ネヘミヤ8章 イエシュアの生ける水宣言ヨハネ7章 仮庵の祭りの大いなる日  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

2022年の仮庵の祭りの7日間の最後の日になりました。

この日を”הוֹשַׁעְנָא רַבָּא”ホシャナ ラバ”と呼びます。

意味は”偉大なる救い”。たくさんの収穫物が集められます。

イエシュアも仮庵の祭りの盛大な記念日に、重要な宣言をしています。

そしてその宣言をした同じ場所で、ネヘミヤ8章に記されている事も同様に重大な内容が書かれています。

 

イエシュアの宣言、全ては神の言葉が中心!皆の意識が神の言葉

に向く時に人の中から命が溢れ出す。リバイバルはいつも神の言葉に立ち返り生きる事を人々が気が付き、する時に起きている事

が聖書にはずっと記されているのです。

ショファーは神の声になぞられるものです。

コル=声=神の言葉!神の言葉=トラーに注目せよ!神の教えに生きる事に戻れ!と言う目覚ましコールから始まる秋の祭り。

全ては”神の言葉”が注目の中心、的なのです。神の家の至聖所にある神の臨在がある”契約の箱”この中には神の言葉=10の言葉が入れられているのです。

そしてその箱の上=カポレット=贖いの蓋を2つのチェラビムが

ガードしているデザインを見ても、エデンの園、命の木=

神の言葉に戻り生きてガードせよ!ここ=神の言葉に生きる実態に戻れ!ここに命の源がある!と言う事実をずっと教えているのです。目で見ても分かる。何から命が生まれ出るのか?

 

神のトラー=婚姻契約に生きる事に忠実なイスラエルの王の統治時代には、イスラエルには長い間平和と繁栄が続きました。

でも、神のトラーに反する生き方をした時代にイスラエルは

疫病、敵が侵入し襲い、そして散らされて行った歴史の事実が

あります。

面白い動画があります。イスラエルが神の言葉に忠実な時は

イスラエルの領土が広い範囲で所有され、そうではない時には

全くイスラエルの国は消えて無くなると言う事を繰り返しました。イスラエルの国がどう変化したのか、見るだけで一目瞭然で分かります。動画下矢印

 

イスラエルの国 領土 年毎の歴史

 

命が生み出される場所、神の言葉です。神の言葉でこの世界の

漏れなく全てが造られ出現し、神の口から出る1つ1つの言葉により人は生きる様に造られている!と言う宣言からも、人の性質は神の言葉=命に繋がり神の性質を生きる時に、神の栄光が神の性質を生きる人の中から現れ出るのです。だから、思いを尽くし心を尽くし精神を尽くして、主なる神を愛せよとあります。

でもこの言葉は、思い、心、精神と言う翻訳の様に分かれたものではなく、ヘブライ語では”自分の全存在”=神の息を吹き入れられて生きるものとなった人〜ネフィッシュ=生きるものと言う

ヘブライ語の意味、人の全存在で主を愛す=愛するとは、契約の愛の性質を生きると言う意味です。神の教えを捨てたら、それは神が人に伝える生き方とはそれてしまうと言う事なのです。

それらは神の言葉で表されているのです。神が伝える神が造られた人間の性質を生きよ!と書いてあるのです。

 

ネヘミヤ1:5 言った、「天の神、主、おのれを愛し、その戒めを守る者には契約を守り、いつくしみを施される大いなる恐るべき神よ、

1:6 どうぞ耳を傾け、目を開いてしもべの祈を聞いてください。わたしは今、あなたのしもべであるイスラエルの子孫のために、昼も夜もみ前に祈り、われわれイスラエルの子孫が、あなたに対して犯した罪をざんげいたします。まことにわたしも、わたしの父の家も罪を犯しました。

1:7 われわれはあなたに対して大いに悪い事を行い、あなたのしもべモーセに命じられた戒めをも、定めをも、おきてをも守りませんでした。

1:8 どうぞ、あなたのしもべモーセに命じられた言葉を、思い起してください。すなわちあなたは言われました、『もしあなたがたが罪を犯すならば、わたしはあなたがたを、もろもろの民の間に散らす。

1:9 しかし、あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの戒めを守って、これを行うならば、たといあなたがたのうちの散らされた者が、天の果にいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住まわせるために選んだ所に連れて来る』と。

 

ヨシュアの時代から後、そして人々は捕囚の地に連れ散らされた後もずっと、神の記念日=祭りを祝う事を忘れた状態にいました。

ユダのペルシャ州のアルタシャスタ王に仕えていたネヘミヤ。

ネヘミヤと言う名は、ノアの語源と同じく、慰め”ネハマ”

神=ヤア”神が慰める”と言う意味です。

エルサレムの神殿の城壁がボロボロになり荒んだ状態であるのを再建したいとネヘミヤが王に願い出て、異邦人の王はその希望を快く受け入れた、これも凄い事なのです。

そして城壁修復が完成した、修復工事をした人達がエルサレムに定住し、そして第七の月になったとあります。

修復工事が完成して初めて仮庵の祭り、秋の祭り、一年の最後をしめくくる祭りを迎えたのです。

 

ネヘミヤ7:73 こうして祭司、レビびと、門衛、歌うたう者、

民のうちのある人々、宮に仕えるしもべたち、およびイスラエルびとは皆その町々に住んだ。イスラエルの人々はその町々に住んで七月になった。

8:1 その時民は皆ひとりのようになって水の門の前の広場に集まり、主がイスラエルに与えられたモーセのトラーの書を持って来るように、学者エズラに求めた。

8:2 祭司エズラは七月の一日にトラーを携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、

8:3 水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ。民はみなトラー書に耳を傾けた。

8:4 学者エズラはこの事のために、かねて設けた木の台の上に立ったが、彼のかたわらには右の方にマッタテヤ、シマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤおよびマアセヤが立ち、左の方にはペダヤ、ミサエル、マルキヤ、ハシュム、ハシバダナ、ゼカリヤおよびメシュラムが立った。

8:5 エズラはすべての民の前にその書を開いた。彼はすべての民よりも高い所にいたからである。彼が書を開くと、すべての民は起立した。

8:6 エズラは大いなる神、主をほめ、民は皆その手をあげて、「アァメン、アァメン」と言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝した。

8:7 エシュア、バニ、セレビヤ、ヤミン、アックブ、シャベタイ、ホデヤ、マアセヤ、ケリタ、アザリヤ、ヨザバデ、ハナン、

ペラヤおよびレビびとたちは民にトラーを悟らせた。

民はその所に立っていた。

 8:8 彼らはその書、すなわち神のトラーをめいりょうに読み、

その意味を解き明かしてその読むところを悟らせた。

8:9 総督であるネヘミヤと、祭司であり、学者であるエズラと、民を教えるレビびとたちはすべての民に向かって「この日はあなたがたの神、主の聖なる日です。嘆いたり、泣いたりしてはならない」と言った。すべての民がトラーの言葉を聞いて泣いたからである。

8:10 そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。

憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」。

<この箇所異邦人クリスチャンの中でもポピュラーな聖句です。

この言葉は、仮庵の祭りの中での”喜び”神の契約の中に生きる

神の定めの記念日を祝う日に繋がる喜びを語っているのです。>

 

 8:11 レビびともまたすべての民を静めて、「泣くことをやめなさい。この日は聖なる日です。憂えてはならない」と言った。

聖なる日=神が定めて神の目的通りに分かたれた特別な記念日レビ記23章にある記念日。この時は仮庵の祭りです。

仮庵の祭りは一年で一番盛大な祭りでもあるのです。>

 

8:12 すべての民は去って食い飲みし、また分け与えて、大いに喜んだ。これは彼らが読み聞かされた言葉を悟ったからである。

<喜びの中心は、神が人に伝える事を理解する時に湧き出てくるものです。誰でも神の言葉を理解したら、励まされ、力付けられ

元気になる体験をします。神の言葉は命に繋がる源泉だからです。神=言葉=聖霊だからです。

8:13 次の日、すべての民の氏族の長たち、祭司、レビびとらはトラーの言葉を学ぶために学者エズラのもとに集まってきて、

8:14 トラーのうちに主がモーセに命じられたこと、すなわち

イスラエルの人々は七月の祭の間、仮庵の中に住むべきことがしるされているのを見いだした。

<この様な箇所を読んで、イスラエルだけの教え!などと読み違えてはなりません。トラーには、異国人も同じ!と書いてある、

その事実から読む。イスラエル=同じ神=イエシュアに贖われた人々は誰一人漏れなく同じくイスラエルである!と聖書の至る所に神が伝えている事実をまず知らないとなりません。エペソ2章でパウロも異邦人も同じイスラエルの神の大家族になり、同じ

契約の生き方に加えられ、天の同じ共同相続人になったのであると説明しているでしょう。その様な事実から聖書を読まないなら、聖書の全て殆どが人ごとに聞こえる教えばかりしか書いてないのです。

イスラエルと言う代表者に向けて書かれているのを、イスラエルだけ!と読み違えているからです。父は大家族の長男に語り、

長男は家族の中の弟、妹、全ての人に語り教えなくてはならない役割があるのです。アヴラハムは全世界の民族の父!と書いてあるのです。祝福が全ての民族に分け与えられるため!とあるのです。

だから、異邦人クリスチャンに、仮庵の祭りを祝っている話を

しても”へ〜〜そうなんだ〜。今仮庵の祭りの時なんだね〜。

それってな〜に?”と言う反応が殆どなのです。同じ神、同じ

イスラエルの大家族に加えられたのに、歩調が違う、同じページ

=永遠不変の神の言葉の中で同じ思考回路で考える事が無いからです。

どうして?同じイスラエルの共同相続人であり、同じイスラエルの神の、同じ神の契約に生きる事に加えられたと言う神が伝える

事実を全く知らないからなのです。西洋人が作った西洋宗教=

トラーは廃れて終わりありき!の人造神学を土台とした宗教の

教えしか聞かされていない、聖書では無い人が作った教えを聖書であると考えてしまっているからなのです。イスラエルでさえ、異教の地で過ごして、神のトラー=教え、神の伝える神の家族の記念日をろくに祝う事を教えられない、学ばない、実践しないから知らない、そんな祝福を失う生き方であった事に気が付き、人々は嘆いたと書いてあるのです。それならなおさら、異邦人など最初から神の教えを教え通りには聞かされた事がないのなら、

今やこのネヘミヤ、エズラに教えられたイスラエルと同様に

純粋な神のみ言葉〜神が伝える本物の教えに耳を傾けて、真実なる祝福聞く、受け取り生きる事に軌道修正できるのです。>

 

以下は、長い年月仮庵を祝う事をしてこなかったイスラエルの

人々に神が伝える仮庵の祝い方を教えている下りです。

8:15 またすべての町々およびエルサレムにのべ伝えて、「あなたがたは山に出て行って、オリブと野生のオリブ、ミルトス、

なつめやし、および茂った木の枝を取ってきて、しるされてあるとおり、仮庵を造れ」と言ってあるのを見いだした。

8:16 それで民は出て行って、それを持って帰り、おのおのその家の屋根の上、その庭、神の宮の庭、水の門の広場、エフライムの門の広場などに仮庵を造った。

8:17 捕囚から帰って来た会衆は皆仮庵を造って、仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの日からこの日まで、イスラエルの人々はこのように行ったことがなかった。それでその喜びは非常に大きかった。

8:18 エズラは初めの日から終りの日まで、毎日神のトラーの

書を読んだ。人々は七日の間、祭を行い、八日目になって、

おきてにしたがって聖会を>開いた。

このネヘミヤの記事を念頭に起き、イエシュアが2000年前に

エルサレムの神殿で祝った仮庵の祭り、祭りの最大の日、

第7日目にされた発言を見ます。

全ての中心は”神の言葉”!!!言葉が発せられ、人が神の伝える

意図を理解する時に、喜びの泉はその人の腹のそこから怒涛の様に溢れ出ると言う事が起きるのです。

イエシュアがこの宣言をしたのは、仮庵の第7日目、ホシャナ

ラバ=偉大なる救いと呼ばれる日であり、ネヘミヤがイスラエルの人々の伝えた言葉を、同じ場所で伝えているのです。

それは水門。シロアムの池がダビデの町にあるのです。

そのシロアムの池から、毎日水を汲み、神殿に運ぶ儀式がありますが、祭りの最後の第7日目は盛大なのです。

日本でも大きな祭りの時、お神輿を担ぎ、特別な祭りの服を着て

町中の人々が歌に踊りに大声で騒ぎ神輿が行くのを興奮して

見守りますよね。そんな様な雰囲気があるのです。

皆の喜びがマックスになる第7日目の儀式、水を汲み神殿に

運ぶ儀式にイエシュアがこの宣言をされているのです。

 

ヨハネ7:37 祭の終りの大事な日にイエスは立って、叫んで

言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。

7:38 わたしを信じる者は聖書=トラー、預言書、諸書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。

以下未来預言。

ゼカリヤ14:8 その日には、生ける水がエルサレムから流れ出て、その半ばは東の海に、その半ばは西の海に流れ、夏も冬も

やむことがない。

14:9 主は全地の王となられる。その日には、主ひとり、その名一つのみとなる。

 

 

 

 

 

 

 

続く