by Kristian Stanfill
さて9月に入り、両隣の子供達ケイルブとジャックは、半日だけのナースリーに通うようになっていました。
そんな一時的な静けさがまだ続いていた11月5日。
そう、11月5日といえばボンファイアナイト。

その日の朝から、私達長屋の道路を挟んだ真ん前にあるパブの周辺で、ロープを張り通行止め用の三角ポール
を置いて、何やら作業をしている人達がいました。
私はそれを見て、「パブで何かあるのかなあ?」くらいにしか思わなかったのですが、夕方になり、今度は一台の消防車がパブの駐車場内に待機しているのが見えたのです。
うーん、これはもしかすると、いやもしかしなくても、パブで今晩花火
を揚げる準備をしているに違いありません。。
しかしです。
こんな民家の近いパブの駐車場で、花火を揚げるなんてどんなもんなのか疑問に思いましたが、でもまあ、消防車も待機していることだし、もしもの時にはすぐに消火してくれることでしょう。
という事で、そんな疑問もどこへやら、夜の7時過ぎぐらいから花火が打ち揚げられました。
通りには、結構沢山の人だかりが出来ています。
花火が揚がる前は、民家の前だからそれほど大きな花火は揚がらないだろう、などと思っていたのですが、とんでもない。
どでかいのが、どんどん引っ切り無しに空高く飛ばされていくではありませんか。
それに、火の粉も一緒にそこら辺りに舞い落ちて来ます。
「おい、おい、おい。ちょっと近すぎるんじゃないかい?」
そんな私の心の叫びとは別に、私達家族三人は、リビングの大きな窓にへばりついた状態で、その華やかに舞い散る花火を見入っていました。
あまりに近すぎて、首が少々疲れましたが...。
勿論、ヨシヨシにとっては生まれて初めての大きな花火で、とても嬉しそうに夜空を見上げていたのを覚えています。
日本にいたら、絶対こんな体験は出来なかったことでしょう。
その夜、周辺の民家の庭では、真夜中頃まで花火が揚げられていました。
果たしてこの花火が、この家に引っ越して来て唯一、「良かったかも」と思える出来事だったのではなかったでしょうか。
昨夜の夕食は、あっさりな蕎麦食だったのですが、特に日本食をあまり好まないエリエリは殆ど残してしまいました。
どうも子供の頃はラーメンに比べると、蕎麦があまり美味しく感じられないのは、私もそうだったので理解できるような気がします。
なので、食後に簡単なチーズ・オン・トースト(チーズトースト)を子供達に作ってテーブルの上に置いたのです。
...が、ヨシヨシが突然キッチンにいた私に大きな声で聞いてきました。
ヨ "Did you make Miso?"
私 "Hah?"
ヨ "Did you make Miso?"
私 "Did I make Miso? How can I...?"
ヨ "Not Miso. S,O,M,E..."
私 "What?"

頭の中が完全に味噌モードになっていた私は、S,O,M,Eと単語のアルファベットを区切られて言われても、理解不能状態。
そこで、主人の助け舟。
主人 "He said, 'did you make me some?'."
そう、「Miso」などではなく「me some」だったのです。
「ミー サム」が「ミソ」と聞こえた瞬間の出来事でした。
あの一騒動があってから私達は、ベッドルームを表側から裏側の部屋に替えました。
これで、夜間の外のノイズから少しは免れることが出来そうです。
とはいっても、まだその部屋のデコレーションをしていなかったので、あまり快適な状態とはいえません。
その部屋は、前の住人が残していった濃紺色の壁が部屋全体を覆っていて、とても暗く感じられました。
私達は、この部屋はゆっくりデコレーションしていこうと思っていたので、こんな形で部屋を急に使わなくてはならなくなってしまった事に、ちょっとがっかりしたのですが、表側の夜の騒がしさから逃れる為には背に腹はかえられません。
私達はしぶしぶ、絨毯のまだ張られていない薄暗い部屋に、隣の部屋からベッドを移し、そこで寝ることにしました。
まー、寝る時だけ使用する部屋だったので、少々暗くても大丈夫だったのですが、それにしても、この濃紺の壁を選んだ元住人の趣味を疑ってしまいました。
まして、私達が廊下の壁を白く塗り替える前の色はというと、スミレ系の薄紫で、何とも落ち着きない印象を受けたのを覚えています。
そんな元住人(因みにシングルマザー)が、この家から引っ越していった理由というのも、何となくトレーシーとの不仲が原因だったよう(彼女の話から察すると)です。
この壁の色の趣味からして、元住人は結構個性が強かったのか、これまた気の強いトレーシーとは反りが合わなかったのかも、なんて事を私は一人で勝手に想像したりしてました。
果たして、その濃紺部屋に移って寝始めた訳ですが、表側のノイズを気にしなくて良くなったのは嬉しい事だったのですが、今度は、長屋横の小道を通り抜ける酔っ払いのノイズに、時折り悩まされるようになったのです。
それでも、表側で大騒ぎされる音よりもまだましだったので、何とか我慢することはできたました。
こんなことが結構重なっていて、この頃既に私の中では、「この家から早く引っ越したい」という気持ちが芽生えつつありました。
だから結局、濃紺部屋の模様替えもすることなく、それから2年後、私達はこの家を後にすることとなる訳ですが...。
ふと時計の針を覗いたら、午前4時を回っていました。
「さあ、これではいけない」と思い、夜勤中の主人に電話をかけて助けを求めました。
しかし、こんなことくらいで途中で仕事を抜け出せるわけもなく、主人は私達のことは心配だけど、自分が戻るまで頑張るよう励まされ、その時は電話を切りました。
それにしても、彼等は一体何時になったらいなくなるんだろう...。
怖さと戦いながら、ベッドでスヤスヤ眠るヨシヨシの傍らに座り、私はただひたすら神様に、彼等が早くいなくなってくれるよう祈り続けました。
それから一時間後、さっきまでドタンバタンやってた外の音が、ピタッと止んだことに気がつきました。
あれほどうるさかったのが、まるで嘘のようです。
そう、彼等は漸く去って行ったのでした。
たった一夜の出来事でしたが、これがまたなんと長く感じられたことか...。
次の晩も夜勤だった主人は、この家に私とヨシヨシ二人を残すのが心配だということで、ホリデー先の妹さんに連絡を取り、彼女の留守宅にその夜泊まれるようにしてくれたのでした。
因みに、妹さんの家は、当時歩いて5,6分程の所にありました。
そして、その晩は妹さんの家にヨシヨシと二人、平和な夜を過ごすことが出来ました。
でもその夜、再びあのような騒ぎが繰り返されたかどうかは定かでありません。
さて、妹さんの家から帰って来た私達に気付いて、近寄って来た隣のママさんリーが、心配そうに話しかけてきました。
"Are you alright? It was too noisy that night."
"Yes, we are. We stayed at my husband's sister's house last night."
そんなような会話を交わし、私とヨシヨシは家の中へと入りました。
その朝、トレーシーとケイルブは外に出ておらず、顔を合わさずに済んだのでホッとしたのは事実です。
その後の数ヶ月間は、この騒動のおかげでトレーシーとリー家族は一時交流が途絶えたようです。
なにせ、相当ひどい騒ぎでしたから...。
また、スティーブとリーづてに聞いた話によると、この騒ぎを起こした輩の何人かは警察の御用になったとの事でした。
なんといっても、日頃からこの町が嫌いだと言っていた主人の気持ちが、この事を境に、非常に分かるようになったのは言うまでもありません。