何とかなるさ...の世界!? -193ページ目

何とかなるさ...の世界!?

いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

ピンクの♪ハトCome, Holy Spirit 十字架ピンクの♪

by Bryan Duncan


異言について


第一コリント 14:1~25


1)愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。


2)異言を話すものは、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、誰も聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。


3)ところが預言するものは、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。


4)異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。


5)私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが、それよりも、あなたがたが預言することを望みます。もし異言を話す者がその解き明かしをして教会の徳を高めないなら、異言を語る者よりも、預言するものの方がまさっています。


6)ですから、兄弟たち。私があなたがたのところへ行って異言を話すとしても、黙示知識預言教えなどによって話さないなら、あなたがたに何の益となるでしょう。


7)笛や琴などいのちのない楽器でも、はっきりした音を出さなければ、何を吹いているのか、何をひいているのか、どうしてわかりましょう。


8)また、ラッパがもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう。


9)それと同じように、あなたがたも、舌で明瞭なことばを語るのでなければ、言っている事をどうして知ってもらえるでしょう。それは空気に向かって話しているのです。


10)世界にはおそらく非常に多くの種類のことばがあるでしょうが、意味のないことばなど一つもありません。


11)それで、もし私がそのことばの意味を知らないなら、私はそれを話す人にとって異国人であり、それを話す人も私にとって異国人です。


12)あなたがたのばあいも同様です。あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。


13)こういうわけですから、異言を語る者は、それを解き明かすことが出来るように祈りなさい。


14)もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。


15)ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。


16)そうでないと、あなたが霊において祝福しても、異言を知らない人々の座席についている人は、あなたの言っていることがわからないのですから、あなたの感謝について、どうアーメンと言えるでしょう


17)あなたの感謝は結構ですが、ほかの人の徳を高めることはできません。


18)私は、あなあたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝していますが、


19)教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、私の知性を用いて五つのことばを話したいのです。



20)兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。


21)律法にこう書いてあります。「『わたしは、異なった舌により、異国の人のくちびるによってこの民に語るが、彼らはなおわたしの言うことを聞き入れない。』と主はいわれる。」


22)それで、異言は信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるしです。


23)ですから、もし教会全体が一ヶ所に集まって、みなが異言を話すとしたら、初心のものとか信者でない者とかがはいって来たとき、彼らは、あなたがたをきちがいだと言わないでしょうか。


24)しかし、もしみなが預言をするなら、信者でない者や初心の者がはいって来たとき、その人はみなの者によって罪を示されます。みなにさばかれ、


25)心の秘密があらわにされます。そうして、神が確かにあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神を拝むでしょう。


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異言は、決して練習して得られるものではなく、御霊の賜物の一つな訳ですから、聖霊を受けた時に異言を話すことが出来なくても気にすることではないと私は思います。


異言を話すように強制するのもおかしい話です。


聖書には、どこにも「異言を話せるようになりなさい」、などとは記されていないはずです。


ただ、パウロは「あなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが」と希望しているだけで、決して強制しているわけではありません。

また、異言ができるからといって、それを人前でお経みたいな異言で唱えられても、異言を知らず、その意味するものが何なのか分からない人にしてみれば、奇妙に思うのは当然で、その人を救うどころか逆に恐れさせてしまうのではないでしょうか。


第一テサロニケ5章16~18節には、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」とありますが、絶えず祈ることに関して言うと、私は長い時間を自分の言葉で祈ることが難しいので、異言で祈るようにしています(それでも絶えず祈れてないのですが)。


勿論、じっくり祈る時には自分の言葉で祈ります。


この御霊の異言の祈りが、決して自分にとっては理解できなくても、神様には通じているのではないかと思います。


だから、聖書にも書いているように、異言は自分の徳を高める事になるのでしょう。


異言を話すというのは「神様に話す」、すなわち「神様に祈る」という事をも意味していると思います。


asterisk_02以前に私が聖霊のバプテスマを受けた時の体験記事 があるので、良かったら覗いてみて下さい。















ドイツ悪魔Deceiver of fools デビルハートドイツ

(愚か者の詐欺師)

by Within Temptation


第二テモテ3章


1)終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。

2)そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、

3)情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、

4)裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、

5)見えるところは敬虔であっても、その実を否定するものになるからです。こういう人々を避けなさい。

6)こういう人々の中には、家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者がいます。その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、

7)いつも学んではいるが、いつになっても真理を知る事のできない者たちです。

8)また、こういう人々は、ちょうどヤンネとヤンブレ がモーセに逆らったように、真理に逆らうのです。彼らは知性の腐った、信仰の失格者です。

9)でも、彼らはもうこれ以上に進むことはできません。彼らの愚かさは、あのふたりの場合のように、すべての人にはっきりわかるからです。

10)しかし、あなたは、私の教え、行動、計画、信仰、寛容、愛、忍耐に、

11)またアンテオケ、イコ二オム、ルステラで私にふりかかった迫害や苦難にも、よくついて来てくれました。何というひどい迫害に私は耐えて来たことでしょう。しかし、主はいっさいのことから私を救い出してくださいました。

12)確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。

13)しかし、悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。

14)けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、

15)また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

16)聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

17)それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。


はと♪Living water flow on ♪はと 


青グラデーション音符星エルサレムの日 星青グラデーション音符


使徒14:16


過ぎ去った時代*には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。


(*イエス・キリストが来られる前までは)


ローマ書9章


1)私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。

2)私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。

3)もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。

4)彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。

5)先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物のうえにあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン

6)しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、

7)アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」のだからです。

8)すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。

9)約束のみことばはこうです。「私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます。」

10)このことだけでなく、私たちの先祖イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。

11)その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、召してくださる方によるようにと、

12)「兄は弟に仕える。」と彼女に告げられたのです。

13)「私はヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」と書いてあるとおりです。


14)それでは、どういうことになりますか。神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありません。

15)神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました。
16)したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。

17)聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである。」と言っています。

18)こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。


19)すると、あなたはこう言うでしょう。「それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。」

20)しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。

21)陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。

22)ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。

23)それも、神が栄光のためにあらかじめ用意しておられたあわれみの器に対して、その豊かな栄光を知らせてくださるためになのです。

24)神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく異邦人の中からも召してくださったのです。

25)それは、ホセアの書でも言っておられるとおりです。

 「わたしは、わが民でない者をわが民と呼び、愛さなかった者を愛する者と呼ぶ。

26)[あなたがたは、わたしの民ではない。]と、わたしが言ったその場所で、彼らは、いける神の子どもと呼ばれる。」

27)また、イスラエルについては、イザヤがこう叫んでいます。

 「たといイスラエルの子どもたちの数は、海べの砂のようであっても、救われるのは、残されたものである

28)主は、みことばを完全に、しかも敏速に、地上に成し遂げられる。」

29)また、イザヤがこう預言したとおりです。

 「もし万軍の主が、私たちに子孫を残されなったら、私たちはソドムのようになり、ゴモラと同じものとされたであろう。」


30)では、どういうことになりますか。義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です

31)しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。

32)なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。

33)それは、こう書かれているとおりです。

 「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼するものは、失望させられることがない。」






YouTubeMessage from God Dove.

*預言の言葉です。訳してみました。


神の民のために、神からの言葉と警告


2013年2月5日、神は私に言葉を下さり、それを書き記して教会と共有するよう言われました。


私は、あなたがこれを読んでこれについて祈り、心に留めることで利益となることを祈ります。


神の御名を崇めます。神は、私にこれらの正確な言葉を語って下さいました。


「息子よ、これらの言葉を書き記しなさい。


私の民よ、私に来なさい。私に来なさい、私の民よ。私はあなたの神。私はあなたの夫である。


私は幾日もそして幾年も強情な民に呼びかけて来たが、彼等は聞く耳を持たなかった。


この民の心を私に向けさせるには、どうすべきか。


彼等は耳を傾け理解し、学ぶだろうか。


私は反逆を軽くはみなさない妬む神であり、私の民を裁く。誰が私の怒りに耐えられようか?


私は抑えきれない復讐で怒りを注ぐ。


私の前後の旋風で、私は敵を滅ぼそう。


倍の破壊で私は彼等を滅ぼそう。私は私の鼻息で爆風を彼等に吹きつける。


私は、世によって汚されていない純粋な花嫁を迎えに来る。


私の声に聞き従う者は救われ、そうでない者は滅びよう。


私の民、私の花嫁、清らかな花嫁よ、私は間もなく来よう。


あなたが一心に私を捜し求めるなら私を見出し、また、これら私を捜し求める者たちも同様に私を見出すだろう。


私は主なる創り主、あなたの神である。」


この神からの言葉を見るため時間をとってくださり有難うございます。


私は、祈りの中であなたが神に立ち返ることと、あなたの意志ではなく神の意志を求められることを祈ります。


私達にあるのは一度きりの人生です。


私達がもし、創り主であられる神との個人的な関係を持たず、そして神の独り子なる救い主、主イエス・キリストを知らずにこの人生を生きるなら、私達は天国を見ることはないでしょう。


私達は神を知る必要があります。それは、神との良い関係を持つことです。


ヨハネ17:3では、「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです」と言っています。


ただ祈って、それがあなたを救ってくれると思うだけでは十分と言えません。


あなたは、イエス・キリストがあなたの罪の代価を彼の血によって支払って下さったことを信じなければなりません。


イエス・キリストの人生を担っているように、あなたはそのイエス・キリストをあなたの心の御座に据えなければなりません。


あなたは神の御意志の代わりに、自分の意志を神に求めています。


あなたは祈って聖書を読み、あなたの命であり生ける神であるイエス様を喜ばせるよう求めなければなりません。


あなたの中にイエス・キリストの命を持つことによってのみ、私達は良い行いや神に喜ばれることが出来るのです。


この歩みによって、私達は神との関係を持つ事ができます。


もし私達が我が道を選び神に反抗するなら、神は私達を神へと立ち返らせるために出来る限りのことをするでしょう。


しかし、もし私達が神に立ち返らず罪から離れないなら、私達は神に対して心を頑なにしているのです。


もしこうするなら、私達は神との関係を失い、神は私達を歯軋りして嘆き悲しむ外の暗闇へと放り出すでしょう。


そこで、王は言った。「あなたはどうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。」 しかし彼は黙っていた。そこで、王はしもべたちに、「あれの手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ」と言った。招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。 マタイ22:12-14