引用される箇所ですが、

イエシュアがこの言葉を言われた背景、意味が不明でした。

祭りの終わりの最大の日とは何の祭りのいつの事であるのか

全く考えた事もないし、その意味も当然私は全く知りませんでした。異邦人で”祭り”とこの箇所で読んで、即座に秋の仮庵の祭りであり、どんな祝い方をし、この祭りにはどんな意味があり、

その最後の最大の日は何なのかなんて最初から理解している人は普通いないと思いますが、ユダヤ人ならこれを読んだら何か直ぐに理解出来る、この違いは大きいのです。

祭りとか安息日と聞いてもそれがいつでどんな意味があるのか

聖書に記されている神が人に伝えている本当の意味など全く考えもしない、自分流の考えや思想はあっても、神が神の記念日について何と教えているのか聖書を読んでいても全く分からないままなのは異邦人の世界では一般的な事なのです。

 

古代の世界では、仮庵が祝われる時に毎日シロアムの池から

水を汲み出し神殿に祭司達が運びその水を注ぐ儀式をしていました。祭りの時に日本でもお神輿担いで他の皆さんも行列で一緒に歩いて、歌い踊り盛大に盛り上がる、その様な光景を思い浮かべてみると臨場感が増します。

この仮庵の祭りの喜びを知らない人は本当の祭りの喜びを知らないとユダヤ人の間で言われますが、この祭りの意味〜イエシュアが再臨し、神の義で悪者が一掃され、そして子羊の婚姻の宴の

にイエシュアと共に宴会し喜び楽しむ事を想像したら、これこそ

人類が待ち望んだ天の現実の到来、神と人が神の意図通りに

共に祝い一緒に住まう事を表しているものだからです。

 

この箇所もよく読まれますが、これは神の祭り=都上りの祭りに

歌われる詩篇なのです。喜び、楽しみ、兄弟が一緒に共に居る事

を祭りを一緒に祝う中で教えられています。

詩篇133:1 見よ、兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう。

133:2 それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、アロンのひげに流れ、その衣のえりにまで流れくだるようだ。

133:3 またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。これは主がかしこに祝福を命じ、とこしえに命を与えられたからである。

 

仮庵の祭りの最後の日に、イエシュアご自身がいわゆる”メシア”

宣言をしているのです。”私はメシアだ!”などと直接の言葉を言わなくても、生ける水とは何か、羊の門とは何か、天から下る命のパンとは何か、言葉とは何か、わたしはぶどうの木とは何を意味しているのか?これらの言葉が表している実態が何なのか当時イエシュアの言葉を聞いた人達はタナックに記された内容を元に理解して聞いていたのです。

イエシュアは人々が分かる様に、タナックに記されている”メシア”像を一般の人に解説しているのです。子羊、子羊の血の意味は聖書の最初から教えられているからです。

 

仮庵の祭りは1年の最後を締めくくる祭りであり、7日間の宴会の盛大な祭りです。

この特別な祭り=子羊の婚姻の宴を表す宴会でイエシュアが最後の日!最初ではなく最後の日にわたしが生ける水=メシアである

と宣言した事は重要な意味があるのです。

 

日本でも踊られる”マイム マイム”と言うフォークダンスは、

イスラエルのフォークダンスです。仮庵の時にこのダンスを踊りますが、円になって手を繋いで踊りますね。

マイムとは水です。マイム ハイム〜生ける水です。

イエシュア=救いの井戸=生ける水を汲みだす事を歌っているものです。

 

イザヤ12:3 あなたがたは喜びをもって救の井戸から水をくむ。

イザヤ44:3 わたしは、かわいた地に水を注ぎ、干からびた地に流れをそそぎ、わが霊をあなたの子らにそそぎ、わが恵みをあなたの子孫に与えるからである。

58:11 主は常にあなたを導き、良き物をもってあなたの願いを
満ち足らせ、あなたの骨を強くされる。あなたは潤った園のように、水の絶えない泉のようになる。

箴言18:4 人の口の言葉は深い水のようだ、知恵の泉は、わいて流れる川である。

未来預言

ゼカリヤ14:8 その日には、生ける水がエルサレムから流れ出て、その半ばは東の海に、その半ばは西の海に流れ、夏も冬も

やむことがない。

14:9 主は全地の王となられる。その日には、主ひとり、その名一つのみとなる。

 
エゼキエル47:12 川のかたわら、その岸のこなたかなたに、食物となる各種の木が育つ。その葉は枯れず、その実は絶えず、月ごとに新しい実がなる。これはその水が聖所から流れ出るからで
ある。その実は食用に供せられ、その葉は薬となる」。
 

詩篇1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もその

おきてを思う。

1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると

実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。