Come, Holy Spirit | 何とかなるさ...の世界!?

何とかなるさ...の世界!?

いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

ピンクの♪ハトCome, Holy Spirit 十字架ピンクの♪

by Bryan Duncan


異言について


第一コリント 14:1~25


1)愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。


2)異言を話すものは、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、誰も聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。


3)ところが預言するものは、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。


4)異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。


5)私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが、それよりも、あなたがたが預言することを望みます。もし異言を話す者がその解き明かしをして教会の徳を高めないなら、異言を語る者よりも、預言するものの方がまさっています。


6)ですから、兄弟たち。私があなたがたのところへ行って異言を話すとしても、黙示知識預言教えなどによって話さないなら、あなたがたに何の益となるでしょう。


7)笛や琴などいのちのない楽器でも、はっきりした音を出さなければ、何を吹いているのか、何をひいているのか、どうしてわかりましょう。


8)また、ラッパがもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう。


9)それと同じように、あなたがたも、舌で明瞭なことばを語るのでなければ、言っている事をどうして知ってもらえるでしょう。それは空気に向かって話しているのです。


10)世界にはおそらく非常に多くの種類のことばがあるでしょうが、意味のないことばなど一つもありません。


11)それで、もし私がそのことばの意味を知らないなら、私はそれを話す人にとって異国人であり、それを話す人も私にとって異国人です。


12)あなたがたのばあいも同様です。あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。


13)こういうわけですから、異言を語る者は、それを解き明かすことが出来るように祈りなさい。


14)もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。


15)ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。


16)そうでないと、あなたが霊において祝福しても、異言を知らない人々の座席についている人は、あなたの言っていることがわからないのですから、あなたの感謝について、どうアーメンと言えるでしょう


17)あなたの感謝は結構ですが、ほかの人の徳を高めることはできません。


18)私は、あなあたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝していますが、


19)教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、私の知性を用いて五つのことばを話したいのです。



20)兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。


21)律法にこう書いてあります。「『わたしは、異なった舌により、異国の人のくちびるによってこの民に語るが、彼らはなおわたしの言うことを聞き入れない。』と主はいわれる。」


22)それで、異言は信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるしです。


23)ですから、もし教会全体が一ヶ所に集まって、みなが異言を話すとしたら、初心のものとか信者でない者とかがはいって来たとき、彼らは、あなたがたをきちがいだと言わないでしょうか。


24)しかし、もしみなが預言をするなら、信者でない者や初心の者がはいって来たとき、その人はみなの者によって罪を示されます。みなにさばかれ、


25)心の秘密があらわにされます。そうして、神が確かにあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神を拝むでしょう。


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異言は、決して練習して得られるものではなく、御霊の賜物の一つな訳ですから、聖霊を受けた時に異言を話すことが出来なくても気にすることではないと私は思います。


異言を話すように強制するのもおかしい話です。


聖書には、どこにも「異言を話せるようになりなさい」、などとは記されていないはずです。


ただ、パウロは「あなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが」と希望しているだけで、決して強制しているわけではありません。

また、異言ができるからといって、それを人前でお経みたいな異言で唱えられても、異言を知らず、その意味するものが何なのか分からない人にしてみれば、奇妙に思うのは当然で、その人を救うどころか逆に恐れさせてしまうのではないでしょうか。


第一テサロニケ5章16~18節には、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」とありますが、絶えず祈ることに関して言うと、私は長い時間を自分の言葉で祈ることが難しいので、異言で祈るようにしています(それでも絶えず祈れてないのですが)。


勿論、じっくり祈る時には自分の言葉で祈ります。


この御霊の異言の祈りが、決して自分にとっては理解できなくても、神様には通じているのではないかと思います。


だから、聖書にも書いているように、異言は自分の徳を高める事になるのでしょう。


異言を話すというのは「神様に話す」、すなわち「神様に祈る」という事をも意味していると思います。


asterisk_02以前に私が聖霊のバプテスマを受けた時の体験記事 があるので、良かったら覗いてみて下さい。