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厳冬期の車内泊で驚きの経験をした北海道2020冬の旅。
あの時の感動の景色をカミさんに見せたいと思って
再び真冬の北海道を目指します。
果たしてカミさんは寒さに耐えられるか!
北海道2021冬の旅は、21/12/17から出かけてきました。
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■道の駅・ビルケ
夜の様子です
前はクリスマスイルミネーションがとてもきれいだったので、今回カミさんに見せようとクリスマスイブ(道内最後の晩)に日程を組みました。
蓋を開けたら、道東を早め引き上げたことでここで二泊。
派手なイルミネーションがなくておとなしいクリスマスイブの夜を過ごしました。
美瑛の山奥のココも豪雪地帯なので、除雪の準備が必要です。
組み立て式に改造したスコップが活躍しました。
■青い池
ビルケは、あの青い池に近いので便利です。
ただ、青い池は冬は白い雪原です。訪ねるなら夜半。ライトアップされます。
しかし前回の冬の訪問では夜のライトアップの時に降雪が激しくて撤収したのです。
今回はどうでしょう?
北海道の冬は日の入りが15時半と早く、ライトアップが始まる16時半には真っ暗になります。
待つこと2時間。カミさんが撮り収めました。
これでカミさんはミッションコンプリートです。
一方、レムは苦戦していました。
強いライト光と弱い星の光をどう写し込むか、、
多重露光やHNDなどを試しますが中々うまくいきません。
やっと撮れた1枚は、、
中途半端です。
分かりにくいと思いますが、山の上にオリオン座が出てきましたが、一部隠れている。
もう30分ほど待たなければ。
そしてこの10分後です。
雲が、、、そのまま天候が回復することはありませんでした。
残念、今回も不完全延焼です。
■丘のまち
時は前後しますが、この日の午後に訪れた『美瑛の丘』を紹介します。
夕日に照らされた雪面が曲面状に輝いています。
光が織りなす陰影がここは雪原ではなく、丸みを帯びた丘であることを感じさせています。
丘のまち、美瑛だからこそ撮れる風景だと思います。
良く知られた美瑛の風景は、規則正しく植えられた農作物が曲線を描いていることで丘の曲面を表現してますが、この一枚は陰影での表現を拘ってみました。
ちなみに遠くに見えるのは『親子の木』です。
美瑛の丘にはこうした名前が付いた木がいくつ点在します。
カラフルな農作物が無い時期でもこうした木は風景のアクセントとなるためにか人気があります。
ただ、木はあくまでもわき役だと自分は考えてます。
■前田真三が見出しだ美瑛の風景
美瑛を訪ねたことがある貴方は、初めはどこで美瑛の美しさを知りましたか?
丘のまち、美瑛を世に広めた写真家・前田真三の話を少々。
前田は1922年の生まれなので、今年生誕百周年です。
彼は1971年に美瑛の風景と出会います。
真三は、この1971年の春から自動車による日本縦断の撮影旅行を思い立ち、佐多岬(鹿児島県)から宗谷岬(北海道)までを三か月かけて撮影しながら旅をします。
その帰り道に、旭川の知人に紹介された美馬牛峠に出向いた際に、丘に広がる白い花を咲かせたジャガイモ畑や大雪山系の山々親の上に並ぶ落葉松の風景と出会います。
それから美瑛に通うようになり、初の写真集『ふるさとの四季』(1974年)に美瑛の丘の写真4点が収録されました。
代表作の『麦秋鮮烈』は夕暮れの新星緑ヶ丘の濃紺の夕立雲の下に広がる真っ赤な麦畑の風景。
1981年出版の写真集『丘の四季』にも収録され、様々なの広告媒体にも使われるなどして多くの人々の知るところとなっています。
CMでオンエアされたセンブンスターの木やマイルドセブンの丘は1976年と77年で、前田の発見よりも後なんです。
美瑛の拓真館は、前田真三によって1987年に開かれたギャラリーです。
その後、息子の晃、そして孫の景という親子三代が美瑛の魅力を発信し続けています。
今回、冬の美瑛を2日わたって歩いたカミさんも、夏とは違う趣にとても感動してました。
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