#632 47首目:三條西(藤原)實隆-シリーズ愛国百人一首 48 | 歴史に遊び!歴史に悩む!えびけんの積読・乱読、そして精読

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『愛国百人一首』の選定された47首目は條西(藤原)實隆です。ここから室町戦国時代の歌になります。
(著者所持の『愛国百人一首』の三條西(藤原)實隆の絵札)
 
    

   あ ふ ぎ 来 て

    も ろ こ し 人 も

     住 み つ く や

    げ に 日 の 本 の

     光 な る ら む

         

この歌は、1525(大永5)年の後柏原天皇の時代に詠まれた歌です。

歌の意(こころ)

天皇陛下の御威光をあおぎ募って、中国の国の人も渡ってきて住み着くようになるのは、我が国は本当に日の登る東方にあって、光も強い我が国の素晴らしさのせいでしょう。

三條西實隆は、後柏原天皇、後水尾天皇の御即位の大典を挙げたまうために奔走し、室町幕府とも交渉し、大名や本願寺などからも献金させて、即位式を実現させ、正二位内大臣まで昇進された方で、秀吉が生まれた翌年に83歳で亡くなりました。学識があり、和漢の学に通じ、歌道の中興の祖と仰がれる人物です。

 

この歌は、室町時代を詠ったというよりも、我が国は上古には不老不死、神仙の国とみなされ、その後は避難所とみなされ、中国大陸などからやってきて住み着いてきたことうを詠んだ歌というものです。

(著者所持の『愛国百人一首』の三條西實隆の読札・取札)

 

歌の解説は、『國魂 愛国百人一首の解説』著:西内雅と、愛国百人一首の12人の選定委員の一人である窪田空穂による『愛国百人一首』によって行っています。

 

『愛国百人一首』とは

 

『伊勢物語』を読む上で、和歌の理解のために読んだ本について

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