#609 レビュー『道長ものがたり』山本淳子 | 歴史に遊び!歴史に悩む!えびけんの積読・乱読、そして精読

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「幸ひ」をキーワードに摂関政治全盛を成した道長の行動、家族愛、貴族政治の最高到達点を極めるも「幸ひ」から生じた”心の鬼”に苦しみ続ける姿を追いかける1冊。

 

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  レビュー

2024年『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』が始まりました。主人公はまひろこと紫式部ですが、重要人物が藤原道長です。その道長の人生を平安時代と言えばこの人、山本淳子先生が大河の理解を深めるためにタイムリーに出してくれたのが本書になります。

 

著者の本は、平安時代をより理解する上で、そんな視点があるのかというような驚きを与えてくれる方で、本書もその通りでした。

 

特に印象に残ったのが

定子をめぐり、『枕草子』と『源氏物語』

すでに『大河ドラマ「光る君へ」』でも、ききょうこと清少納言も登場しています。その清少納言が執筆したのが『枕草子』です。

 

彼女は道長の政敵となる道隆の子の伊周の妹の中宮定子に仕え、のちに『枕草子』を書きます。今では、「春はあけぼの・・・」というその感性の発露が評価され、陽キャの清少納言という評価になっています。しかしそれだけで後世に残りえたのでしょうか?

 

これが残ったこととして中宮定子を中心に夫の一条天皇、父の道隆、兄の伊周、そして清少納言らの定子に仕えた女房達との知的センスあふれる明るいサロンが描かれ、それが道長が権力を掌握していく中で、中宮定子をいじめ、道長だけでなく他の上級貴族らもそれに加担した結果、亡くなった中宮定子の怨霊を恐れるが故の浄化作用としての作品であったことでした。そこでは道長にいじめられたことは書いておらず、巧妙に美しい姿として定子と定子サロンを書き残したということがありました。

 

一方の『源氏物語』は、同じく一条天皇に嫁いだ道長の娘の彰子に仕えた紫式部がかいたものです。主人公の光源氏のモデルは藤原道長ではないかという説がありますが、著者の説として面白かったのが、道長と彰子のためにも、亡き中宮定子を『枕草子』で描かれる明るく知的な姿で生かしておくわけにはいかない面もあり、『源氏物語』で定子を桐壺更衣に見立て、桐壺更衣は唐の楊貴妃のように国を不安定にさせる存在というのを登場する貴族らにあてこすらせ、後ろ盾がないにもかかわらず彼女を溺愛した桐壺帝に対して道理の立場から非を鳴らすということをやってのけた作品という主張です。なかなか興味深い主張ですが、確かに一条帝と特に出家してしまうにも関わらず呼び戻されてその寵愛を受けて子どもを産むも亡くなった中宮定子との関係、そしてその二人に対する貴族らの評価は、『源氏物語』の桐壺帝と桐壺更衣との関係、その周りの人たちとの評価に結構そっくりです。

 

 

「幸ひ」ゆえに生じる”心の鬼”

平安時代というとやたら怨霊が出てきます。この怨霊について紫式部は『紫式部集』四四番で

    

亡き人に かごとをかけて わづらふも

おのが心の 鬼にやはあらぬ

という歌を詠んでいます。意味としては「人は災いに遭うと、死者の怨霊を原因と考えて困り果てるが、本当の原因は自分自身の”心の鬼”ではないか」ということで、あの時代からすると紫式部はかなり科学的精神を持っていたような感じさえします。ここらへんにも彼女があの長大な『源氏物語』を書けたことがわかる気がします。

 

道長は兼家の三男に生まれました。兼家がまずは藤原北家の本流を奪い、それが長兄の道隆や次兄の道兼らへとつながっていくという流れになりそうな中、はやり病などで道隆や道兼、そして道長の上位の貴族らも急死し、いきなり政権首班に躍り出るチャンスの「幸ひ」が訪れます。それだけなく道長の政権掌握に障害となるものたちが自滅(伊周ら中関白家)や死(中宮定子や三条天皇など)で消えていく「幸ひ」が訪れていきますが、その「幸ひ」ゆえに追い落としたことへの罪悪感や恐怖から、紫式部の言う”心の鬼”から生じる怨霊に苦しめられ続けることになり、そのたびごとに出家をしたがります。ただ興味深いのは道長の出家は世俗との関係を断って、欲を捨てて静かに暮らすためというよりも、とにかく怨霊に祟られたくないだけという点が強いことが本書からわかります。

 

あの有名な和歌について

藤原道長と言えば、この歌が有名です。

    

この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 

欠けたることも なしと思へば

『まんが日本史』では、お調子者な道長が自らの娘3人を中宮にすることができ、自分だけの絶頂の満足感から詠んだ傲慢全開な歌として描かれています。

 

まずは天文学的にはこの道長が詠んだときは満月に近かったが、満月の望月ではなかったそうです。しかし、「月は欠けたが欠けていない」と謎々のような機知を詠むことこそが和歌の真骨頂なんだそうです。

 

著者によると、この月とは二つ意味があり、一つは道長、息子で摂政の頼通、左大臣藤原顕光、右大臣藤原公季、政界の御意見番の藤原実資の5人のさかづきで、道長と顕光と公季は30年来の付き合いで、政権を担ってきたものたちで、彼らが息子の頼通を迎え入れて盛り立ててくれる結束に満足していること、もう一つは、自分の娘3人が后となったこと、「后」というのは文学の世界では月にたとえられてきたそうで、自分の娘で后は満席であるということという二つのことを洒落として詠んだものだそうです。

 

山本淳子先生の本は、平安時代の見方を広げてくれたり、深めてくれたり、変えさせてくれたりする本当に役立ちます。

〈書籍データ〉

『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか』

著 者:山本淳子

発 行:朝日新聞出版

価 格:1,700円(税別)

  2023(令和5)年12月25日 第1刷発行

 朝日選書1039

 
 
 
 

 

 

 

 

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