by Fireflight
私の出産後の喫茶店はというと、本当なら、主人に続けてやって欲しかったのですが、何せ、日本語がダメときているので、とりあえず代わりの人が見つかるまでの間、急遽母が他の店と掛け持ちで手伝ってくれることになりました。
となると、日本語もろくに話せず、自由に行動することの出来ないこの日本で、仕事探しをすることに不安があった主人は、再びイギリスで生活することを選択し、約一ヶ月余りを私とベビちゃんと過ごし、その後、イギリスへ住居と仕事を探しに一人旅立ったのです。
私が思うに、「カルチャーショック」
、これが彼の日本を離れる大きな理由の一つではなかったでしょうか。
もともと、日本に興味があって来ているのならまだしも、結婚した相手がたまたまその国出身で、そのツレの希望で何とかなると思い、いざ付いては来たものの、これといって特別な資格もない主人にしてみれば、仕事を探すにしても八方ふさがりになってしまったという訳です。
私も、喫茶店で何とかやっていけるさー、という甘い考えで帰って来たのも悪かったのですが、不況の風が吹きまくる日本の現実は、私達に一層深い喪失感を与えただけでした。
主人のこの時の日本滞在期間は、わずか半年間という結果となりました。
一応、何年間か日本に住むつもりでビザを取って来たはずなのでが...。
まー、彼の気持ちとあの時の状況を考えてみれば、それで良かったのでしょう。
これが、いわゆる国際結婚の難しさというものでしょうか。
こうして主人は、私達を必ずイギリスに呼び戻すことを約束し、それほどいい思い出のなかった日本を後にしたのでした。
さて、大量の出血を生じて、私の体力が消耗しているという理由から、出産当日の夜は、残念ながらベビちゃんと一緒に眠ることが出来ませんでした。
なので、ベビちゃんと完全対面できたのは、翌日のことでした。
その後の六日間というのは、授乳やオムツの替え方、それにお風呂の入れ方など、いわゆるママさん訓練が中心でした。
この入院期間中、確か二日目、そう、初めてベビちゃんと一緒に添い寝をした夜のことだったかと思います。
私の傍ら左側には、スヤスヤ眠るベビちゃんがいます。
私はというと、目は瞑っているものの、なかなか眠れずにいました。
そんな中、閉じている目の奥に、何やら不思議な光景が見えてきたのです。
どんな光景だったかというと、それは宇宙空間
に浮かぶ地球
の姿でした。
その地球には、いくつかの青白いきれいな閃光が行ったり来たりしていて、その宇宙空間
から見た光景は、とても神秘的だったのを覚えています。
私は夢でも見ているのかと思い、一度目を開けてから、また目を瞑ったのですが、果たして、それは決して夢などではありませんでした。
なぜならその光景は、私が目を閉じるたびに何度も繰り返されたからです。
私の意識は、完全にハッキリしていました。
また、私が見たのはそれだけではなく、黒い帽子に黒い服を着た沢山の人達が、何やら忙しそうに動き回っている様子でした。
それはまるで、無声映画を思わせるような映像でした。
一体、この二つの幻(と言っていいのかどうか)の意味することが何なのかは、ハッキリしませんが、あの青白いきれいな閃光は、何となく核ミサイルのような感じを受けました。
そして、忙しく動き回る男の人達の黒い服装が、今思うと、ユダヤ人の人達の服装に似ているような気がしてなりません。
まー、これはあくまで私の勝手な想像でしかありませんが...。
そんな不思議な体験もした、一週間の出産入院生活を終え、私とベビちゃんは無事に退院し、新たな生活へと踏み出したという訳です。
勿論、ダディちゃんと一緒に。
さて、生まれたてのベビちゃんを助産師さんが処置している間に、先生は私のカットした部分を縫合してくれました。
「ちょっと思ったより出血が多かったから、点滴するよ。その間、ここで暫く休んでて。その後、病室に戻っていいから」
そんなに、出血したように自分では感じられなかったのですが、出産の一部始終を目の当たりにしていた主人によると、結構な
の量だったようで、何だか悲しくなったみたいです。
私自身はすぐにでも、生まれたての産着に包まったベビちゃんを抱けそうだったのですが、先生が私の体力が消耗しているから、今は抱かない方がいいと言ったので、最初のベビちゃん抱っこはお預けとなってしまいました。
私が点滴しながら2時間くらい休んでいる間、主人は花束を買いに町へと出て行ってしまいました。
町といっても、廃れ心地の町なため、駅前でカードを使える店が全然なかったらしく、主人はがっかりして戻って来ました。
昨今の西洋人にしてみれば、ほとんどの店でカードが使えるのは当たり前で、まして日本は先進国、カードが使えて当たり前と思っていたみたいです。
その時まで、私がほとんど日常の買い物でお金を出すか、彼にお金を渡していたので、そういうことには気がつかなかったようです。
途中に立ち寄った英会話スクールの受付で、カードで買い物が出来る店がないか訪ねたところ、唯一、
ティー内の花屋さんだったらカードが使えるだろう、と教えてもらったそうです。
しかしながら、駅前から
ティーまで車で10分、徒歩だと40分くらいはかかる距離です。
2月の空は暗くなるのが早い訳で、時間的にも歩いて行くにはちょっと...と思った主人は、そのまま手ぶらで病院に戻って来ました。
これまでの所、主人が先進国であるはずの日本のギャップにがっかりした点は、カードの使える場所が限られているという事と、未だに存在するぼっとんトイレ
にです。
まー、私としてみれば、何でもハイテクに頼り過ぎるのは、それが使用不可能になった時のことを考えると、かえって恐ろしい気がする訳で...。
結局次の日、主人は病院に来る前に、家の近所の
ティーに寄って花束
を買って持って来てくれたのでした。
勿論、支払いはカードという事で...。
ダディちゃん、きれいな花束
ありがとう!

陣痛がいよいよ激しくなり、助産師さんと先生は、ベビちゃんがスムーズに出て来れるよう、私を励まし誘導してくれました。
主人も横で心配そうに私を見ています。
...が、いくら私が息んでも、中々ベビちゃんが出てくる気配はありません。
程なくして、助産師さんが私に「ヒーヒーフー、ヒーヒーフー」の呼吸法をするよう促してきました。
待ってましたの「ヒーヒーフー」です。
初めの方の「ヒーヒーフー」は、襲ってくる陣痛と共にうまく合わせることが出来なかったのですが、それに慣れて来た矢先、不意に先生が言いました。
「ちょっと出口が狭いようだから、カットするね」
「はい」
どうもベビちゃんの頭のわりに、私の産道の出口が小さかったようで、先生はその部分をカットし始めました。
陣痛のものすごい痛みに比べれば、カットの痛みなど蚊にでも刺されたようなものでした(一応痛かったですが)。
そんなこんなで踏ん張っているうちに、ようやくベビちゃんが頭を出し始め、その後、長男ヨシヨシが無事生まれて来てくれました。
時間は土曜の午後3時45分。
ほんの先程まで、私のお腹の中にいたベビちゃんが、この世界に生を受け、私達と同じ空気を吸い始めたのです。
何と不思議なことでしょう。
この時私は、神様は人間の想像を遥かに越えた、本当に素晴らしいお方だと、身に染みて感じた瞬間でした。




