#718 レビュー 『第8回 帝国の解体 ティムールとルネサンスへ』-3か月でマスターする世界 | 歴史に遊び!歴史に悩む!えびけんの積読・乱読、そして精読

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14世紀の危機で解体したモンゴル帝国のその後の影響を描く『第8回 帝国の解体 ティムールとルネサンスへ - 3か月でマスターする世界史 - NHK』について

モンゴル帝国、そのネットワークが疫病も運び崩壊へ

西方ではルネサンスに、東方世界ではティムール朝から始まる各種王朝の統治の基本に

(NHKの『第8回 帝国の解体 ティムールとルネサンスへ 』のタイトル画面(C)NHK)

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  モンゴル時代 空前の東西交流

第7・8回もモンゴルですが、ゲストは、モンゴル時代史専攻の京都大学の宮紀子先生です。

 

ナビゲーターの岡本隆司先生のよると今回のポイントは

    

 ①モンゴル帝国は、なぜ解体したのか?

 ②帝国の遺産が東西に与えた影響

第7回では、東は中華王朝エリアから、西の東ヨーロッパエリアまでのユーラシア大陸の大部分を版図に収めたモンゴル帝国、陸のシルクロード・海のシルクロードと交易ネットワークの安全を確立し、銀兌換紙幣や有価証券で金融ネットワークも確立したグローバル経済大国を実現したことが述べられましたが、第8回ではそんなモンゴル帝国が崩壊し、その後の影響を語るの野です。

 

第7回はこちら

 

モンゴル帝国解体の理由として、14世紀の危機が挙げられています。これは気候が「中世温暖期」から「小氷期」に変わり、寒冷化により作物が不作となる飢饉や、疫病が流行する状況を指します。疫病についていえば、黒死病(ペスト)がこの当時猛威を振るいます。黒死病(ペスト)は致死率60%と言われる恐ろしい疫病です。ヨーロッパでは人口の3分の1が死亡したといわれる病気です。

 

モンゴル帝国が築いた交易ネットワークが、物流を運びますが、同時に疫病の黒死病(ペスト)をも運び、広げてしまうことになります。

(NHKの『第8回 帝国の解体 ティムールとルネサンスへ 』のモンゴル帝国のネットワーク(C)NHK)

 

飢饉と疫病で多くの人が死に、交易網も機能しなくなり、社会不安が高まってついに中国で紅巾の乱(1351~1366)が起こり、中華王朝エリアは元王朝から明王朝に変わり、元王朝は北の草原地帯に追いやられ、巨大なネットワーク網のモンゴル帝国は崩壊してしまいます。

(NHKの『第8回 帝国の解体 ティムールとルネサンスへ 』元と明(C)NHK)

宮紀子先生によると、このときのモンゴル帝国は、自分たちの主導権争いの内輪もめばかりで、カンについても、これまでは壮年期のものが即位していたのが、このころは若いものをカンに即位させて、すぐに首を挿げ替えるようなことばかりしていて、農民の反乱を甘く見ていたそうです。その結果が、紅巾の乱からの明による中華王朝エリアからの排除となりました。

 

ヨーロッパ(西側世界)への影響

モンゴル帝国の遺産としてヨーロッパ世界への影響が語られます。

その影響として挙げられたのがルネサンスです。黒死病(ペスト)がヨーロッパにも広まり、3分の1の人口が失われる大惨事の中、中世のキリスト教的人間観からの解放が探求されていくことで花開きます。

 

モンゴル帝国の進んだ技術や研究されていたギリシア・ローマの文献などが、モンゴル帝国のグローバルな交易ネットワークにより、ヨーロッパにつたえられます。

(NHKの『第8回 帝国の解体 ティムールとルネサンスへ 』モンゴルからもたらされたもの(C)NHK)

 

海の交易網の西ヨーロッパ側の地点であるフィレンツェ共和国やヴェネツィア共和国にこれらが伝わることで、西ヨーロッパ世界は東側に自分たちよりも進んだ文物や技術を知り、そこを中心にルネサンスが花開きます。宮紀子先生によると、ルネサンス前後の絵画を見るとその影響がよくわかるそうです。きらびやかで陰影で立体的な絵に変化するとのことです。

 

ポスト・モンゴル

続いて、その巨大なモンゴル帝国の版図内で、ポスト・モンゴルとして支配を受け継いでいく王朝の紹介がなされます。

(NHKの『第8回 帝国の解体 ティムールとルネサンスへ 』ポスト・モンゴル3王朝(C)NHK)

広域支配と寛容な統治のモンゴル帝国を受け継いでいく1つ目が、ティムール朝(1370~1507)で、モンゴル帝国を模倣した駅伝を整備し、モンゴル帝国の再来ともいわれた王朝です。世界遺産のサマルカンドが有名です。

(NHKの『第8回 帝国の解体 ティムールとルネサンスへ 』ティムール朝(C)NHK)

 

次が、ムガル朝(1526~1858)です。ムガルとはペルシア語でモンゴルなんだそうです。

(NHKの『第8回 帝国の解体 ティムールとルネサンスへ 』よりムガル朝(C)NHK)

世界遺産のタージ・マハルが有名で、

 

次が、サファヴィー朝(1501~1736)です。ムガル朝と同じころくらいに現在のイランを中心に成立します。

(NHKの『第8回 帝国の解体 ティムールとルネサンスへ 』よりサファヴィー朝(C)NHK)

主都はイスファハンで、交易で世界の様々なものが集まることから世界の半分なんて形容されるくらいに繫栄した王朝です。

 

サファヴィー朝は、もとは神秘主義教団でその開祖は、フレグ・ウルスの君主から税金を免除され、そういった特典を活かしながら力を蓄えて、成長して国家まで打ち立ててしまいます。

 

オスマン帝国について

オスマン帝国を打ち立てたトルコ系民族は、もともとは中華王朝エリアの北側の草原地帯に住む遊牧民だそうです。匈奴などと同じ場所。

(NHKの『第8回 帝国の解体 ティムールとルネサンスへ 』よりトルコ系遊牧民(C)NHK)

その場所から、より北側からの攻撃などで、中央アジア(トルキスタン)に移転し、そこでイスラム教徒であってムスリム化します。その後一部が、現在のトルコ共和国エリアに進み、そこで、オスマン・トルコを建国することになります。

 

1453年にはついにコンスタンティノープルを攻略してビザンツ帝国(東ローマ帝国)を滅亡に追い込みます。

(NHKの『第8回 帝国の解体 ティムールとルネサンスへ 』よりオスマン帝国の最大版図(C)NHK)

オスマン帝国の首都イスタンブールには、クビライ・カンの遺書があるそうで、他にもモンゴル時代の資料が集められており、オスマン帝国のスルタンはモンゴル大帝国のその支配ノウハウ・仕組みを学ぼうとしていたというのは興味深い指摘でした。

 

ちなみに、クビライ・カンの遺言には

 

我が息子たちよ 帝国を治めるには

人々を力づくで従わせるようにしてはならない。

と力の支配ではなく、心服させることの大切さが説かれているそうです。

 

次回からは、モンゴル帝国崩壊後のヨーロッパの新秩序などがネタになるみたいです。

 

ちなみにムックも発売されています。

 

 

 

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