by George Nooks
Word from God
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「2013年5月1日に与えられた言葉」の訳です。
親愛なるイエス・キリストにある兄弟姉妹よ、
私は貴方が祈りや断食、また聖書を読むことにおいて、神を求めるように祈ります。
神は私にこれらの正確な言葉を語り、それらを書き留めさせました。
「私の民よ、私は貴方の神である。私を探せ、心を尽くして貴方が私を探し求めるなら、貴方は私を見出すだろう。私は、純粋な花嫁のために来よう。
私は、貴方に悔い改めるよう呼びかけているが、貴方は(悔い改めようと)しない。その代わり、私に対して心を頑なにし続けるばかりだ。
貴方は私を求めていると言ってはいるが偽っている。貴方は私を喜ばせていると思い込んで自分を偽り、その実、自分自身を喜ばせている。私は貴方を愛しているがゆえに、父親がその子どもにするように、私は愛するものを懲らしめる(訓練)。
貴方がもし私に立ち返るなら、私は貴方を祝福しよう。もし貴方が、自尊心や憎しみ、欲望や恐れ、欺瞞や偶像礼拝、そして妬みから私に立ち返らず悔い改めないのなら、私は貴方を呪うだろう。私に立ち返れ、私は貴方の罪を許し、そして貴方は私の民となろう。
貴方の指導者たちは、自分自身を喜ばせるためにだけ探し求める。彼等は、神からの賞賛よりも人から受ける賞賛を好む。彼等が、もし私を愛しているなら、彼等は私の群れのことを気にかけることだろう。
彼等は貪欲であり、自分自身を喜ばせる事を切望している。
私の民よ、私は貴方を愛しており、また貴方の幸せを望んでいるからこそ、これをあなたに語っているのだ。私は、貴方の羊飼い:私の声を聞き、私に従う者はみな私の羊である。私の強さに入り、偽りの羊飼いの囲いから離れ去れ。
彼等は、自分自身を養う事だけを気にかけ、私の民を屠殺して食い物にしている。
彼等がもし私の民を気にかけているとしたら、彼等の嘘と欺瞞で私の群れを欺いたり、私の羊を破滅させたりしないだろう。
彼等は、貴方が決して救いを失うことは出来ないと教えるが、貴方がもし救い主である私に背を向けて離れるなら、どうやって貴方は私の王国に入り、どうやって私の祝宴を分かち合い、またどうやって命の木から食べ、どうやって私の臨在を楽しみ、そして、どうやって罪から改心して永遠の命を得られよう。
貴方の指導者を信じて、救われた後で、私を決して拒否する事は出来ないと思っているのなら、今多くの者が私を拒否し、正義から背を向け、他の神々に振り向いているのはどういうことだろうか。
私の民よ、貴方の神々は何なのだろう?それらは、貴方を私との深い関係から離れさせようとする物なのだ。
私の民よ、貴方は主なる神である私が貴方を愛し、また、貴方にとって最善なものを望んでいることを信じているだろうか。心を尽くして私に立ち返り、熱心に私を探し求める者のために、私が備えているものを見よ。
私の子供たちよ、これに尽きる」
貴方は、神の名前を知っていますか。
貴方は、神との関係を保っていますか。
貴方がもし神の名前を知りたいのなら:
(1)貴方の人生において、如何なる罪や世俗の思いを悔い改めて許してもらうよう、神により頼みなさい。貴方の罪のために死なれ、全ての罪の代価を支払うために死から蘇ったイエス・キリストを信じなさい。
貴方の救い主、主なるイエス・キリストを求めなさい。
(2)彼との密接な関係を持つことを求めつつ、心を尽くして神に立ち返り、神を探し求めなさい。祈りと聖書を読む中で神を求めなさい。(エレミヤ29:13)
(3)我欲を捨て、貴方の十字架を負い、神に従いなさい。貴方の願望を捨て、神が望んでおられることが何かを求めなさい。貴方の十字架を負い、イエス・キリストのために耐え忍びなさい。
ご覧下さって有難うございます。私はこのことを貴方がこれを見て神を求め、神が貴方に望んでおられることが何かを祈ります。
Testimony: Buddhist Monk Hell and Heaven
これは、ミャンマーで仏教の僧侶だったアテット・ピャン・シンタウ・パウルという人が、病気で息を引き取っていた三日間に、地獄と天国両方の世界を見てせられたことで、生き返ってからの人生が変えられたという証です。
詳しい内容の訳はこちらのウェブの
からご覧になれます。
ちょっと私がアレッと感じた部分なのですが、彼が地上に戻る途中で目にしている「天使が上り下りしている天国から伸ばされた梯子」、これは、創世記に記述されている、ヤコブが夢で見た梯子と同じものではないかと思います。
「そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。」創世記28:12
私は幼い頃に、幾つかの同じ夢をよく見ていました。
そのよく見ていた夢の一つに、暗闇の中に真っ白に輝く大きな梯子が天からかかっていて、その梯子をある天使達は上ったリ下りたり、またある天使達は座って休憩したり、その梯子の周りを歩き回っているというものだったと思います。
天使達は、すべて成人した男性の姿〔おそらく性別がない)をしていて(皆ハンサム)、絵画に時々出てくるようなキューピットとか、女性の姿をしている天使などは一人もいなかったのを覚えています。
この夢について、私は母に何度となく話した記憶があります。
天国と地獄は実在すると、私は確信しています。
さて、あなたは天国をとりますか、それとも燃える火の池、地獄をとりますか...?
by Bryan Duncan
異言について
第一コリント 14:1~25
1)愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
2)異言を話すものは、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、誰も聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。
3)ところが預言するものは、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。
4)異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。
5)私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが、それよりも、あなたがたが預言することを望みます。もし異言を話す者がその解き明かしをして教会の徳を高めないなら、異言を語る者よりも、預言するものの方がまさっています。
6)ですから、兄弟たち。私があなたがたのところへ行って異言を話すとしても、黙示や知識や預言や教えなどによって話さないなら、あなたがたに何の益となるでしょう。
7)笛や琴などいのちのない楽器でも、はっきりした音を出さなければ、何を吹いているのか、何をひいているのか、どうしてわかりましょう。
8)また、ラッパがもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう。
9)それと同じように、あなたがたも、舌で明瞭なことばを語るのでなければ、言っている事をどうして知ってもらえるでしょう。それは空気に向かって話しているのです。
10)世界にはおそらく非常に多くの種類のことばがあるでしょうが、意味のないことばなど一つもありません。
11)それで、もし私がそのことばの意味を知らないなら、私はそれを話す人にとって異国人であり、それを話す人も私にとって異国人です。
12)あなたがたのばあいも同様です。あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。
13)こういうわけですから、異言を語る者は、それを解き明かすことが出来るように祈りなさい。
14)もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。
15)ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。
16)そうでないと、あなたが霊において祝福しても、異言を知らない人々の座席についている人は、あなたの言っていることがわからないのですから、あなたの感謝について、どうアーメンと言えるでしょう。
17)あなたの感謝は結構ですが、ほかの人の徳を高めることはできません。
18)私は、あなあたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝していますが、
19)教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、私の知性を用いて五つのことばを話したいのです。
20)兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。
21)律法にこう書いてあります。「『わたしは、異なった舌により、異国の人のくちびるによってこの民に語るが、彼らはなおわたしの言うことを聞き入れない。』と主はいわれる。」
22)それで、異言は信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるしです。
23)ですから、もし教会全体が一ヶ所に集まって、みなが異言を話すとしたら、初心のものとか信者でない者とかがはいって来たとき、彼らは、あなたがたをきちがいだと言わないでしょうか。
24)しかし、もしみなが預言をするなら、信者でない者や初心の者がはいって来たとき、その人はみなの者によって罪を示されます。みなにさばかれ、
25)心の秘密があらわにされます。そうして、神が確かにあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神を拝むでしょう。
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異言は、決して練習して得られるものではなく、御霊の賜物の一つな訳ですから、聖霊を受けた時に異言を話すことが出来なくても気にすることではないと私は思います。
異言を話すように強制するのもおかしい話です。
聖書には、どこにも「異言を話せるようになりなさい」、などとは記されていないはずです。
ただ、パウロは「あなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが」と希望しているだけで、決して強制しているわけではありません。
また、異言ができるからといって、それを人前でお経みたいな異言で唱えられても、異言を知らず、その意味するものが何なのか分からない人にしてみれば、奇妙に思うのは当然で、その人を救うどころか逆に恐れさせてしまうのではないでしょうか。
第一テサロニケ5章16~18節には、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」とありますが、絶えず祈ることに関して言うと、私は長い時間を自分の言葉で祈ることが難しいので、異言で祈るようにしています(それでも絶えず祈れてないのですが)。
勿論、じっくり祈る時には自分の言葉で祈ります。
この御霊の異言の祈りが、決して自分にとっては理解できなくても、神様には通じているのではないかと思います。
だから、聖書にも書いているように、異言は自分の徳を高める事になるのでしょう。
異言を話すというのは「神様に話す」、すなわち「神様に祈る」という事をも意味していると思います。
以前に私が聖霊のバプテスマを受けた時の体験記事
があるので、良かったら覗いてみて下さい。







