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何とかなるさ...の世界!?

いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

世の中、色々なカルト宗教がありますが、こちらに挙げるものは、日本政府においては異端ではなく、正式なキリスト教の一派に数え挙げられているというのが不思議でなりません。

 

一般のキリスト教界隈では、異端視されているというのに…。

 

更に、日本のキリスト教の登録者数がおよそ190万人で、その内、この宗教の会員数が約60万人ということは、日本のキリスト教人口の約3割をこの宗教が占めているという事になる訳です。

 

これって、結構やばくないですか?

 

以下のビデオの最初の10分くらいまで訳してみました。

 

 

 

 

文師は、幼少期に透視能力があり、未来が見えると語っています。

 

彼が15歳の時、イースターの日曜日の朝、祈るために山に登り、雲の中にイエスを見(イエス様に扮した堕天使を見た時点でもうアウトでしょう。ドクロまた、イエスが未完成のミッション左右矢印ヨハネ17章:イエス様のミッションは完成されています。)を彼が引き継ぐように言われたと主張しています。

 

文師は、自分は救世主であり、イエスが果たせなかったこと、すなわち世界に平和をもたらし、世界一つの信念体系の下に統一することを果たす事を主張しており、それが、統※教会(今は統※家庭連合)と呼ばれる理由でもあります。

 

文師はその後、仏陀やモハメッド、孔子、その他の宗教的預言者たちの霊的な出会いがあった(完全にアウトでしょう。ドクロと主張しています。

 

彼は、北朝鮮の収容所で得た洗脳技術を、後に統※教会の強化方針に組み込みました。

 

彼の神学は、キリスト教、儒教、シャーマニズム、反共産主義が入り混じったものです。

 

文師は既婚者ですが、若い女性信者と寝て浄化する(何じゃ、そりゃ…びっくりと言われています。

 

1957年に発行された原理講論は、教会の案内テキストとなりました。

 

彼の著書は基本的に、いかに自分が真の父であり、真の親であり、世界を救う救世主であるか(文師が神格化されています。えーについて書かれています。

 

文師は、人間の堕落はエデンの園でイブが禁断の果実を口にした時に始まったと述べています。

 

全ての恋愛関係は不完全なもので、アダムとイブは、結婚を祝福するのを待たず、イブは、成人する前にルシファーと、そしてアダムと結ばれたのです(そんな内容、聖書のどこにも記されていません目

 

統※教会で祝福を受けることで、この原罪がもたらした弊害を取り除く事が出来るのです(出来ないでしょう真顔

 

文師と鶴子夫人は新しい親であり、真の子供達を産み、地上に天の御国をもたらすのだから、文師によって祝福されたカップルが結婚し、祝福された時、その子供達は祝福された子供達となり、原罪を持たずに生まれて来るのです(もう完全に異端でしょう叫び

 

文夫妻の七男が興したサンク※*アリ教会も銃をシンボルとしたアラカルト…。爆弾

 

 

 

 

このようなカルト宗教に未だに騙されている人、目を覚まして下さい!

 

 

 

 

 

このビデオでは、現在多くの教会において、カビのように蔓延している五つの危険な信仰について触れています。

 

このような事態を制御不能なまでに拡大させている問題点が二つあります。

 

1)人々は聖書の完全性を信じていない。

 

これらの人々は、聖書に問題があり、間違いだらけで、文字通りに取るべきではと考えています。

 

2)聖書知識の欠如

 

なぜなら、人々は単に神の御言葉を知らないからで、それは、彼等が聖書を読んでいないか、或いは、牧師が御言葉を説いていないからです。

 

これら二つの事が、教会における誤った教えを招いています。

 

《今日の教会を破壊している事柄、ベスト5》

 

1)平等主義と相補主義

 

悲しいことに、多くの人がガラテヤ3章28節の御言葉を誤解しているか、或いは、周囲の文化の思想に基づいて、誤った物の見方をしています。

 

ガラテヤ3章28節

ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。

 

フェミニズム(女性解放思想)が多くの人々を、女性が男性にできることは何でも出来ると思い込ませている事を、はっきりとさせておきたいです。

 

残念ながら、神の御言葉によれば、それは真実ではないのです。

 

女性は、一人の妻の夫になることは出来ません(第一テモテ3章2節)

 

聖書には、誰一人として使徒も牧師も、また、聖書を執筆した女性は登場しません。

 

更に、第一テモテ3章1節から7節では、牧師と長老について書かれており、「彼」「彼に」「夫」「彼の」という単語が十二回出て来ます。

 

また、ガラテヤ3章28節には、神の愛と愛情について書かれており、それは男女、奴隷と自由人、ギリシャ人とユダヤ人に対しても同じなのです。

 

この聖句は、神から与えられた役割とは何の関係もありません。

 

はっきり言うと、神は牧師と長老の役割を男性だけに与えているのです。

 

そして、女性がそれをするように召されていると感じたり、自分にはその能力があると思っているからといって、それは、何の意味もありません。

 

なぜなら、神がそれを禁じているのですから…。

 

2)「教会はイスラエルである」という信念(超越主義)

 

これは、教会がイスラエルに取って代わったという見方であり、全くもってゴミのような教えです。

 

イスラエルと教会は違うものであるという見解は、新約聖書で明確に教えられています。

 

使徒2章によれば、教会はペンテコステの日に誕生した全く新しい創造物であるのです。

 

そしてそれは、携挙で天に召されるまで続きます(エペソ1章9~11)

 

教会は、イスラエルに対する呪いと祝福については、何の関係もなく、モザイク契約の約束と警告は、イスラエルに対してのみ有効であったのです。

 

また、ローマ11章は、イスラエルが過去2000年間、脇に置かれていたことをはっきりさせています。

 

☆教会は、決して約束の地ではない。

☆教会は、土地を占有した事はない。

☆教会が、罪によって土地を追い出された事はない。

☆教会が、その土地に回復すると約束された事はない。

 

教会を新しいイスラエルにしようとするのは、危険な教義です。

 

なぜなら、神の御言葉を間違って理解し、誤った見方をしてしまうからです。

 

3)安易な信仰主義

 

最近どこでもあるような安易な信仰主義は、ただ祈りを繰り返し、ただ事実を信じ、ただイエス様を心に招くだけです。

 

では、今日、安易な信仰主義は、ただ私達に何をもたらしたのでしょうか。

 

それは、何百万人、何千万人という偽の改宗者を生み出し、彼等は自分達が救いの役割を果たしたと信じ、福音が何を言おうとしているのかさえ知りません。

 

しかし、人生のある時点でイエス様への決心をし、そして救われた...。

 

全くもって違います。

 

安易な信仰主義は、感情に基づいていており、薄暗い照明とムード音楽でしょう。

 

そして、前に出て、イエス様を心に求める長い呼びかけがあります。

 

そんな事、聖書のどこにも書かれていません。

 

イエス様と使徒達は、このような事は一度もしていません。

 

救いの正しい理解は、ある人達が言うようなロードシップサルベーションなのです。

 

※ロードシップサルベーションとは、信仰のみによって救われますが、救われた信仰はキリストの主権への服従が伴い、それは、実としての従順な信仰生活につながると教えています。

 

ロードシップサルベーション   安易な信仰主義

 

救われる道は狭い        職に着いている人は誰もが、

(マタイ7:14)         その職に着いている。

                                                (訳が変かも…すみません)

 

信者はみな良い実を結ぶ     木は良くても、悪い実が成る

(マタイ7:17)          事もある。

 

「主よ。主よ。」と言う者    「主よ。」という者は誰でも

全てが救われる訳ではない。   それで十分。

(マタイ7:21-23)

 

真の救いは、信仰の証拠に    変化の証拠は必要ない。

裏打ちされる。

(第二コリント5:17)

 

ロードシップには従順、罪に   安易な信仰主義では祈りを繰対する打ち砕き、変えられた   り返し、一連の事実を信じる

人生、また、イエス様が守っ   だけで良く、人生のある時点

て下さる事が必要である。    で一度信じた事が最後まで守

(ヨハネ14:15、ユダ1:24、   られる。

25、マタイ5:3-7)

 

悲しいことに、イエス様を救い主として見る事は出来ても、自分の主(人)として見ようとしないという問題を抱えている人が、あまりにも多いのです。

 

使徒行伝を見ると、イエス様が救い主として言及されているのは二回だけです。

 

しかし、イエス様をとする記述は九十回以上あります。

 

自分のためにではなく、イエス様のために生き、イエス様に従い、イエス様に仕える…。

 

前に多くの人が言ったように、イエス様が全ての上に立つ主権者であるか、全く主権者でないかのどちらかです。

 

4)世界教会主義

 

これは、全ての教会と信仰が団結する必要があるという信念です。

 

この事は、この動画の図に見る事ができます。

 

面白く思えますが、そうではありません。

 

これは、聖書にない無意味な事です。

 

イエス様は、ヨハネの福音書14章6節で、彼こそ道であり、真理であり、命であって、この方を通してでなければ、誰も父のもとに行く事は出来ないと言われました。

 

救われる方法は沢山あって、自分に合うものを選べばいいとは言っていません。

 

全然違います。

 

また、ユダ1章3節には、聖徒達に永遠に伝えられた信仰を求めて、私達は熱心に主張すべきだと書かれています。

 

更にパウロは、ガラテヤ1章6節から9節で、イエス様や使徒達が宣べ伝えた事と異なるメッセージを宣べ伝える者は、忌まわしい者、呪われた者であると言いました。

 

5)包括主義

 

この信念は、何をした人であろうと、誰であろうと、何を信じていようと、誰もが歓迎されるというものです。

 

これはまた、とても愛情深く、肯定的な事のように思えますが、聖書のどこにも教えられていません。

 

イエス様はマタイ10章34節から36節で、「分裂を引き起こすために剣を持って来た」と言われ、マタイ25章32と33節では、「羊と山羊を分けられる」と言われました。

 

イエス様が唯一の道であり、真理であり、命であるなら、イエス様は羊と山羊を分けられるでしょう。

 

という事は、イエス様が唯一の道であり、真理であり、命であるならば、偽りの道や偽りの真理が存在し、それらは機能せず、救う事はできないという事になります。

 

聖書の中で、包括的である事を肯定している箇所は一つもありません。

 

他の言葉では、誰もが救われるという「万民救済主義」と言われているものです。

 

大宴会をして、クンバヤーを歌い、手を繋いで、私達は天国に行こう!

 

いや、それは全く誤りであり、また聖書のどこにも書かれていません。

 

聖書には、多くの人々が地獄に落とされている箇所が沢山あります。

 

それは、包括的なものではありません。

 

しかし、もう一度言っておきますが、これらの信念の問題点は、聖書の知識が無いことにあります。

 

神の御言葉を信じていないこと…。

 

耳障りの良いものには何でも引っかかる。

 

悲しいことに、それが今日の私達の現状なのです。

 

いわゆる、クリスチャンと世俗との違いを見分けるのは難しいのです。

 

つまり、殆どの場合、唯一の違いは教会への出席でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

巷でも偽預言者として某テレビ局で暴露された故TB・ジョシュア牧師ですが、彼の弟子でもあるギリシャはテサロニケ教会のハリー預言者、彼もまた神の人と自称して、神の御言葉を宣べ伝えるのではなく、師匠であるTB・ジョシュア牧師と全く似たような手法(癒しや奇跡、それに悪魔追い出し)で無知な人々を巧みに魅了しています。

 

 

 

 

また、彼の教会のワーシップリーダーが夢の中で現われた天使ミカエルからもらった賛美によって、この教会に来ていた人達に癒しや何らかの奇跡が起きたという証やその模様を、上のようなビデオで流したりもしています。

 

初め、私もこの曲を聴いた時はすごいと思ったのですが、何か引っかかる物があり、詳しく出所を調べてみることにしました。

 

そうしたら、故TB・ジョシュア牧師の弟子である自称神の人ハリー預言者の教会に辿り着いたのです。

 

これらの奇跡や不思議が仮に事実だったとしても、本当に神様から来ているものかどうか怪しいものです。

 

恐らく、やらせの確立の方が高いのではないでしょうか。

 

また、ルシファーは音楽を操ることに長けているので、このように人間を感動させる賛美を作り上げるのは朝飯前でもあります。

 


 

 

 

次に、このアイドルのようなブラザー・ヒョクという伝道師さんですが、私は良く知りませんが、この若者も自分で伝道活動する前は、故TB・ジョシュア牧師の弟子兼付き人みたいな感じの事をしていたようです。

 

なので、彼の伝道集会も師匠と全く似たようなものであり、また、御言葉に無知な人々を魅了するドラマティックなパフォーマンスショーになっているという訳です。

 

これらの偽教師や伝道師達の集会において、念の入った段取りが施されていることは、恐らく間違いないでしょう。

 

勿論、その中で与えられた役割を担う役者についてもです。

 

ガラテヤ1章

6)私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。

 

7)ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかきみだす者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。

 

8)しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たち(キリストが直接選ばれた使徒たち)が宣べ伝えた福音(神の御言葉)に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。

 

9)私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。

 

10)いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません

 

 

このブログ、恐らくまたシャドーバンされてるのかもしれませんが、ここ数週間、ユーチューブがエラーになり、今まで通りにアップロードできなくなっています。

 

妨害されているのでしょう。

 

まー、どうでもいいんですが…。

 

 

 

上矢印このお馴染みの、ベニー・ヒン牧師ですが、数年前に悔い改めたはずが、未だに偽の癒しの奇跡と繁栄の福音を語り続けています。

 

そのため、この度またまた大きく暴露されることになってしまっている模様です。

 

私も若い頃、母の影響で一緒に牧師の集会を見に行ったこともあり、また、母は一時期毎日のように牧師のビデオを流し続けていたのを思い出します。

 

今思うと、母は知らず知らずのうちに、ベニー・ヒンという偽の癒しと奇跡を行なう牧師に魅せられてしまっていたような気がします。

 

しかし、私がイギリスに来て彼のテレビを見ていた頃、一度だけ献金した事があります。

 

その一度の献金の後、二週間に一度くらいのペースで献金要求の手紙がひっきりなしに届くようになったのを覚えています。

 

この手紙が届くようになってから、私は何かが違うと思うようになりました。

 

そして、その直ぐ後ぐらいの放送で、牧師が金の相場の話題を出して来た時に、完全にこの牧師は違うと確信したのを覚えています。

 

エペソ5章

5)あなたがたがよく見ているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者―これが偶像崇拝者です。―こういう人はだれでも、キリストと神との御国を相続することができません。

 

6)むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。

 

7)ですから、彼らの仲間になってはいけません。

 

8)あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。

 

9)―光の結ぶ実は、あらゆる善意真実なのです。

 

10)そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい

 

11)実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。

 

12)なぜなら、彼らがひそかに行なっていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。

 

13)けれども、明るみに引き出されるものは、みな、によって明らかにされます。

 

 

 

 

 

十字架

The Cross

 

それは、罪に対する神の罰であり、私達の神の創造的な恵みと憐れみの印です。

 

It is about God's punishment for sin and a sign of the creat grace and mercy of our God.

 

またそれは、私達の偉大な堕落と罪の結果の印でもあります。

 

Also sign for our great Depravity and the

consequences of sin. Not at all!

 

誰でも、ありのままの自分で入って来て、やりたいことをやれば良いという人のために開く扉ではないのです。全くもって違います。

 

Not open door for everyone just to come on in and come as you are and do what you want to do. Not at all.

 

 

 

 

ルカ9章/Luke 9 (ESV)

23)イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い左右矢印一度救われたら常に救われているという教えとは反対)、そしてわたしについて来なさい。

 

And he said to all, "If anyone would come after me, let him deny himself and take up his cross daily (左右矢印Contrary to the teaching that once saved, always saved.) and follow me.

 

24)自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。

 

For whoever would saive his life will lose it, but whoever loses his life for my sake will save it.

 

25)人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。

 

For what does it profit a man if he gains the whole world and loses or forfeits himself?

 

26)もしだれでも、わたしとわたしのことばとを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。

 

For whoever is ashamed of me and of my words, of him will the Son of Man be ashamed when he comes in his glory and the glory of the Father and of the holy angels.