トラー 命の木 仮庵の祭りの次の日 第8日目の聖会 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

祭りの大いなる日、第7日目にイエシュアが生ける水宣言を

された事は、トラー、預言書、諸書に書かれた救い主である!

と宣言している事なのです。

 

その言葉を聞いた人達、見る目がある、聞く耳がある〜神の

言葉を理解する頭脳には、イエシュアの言葉が様々な箇所に

書かれた命の源泉である事実=約束の救い主である事に気が付い

たのです。救いの岩、水。

 

エデンの園を出ても、世界の四隅に生ける水、イエシュアが

共におられ人々と共について来て、元の場所に戻る様に引き寄せて下さったのです。エデンの園を流れる川。

水、岩と書いてあっても神が実際に川、水、岩である訳ではない

ですがそれらを通して神の実態を教えています。

 

救いの岩と聞いたら、荒野に付いてきたあの岩、イエシュアで

ある事を理解していた人々の耳には、イエシュアの宣言がはっきり理解出来たのです。

 

創世記2:10 また一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、

そこから分れて四つの川となった。

 

出エジプト17:6見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つであろう。あなたは岩を打ちなさい。水がそれから出て、民はそれを飲むことができる」。モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのように行った。

民数記20:8「あなたは、つえをとり、あなたの兄弟アロンと共に会衆を集め、その目の前で岩に命じて水を出させなさい。こうしてあなたは彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませなさい」。

 

エゼキエル 47:1 そして彼はわたしを宮の戸口に帰らせた。見よ、水の宮の敷居の下から、東<カデイマ=永遠と言う時を表す>の方へ流れていた。

宮は東に面し、その水は、下から出て、祭壇の南にある宮の敷居の南の端から、流れ下っていた。

47:2 彼は北の門の道から、わたしを連れ出し、外をまわって、東に向かう外の門に行かせた。見よ、水は南の方から流れ出ていた。

47:3 その人は東に進み、手に測りなわをもって一千キュビトを測り、わたしを渡らせた。すると水はくるぶしに達した。

47:7 わたしが帰ってくると、見よ、川の岸のこなたかなたに、はなはだ多くの木があった。

 47:8 彼はわたしに言った、「この水は東の境に流れて行き、

アラバに落ち下り、その水が、よどんだ海にはいると、

それは清くなる。

47:9 おおよそこの川の流れる所では、もろもろの動く生き物が皆生き、また、はなはだ多くの魚がいる。これはその水がはいると、海の水を清くするためである。この川の流れる所では、

すべてのものが生きている。

 

水、命を生かす、命の源であるイエシュア=生ける水。

仮庵の第7日目にイエシュアが”生ける水”宣言をした時、

それを理解した人達は、トラー、預言書、諸書に記された生ける

水=イエシュアであると言う事を繋げて理解していたのです。

 

イザヤ12:1 その日あなたは言う、「主よ、わたしはあなたに

感謝します。あなたは、さきにわたしにむかって怒られたが、

その怒りはやんで、わたしを慰められたからです。

12:2 見よ、神はわが救である。わたしは信頼して恐れることはない。主なる神はわが力、わが歌であり、わが救となられたからである」。

12:3 あなたがたは喜びをもって、救の井戸から水をくむ。

12:4 その日、あなたがたは言う、「主に感謝せよ。そのみ名を呼べ。そのみわざをもろもろの民の中につたえよ。

そのみ名のあがむべきことを語りつげよ。

12:5 主をほめうたえ。主はそのみわざを、みごとになし遂げられたから。これを全地に宣べ伝えよ。

12:6 シオンに住む者よ、声をあげて、喜びうたえ。

イスラエルの聖者はあなたがたのうちで大いなる者だから」。

 

日本の学校で教えられるフォークダンス、マイム、マイムは

このイザヤ12の箇所の歌詞が付けられているのです。

日本では、マイム マイム マイム マイム マイム マイム

べサソン と言う箇所だけ歌っていますね。

このダンスは仮庵の祭りの時に皆で踊るのです。

 

下矢印日本語歌詞付き動画。

マイム マイム フォークダンス

 

そして、今日の第8日目の聖会では、イスラエルでは一年トラー

を朗読し神の言葉を聞けた事を神に感謝、祝福する盛大な祭りが

行われるのです。

2015年の仮庵の時にこの最後の第8日目をイスラエルで

祝ったのですが、町中の人が集まり神のトラーをそれはそれは

大事に大事に抱きしめ、喜び歌い踊る晩を過ごしました。

 

神のトラーを呪いの律法なのだ〜と教えられてしまう異邦人と、

これは創造主から特別に頂いた大事な貴重な甘い婚姻契約である!と小さい頃から聖書に書いてある通りを教えられ、その通りに宣言するユダヤ人との違いを目の当たりにして半ばショックを受けました。

神の契約=言葉=約束=保証に対して、神の言葉に対して敵意を持つ様な意識を刷り込まれ、とんでもなくズレた偏見を思索の中にインプットされてしまう教育をされた異邦人としての自分。

でも神が伝える通り、神の言葉は蜜の様に甘く、人を生かし

この世の旅路を正確に照らし導く光であり、神の性質と同じく

神の言葉は永遠不変であると神が伝える事が本当の真実であると分かったら、二度と肉の目から見る人間創作の教えが語る様な事が非聖書的な宗教の教えであり、イスラエルの神の言葉ではないので、人間の教えの方を完全削除却下。

神の言葉に対する神の著作権を人間が破壊し、神が伝えていない事を人が神が伝えたのごとく伝え続け、ある事ない事神の言葉に

付け足し混ぜて語る、その様な情報操作がされてしまうと、何が本当なのか人が理解出来なくなってしまうのです。1つ1つ書いてある言葉の意味を紐解かれ、1から誤解を解いて聖書をまっさらな状態で学ばない限り、最初から人の思想で聖書を曲げて読み

解く事しか聞かされないなら、聖書に書いてあってもその通りに読めなくなってしまっているのです。異邦人クリスチャンの世界では、神の言葉は永遠不変と書いてあるのを、一時的変化すると聖書に書いてない事に勝手に読み替えて聖書を読んでいるでしょう。と書いてある神の聖別された日をと読み替えているのです。昇天以降は安息日は、7ではなく1、又は自分が考える日がどの日も聖日などと本気で神の伝えていない事を今はそれが真実なのだと信じていませんか?

聖書の最初の70%を捨てたら、最後の30%はよく理解出来な

いのです。なぜなら最後の部分は最初の70%の内容と同じであり、別の教えなど書いてない。しかも聖書の最初の部分の短い

解説しか書いてないからです。そして、その様な思考回路は

神の言葉、教えの大部分自分には関係のない教えとしか受け取らないのです。神を知らない人でもある腹に書かれたトラー=

普通の人間にある良心、幼子でも理解出来る様な善悪、殺すな、

盗むな、人を叩くなどの道徳的な教えしか響かなくなります。

神が伝える聖別された実態を生きると言う意味さえ理解出来ないままになってしまっているのです。

神の言葉を、呪いの律法であると聖書に書いてない事を解説しているのです。神の記念日は神が人に紹介した日、それが主の日であるのに、それも異邦人の世界では全部人の創作したものとすり替えてしまっているのです。神の創造された永遠に祝う記念日はレビ記23章に完全版の神の暦として記されているのです。

そして人の教えも神の教えであると勘違いし、それらがあたかも聖書の中に記されていると信じ込んでいる。特にパウロなどトラーに反する新しい教えをしている、そうパウロの書簡に書いてあるのだ、などとパウロの書いた事を誤解した読み方を教えらているのです。人の思想で誤解した解説に沿って聖書を読む様に教えられてしまっているのです。

イスラエルの神の子らは、どんな人種でも、どの時代でも、

たとえ異邦人で養子縁組された立場であっても、同じイスラエルの神の一大家族、同じイエシュアを通して贖い救い出され、救いの岩から出る同じ生ける水=イエシュアの水の上に浮かんでこの世を神に運ばれ導かれる。同じ神の大家族の一員としてイエシュアを通して神の元に引き寄せらたのです。

同じイスラエルの大家族は、同じ婚姻契約=神が創造された

オリジナルの神の性質通りのエッセンス、造られた通りを生きる

事に戻る!シンプルな事実を神が人に伝えているのです。

人の教えが神の言葉の中に少しでも混じり始めるとそのほころびは、遺伝子組み換えと同じです。遺伝子改造。神の言葉が遺伝子組み換えされて別物に変身し続けてやがて宗教と化けてしまうのです。

神が人に伝えているのは宗教の教えではなく、純粋な神の言葉!神が人に伝える教え=神の創造された本来の人間はどの様に生きる様に造られているのかを知って生きる、これが本当の悔い改め軌道修正です。

2015年の仮庵の祭りの時に、イスラエルで第8日目の聖会に参加しました。

箴言 3:18
知恵は、これを捕える者には命の木である、
これをしっかり捕える人はさいわいである。
<木と言う言葉も救い主をあらわす言葉です。

癒しを与える木の葉。>

 

黙示録22:1 御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、

22:2 都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。

トラーの巻物を見ると分りますが、丁度2本の木の様に
掴む棒が出ています。
これをしっかり 握りながら読むのですが、
この箴言の言葉そのものだと 分ります。
トラー=神の言葉にしっかり捕まっている人は 幸いであると
書かれているその事が、神の言葉を知る人はトラーの巻物の事を指して言っていると理解出来るのです。

神の言葉=契約=約束をしっかり捕まえている人は
幸いであると主が言われる通りなのです。
安全に守られるためです。

命の木と訳されている箇所はエッツ ハイ。
エッツ=木 ハイ=命=主御自身。このトラーの巻物を高く掲げ町中で歌い踊り祝うのです。
今晩は 12時近くまで この宴が続くのです。

トラーの巻物を抱えて踊る

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正装したバンドの人達

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トラーを抱えてポーズしてくださった青年達

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トラーの巻物と共に踊り トラーに皆が触れたり キスしたり

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女性も踊り出す こちらの踊りの方がすごい

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