入山杏奈、去年5月20日以来の劇場公演出演

◆入山杏奈よりファンの皆さんへ
入山杏奈
「18歳の年は、ほんとに皆さんにご心配をおかけしてしまって。
夏頃、ずっと入院してて、毎日同じ景色を見て、もうやめたいなと思ったこともあったし、私の世界は今ここしかないなって思っちゃったこともあるし。
そんな時の自分を思い返して、今ここでこうして歌って踊っていられることが本当に幸せです。
正直まだ、突然大きな音がしたりとか、大きな声が聞こえたりとか、それを怖いなって感じてしまうことがたくさんあります。
そんな、まだちょっと弱い私なんですけれど、でも今日ここにこうして立てたのは、病院に毎日のように来てくれたスタッフさんだったりメンバーがいてくれて、何事もなかったかのようにくだらない話をしてくれて。ファンの皆さんが温かい声をかけてくれて。
みんながこうして帰ってくれる場所を作ってくれたからです。本当にありがとうございます。



19歳の年は、そうだな、これから、私の手の話なんですけど、今日の公演とか、今までの活動とか見てて、気づいてる方もいるかもしれないんですけど、まだ完治はしてないです。
ずっと今まで数ヶ月間、お仕事の合間を縫って、週に3回リハビリに通って、それをずっと続けてて、今やっとここまで動くようになりました。
まだ、これから、たくさん時間がかかると思います。
自分の手のことなので、やっぱり活動をしていても、優先順位が自分の手のことになってしまうこともたくさんあって。
公演お休みしたり、イベントお休みしたり、テレビ番組お休みしちゃったり、これからたくさんするかもしれないんですけど、私もちゃんと自分の手と向き合って戦っていくので、皆さんも一緒に前を向いて歩いてください。
本当にたくさん心配をかけてしまったので、19歳の1年は皆さんに笑顔を届けられたらなと思います。ありがとうございました」
藤田奈那「あんにんには、今日ここに来てくださった方はもちろんですけど、もっとここに来れなかった方もたくさんの方がついていますし、メンバーもいつも側にいるし、大丈夫ですよ。これからもみんなで一緒に頑張りましょう」
◆高橋みなみよりコメント
高橋みなみ
「ほんとに、皆さんもそうだと思うんですけど、
やっぱりあんにんがここに立ってるっていうことがやっぱり、凄く、私達メンバーも待ってたし、ファンの人も待ってたし、きっとあんにんもずっと、どうしようかなって、いつ立とうっていうことを考えてたと思うんですよ。
だからさっき色々話したけど、やっぱり不安ですよ、やっぱり色んなことと離れていると。
でも、やっぱり握手会で、私の所とかみんなの所に来たと思うけど、あんにんのファンの方が「あんにん元気かな?」って言ってくれたりとかすると、私達も凄く安心したんです。
あっ、あんにんのファンの人ずっとあんにんのこと応援してくれてる、良かったっていう風に思って。
確かにあんにんは「弱い」って自分のこと言ったけど、私はここまできたあんにんは弱くなんかないと思います。
とても強いと思います。
そしてここまでずっと待ってくれたファンの方も凄く強いと思います。


だからきっともう、今日のこの1公演見てわかる通り、あんにんのファンの人はずっとあんにんを応援してくれますよね!?
客「ハーイ!」
凄い、素晴らしいファンの方たちだと思います。
だからこの19歳の1年は去年の約半年分取り戻して、あんにんは一歩一歩進んで行けるように、そしてファンの皆さんがあんにんの背中を押してあげてください。
これからもあんにんの応援をよろしくお願いします!」
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これまで手の傷については言及されてきませんでした
しかし未だ完治していないとは、衝撃でした。
ここまで長引いているとは、"浅くない切り傷"や"骨折"といった単純なものではないということなのでしょう
「リハビリを続ける」、「ずっと闘っていく」というコメントと
未だ隠す必要があるほどの治療痕があるというところからすると
全然わからないですけど例えば腱や神経が切れたりしていて
幾度かにわたってメスを入れたりしているのでしょうか…
「正直まだ、突然大きな音がしたりとか、大きな声が聞こえたりとか、それを怖いなって感じてしまうことがたくさんあります」
これはPTSD(心的外傷後ストレス障害)の典型的な症状です。
当初はこの心の傷の方が心配でした。
これは本人に全く非はありません。
死を実感するほどの恐怖です、一生拭えなくても仕方ありません。
これには周囲の支えが不可欠です。
その意味では、ファン・メンバー・スタッフ、多くの仲間がいるAKB48は
きっとあんにんの心の傷を癒す助けになっているはずです
しかし、彼女の恐怖体験が握手会会場で起きたことが悔しくてなりません。
本当ならファンとの絆を確かめ合う場所なのに。
例えば、「握手会」ではなく「お話し会」くらいにしておくというのはどうでしょうか
手を出す恐怖をケアしつつ、直接ファンと交流する場を設ける、という意味で。