グラサン日記

グラサン日記

ロックバンド「ザ・クレーター」のボーカルギター菊永のブログ

ザ・クレーターNEWミニアルバム『THIS IS BAND MAGIC!』
2018/08/22 全国リリース。


最新MV「Dance For The Music」(アルバムからのリードトラック)



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師匠とノジャーが加わったザ・クレーターは、楽曲の制作とレコーディング、そしてLIVEを積極的にやっていきました。

この4人の体制では、腰を据えて活動ができたこともあり、この頃できた楽曲には、「I LOVE YOU」や「スターマイン」など、今でもザ・クレーターのLIVEの重要な場面で演奏する、バンドの根幹をなす曲が多く生まれました。

 



主に原曲は、下瀬・菊永が二人でスタジオで制作し、良い出来のものをバンドでアレンジする、という形をとっていました。

2018年のはじめにMVを発表した「スターマイン」という曲が生まれたのも、そんな二人の制作スタジオで、
シモセニアンが「忘れてしまうから」というこの曲のテーマでありメッセージでもあるリフレインを思いつき、そこからメロディー、そして全体の歌詞をつけて、できあがりました。


ザ・クレーター「スターマイン」MV

 

 


過程からもわかるように、作った当初はアイデアから生まれた架空の物語だったのですが、自分にとっては、その頃付き合っていた彼女との別れがあり、気づけば実話になっていた(笑)、という不思議な因縁もあった曲です。

他にも2015年に制作した『地下室はパラダイス』というアルバムに収録している「ブラックユーモア」や「E51st」など、メッセージ性の強い楽曲が生まれ、それもザ・クレーターのカラーになっていきました。

その頃、メッセージ性が強くなった一つの要因として、僕の場合は、モバゲーという携帯電話限定(当時)SNSの存在が大きかったです。

モバゲーには、アップロードした音源をストリーミングで聴ける機能があったのですが、そこでザ・クレーターの音源を発表したり、メンバー4人でラジオ番組を録って流したり、発信するメディアとして使っていました。


今や、TwitterやこのFacebookを始めとして、SNSというものは、知らない人がいないくらい当たり前のものとして存在していますが、その頃はまだそういったSNSはミクシィくらいでした(グリーというのもあったなぁ)。

モバゲーは今のTwitterに近い、匿名のSNSだったので、良い意味でも悪い意味でも、他人の本音というか人の本心のようなものに触れる機会が新鮮なメディアでした。

そこで触れた人々の心や出来事にインスパイアされて生まれた曲もありました。

実際に存在している人間でありながら、顔も知らず、電話で話すことも、直接会って話すことも基本的にはない。

しかし、思考は存在し、文字でのやり取りで意思を伝え合うことはできる。

そういう今までは存在しなかった環境の中で生まれたアイデアやメッセージが、あの頃の曲には多分に含まれていると思います。

その後、ザ・クレーターが全国ツアーをできるようになった時に、当時モバゲーで応援してくれていた方に実際にお会いすることができたことがあり、今でもツアーでその土地に行くとLIVEに遊びに来てくれるんですが、本当に素敵な出会いだったなーとつくづく思います。


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今では全国をツアーするバンドになりましたが、それまでは東京からあまり出てLIVEをすることがなかったザ・クレーター。

師匠ノジャー時代には、現状の打開を目指し「月世界強化月間」というプチツアーを、2005年末〜2006年1月と、2007年2月〜3月の2度おこない、初めて東京を飛び出し、LIVEをしました。

関東近郊ではありましたが、千葉LOOKや、今でもツアーの度にお世話になっているさいたま新都心HEAVEN'S ROCKへも足を伸ばし、LIVEを行いました。

思えば、その頃の経験が、今のツアーの礎にもなっているんだと、改めて気付かされます。

また、2007年前後には、渋谷で毎週土曜にバンドセットでの路上ライブをしていたこともありました。

路上でのパフォーマンスに対して取締りが厳しくなった今からは想像がし難いですが、渋谷西武のA館とB館の間、昔あったセンター街のHMVの裏口から、タワーレコードへ行く道の途中の道端のスペースにドラムセットやアンプもセットし、フルセット、大きい音で路上LIVEをしていました。

今思うと、怖いもん知らずのチャレンジャーだったなーとドキドキします(笑)

ただ、まだザ・クレーターの音楽を聴いたことのない人にとっては、ザ・クレーターは存在しないのと同じなので、聴いてもらいたい、出逢いたい、という想いが強かったです。


今もその気持ちに変わりはないですが。

バンドでする路上LIVEはやはり音量もグルーブも大きく、演奏を始めると、だいたいいつも人がすぐに集まって来ました。
 

そこで知り合ってその後もライブに遊びに来てくれた人もいたし、毎週同じくらいの時間に路上LIVEをする中で、コミュニティのようなものができて、盛り上がった時期もありました。

けれど、苦労してセッティングしても止められてしまい、ほとんど何もできないまま帰ることなども少なからずあり、活動の負担も大きく、ずっと続けることはできませんでした。

しかし、金曜に同じ場所で毎週していた弾き語り路上LIVEは、その後も約5年間続け、多くの経験をすることができました。

路上LIVEの音楽は、求めていない人にとっては雑音でしかない場合もあるので、時に白い目で見られることもあります。

けれど、自分たちの作ってきたひとつひとつの言葉、歌詞と、メロディーに自信を持っていたので、どんな目で見られようと、怖くはありませんでした。

路上LIVEでは、人の優しさに触れる機会も多く、暑い夏にはビールの差し入れをいただいたり、寒い冬には、暖かいホットコーヒーを差し入れていただいたり、時には近くのラーメン屋の食券を買って来てくれた方もいて、びっくりしたこともありました(泣)

 

まるで、通りすがりの人々にお供え物をいただく、「お地蔵さん」ですね(笑)


都会の片隅で、そんな見ず知らずの通りすがりの人の、素のやさしさに触れることができたのも、めったにできない経験でした。

例えば、満員電車の中では密着して物理的に近くにいても、ほとんどが一生言葉を交わすこともない人ばかり。


そんなとき僕は、越えがたい「赤の他人との境界線」を感じます。
 

それは行き交う人々が知らない人ばかりの街の中でも変わりません。
 

路上で音楽というものを演奏することによって、その境界線が変化したり、なくなったりする。
そんなHappyなマジックを起こすことができることがあり、それが路上ライブをする上での一つの喜びとなっていきました。

あと、外国人旅行客によく声かけられて、一緒に写真を撮ることも多かったです。
つまり、世界中に僕の写った写真があるんですね。

そう考えると、ちょっと怖い(笑)

だいたい話しかけてくれた外国人には、Where are you from?と聞いてましたが、国民性がわかって面白い事もありました。

例えば、ドイツ人は凄く真面目で、「これはなんの楽器だ?」とか「弾いてみていいか?」とか、研究熱心な感じ。

フランス人の女性には、キスを求められ、断ったら追いかけ回された事がありました(汗)
あれはマジで怖かった!フランス人女性への、ちょっとしたトラウマです(笑)

通りかかった家族連れのカブレラ(元西武ライオンズのホームラン王)にガン見された事もあります。
でかくて怖かった(汗)

今は亡き、桜塚やっくんのDVDの企画で、突然現れたやっくんと一緒に歌ったこともありました。
※「桜塚ヤンキース 見ないとガッカリだよ! 仏恥義理編 [DVD] 」特典映像に収録
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日刊スポーツに載っていたファンキーモンキーベイビーズの苦労話記事に、なぜか「八王子駅の路上アーティスト」としてデカデカと写真が掲載されていたこともあります(驚)。

(渋谷なのに。。。)

とっ散らかりましたが、本当に多くのことを経験することができました。

最近都内では、路上ライブをしようとすると止められてしまうことが多く、自由に路上ライブをすることは難しくなりましたが、今でもツアー先でやっている路上LIVEは、この時期の経験が基になっています。

これからもチャンスがあれば、街にメロディーと言葉を、投げかけていきたいと思います。


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師匠とノジャーが加わった2003年頃からのザ・クレーターがどういう活動をしていたのか、もう15年も前のことで記憶が曖昧になってしまっていたので、その頃出ていたライブハウスのアーカイブを調べてみました。

2003/7/16(水)に、その後しばらくザ・クレーターのホームとなる三軒茶屋HEAVEN’S DOORに初出演、9月から12月まで毎月出演していました。

8月、9月には下北沢SHELTERにも出演、積極的にこの4人でのLIVE経験を積んでいきました。

その頃対バンしたバンドの名前を眺めていると、2003年の7月に初めて出演した三茶HEAVEN'S DOORで対バンしたBO-PEEP(ボーピープ)の名前が目にとまりました。
その後もお互いのイベントに呼び合ったり、仲良くさせてもらっていました。

スリーピースの福岡出身のギャルバンで、ロックだけどポップで迫力があって良いグルーブが出てるバンドなんだけど、MCがユルくてそのギャップに揺さぶられて、今こうして書いていると、俺はしっかりファンでしたね(笑)


サイトを見ると、まだバリバリ頑張ってるみたいなので、久しぶりにライブ観に行きたいなー。
(その後、2018/9/5 下北沢MOSAiC『THIS IS BAND MAGIC!』リリースパーティーにゲスト出演してくれて、ライブを観ることもできました!)

あと仲良くさせてもらっていたのは、Sportsman(スポーツマン)。
こちらも女性ボーカルのバンドですが、その名に反して、メンバーに1人もスポーツが得意そうな人がいない、バンドでした(笑)。
思わず口ずさんでしまうほど曲が超POPで、だけどどこか切ないメロディーがたまらない、こちらも大好きなバンドでした。

ギターの椎名さんとは昨年、茨城の水戸ライトハウスにLIVEに行った際、わざわざ観にきてくれて、10年くらいぶりに再会。
ほんとにびっくりしたし、めちゃくちゃ嬉しかったです。

(2018/10/30 椎名さん番組の制作に携わっているIBS茨城放送のFMラジオ番組にゲスト出演させていただき、そこで再会することができました!)

あと、ボーカルの高原は、とても綺麗な声をしているシンガーなんだけど、ザ・クレーターの曲を至極気に入ってくれていて、前回紹介した「スターマイン」のデモ音源のレコーディングにコーラスで参加してくれたこともありました。

いいバンドだったので、解散してしまったのは惜しいけど、CDも持っているし、心の中でいつまでも生き続ける、大事な仲間のバンドです。
みんな、元気にしてるかなー。

師匠・ノジャー体制のザ・クレーターは2003年〜2008年までの約5年間続きました。
その間のLIVEは、三軒茶屋HEAVEN'S DOORをホームに、

前述の2つのバンドをはじめとした様々なバンドと切磋琢磨しつつ、少しずつ活動の範囲を広げていった時期でした。
けれど、なかなか殻が破れないもどかしさに、もがいていた時期でもありました。

どうしたらより多くの人に聴いてもらえるのか。

世の多くのバンドと同じように、悩みながらもそれを打ち破るべく試行錯誤しながら活動していました。


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2003年、リードギタリストとして神崎聡を迎えたザ・クレーターは、
楽曲の制作、アレンジを進め、アンドレ君の協力を得て、レコーディングを進めました。

 

「漣」「4D」「僕とロック」が収録されたデモ音源のレコーディングは、
確か吉祥寺あたりのスタジオで、歌以外はほぼ1発録りでやったと思います。
(歌はアンドレ君の実家で、確か布団で防音しながら録ったなぁw)
 

朧げながらその時の光景を覚えています。

 

さて、リードギタリストの神崎聡、彼はジミヘンと同じサウスポーでした。

B型、神戸出身の関西人。
 

生み出すリフが特徴的なギタリストでしたが、
その年、自分のバンドを立ち上げることになり、一度脱退することになりました。

 

一難去って、また一難。
 

ザ・クレーターは、メンバーが安定しない中、活動を続けていました。

 

自分たちでも自信の持てる楽曲が出来始めた矢先のことだったので残念ではあったけど、
僕は、ザ・クレーターを始める前には、
前のバンドのメンバーが全員脱退し、一人で曲を書いていた時代もあったし、
下瀬くんと出会ってやっと進み始めた船、
こんなところで立ち止まっている場合ではない、という想いだった。

 

その後、ザ・クレーターは幸運にも、しばらく運命を共にするギタリスト、
元8gallon beersの宮本さん、通称「師匠」をリードギタリストとして迎えることになりました。

 

師匠は当時、よく練習をしていたスタジオの店長で、
ギタリストということは話の中で聞いていたので、
神崎が抜けたタイミングでスタジオに誘ったのがきっかけで、
一緒にやることになりました。

いつも何かをたくらんでいて、話が凄く面白い人だったし、
一緒にバンドをできることがとても嬉しかった。

 

また同じ2003年には、ベーシストも交代。
 

憲太くんが脱退することなり、
知人の紹介で出会った、元Suger coated bombsの野澤幸生、
「ノジャー」が加入することになりました。

ノジャーはミュージックマンのスティングレイをこよなく愛し、指弾きを好むベーシストでした。
ステージでベースを弾くアクションが個性的で、LIVEでとても映えるベーシストだったなぁ。


人柄はとても温厚で、ほんわかした性格だったので、他のメンバー同士がちょっと険悪なムードになったりすると、
まあまあ、と止めてくれる、なんとも気の優しい男でした。

 

振り返ると、メンバーの入れ替わりはあったものの、
ザ・クレーターは人との出会いに関してはとても恵まれてきたので、
16周年を迎えることができたことも、出会ってきた一人一人のお陰なんだなーと、

改めて思います。


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今年はザ・クレーター16周年Yearです。

16年と言えば、オリンピックやサッカーワールドカップが4回分。

結構なボリュームの年月です。

ザ・クレーターが歩んだその16年を、振り返ってみたいと思います。


2002年、日韓W杯のあった年の 2月21日(木)、
前年に、共通の友人(farida's cafe のギタリスト、アンドレ君)の紹介で出会い、
すでにレコーディングや制作活動を開始していた下瀬と菊永が、
「ザ・クレーター」として初めて下北沢garageでライブをしました。

この頃ザ・クレーターが演奏していた曲は、
この年の1月にリリースしていたアルバム「BLIND SCENES」(廃盤)に収録されていた曲が中心でした。
今でもライブで演奏することもあるその頃の代表的な曲は「悲しい歌」です。

ストリングスのバックトラックを取り込んだ携帯電話で再生しながら同期して演奏するという、
今考えると実験的なこともしていました。

試行錯誤しながら、LIVEや制作をしている時期でした。

メンバーはベースの憲太君と、下瀬、菊永の3ピース。
探したんですが、その頃の写真が見つからない。(汗)

ベースの憲太君は、その後「転校生」というバンドに入って、
確か新宿のREDCLOTHで対バンしたこともあったけど
元気にしてるかなー。。。

と調べていたら、いました憲太君!
WideShowPersonalitiesというバンドでベースを弾いているようです。

なんと、wearerのYKがCDのレビューを書いている!(驚)
繋がって来ましたね。(笑)

元気かなー。久しぶりに会いたいなー。
憲太くんはベーシストでありながらギター弾くのが好き、という、
OKDに少し似たところもあって、とても気のいい男だったなー。

そんな憲太君がベースを弾き、しばらくはスリーピースで活動してましたが、
翌2003年にはギタリストとして、神崎 聡(そう)が加入しました。

あれは確か、渋谷サイクロンだった。
知人のバンドを観に来ていた神崎が、ライブ後に、ザ・クレーターのギターを弾かせて欲しい、と熱く声をかけてくれたっけ。
あの時はとても嬉しかったので今でも鮮明にその時のことを覚えています。

その後神崎の加入したザ・クレーターは、「4D」や「漣」「僕とロック」などの曲を作り、
アンドレ君に手伝ってもらい、レコーディングもしました。
2003年、六本木ヒルズがオープンした年のことでした。

と、長くなりそうなので、今日はこのへんで!
続きはまた次回書きたいと思います。


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8/10水曜吉祥寺Planet K、ザ・クレーターTOUR 2016『終わって始まる』ファイナル、ご来場ありがとうございました!

無事、旅を終わることができました。

4/10に下北沢Club 251にて、ResponseとのWレコ発でスタートし、北は盛岡、南は小倉まで、30公演。

たくさんの出逢いや再会がありました。

ファイナルに出演してくれたRICHARDSON ZILLIS、イカフリ、Response。

どのバンドも最高のLIVEをみせてくれました。

ツアーの締め括りに、僕らを西へ東へ運んだクルマのことを歌った新曲『バンドカー〜Like a Rolling Stone〜』を演奏したときは、今回の旅の風景が蘇り、リハーサルで何度も演奏しても味わえなかった感覚になりました。

アンコールで歌ったスターマインも、今回は格別でした。
幾つも空に打ち上げられては消えていく花火のような一つ一つのLIVEの残像を、記憶に焼きつけるように歌った。

旅は終わった。

そして始まる、これからのザ・クレーターに期待して下さい。
また一緒に旅に出ましょう!

ありがとうございました!

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あーあー 日本のどこかにー わたしを 待ってる 人がいるー

父親が山口百恵さんのファンだったので、「いい日旅立ち」が頭の中を流れる時は、歌っているのはいつも百恵さんです。


みなさんおはようございます。

昨日は吉祥寺音楽祭、吉音コンテストでした。

残念ながら賞を取ることは出来ませんでしたが、僕らを推薦してくださったPlanet K 関係者のみなさん、会場に足を運んで応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

先日Planet Kの店長代理に就任したばかりのtheBrushのロンドンが最高の推薦コメントで僕らを紹介してくれて、僕らもザ・クレーターらしいパフォーマンスができた。

夜が明けたら朝が来ました。
いじけてる暇などありません。

ザ・クレーター「終わって始まる」TOUR 2016、今日は昨夏以来の静岡。
文字通り、僕らはまた、終わって始まります。

静岡のみなさん、会いに行きますよ!
今夜、ライブハウスで!

【ザ・クレーター TOUR 2016 「終わって始まる」】2016/5/4(祝・水)  静岡UMBER
静岡県静岡市駿河区池田146-1
054-294-8086
open 18:00 / start 18:30
★ザ・クレーターは21:10の出演。
前売券 1,500円 / 当日券 2,000円 (D別)
【イベントタイトル】
UMBER presents【KEEP GOING vol.143】
~ザ・クレーター TOUR 2016 「終わって始まる」~
~ロクトシチ 1st Album "6701" 発売ツアー 「轟音ぶらり旅」~
【BAND】
ロクトシチ / uterus / The Jest / スギタヒロキ

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頭痛ぇー。

熱射病なのか…。

昼間は暑いから外に出ないようにしていたんだけどな。


まっすぐに続く商店街の彼方に見えた夕暮れの空は、日増しに気温の上がる真夏の気候とは裏腹に、日が一番長い夏至から1ヶ月経ち、秋へと向かっていることを思い出させた。

夏の夕暮れの切なさ。


さて旅の続きの話を。

岡山で増水した川の間の狭き道を慎重に進み、途中、法定速度で走っているにも関わらず謎の車にクラクション鳴らしまくられ追い越されたり、ただならぬ雰囲気の中、ザ・クレーター号は進んだ。

そして来ました瀬戸大橋!
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ということで、遠回りをして、やっとのことで四国に渡ることが出来た。

台風はやっと北上したようで、ここから高知へは四国山地の幾多のトンネルをくぐり抜け、スムーズに進むことが出来た。

そして本番1時間以上前にX-pt.に到着。
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トモの凱旋LIVEを無事に出来たことが何よりでした。

そして高知のバンドは男気のあるバンドばかりで、刺激的だった。


打ち上げは居酒屋三国志という店だった。

念願の土佐鰹のたたき。
{D8C3A250-94A9-4799-8564-66075168130E:01}
皿と比較するとわかりやすいが、分厚さ、大きさが見たことのないレベル。

トモがサポートで入ったばかりの頃、高知はどんなところか聞いたら、「道端に鰹が落ちとる」と言っていたからどんなところか、非常に興味があったけど、なんとも豪快な土地柄だった。

今回は駅前の龍馬と武市半平太、中岡慎太郎の銅像と、路面電車を、会場入りの直前に車の窓から見ることしかできなかったけど、また次来るときは、高知城含めてゆっくり見てみたいものだ。


そして歩いて帰る途中、LIVEにも遊びに来てくれたトモの友達の店を通りかかった。
とてもムーディーで素敵なお店なので、次に来るときにはなんとしても寄りたい。

オーナーの田中くんも気さくで話しやすい方なので、高知に行く人は是非お立ち寄り下さい。


なんとか無事に四国1本目のトモ凱旋LIVE(ザ・クレーター初の高知LIVE)を終え、高知の夜は更けていった。


つづく

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こんにちは。


今朝東京は雨が降りましたね。


僕は傘を持ち歩くのが億劫なので、もっぱら折り畳み傘ユーザーです。


駅まで傘さしてきても、電車の中ではケースにしまってリュックにしまって楽ちん楽ちん。


雨がやんだら手ぶらで済むし、ツアー先での突然の雨にもバッチシ対応。


ビニ傘を使い捨てるより資源的にも経済的にも良いのでオススメです。


折り畳み傘LOVE。



今日は先日STARTした『ライブハウスはパラダイス TOUR 2015』序盤のことなどを。


7/16(木)下北沢SHELTERから。


SHELTERは今年の1/7以来でした。


台風が来ているという情報があったけど、当日は雨も降っておらず、嵐の前の静けさという様相でしたが、アンコールまでいただき、本当にありがたいツアー初日になりました。
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ご来場いただいた皆さま、ありがとうございました!


LIVE前にはSHELTER近所のdisk unionにお邪魔し、地下パラを面出ししてくれていたので、バッチリコメント書かせていただきました。
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ありがとうございます。


そして、その夜、LIVEの汗を洗い流して再集合したザ・クレーターは、台風の居座る四国に向けて出発しました。


嵐の予感…


つづく

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