目の疲れと闘いつつ。
小説の執筆のほう、69枚まで書き進めた。目標では今日までに85~90枚まで到達する予定だったけど、やはり見積もりが甘かったみたい。目の疲れに悩まされていたこともあり、毎日書くのはできなかった。今は少し、目の疲れが和らいでいる。音楽療法、といえばいいのか、自律神経を整えるのによいとされる音楽を聴いてたら、目の裏側がひんやりして今まで感じていた圧迫感(疲れのせい)がなくなった。音楽は不思議。これで、目の疲れを完全に解消できたわけではないけど、毎日数十分小説書いたり、支障なく仕事をやることはかろうじてできそうだ。コンディションの悪さもあって、目標より遅れた速度で書いているけど、でも話の半分以上は終わった。できれば、6月の上旬のうちに脱稿できたらいいなと思う。次回作の構想もひとつ考案した。前回同様、「喪失」をテーマに書く予定。リングノートの余りのページに思いつくことを書き上げながら、今までよりもまじめ(?)な話になりそう、と思ったり。どちらにせよ、あまり感情的・感傷的に物語にぶつからずに、粛々と進めていきたい。読書のほうは、とっ散らかっている。仕事で参考にできそうな本を読みながら、小説を2冊くらい並行して読んでいる。読んでいる小説はハン・ガンの「菜食主義者」と、イアン・マキューアンの「贖罪」。どちらの作品も、官能的な美しさがある。「菜食主義者」は、顔が出てくる夢を見たせいで肉を食べられなくなった女性の話で、人の欲望・本能・暴力、というものと対比するように描かれている(ように思えた)。ちょっと怖いけど、芸術的。イアン・マキューアンの「贖罪」は、主人公の女の子の発言によって、引き裂かれた恋人たち、そして主人公の償いの話(になるかな?)。こちらは少し、ドラマティック。繊細な筆致で描写されてあり、それがリアリティを増してくれる。人間の細やかな心理も行き届いていて、読んでいて引きずられていく。登場人物たちの心情に。最近の読書は楽しい。小説の技術的な部分を学ぶために読んでいるだけじゃないから、なのかもしれない。おおげさになってしまうけど、自分の人生とか、出会ってきた人たちとの出来事とか、そういう体験と照らし合わせながら読んだりしている。そして、過去の人たちでわからなかった人や、わかろうともしなかった人たち、またはまだ出会っていない人たちの本音の声を聞いている気持ちになる。それは、今の自分が孤独だからなのかもしれない。孤独だから読書を楽しめる。ひとりになったから本の声に耳を澄ませることができるのかもしれない、などと思った。こういう静かな時間、わたしは好きだし、大切にしていきたい。