#707 レビュー 『第7回 モンゴル時代 空前の東西交流』-3か月でマスターする世界 | 歴史に遊び!歴史に悩む!えびけんの積読・乱読、そして精読

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モンゴルによってユーラシア大陸が東西完全につながったその東西交流を描いた『第7回 モンゴル時代 空前の東西交流 - 3か月でマスターする世界史 - NHK』について

モンゴル帝国

シルクロードエリアを支配下に置いた空前絶後な大国が紙幣と会社組織で経済大国を築きあげる。

(NHKの『第7回 モンゴル時代 空前の東西交流』のタイトル画面(C)NHK)

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  モンゴル時代 空前の東西交流

第7・8回もモンゴルですが、ゲストは、モンゴル時代史専攻の京都大学の宮紀子先生です。

 

ナビゲーターの岡本隆司先生のよると今回のポイントは

    

   ”ユーラシアの集大成”モンゴルのグローバル戦略、日本とヨーロッパに与えた影響とは?

岡本隆司先生は、モンゴル帝国をユーラシアの集大成と位置付けられています。

前回で、モンゴルがついに中華王朝の南宋も倒して、ユーラシア大陸に空前絶後の巨大帝国を築くことに成功しました。

 

梅棹忠夫先生が『文明の生態史観』で示されたその図に手を加えた岡本隆司先生が示したユーラシア大陸内の関係図です。

(NHKの『第7回 モンゴル時代 空前の東西交流』で提示された概念図(C)NHK)

このシルクロードでユーラシア大陸の東にある日本と西にあるに西ヨーロッパを乾燥地帯の統一国家のモンゴルがつないで、空前の東西交流を可能としたことを表わしたものだそうです。

 

この大帝国により陸のシルクロードと海のシルクロードの両方をつなぐことが可能となります。

(NHKの『第7回 モンゴル時代 空前の東西交流』より海の道と陸の道(C)NHK)

そして、この海と陸の通商路のインフラ整備をモンゴル帝国が行うことで、史上空前の交易を実現したことが説明されます。

 

岡本隆司先生のよると

 

モンゴル時代の1つの特徴が、見聞が広がり、世界が広がる

ということで、それをもたらしたのが、元朝初代皇帝となるフビライらが打ち出した”モンゴル帝国のグローバル戦略”でした。

 

第7回でも出てきたジャムチという駅伝制度もそうですが、大きかったのが

紙幣・会社組織

(NHKの『第7回 モンゴル時代 空前の東西交流』より紙幣と会社組織(C)NHK)

 

まずは、紙幣について

陸のシルクロードで活躍していたウイグル商人も紙幣を使ったりしていたそうですが、国家レベルで全域で紙幣を流通させたのがモンゴル帝国でした。

 

お金というと、日本で宋銭が用いられたように銅貨が有名ですが、高額取引を行おうとすると重くてという問題がありましたが、それを解決するのが紙幣でした。

 

モンゴル帝国ではこの紙幣で税を払わせるようにすることや、銀と兌換することで流通させます。ボロボロになった場合には手数料を払えば新しいものにも交換できたそうです。

 

この紙幣に加えて、塩印や茶印という有価証券も発行しました。今では塩はありふれたものかもしれませんが、古代中国などでは塩の専売制など貴重なもので、専売証人は塩と交換できるこの塩印という有価証券でより高額な取引を行ったそうです。

 

続いて、会社組織(オルトク)について

モンゴル帝国内の商人たちが仲間となり、モンゴル帝国の王族などから多額の出資を得て、自らも出資して、それを元手に商売を行い、利益を出資に応じて分配した組織で、会社組織と言っていいものです。

 

彼らをモンゴル帝国では、その優れた経済・経営感覚を生かして、財務・経済政策の立案や国営工場の経営に登用します。商人たちの力を使って帝国を経済大国に変えていったそうです。

 

日本との関係

元朝皇帝のフビライは、1268年に日本に国書を送ります。まだ南宋を倒していない状況で、日本と国交を結ぼうとするものでしたが、当時の執権北条時宗はそれを無視します。

 

1274年に元軍が日本に出兵してきます。文永の役です。元は破れます。

このときは、元としては、日本が南宋に木材や硫黄を輸出していたので、それを止めて、できれば自分たちに考えていたという背景があったそうです。

 

その後、1279年南宋が滅亡

 

フビライは使節を日本に送っていましたが、執権北条時宗はその使節を斬ってしまいます。

 

1281年、元は再び、14万もの軍勢を率いて日本に攻め寄せます。弘安の役です。

1274年の経験もあって、備えもしていた日本に敗れます。

2回目の敗因として、宮紀子先生が言っておられたのが、その前に南宋を破るも南宋が降伏したその兵が多くいて、しかもその兵がそれほど強くなくてどうするかに困っていた中でのその兵を主力に戦いを挑もうとしたからだということでした。

 

歴史の見方ディープトーク モンゴル時代 知の交流

モンゴルが東の日本と西の西ヨーロッパに与えた知の影響が述べられていました。

蒙古襲来で国家レベルでは対立関係にあったモンゴル(元)と日本ですが、文化交流は活発で、モンゴルが与えた影響が、和算とのことでした。

 

イスラムの天体観測術が伝わり、元の時代に授時暦が生み出されます。明末まで360年以上使われた暦で、江戸時代に暦を変えようとしたときに、この授時暦を一生懸命勉強したそうで、暦を作るには高次方程式などの知識も必要なので、それが和算の格段の進歩につながっていくんだそうです。

 

西ヨーロッパについては、『東方見聞録』のマルコ・ポーロと、元に使節を派遣したローマ教皇インノケンティウス四世が取り上げられていました。

 

マルコ・ポーロは、往路は陸路で元へ、帰りは海路で西ヨーロッパに戻って来た方で、紙幣が流通し、王族のぜいたくな暮らしぶりを『東方見聞録』で伝えたそうです。

 

インノケンティウス4世は使節を派遣しますが、返書が紙で書かれていることに驚いたそうです。当時の西ヨーロッパでは羊皮紙に書いていたので、紙の存在に大変驚いたそうです。

 

西ヨーロッパは、自分たちよりはるかに進んだ東方のモンゴル帝国の実態を知り、進んだ東側との交流がルネサンスにつながるという見立てが述べられていました。

 

ちなみにムックも発売されています。

 

 

 

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