長徳の変で自滅する藤原伊周の『大鏡』での不思議な評価についてです。
伊周は菅原道真⁉
裏がありそうな長徳の変
(NHK大河ドラマ『光る君へ』で、太宰府遠流に不満を表わす伊周(C)NHK)
伊周は菅原道真⁉
大河ドラマ『光る君へ』においても描かれている藤原道隆の子ども達の伊周・隆家兄弟が花山法皇に射かけてしまった屋から始まった”長徳の変”についての伊周の評価が、『大鏡』では不思議な感じで書かれています。
『大鏡』の記述についてです。
父の道隆が亡くなり、関白はその弟の道兼に、その道兼死後は政権首班に道長と、伊周は関白にはなれませんでした(大鏡では、道兼の次の関白が道長と記述され、そこは史実と異なっています)。
花山院の不敬事件(長徳の変)を起こして、官位を奪われて、太宰府権帥として、23歳で流されることになります。このことについて『大鏡』では
まったくかように左遷されるということは、必ずしもご自分の過失によってばかり流されるというのではありません。
何事も常人よりすばぬけていた人が、こういう災いを受けることは、唐の国でもわが国でも、よく例のあることです。
昔は、北野(菅原道真公)の御事それですよ
と、菅原道真は、901(昌泰4)年に、昌泰の変で右大臣であったが、官位を奪われて太宰府権帥として流され、自分は無実で、天皇に忠誠を誓っている歌を北九州の太宰府で歌います。『大鏡』では、伊周をこの菅原道真と同じだと、恐らく、長徳の変は、昌泰の変のようにでっちあげな部分があった(恐らく、詮子への呪詛)可能性が示されているのかもしれません。
伊周が自滅し、いろいろ抵抗を試みるも太宰府権帥として流されることになった”長徳の変”について