2月13日(土)13:30-16:00 ※参加無料

「介護の充実を目指すオンライン・シンポジウム」が開かれます。

詳細はこちら(👇)。

 

 

日本ALS協会の主催ではありますが、

 

『介護保険はもちろん重度訪問介護の支給決定や支援者の確保にがんばってこられた患者さん、ご家族とそのチームと、制度やヘルパー確保の工夫などについて詳しい専門家の方からお話を伺います。』

 

とのことなので、重度訪問介護に興味がある、もしくは検討されている、と言う方は誰でも参加可能だと思います。(私は申し込みました)

事前に質問も受け付けてくれます。

 

​実際に介護制度を活用して充実した生活を送って居られる患者さんの体験談も参考になると思いますが、15:05から 事例発表4 で「全国各地の重度訪問介護24時間利用実態」の講演をされる大野 直之さん(全国障害者介護保障協議会 自薦ヘルパー推進協会 全国広域協会、全国障害者介護保障協議会事務局)は、重度訪問介護で困難に直面されている方の相談に乗ってくれる強い味方です。

 

聞いておいて損はないと思います。

 

 

長野県信濃町に住むALS患者である小林さゆりさん。

介護は、78歳の母が一人で担っていた。

 

『小林さんは、自分で寝返りをうつことができなくなっていた。それでも夜間は母を休ませるため、夜は別の部屋で寝てもらっていた。午後11時、枕と頭の位置が決まり、ガラス格子の引き戸が閉められると、長い夜が始まる。枕の位置がずれて首が痛くなっても、鼻水が詰まっても、何もできないのだ。夏には、動かせない顔に蚊が止まった。冬には、拭き取ることのできない唾液が寝間着やベッドシーツをぐっしょりとぬらし、体が芯まで凍えた。』

そんな状態だった。

 

『小林さんは当初、自発呼吸ができなくなったら「死」を選ぼうと考えていた。けれど、14~15年ごろ、気管切開し1日24時間の重度訪問介護制度を利用して暮らしているALS患者がいることをインターネットで知った。気管切開して母に負担をかけることはできない。でも、もしも、24時間支援の「公助」が実現すれば――。その可能性に気がついたとき、小林さんは「生きられる」「生きたい」と思った。』

 

ところが、信濃町からの回答は、<(公的補助は)さゆり様自身(自助)やご家族(共助)がすべての役割を果たしていただいてからです>。

即ち、「自助も共助も果たしていないから公助は受けられない」との回答だった。

 

『ALS患者は、徐々に筋力が低下し自発呼吸が難しくなった時、気管切開して人工呼吸器を装着するかどうかを選択する。気管切開すれば、夜間も含めて頻繁なたんの吸引が必要になり、24時間介護なしには生活が難しい。』

『弁護士らが町との交渉にあたったが、約1年後に町が出した結論は、1日9時間半を公的介護サービスでまかなうというものだった。残り14時間半は、家族(78歳の母親一人)が担うことができるという判断をしていた。』

 

何のための重度訪問介護制度なのか?

 

その後の顛末は下の記事から。

 

 

 

 

 

錠剤が大きすぎて飲み込めない時に便利なのがピルカッターです。

鋏で切るとうまく切れないうえに、切った薬が飛んでしまったりバラバラに崩れてしまったりしますが、これを使うときれいに2分割されて容器外に飛び出すことも有りません。

百均でも同じようなものを売っているようですが、私が使っているのは、 https://item.rakuten.co.jp/shirokuzira/siro00376/ です。

 

 

薬を飲むのが苦手な私は、通常の薬の場合、食事と共に飲み込むようにして凌いでいるのですが、今服用している薬は服用の前後2時間は食事をしてはいけない(食前食後だと吸収が良すぎて薬の効果が薄れるらしい)ので、半分にした錠剤を少量ずつ服薬用ゼリーで飲み込むようにしています。

それでもタイミングがなかなか合わず、嚥下できる量が限られているので喉の奥に錠剤を置いてからでないと飲み込めず、かと言って誤嚥も避けなければならず、何度もゼリーを継ぎ足してすごく時間がかかります。

 

薬は消化時間や消化する場所を考えて、その形状や服用するタイミングが考えられていいるようなので、あまり細かく砕くことはお勧めしません。ご心配の向きは処方医または薬剤師にご相談ください。

 

 

神経難病の緩和ケアを知る上でとても参考になるブログです。

”SAY-プロジェクト”の緩和ケアの理解のためにも役に立ちます。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カナダに駐在していた次男夫婦が、年明け早々アメリカに移駐になって、アメリカのビザを取るために一時帰国した。

隔離期間は2週間なので、会えるのはその後だと思っていたら、特に隔離中の行動に制約は無いらしい。

空港で聞かれたのは、出発地、他国の人と接したかどうか、連絡先、程度で、空港から隔離場所までは公共交通機関を使うなと言うこと以外、隔離期間中の注意事項などは何もなかったそうだ。

隔離場所は自宅でも良くて、外出制限も行動制限も無し。

息子たちは老夫婦に感染さないように、ウィークリーマンションに滞在することにしたようだが。

 

何のための隔離期間なのか?

 

空港の検疫で唾液による簡易検査結果は夫婦ともに陰性だったようだが、唾液検査の前には飲食は禁止だったにも拘らず、誰もそんなことは教えてくれず、事後に知ったというお粗末さ。

 

イギリスから変異種が入り込んだという話だが、こんな体制では阻止出来るはずがない。

 

この甘さのお陰で、今年のクリスマスプレゼントは、クリスマスが誕生日の息子夫婦との距離をおいての久々の再会となった。

 

こんな事で良いのかと疑問を抱きつつ・・・・。

 

 

 

「神経難病”安心予後”プロジェクト(SAY-プロジェクト)」のメンバー数が94名となり、事務作業や各方面との連絡に時間を取られていたこともありましたが、それ以外にも色々有りました。

 

・今年の8月に承認されたばかりの、私が患っている希少癌に効くと言われている新しい抗癌剤の服用が始まりました。

病院でもその薬を処方するのは初めてとのことでかなり慎重なのも有って、現時点では以前の抗癌剤に比べて副作用は少ないものの、体調変化は否定できません。

 

・家内が、腹部の激痛に見舞われて救急搬送されました。

救急外来での検査では特に異常なしとのことで帰宅。

事なきを得たと思った矢先、後日病院から「消化器内科の専門医が問題を見つけたので、至急追加の検査に来い」との連絡が有り、その日から3日連続の検査を受けることに。

「肝臓に腫瘍が見つかった」とのことで、その大きさや数に加えて良性か悪性かの検査をして、結果は1週間後。

 

何とも無いことを祈りながらも、悪性だった場合一定期間の入院は避けられそうもなく、その間ヘルパーで凌げるのか、転倒の危険などを考慮するとやはり施設に入らざるを得ないのか、それは何処なのか、etc.etc.・・・・・。

私の不明瞭な発語を聞き取り、痒いところに手が届く介護をしてくれる家内の不在をどう補うか。不安な1週間。

 

幸いにも結果は良性だったとのことで胸をなでおろしましたが、

万が一のことを考えて置かなければと思い知らされました。

 

・カナダに駐在している商社マンの息子夫婦がアメリカに移駐となり、来春のみならず当分帰国が無くなったために、我が家の不動産戦略の見直しを迫られました。

 

他にも色々有りました。ご無沙汰の言い訳です。

 

 

メンバーさんが、ある患者会での配布用に、SAY-プロジェクトのリーフレットを作ってくれました。(👇)

ありがとうございました。

 

ご応募をお待ちしています。(👇)

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