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異物混入

ファストフードのお店を中心に、製品にプラスティック片やその他のものが混入しているとかで、いろいろと騒いでいます。

ひとつ出てきたら、次から次へと出ているようですが、いずれも大したことのない異物。食べ物の中へプラスティック片の一つや二つが入っていたからと言って、どうしてそんなに騒ぐのだろうか。騒ぐから、面白がって異物「発見」に血眼になる。見つけると鬼の首を取るか、宝籤に当った如くに大はしゃぎ。

特に標的になっているのがマクドナルドで、ここからは次から次へ何かしら見つかって、あげくの果ては奥歯まで出てきます。さすがに奥歯は気持ちが悪いけれど、奥歯そのものより、そんなものが混入したとする方が気味が悪い。当然製造過程で奥歯などが入る余地はないし、提供の寸前でもそれが入るとは考えにくい。考えにくいけれど入っていたというからには、混入していたのは事実なんでしょう。

それにしても愉快犯の様な樣相を呈していて、報道が出ると次々に出てきて、その程度で謝罪会見をするのかと呆れるほど各社会見を開いている。

食べ物に異物が入っていたくらいどうしたというのでしょうか。プラスティック片なら摘まんで捨てればいいことだし、怪我をしたと言っても口の中をかすった程度でしょう。それを怪我というなら私など毎日大怪我をしていることになります。

それでも、食べ物の中へ何かが入っているということは、製造過程の清潔度が低いのではないかとの懸念が出るので、やはり混じっているのは問題だと考える方の方が多いのは分かります。しかし、食品は薬でもあるまいし、そもそも清潔かといえばそんなことは全くありません。きれい、汚いを考えてしまうと私達は食品は口に出来ないでしょう。どのくらいの清潔度を期待するのかによりますが、何のまじりっけもない食品があれば見てみたい。

原材料その物がそんなにきれいじゃないでしょうし、それを人の手で加工するのですから、食べ物なんて須らくばばちい物と相場が決まっています。

高級すし店のお寿司なんて、職人が素手で握っているのですから、あんな職人の汗がこびりついた握り寿司などとてもじゃないけれど食べる気はしないし、刺身だって生物を手で触りながら洗っているかいないか分からないような包丁で切っているので、雑菌がうようよついているでしょうし、俎板についた細かなゴミが当然ながら付着しています。

居酒屋へ飲みに行くと、出てきた小皿なんて洗っているかどうか。洗い場が見えると、まあ食器の雑な洗い方には呆れてしまうでしょう。すすぐ水などとてもじゃないけれど清水とはいえない。屋台のラーメンを食べる勇気のある人でも、ファストフードの混入した異物は気になるのだろうか。

中国で加工された食品と聞くと、その取扱いの杜撰さを想像すると食べるのは躊躇してしまうのですが、今回の一連の報道の中で出てきた物を考えていますと、全てが製造過程の問題だろうかと疑問が出てしまいます。特に奥歯などどう考えても入りようがないので、顧客に渡る直前直後を疑ってしまいます。以前、中国で製造された毒餃子問題があって、中国では日本国内で混入されたのではないかとする見解も出ましたが、その時は何を中国は言っているのかと思ったものですが、今回の混入騒ぎを見ていますと、あながちあの時の中国の言い分も嘘ではないのかもしれないとさえ思うようになりました。

いずれにしても、このような報道が続く限り、今後も異物混入は途切れる事がないでしょう。そんなのどうでもいいじゃないかと笑い飛ばす消費者の下では異物混入など出てこないけれど、過剰反応する社会では連鎖反応が起きる。

社会の反応を喜ぶような愉快犯がいる限り、この種の事件は次々に起きてくるのでしょう。店頭で食品に異物を混入させている想像すると不愉快極まりないのですが、その責任の一端は些細なことにも反応する私達にもあるのかも知れません。

万引き

家の近くにお菓子をリーゾナブルナ価格で販売しているシャトレーゼというお店があります。

飲み会の後甘いものが欲しくなってそのお店へ行きました。そこに一家で来ているお客さんがいました。お母さんがレジをしようとしている後ろから高校生くらいの男の子が「かりんとう饅頭はいらんから」と言うとお母さんがカゴに入っていた饅頭を1個男の子に渡しました。

私は、饅頭が1個だったので、その男の子が自分が食べたくて母親のカゴに入れたけれど気が変わったのかなくらいに見ていました。

その饅頭を受け取った男の子は、元のところへ戻すふりをして、一度周りを気にするとそのままポケットへ入れてしまいました。私は、その男の子のところへ行って、肩をポンポンと叩いて、「戻しなさい」と言うと、驚いて「あ・・・」と言ってポケットから饅頭を元のところへ戻しました。明らかに万引きですからもう少し注意しようとしていると一緒に行っていた妻が、お酒の入っている私がお客と何か揉めていると思ったのか、「やめなさいよ」と止めたので、経緯を説明して、「そこでレジしている人の子供が万引きをしたんだ」と、そのお母さんへ聞えるように少し大きな声で言いました。

しかし、そのお母さん全く気にする風もなくレジ待ちをしています。そうしていますと、先ほどの子供がお父さんを連れて戻ってきて「僕は万引きなどしていない」と言います。お父さんも「この子は万引きをしていない」と言います。私は、万引きをした様子を説明して「私が注意しなければ君は饅頭をそのままポケットへ入れていただろう。万引きをしなかったのは私に見つかったからだ。何をとぼけたことを言うのか」そう言いますが、なおも「万引きなんかしていない」と言い張ります。

面倒になって、「もう二度としなければそれでいい、これからはしたらいけないよ」とその場を終わらせますと、父親が「すみませんでした」と謝罪をします。やり取りを聞いて事情が分かったのでしょう。男の子は一度も謝らまいまま帰って行きました。お母さんはその間一言も発せずに妹と思われる女の子を連れて帰って行きます。目の前で自分の子供が万引き扱いされているのに一言の弁護・反論もせず、怒りもせずに帰って行く姿を見て、お母さんは事情を知っているのだと感じました。これが初めてではなく、親子で何度もやっていることなのでしょう。

スーパーのレジへ行く、レジの列で店員に聞こえるようにカゴに入った品物を返すと言って子供に渡す。子供はそれを戻すふりをしてポケットへ入れる。家に戻って返したはずのお菓子を食べていたらお母さんは不審に思うはず。それに気が付かない親はいないでしょう。万引きを知らないのは父親だけか。父親は知らないから私に抗議に来たけれど、聞いていると、どうも自分の子供に分がないと分かったのでしょう。

厳密に言えば、その子供はポケットに入れたけれどお店から出ていないので「万引き」での摘発は、その時点では出来なかったのでしょう。しかし、明らかに「窃盗行為」があったのですから「まだ盗っていないいない」と主張するのは常習犯を伺わせます。そのような事を許していたら彼は成功体験を元にまだまだ万引きをするでしょう。もう少し厳しく、例えば警察へ突き出せばよかったのかもしれないけれど、お店の人は揉めている僕らにただ困惑していました。アルバイトの女の子が二人で対応しており、どう対処すればいいのか困っていたのでしょう。一家が帰った後、私に「ありがとうございました」と言うのが精いっぱい。

「疑わしきは罰せず」「疑わしきは被告人の利益に」と言いますが、私はそんな甘い対応が社会へ犯罪を蔓延させる原因のひとつだろうと思うのです。李下に冠を正した者は園主に叩きまわされても仕方がないし、瓜田で靴を直した者はお百姓さんに鍬で殴られても文句は言えない。疑われる事をする者は、それだけで罰せられても仕方がない。何もしていない者が疑われることはないのですから。

公職者の寄附禁止指摘の愚かな感覚

加西市長が公選法で禁止されている寄付を行ったとして謝罪会見をしていた。どのような違反行為をしたのかと聞いていると何とも馬鹿馬鹿しい話でした。その市長の出身校の北条高校が創立90周年事業を行うので卒業生から寄付を募ったのに応じたのを、市民が寄付名簿から市長の名を見つけて通報告発したというのです。それも2年も前の記念事業です。

この通報者の感覚は正常だろうか。私には極めて奇異に感じられ、この通報者の精神構造はどうなっているのだろうかと呆れてしまいます。

法的には、この通報者が言うように公職選挙法が禁止する寄付に当るようですから、法違反との指摘は「正しい」のですが、果たしてこれが「法の趣旨」に反しているかどうかといえば、全くそんなことではないでしょう。

法は、あらゆるケースを想定して事細かに決める事は不可能ですし、現実的ではないために極めて大まかに網をかけてしまわざるを得ません。法が違反者を罰する時には、その立法の趣旨に照らして犯意が悪質かどうかでその適用を判断しているはずです。

公職選挙法が何故当該公職者の選挙区内への寄付を禁止するかといえば、財産上の供与を通じて実質的な買収行為につながり、票をお金で買うことになるからでしょう。利益の見返りに地位を得ることは、その公職者が公平な立場で職を全うできない、しない可能性があり、ひいては選挙区全体の利益を損なうからでしょう。また一面においては、選挙区民が候補者心理を利用し候補者へ断りにくい寄付を強要する事により候補者にとっては選挙にお金がかかりすぎることを防止する意味もあります。

出身学校への創立周年事業への寄付はそれに当るかどうか。卒業生は公職の候補者であると否とに関わらず一律に母校に対しての思いを寄付という形で表しているのではないのか。その寄付が選挙の買収行為に当たるのかどうか。少し考えたら分かりそうなものではないか。法文に抵触するからと言ってそれが直ちに法の趣旨に反するというものでもなかろう。法には適用の幅があってしかるべきであるから、他の法律においても違反者が直ちに摘発されない例は數多ある。

そんなことも理解しようとしない愚か者が、鬼の首を取ったように「法律違反」を見つけて大騒ぎをする。あまりにもサモシイ行為ではないか。重箱の隅を突くように他人のケアレスミスをあげつらい、したり顔をしているのは、その人の現実生活がいかに貧しいかの證明ではないのか。そのようなことに満足するしかその人には人生の充足感がないのか。

告発した当の本人は「法の許容の範囲」に甘んじることなく、全ての行爲に胸が張れるかどうか。

例えば日本における交通法規は、ほぼ全ての人が平然と違反行為を行っている。これは、道交法が「車両の運行に関して安全を確保するため」という趣旨を実現するために決められているだろうから、自分の運転が「安全」であるならこのくらいの法違反は構わないだろうと勝手にそれぞれが判断してのことでしょう。それが個別には事故につながらないにしても全体としては事故の最大原因になっているのです。

さて、この告発者は「例え許されるような寄付の例だとしてもそれがひいては重大な買収行為につながる」とみて嬉々として告発したのでしょうが、本人は生まれてこの方法違反をしたことがないとでも言うのでしょうか。

母校への寄付は、法違反を指摘されたら頭をかくしかないのでしょうが、そんな許容範囲内の「法違反」をマスコミがいちいち取上げるから、そのようなことを指摘する愚かな者が後を絶たない。

同じ母校であっても大学はおそらく選挙区外であるだろうから、周年事業に対する寄付は問題にならないはずです。母校に対するたかだか2万円の寄付が買収行為であるかないかなど子供が考えても分かりそうなもの。

告発は、場合によっては不正を暴くので一概にいけないとはなりませんが、味噌も糞も一緒にするようなものは愚かに過ぎます。子供のころ何でもかんでも先生へ告げ口する者は、皆から馬鹿にされて誰からも相手にされず寂しいものでした。

何がよくて何が悪いかぐらい大人になれば判断出来る様にならなくてはいけないでしょう。